山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

腹が立つこと二題(その2)

2012-12-12 03:31:38 | 宵宵妄話

  さて、もう一つの腹立ちと言えば、プリンターの販売・修理とインクの関係についてです。取るに足らないことのように思えるでしょうが、10年以上も前から、プリンターを使用する頻度が高かった自分にとっては、この悪辣な製作と販売の仕組みには多大なる反感と疑念を持ち続けて来た問題事項なのです。それが最近又爆発したという話です。

 何をそんなに興奮しているのかと言えば、数日前そろそろ年賀状の印刷をしようかと、久しぶりに、いつも旅に携行しているキャノン製のpixsus50iという小型のプリンターを取り出しました。このプリンターは旅専用で普段は使用していないのですが、偶々今年の旅で使った時に、インクがなくなり、旅先で交換用のインクを買った際に、今度の年賀状分も買っておこうと2箱分も先買いをしておいたのです。ところが、プリンターを取り出して使おうとすると、エラー表示が出て動かないのです。説明書を見ながら、いろいろとやってみたのですが、どうしても動かないので、こりゃあ点検修理をして貰うしかないと、自分で対応するのを諦めたのでした。

 買ってからか10年近くなり、かなり時間が経っていますので、もうとっくに無料修理のサービス期間などは過ぎ去っていますから、説明書を見てもどこへ持って行けばいいのか判りません。ネット等で調べた結果、近くの坂東市にキャノンのテクニカルセンターというのがありましたので、そこへ電話をしましたら、プリンターの修理も行っているということでした。早速持参して診て貰うことにしました。坂東市のその場所まで、我が家からは40分ほどでした。

 受付に行って担当の方に会うと、このタイプの機器はもう既に2年前に部品の在庫期限が切れているので、もし部品交換の必要がある場合は、修理は不能ですと断られました。それはまあ、そちらさんのルールなのでしょうから文句を言っても始まらないなと、とにかく了承して診断してもらうことにしました。10分ほど経って出てこられたその方が言うのには、紙送りに使われているギアの部分が破損しており、それを交換しなければならず、その部品の在庫がないので修理はできませんということでした。

 一旦了承した以上は、くどくどその担当の方(女性)に文句や苦情を述べても仕方あるまいと、ほんの少しばかりプリンターやインクの製作・販売に係わる基本的なあり方について嫌味を言わせて貰って帰ることにしました。しかし、帰りの車の中で、改めてこの業界の商売のあり方を考えている内に、又だんだん腹が立ってきてなりませんでした。プリンターは壊れてしまっているのですから仕方ないとしても、我が家には一箱2個入りの新品のインクが二箱も残っているのです。そのインクを使える機種は最早存在せず、捨てるしかありません。1箱2千円以上もするのを使わないまま2箱も捨てなければならないのです。4千円をドブに捨てるようなものです。こんなことがあってもいいのかと、思えば思うほど己の運の悪さよりもこの業界の悪辣さを呪いたい気持ちが膨らんだのでした。

 家電量販店に行くと、毎回新しい型名のプリンターが賑やかに並べられています。そしてインクのコーナーにはややこしい番号付きの様々なタイプのインクが数多く並んでいます。新しいプリンターが売りだされる度に、インクカートリッジも又新しい形のものに変わってきています。継続性のあるインクの使用は殆ど無いといってもいいほどです。これは明らかに「古いタイプのインクカートリッジは使わせない」という業界の執念のような常識が為せる現象です。インクの中身の質がそれほど変わるなどということは考えられませんから、変わっているのは外の箱だけなのです。要するにどの機種にも使えるインクカートリッジを用意しておくと、販売上不利益を生じる事態(安価な非純正のインクなど)が現れ、収益上問題となるので、消費者側の事情などお構いなしに容器であるカートリッジを変形し続けているとしか思えません。

 プリンターを長年に亘って多用していると気づくことですが、プリンター本体に比べて使用するインク価格の異常な高さです。逆に言えばプリンター本体の安価なことです。例えば1万円以下で購入したプリンターで、B5判100頁の小冊子を20冊作るとすれば、そのインク代は軽く1万円を超えることになります。1冊の印刷費用が500円以上にもなってしまうのです。常時2~3枚の印刷や偶に写真を数枚ほどプリントする程度なら、その異常さに気づかないかもしれませんが、プリンターを使えば使うほど、このインクの費用の嵩むことに異常さを感じずにはおられません。インクがなければプリンターを使うことはできないわけで、この業界の利益の対象がインク側に重きを置かれていることは明らかです。

 プリンター本体に関しても、使う側からは疑問がたくさんあります。嬉しくもない改善と言うのか、ほんの少し技術の進歩を見せびらかしているような機種変更が数多くなされ、何でもかんでも目先の新しさを強調しているかのような製品が多いのです。エコという名目で、僅かな機能の向上を大げさに強調したり、殆ど使う必要もない通信技術を無理に取り入れて消費者を惑わせたり、とにかくちょっぴりでも良かれと思うことを強引に取り付けて消費者の気を引こうとしているかのようです。

 プリンターなるものが、どんなに優れた機能を有していても、それを使うためにはインクやトナーが必要です。しかし、こちらの方は術面でも価格面でも、全く改善の対象とはなっておらず、ひたすら改悪の道を驀進(ばくしん)している様に思われます。プリンター本体とそれを使うための必需品としてのインク類のアンバランスな関係は、家電業界の幾つかの業種の中での常套戦略であり、真にケシカラン思想だと思わざるをえません。利便性の向上の裏側で、無数の利用コストのムダを付加しているからです。

 こんな時に思うのは、「勿体ない」ということばです。勿体とは物体という意味であり、勿体ないというのは物体がないというのを嘆く言葉だと聞いています。物体即ち、そのものの本当の姿(=存在)が無くなってしまうことを歎ずるということから来ているのが「勿体ない」ということばなのです。このことばは、少し前の日本国では誰でも肝に銘じて使い、大切にしてきたのですが、今頃は次第に死語に近づいている感がします。数年前、このことばが国際的にも有名になりました。ケニア出身の環境保護活動家で、ノーベル平和賞受賞者となった故ワンガリ・マータイ女史が来日された際に、このことばを知り大変感動されて、その後エコ活動のキーワードの一つとしてとても大切にされていると聞いていますが、このプリンターとインクの関係の世界では、その考え方は無用のようです。

 勿体ないというのは、貧しい時代を生き抜くための最重要な心構えであり、人間が大自然との共生を考えてゆく上で、欠かしてはならない心構えなのだと思います。日本人はこのことばを大切にしながら暮らしをつくってきたと思います。しかし、産業革命から始まる大量生産・大量消費の経済活動は、人間の生活を間違いなく利便性の高いものとはしたのですが、同時に環境を軽視し何ごとも人間最上位の思い上がりの思想を知らず醸成してしまったようです。使い捨てというのは、人間の思い上がりの極致の行為であり、やがては作られて捨てられたものの反逆が襲来するに違いないような気がします。それは、一朝一夕に判るようなことではなく、じわじわとやって来る内にある時から急速に加速をして、気づいた時には最早処置なしの惨状を到来させる危険性を孕んでいるような気がしてなりません。そして、今はこの経済産業システムが、人間の思い上がりを戒めるために、その負の部分を加速化している様に感じてならないのです。

 たかがプリンターの修理の話なのですが、この機器をつくり、その利便性を提供する背景には、「勿体ない」などという思想を無視・排除する現実がしっかり根付いているのをどう仕様もないほど感じます。それを忌々しく思いながらも、それに対して何の抵抗も反抗も為し得ない現実を、なんとも腹立だしく思ったのでした。未だその腹立ちは収まりませんが、一先ずは矛を収めることにします。結局敗北者は、又新しいプリンターを買うはめになったのでした。しかし、今度はモノクロ専用のインクジェットの機種にしました。明らかに腹立ちの果てのやらされの姿だと思いながら。今の世は、勿体ないとは無縁の、使い捨ての(使わず捨ても含めた)一方的な効率追求の、損得の物差し最優先の歪んだ世界に、どうしようもなく浸ってしまっている感じがしてなりません。

コメント
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