山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘12年 九州春旅レポート <第36日=5月5日(土)>

2012-05-06 07:13:30 | くるま旅くらしの話

【行程】

道の駅:いんない →(R387・R10)→ 宇佐神宮 →(R10・R213・K31他)→ 富貴寺 →(K29他)→ 両子寺 →(K29・K31・R213)→ 道の駅:くにみ →(R213)→ 国東市内コインランドリー →(R213)→ 道の駅:くにさき →(R213・R10他)→ 里の駅;山香風の郷 (泊) <137km>

 【レポート】

 朝になって何だか外が騒々しい様なので覗いてみたら、何やらフリーマーケットの様なものが行われるらしく、その開店準備なのか、何人かの人たちが動き回っていた。泊りの車も10台近くあって、近県からの連休利用の人らしかった。この地はなかなか味わいがあるので、一度来た人にはもう一度という気が起こるのかもしれないなと思った。何しろ石橋が75もありそれに興味を持ったら、奥行きは深いのではないか。又温泉も3つもあり、くるま旅の者にはこれ又魅力を覚える場所でもあるからである。

 今日の予定は宇佐神宮の参拝の後、国東の数多いお寺の内の富貴寺と両子寺に参詣し、その後は杵築の城下町を訪ねたいと思っている。朝から上天気で、今日はかなり暑くなりそうだ。出発の前に、昨日見残していた、直ぐ近くにある荒瀬橋というのを見に行く。これもそれなりに貫録のある橋だった。他にももう一つくらいは素朴なものを見たいなと思ったのだけど、貰った絵地図と実際の現場には格段の差があって、絵地図が判りやすい分だけ、現地での混乱が多い。観光協会はどうやら主な橋だけ見て貰えばいいという考えらしく、小さな橋などには丁寧な現地ガイドはなされていなかったのが残念である。歩いて自ら探せばいいだけの話なのだが、今日はこの後かなり歩き回る予定が入っており、一つだけに止めての出発となった。

 宇佐神宮には何度か参拝している。院内の道の駅からは1時間もかからない距離だった。広い駐車場があるのだが、SUN号には中途半端な線引きが多くて、停める場所を決めるのに時間がかかった。この神社の駐車場は神社が経営しているのではないのか、有料である。鵜戸神宮も伊勢神宮も無料なのに、などと思った。車を置いて、広い境内の中を本殿に向かって歩く。今はイチイカシの花盛りなのか、その花の匂いがむせ返るほどに境内一杯に漂っていた。気温は早や25度を超えているのではないかと思われた。木陰を辿りながら、ようやく本殿に着く。ここの礼拝の仕方は、他の神社などとは違って、二礼四拍一礼という作法である。何となく威厳さを思わせる感じがした。本殿の後、下宮にも参拝する。本宮と同じ三神が祀られたお宮なのだけど、本宮の方は国体のために造られ、下宮の方は一般民衆のために造られているのだとか。国体というのも所詮は民衆が造り支えているというのを思えば、区分する必要もないと思うのだけど、その昔の為政者の考えにはどうしても差別が必要だったようである。祀られる神様の方はどんな気分なのだろうかなどと、不謹慎な思いを馳せるのはいつもの悪い根性の働きなのであった。新緑の空間は神様ならずとも生きた人間には元気をもらえるありがたい空気に満ちていた。

     

宇佐神宮本殿。この神宮はひときわ朱塗りの建物が目立つ。折からの新緑に映えて荘厳さが層倍している感じがした。

 参拝の後、参道にある店の中で、一番神宮に近い茶店で湯気を立てているヨモギ饅頭に関心が集中し、それを求めて茶店の前の長椅子に腰を下ろす。お茶は無料で、最初は温いものを、後からは熱いのをふるまってくれた。石田光成の茶坊主時代の様なアイデアなのだが、店の若いおばちゃん自ら大声を上げてそう喧伝しているので、さほどに有難味は感じなかったけど、歩き疲れの身には熱い饅頭と温いお茶はフィットしており、饅頭も美味かった。いつの間にか旅車などの話となり、別のオッチャンが出て来て話に加わって、九重でのキャンプなどの話となり、エンドレスになりそうだったので、潮時を見極めるのに苦労した。参拝の有難味よりもこのような茶店の人との歓談の方がご利益が多いような気がした。否、これこそが神様の配慮の一つだったのかも。

 宇佐神宮の後は、御仏の里国東の中でも最も人気のあるお寺の一つである富貴寺に向かう。20分ほどで到着。富貴寺は大堂と呼ばれる建物が九州に現存する木造建築では最古のものだとか。勿論国宝になっている。一見では何の変哲もない古い建物なのだけど、中に入るとそのたたずまいの中に千年前の往時の人たちが描いた極楽浄土の壁画などが擦れて残っており、それらを自分なりに修復してイメージすると多くの御仏に守られた穢れ無き世界がそこに現出するのである。昨日の臼杵の石仏への祈りも、その先にあったのは、このような浄土を求める人々の遠い願いだったのではないかと思われ、時代を生きる人々の苦悩やそれゆえの夢の世界が偲ばれたのだった。大堂に坐してその静寂に覆われた世界の中にいると、この空間が国宝に相応しものだというのが、次第に解ってくるように感じた。

     

富貴寺大堂。ひっそりとしたたたずまいは、さほどに古さも感じさせないが、この建物の価値は、中に入ってみないとわからないように思う。中には往時の人々のあこがれが描かれていたのだった。

 このような空間の中でも、真の民衆というのはいるもので、我々の前に座っていた二人の老婆が、仏前で売っている数珠を買うについて、私はこちらが良い、いやあたしはこっちだと仏様のことなどすっかり忘れて議論を始め出した。たまりかねて相棒が注意したりしていたが、本物の民衆というのはこういう自分勝手な姿をしているのだろうなと思った。斯く言う自分だって、この二人の老婆と大して変わってはいないのかもしれない。人が神様や仏様に対して敬虔な気持ちになれるのは一瞬のことであって、その気持ちを長時間持ち続けることは坊さんや神官にだってできるものではない、というのが自分の本心なのである。そして、それでいいのだと思っている。

 富貴寺の後は両子寺へ。両子寺は国東半島の中心に位置しており、かなり険しい山の中にある。歩いたら相当に厳しいのではないか。今は道路が整備され、車での参詣も楽になっている。相棒の話では、このお寺には本堂などには大して魅力を感じるものはないとかで、見たいものといえば、山門につながる参道の入り口付近にある阿吽の石像くらいだとか。富貴寺の拝観料200円はリーズナブルだけど、このお寺は以前来た時もやたらに高飛車な札書きが建てられていて、そのくせ拝観料をとるというので、中に入る気がしなかったのを思い出した。今回も中へは入らず、石像などを撮って引き返すことにした。優しくない仏様の管理者に対しては、そのような抵抗が当たり前というのが似非仏教徒の普通の姿なのである。

      

両子寺山門前にある石造の仁王像。門から飛び出してここまで出てきて誰何しているかの感を覚えるほどの迫力がある。

 さて、昼飯をどうするか。石段の上り下りが多くて、疲れもたまって来ており、少しゆっくり休みたいという気持ちもある。一先ずは道の駅:くにみまで行くことにして出発する。途中で道が工事のため通行止めとなっている箇所などもあって、予定よりも少し遅れて国見の道の駅に着く。この道の駅も人出で溢れていた。近くの公園の駐車場に車を留める。直ぐ傍は海であり、近くに姫島が望めるロケーションだった。レストランは混んでいるので、弁当のタコ飯などを買って昼食とするタコと車エビは姫島の名産品ではなかったか。タコ飯は結構美味かった。食事の後はしばらく休憩。休憩中に考えた結果、今日は杵築には行かずにどこかコインランドリーがあったら、そこで洗濯を済ませ、道の駅:くにさきに泊まろうかということになった。

 コインランドリーはなかなか見つからず、国東の市街地近くで1軒見つかったので寄って見たら、どうも相棒の意に叶うような店ではなかったのでパス。国東の道の駅の近くまで行った所で、2軒目を見出す。ここはOKというので車を留める。その後の時間の過ごし方はいつも通りである。2時間ほど相棒の時間となり、こちとらは記録の整理などを終えて付近をウロウロしたりして終わるのを待つ。終わり近くになったので行ってみると、相棒は同じようにコインランドリーに来ていた主婦と思しき女性とすっかり仲良くなって、何やら旅の話などを吹聴していたらしい。また一人ブログを見て頂ける人が増えたなどと言っていた。後で聞くとその女性のお父さんは自分より1歳年上の方だとか。そのお父さんに比べると自分は若いなどと話していたとのこと。誰でも自分の父親よりも他人の父親の方が若く見えるものなのかも知れない。素直に喜ぶよりも疑いの方が先になるのは、老人の特性でもある。それにしても相棒の活躍ぶりにはあきれ返るばかりだ。コインランドリーではこの後も続きがあり、これは別口の話なのだけど、コインランドリーを使うのが今日初めてという高齢のご婦人がやって来て、どう使っていいのか迷っておあられたのだが、自分もどう使うか知らないため、教えることもできず、早く相棒が戻るのを願ったのだが、相棒は先ほどの女性を車に案内して、中を見て貰ったりしてなかなか戻らないのである。その内にご婦人は自分でコインを投入してスイッチを押したのだったが、それは乾燥専用の機器だったのである。中止のボタンを押してもお金は戻らないから、終わるまで待つのだと達観されていたようだった。その内に相棒が戻って来たけど、もはや後の祭りだった。それらがきっかけとなりそのご婦人と旅の話などとなり、しばらくあれこれ歓談していたら、今度はその方のご主人が入って来られて、さらなる大歓談となったのだった。ご主人はシイタケの栽培をされているとか。話によれば、原発事故の風評被害は、大分県にも及ぶ部分があるとか。そのシイタケ山に車を留めて、泊まっていったらどうかと勧められたりした。丁度今はシイタケの出ている時期であり、好きなだけ採って食べていいともおっしゃって頂いたけど、幾らなんでもと思い辞退したのだった。その後ご主人にも車の中をご覧いただいたりして、すっかり打ち解けた出会いとなったのだった。良い時間だった。

 もう16時を過ぎていたので、近くにある道の駅:くにさきに行ってゆっくりすることにして出向いたのだったが、行ってみると泊まるにはちょっと無理なようなロケーションだった。駅舎の本体の前の駐車場は狭くて坂になっており、近くに第2駐車場はあるものの、こちらはだだっ広くて線引きもしていない空地の様な感じなのである。海にも近く、これじゃあ落ち着いて寝るのは無理と判断し、8年前に泊まったことのある山香町(今は杵築市)の里の駅:山香風の郷という所へ行くことに変更する。ついでに杵築の城下町とやらの状況も下見をしようという考え。

 山香の里の駅までは思ったよりも遠くて時間がかかった。途中の杵築の城下町の様子は、なかなか魅力的で、明日はぜひ来てみようと思った。里の駅は大変な混み様で、我々の後にも続々と車がやって来て、広い駐車場を埋め尽くしていた。ここには温泉や宿もあり、連休の最後を思い出づくりに過ごす人や温泉を楽しむ人たちの来訪なのであろう。とにかく疲れてしまって、我々の方は早めに夕食を済ませ寝床に潜り込む。

【今日(5/6)の予定行程】 

里の駅:山香風の郷 →(R10・K?)→ 杵築城下町散策 →(R10・K11・R210)→ 道の駅:ゆふいん →(R210)→ 道の駅:童話の里くす →(R210)→ 日田市内散策 →(未定)

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‘12年 九州春旅レポート <第35日=5月4日(金)>

2012-05-05 06:43:02 | くるま旅くらしの話

【行程】

道の駅:やよい →(R10・R502)→ 臼杵石仏 →(R502・R10・K24他)→ 道の駅:いんない(泊) <144km>

 

【レポート】

 道の駅:やよいの一夜は思ったほど煩くはなく良かった。国道10号線に面しているので、時々トラックが入ってきたりしていたが、少し離れており、大した問題はなかった。それよりも時折吹く突風の方が車を揺らして不気味だった。春を終わりかけた季節が夏に変わろうとしている時の不安定な時期の最中にあり、ここは突風で済んでいるけど、北国の方では大雨の被害がかなりひどくなっているようで心配だ。多くの知人がいるけど、皆さん何事もなければと願っている。

 この道の駅にも湧水があり、汲めるようになっていて、朝から水汲みに来られる人が散見された。多くの道の駅では、外来者などにはトイレ以外は一滴の水も汲ませないぞ、という意思の強さ(=悪意)を覚えるのだが、九州のこの地区はその反対の大らかさがあり、実に嬉しいことだ。昨日竹田の湧水を汲んでいるので、使用した分だけ、汲ませて頂いた。今回の旅では、かんきつ類を十二分に味わっているけど、ここにも水晶柑とか中晩柑などというあまり聞いたことのないミカン類があり、少し買い求めた。帰宅した後では、もうほとんど食べる機会はなくなってしまうであろう。北海道には果物が無いではないが、かんきつ類はやはり暖地の恵みであり、今までの8年分を取り戻す感じだった。

 今日の予定は、二つ。一つは臼杵の石仏を見歩くこと。もう一つは大分市、別府市を通過して、山の方に入り、院内町(現在は宇佐市に合併)にある石橋群を散策することである。普通だと、大分や別府に寄って、何かを体験するのであろうけど、自分たちにはそれがない。別府の地獄めぐりなど何の感興もないし、温泉に入るのも駐車場を探すのが煩わしいので、大都会は基本的に通過するだけだ。ということで、先ずは臼杵の石仏を目指す。昨夜先日再会の叶った夫婦滝のSさんから、やよいの先の佐伯の方に海鮮丼のおいしいお店があるという情報を頂いてどうするか迷ったけど、反対方向だし時間的にも調整が難しそうなので、送られてきたメールの写真を見るだけで我慢することにして、9時に出発。

 今日の天気は予報は晴れとのことだが、何だか雲が多くてしかも速く動いているので、不気味な感じである。気温もあまり上がっておらず、少し寒さを覚えるほどなのであった。昨日来た道を戻って少し走り、給油をする。山本石油という自分と同姓のこの店の名には何となく親近感を覚える。でも、それで寄ったというわけではない。この店は給油価格を表示しており、しかも軽油は60L以上入れると119円だというのである。この辺りの価格は殆ど130円台なのに比べれば、大いに助かる価格である。品質の方も不正給油はしないと表示されており、安心して任せたのだった。丁度60L入って、これでしばらくは悩む必要がない。このような給油所ばかりなら旅のコストも大いに軽減できるのにと思った。このところ、給油のチャンスには恵まれているなと思った。

 間もなく臼杵の石仏の駐車場に到着し、車を留める。寒い。かなり風があって、相棒は冬支度に切り替えていた。まだ時間的に早いのか、思ったよりも来訪者が少なく感じた。それでも100台くらいの車は来ていて、拝観の人たちも三々五々と石仏に向かっていた。ここに来るのは何度目となるのだろうか、とにかく8年ぶりの来訪である。改めてじっくりと拝観しようと思った。510円也の拝観料を払って、中に入る。石仏を撮る意欲に燃えている相棒とは当然足並みが揃わず、いつしか別行動となる。

 いつ何度見てもこの石仏群たちには驚かされる。いかに柔らかくて彫り易い石だったとはいえ、このような巨大で克明な彫刻をよくもまあ為し遂げたものだと思う。仏師といわれる人たちの巨大でち密な才能には感嘆するばかりである。そしてこれを刻んだ時代の人々の信仰に対するひたむきな崇敬心にも驚きを禁じ得ない。現代の宗教はある意味で多様化し、分散化し、まじめさに欠けること大であるような気がするけど、鎌倉時代のその頃の人々は、生きる為には信仰心は不可欠のものだったに違いない。石仏たちを見ているとそのように思えてくるのである。メインの石仏群は3か所だけど、その他にも五輪塔などがあり、急坂を上って拝観した。最後の石仏群を見たあとは、眼下に広がる草原の様な公園の向こうに満月寺というのがあり、そこに石造の阿吽像がるので見に行く。元々この広い公園も石崖に掘られた石仏たちも、満月寺の一部だったというから、その昔はここには一大寺院の伽藍が広がっていたのであろうか。九州の東部エリアは、臼杵や国東などを中心に敬虔な仏教信仰が定着していたようである。1時間余りの良い時間だった。

  

左は山王山石仏釈迦如来像。右は満月寺の阿吽像の一つ。ウルトラマンのような姿をしているけど、千年近くもこのポーズを保つのは容易なことではない。

 天気は相変わらずの雲の多さで、晴れとはいえない空模様である。次の目的地の院内の道の駅に向け出発。来た道を戻り国道10号線に入って大分市方面へ。ずっと山の中を通って、川の側を走り、やがて大分市街へ。ここで昼食とする。今日は久しぶりに外食にすることにして、餃子の王将があったのでそこに入る。餃子を食べるのも久しぶりのことだった。Sさんの海鮮丼の情報から比べると実に情けないレベルのものとなったが、餃子は美味かった。食事を終えた後は、再び車に戻り、大分市街を抜け、別府市に向かう。別大マラソンで見ているこの区間の国道10号線は、片側3車線の立派な道路となっていた。高速道路を超えるレベルの様な気がした。8年前に来た時は工事の赤い三角錐がずっと並んでいたのを思い出す。隔世の感がした。間もなく別府の海岸端を通り、日出町に入って少し行ってから左折し、県道24号線に入って険しい山道を登り続けた。相棒の耳は超敏感で、急な高度差でしばらく異常を来すほどだった。院内町を訪ねるのは初めてのことである。院内町の隣は安心院町であり、こちらの方は焼酎のいいちこの産地であり、あの焼酎が人気を博したころから名前を知ってはいるけどまだ行ったことはない。院内は安心院の隣町である。今日はその双方を通ってゆくので、何か新しい発見があるかも知れないななどと思った。

 しかし何事も起こらず、ただただ周囲は山ばかりで、小さな平地には必ず川が流れていて、そこに幾つかの集落が形成されている風景ばかりだった。日本の故郷の原形の様なものを感じさせる景観である。ホッとしながら走り続けて、14時少し前に道の駅:いんないに到着する。狭い駐車場は略満車の状態で、辛うじて開いていた大型車のスペースに車を停める。ゴールデンウイークはどこもかなりの人出で、この地もやはり同じようだった。我々は石橋を見ようとやって来たのだが、ここへ来る多くの人たちはそのような目的ではなく、店内の隅に飼われているオオサンショウウオを覗いたり、売店で獲物を物色したりして、ちょっと立ち寄りの人が多かったようである。でも入れ替わり多数の車が入って来ていて、それが夕方近くまで続いていたのにはちょっと不思議な気がした。

 ところで、石橋の方だけど、傍にある観光案内所で話を聞き、資料を貰ったのだが、来る前までは道の駅に車を留めて歩いて訪ねる程度なのだろうと思っていたのだが、これがとんでもない見当違いだった。なんと石橋は町の中には全部で70以上もあるのだとか。頂いた絵図の案内資料にも番号を付けてそれらが表示されていたが、全部見るには数日が必要だろうし、主なものだけを見るのにも車なしではとても1日では無理なほどだった。近くの橋は明日朝の散策用に残しておくことにして、遠くにある主な橋を車で見て回ることにして出発。

 何で院内に来たかといえば、ある文化財関係の資料を見ていた時に、九州には石を用いての架橋の歴史があり、それが残っているというのを知り、調べてゆくうちに院内の石橋散策コースありというのにたどり着いたのだった。今日までに幾つかの石橋を見てきているけど、いずれも往時の人たちの熱い思いがそのがっしりとした造りの中に籠められているような気がして、圧倒されるような感動を覚えたのだった。院内は今回の旅ではその集大成を感ずる場所の様な気がして来たのである。来てみたこの地は四囲を山に囲まれ、小さな平地を形成した川がその中央や側辺を曲がりくねって流れ、更にその支流が山間を刻んで幾つも流れているという地形の様である。これならば向こう側に行くために幾つもの橋が必要となるに違いない。橋が無ければ、人々の暮らしは不便極まりないものとなったに違いない。目の前に目的地があるのに、とてつもなく遠回りしなければそこに行けないというのは、何とももどかしく無念の心境になるものであろう。橋を架けるという行為は、古来から人間の一つの夢の実現であったのではないかと思う。70幾つもの石橋が残っているということは、この地に住む人たちの夢が、それだけ多く橋に託されたということでもあろう。そんなことを思ったりした。

 先ずは案内所の方のお勧めの鳥居橋というのを見に行く。道の駅からは一番遠い所にあった。5つの輪のある大きな橋だった。過去一度も流されたり壊れたりしたことが無いという、いかにも重厚な構えの橋だった。恵良川という川がこの地を流れる本流のようで、この川に架かる橋が概して大規模の様だった。又支流も多くあり、そこにも幾つかの石橋が掛けられているのである。鳥居橋のあとは少し戻って、櫛野橋というのを見に行く。橋の袂に櫛野城址というのがあり、その昔この地を治めた櫛野某かという人のことが書かれた説明板があった。橋の方は鳥居橋と比べれば川幅が狭くて規模の小さいものだったが、下には急流が流れており、架橋の往時は大変だったのではないかと思った。この櫛野という地については、昨日神奈川県に住む知人からメールがあり、院内のこの地が自分の出身地なのだという案内を頂戴しており、そのことと合わせて、この橋を眺めるのには一入感無量のものがあった。彼がこの地に生を受け、ここで育ったというのが何だかとても不思議な気がした。なぜなら彼はつい最近までアラブはサウジの国に行って仕事をされていたのである。この地と砂漠や土漠の地とではあまりにも差が大き過ぎるのである。人の生き方の不思議を思ったりもした。

     

櫛野橋。今でも現役として使われている。この橋の右側の所に櫛野城址がある。橋の下には急流が奔っていた。

     

分寺橋。今日見た院内の石橋の中では最も美しい景観をなしていた。下の川の流れが穏やかなものだったからなのであろう。

 その後は車を走らせながら幾つかの橋の写真を撮りながら、温泉に入ることにして、余という所の温泉に向かう。ここの温泉の少し先に棚田があるというので、ついでにそれも見ようと行ったのだったが、次第に道幅が狭くなり出し。温泉に着くのもやっとの状態となって、棚田は諦めることにした。又着いた温泉は老人憩いの家の様なものが併設されており、ご老人が集まって休まれている雰囲気だったので、そんな所に異邦人が入ってゆくのも気が引け、退散することにした。院内町には3か所ほど温泉があるようで、余から近くのもう一つの上恵良温泉というのに行ってみることにした。

 これは大正解で、実に野趣のある岩風呂の造りの温泉だった。岩ばかりの3つの浴槽には温いのから熱いのまで3段階の温度の湯が溜められており、サウナもあってこちらは蒸気のサウナなのだった。料金は300円也。文句なしである。最少は自分一人だけで誰もおらず、どうしてこんないい湯を勿体ないのになどと思って入っていたら、しばらくすると急に人が入ってきて賑やかとなり、その落差にしばし戸惑った。1時間ほどたっぷりと温泉を楽しむ。

 17時半に道の駅に再来。もうだいぶ車は少なくなっており、今夜はここにお世話になることにして落ち着く。まだ明るいけど、日が落ちれば直ぐに暗くなって夜が始まる。くるま旅の毎日はいつもそのようにして終わるのである。今日もまた同じ。

【今日(5/5)の予定行程】 

道の駅:いんない →(R387・R10)→ 宇佐神宮 →(R10・R213他)→ 国東半島めぐり →(未定) 

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‘12年 九州春旅レポート <第34日=5月3日(木)>

2012-05-04 06:41:57 | くるま旅くらしの話

【行程】

道の駅:長湯温泉 →(K30・R422)→ 道の駅:竹田 →(R422・K8他)→ 白水ダム → (K8)→ 竹田湧水群(河宇田湧水)→(K8・R502)→ 道の駅:原尻の滝 →(R502)→道の駅:きよかわ →(R502・R326)→ 道の駅:みえ →(R326・R502)→ 虹澗橋 →(R502・R10)→ 道の駅:やよい(泊) <123km>

 

【レポート】

 長湯温泉は我が憧れの温泉の一つである。世界有数の炭酸泉のこの温泉は、疲れを癒すには最適の泉質のように思う。手足のしびれや腰の痛みなどもぐっと良くなったという、そのような気分になれるのだ。昨日入った天満湯は地元の人たちが愛してきた本物の浴場の一つだと思う。素朴でたった一つの浴槽しかないけど、浴槽の中身は本物で、その昔から変わっていないのだと思う。この湯は朝の6時から入浴OKなので、朝方にもう一度入りに行った。誰もおらず、40分ほど独り占めの湯を楽しんだ。左足のしびれの方もぐっと良くなった感じがした。この湯に1週間ほども浸りながら治療を続ければ、この足のしびれも治ってしまうのではないかという気がした。リュウマチに悩むIさんにも効くのではないかとも思った。久しぶりの早朝入浴は、大いに元気を回復してくれた。

 今日の予定はあまりハッキリしていない。決めているのは、竹田市郊外の白水ダムの見学とその後で湧水群の一つである河宇田湧水に行って水を汲むことだけである。その後は臼杵の方へ向かい、どこか適当な所に泊まることにしたいと思っている。旅もあと残り10日ほどになり、ゆっくりのペースで行くことにしたい。

 昨日までの雨も上がりそうで、空の雲は割れ、走り出している。予報ではやがて晴れとなるとのことで、午後辺りは暑くなり出すのかもしれない。ここはさすがに本物の温泉場だけあってか、早朝から入浴に訪れるのか車が多い。昨夜は数台だった駐車場が次第に埋まり出していた。9時過ぎ出発して、竹田市街方向に向かう。市街地の手前に道の駅:竹田があり、ちょっと立ち寄る。8年前の記憶とは少し違ったレイアウトになっているのか、小規模の駐車場が幾つもに分散してつくられていて、車を留めるのに迷った。ここにも水汲み場が作られており、さすが湧水の町だなと思った。売店の中には手作りの餅類の食べ物などがたくさん並んでいた。

 竹田の街といえば、岡城ということになるのだと思うけど、岡城址には何回か行っており、今回はパスすることにしている。というのも結構な歩きとなるので、腰に問題のある相棒には負担が大きいらしく、本人の方から辞退している。ということで、今回は白水ダムを優先させることにしたのだった。市街地に入り、ダムに行く道を確認するまでに少し迷った。竹田の市街というのは、坂とトンネルや橋が多くて、慣れるまでは町のつくりがどうなっているのかが判りにくい。ようやく県道に入って、白水ダムに向かう。白水ダムには8年前にも行っているのだけど、細い道を辿った経験があり、今日は違う道で行きたいと予め調べておいたのだった。

 白水ダムは日本の数あるダムの中では、最も美しいダムではないかと思う。小さなダムなのだが、その上から流れる水の帯は、これはもう芸術というしかない。水が主役で表現するものといえば、滝がその第一だと思うけど、白水ダムはその麗しき滝なのである。単純に水を放出する荒々しいダムなどではなく、水がこれほど美しい流れを救りつくりだせるとうことを証明するかのごとくに、人智が造り出した作品なのであった。今回はこの芸術だけはどうしても鑑賞しておきたかったのである。県道は幅も広く順調な流れで、直ぐにダム近くまで行けたのだったが、そこから先が大変だった。四国の遍路道よりももっと狭そうな道が1kmほど最後に待っていた。心配になって車を置いて歩こうかと思ったのだが、地元の人をやっと見つけて大丈夫なのか訊いてみると、ダンプも行けるのだからというので、思い切って行くことにしたのだった。ひやひやしながらようやく駐車場に着き、そこから歩くのだが、何と15分も急な坂を下ることになり、いやまあ、その時間の長いこと。結構な歩きとなった。でも緑の空間がずっと続いており、マイナスイオンに満たされていて、往路は汗もかかずにダムにたどり着くことができた。前回と異なり今回はダムの上の方からやって来たことになった。ダムの上には池があるだけで、どこからこの水が集まってくるのかはよく判らないけど、常時ダムの水は止まることが無いのだから、やはり川の流れから作られているのだろうと思った。ダムの流れの正体を知ってしまったようで、下の方から初めて見た、真っ白に波打つ水の流れの曲線の帯の、あの感動の時に比べると、些かがっかりするものがあったけど、やがてダムの脇から少し下ってその白い帯の優雅な靡きを見ていると、再びあの時の感動が甦ったのだった。いつ見ても、何回見ても素晴らしい水の芸術である。何枚も念を押すように写真を撮った。

     

白水ダムの白い帯。これはダムの上方から撮ったもの。そばに行ってこの白い帯に見入ると、実に不思議な世界に誘引される感じがする。

 帰り道は少し汗をかいた。緑陰の急坂でも楽々というわけにはゆかない。歳はとりたくないものである。20分ほどかけながら車に戻る。車の離合がないように祈る。先ほどの帰り道で、若い男女の方とすれ違っており、もうこの他にはしばらくの間、車で来てほしくないなと思った。汗を収めて出発すると、途端に駐車場の出口の所で、1台に出くわした。この場所なら離合に問題なし。その後の5分間ほどは再び肝の冷える運転だったが、無事に本道に出られてホッとしたのだった。車旅の中で一番疲れる時間というのは、このようなケースなのである。

 河宇田湧水に向かう途中に石で造られた水路橋があり、停まって写真を撮る。アーチが5つほどもある立派な水路橋だった。大正8年に造られ、明正井路というのだと説明板があった。今も現役で使われている様である。相棒は石橋に興味関心大のようで、そのあとも度々走行を停められて、交通の障害になったりした。九州には石橋が多い。間もなく河宇田湧水に到着。行って驚かされたのは、水汲みの来訪者が多いことだった。駐車場もほぼ満杯で。少し待ってようやく車を留めることができた。水汲み場も8年前とはすっかり変わっていて、より汲みやすくなっていた。今日は連休の真っ盛りの日であり、子連れの人も多く、賑やかな水汲み場となっていた。ここで昼食にすることにして、相棒が調理をしている間に水を汲む。空にしておいた水槽に満タン近くの清水を入れる。満足である。8年前には、この河宇田用水の駐車場で一夜を明かしたのだった。水の湧き出る地というのはイヤシロ地に決まっている。だから人が集まり、憩うのである。昼食は今日も高菜の炒め飯。3連チャンだけど満足。

 昼食も水汲みも終わって、さてどうするか。臼杵の石仏を見ようと思えば今日でも可能だけど、そんなに急ぐ必要もなく、相棒は先ほどの白水ダムの歩きが効いているので今日は臼杵は敬遠する旨を宣告済みなので、とりあえず近くの道の駅:原尻の滝へ行くことにして出発。ここには九州の名瀑の一つ原尻の滝がある。行ってみると大変なの人出で、広い駐車場は満車に近い状態だった。千人近い人たちが来訪していたのではないか。疲れているはずの相棒は、重いカメラを提げてさっそく飛び出していった。少し遅れて車を落ち着かせてから、自分も滝の周りを一回りすることにして出かける。ナイアガラには比べられないけど、その超ミニチュア版としてなら、この滝はその資格があるのかもしれない。川を刻んでいく筋もになって流れ落ちる水は半端ではなく、水の豊かな豊後の国を象徴している感じがする。大勢の善男善女が滝の上を歩き、滝の下でしばらくの涼を楽しんでいた。

     

原尻の瀧の俯瞰。この瀧の上で、年に1回神事が行われるというのだが、まだそれを見たことはない。

 先に作った日程ではここに泊まることにしていたのだが、まだ2時半で日も高くとてもそのような気にはなれず、とりあえず臼杵に近い道の駅:みえまで行って、そこに泊まることにしようと思い出発。少し先に道の駅:きよかわというのがあり、ちょっと立ち寄る。ここは8年前に我が家に連れてきた皇帝ダリアを買った場所だった。坂に沿って作られた店々の中に植木屋さんがあり、その中にくたびれた様子の皇帝ダリアの苗木を見つけ、半値で売って貰って持ち帰ったその苗は、今では我が家だけではなく数軒の庭の秋の終わりの青空を美しい花を咲かせて飾ってくれている。今日はその店は休みの様だった。

 さて、道の駅:みえに着いて、今日は早めにここに錨を降ろすつもりだったのだが、初めて来たこの道の駅は高台に造られており、駐車場はすべて斜めの坂に線が引かれていたのだった。これじゃあ風当たりも強いだろうし、眠りの感覚が狂ってしまうことになる。泊まるには不向きと判断し、少し遠いけど、佐伯市近くにある道の駅:やよいという所に行くことに急遽変更する。あそこなら平に違いない。ということで、それから1時間ほどかかって道の駅:やよいに到着。ここは平地で大丈夫だったけど、温泉があることもあってか、大変な混み様だった。また、TVが全く映らず、ニュースなどはネットに頼るしかない。でも夕方から夜になるにつれて車は次第に少なくなり、残ったのは10数台ほどになったのだった。静かな夜だったけど、時折吹く突風に悩まされて、相棒は安眠とは言えなかったようである。

【今日(5/4)の予定行程】 

道の駅:やよい →(R10)→ 臼杵石仏群探訪 →(未定) 

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‘12年 九州春旅レポート <第33日=5月2(水)>

2012-05-03 04:12:43 | くるま旅くらしの話

 【行程】

道の駅:阿蘇 →(R57)→道の駅:波野 →(R57・K11・R422)→ 夫婦滝 →(R442)→ 瀬の本高原ドライブイン →(R422・K30)→ 道の駅:長湯温泉(泊) <103km>

 

【レポート】

 昨夜は朝方まで雨音が天井を叩き続けていて、相当の大雨だった。阿蘇のこの辺りでは普通の雨降りなのかも知れないけど、旅の者にとっては嬉しくない一夜だった。朝方になって音はしなくなったが、細かい霧雨が降り続いていて、今日も又観光地巡りには残念な天気となりそうである。阿蘇の道の駅は50台近くの泊りの車があったようで、早朝から何となく騒々しいムードだった。

 今日の予定は、メインは夫婦滝の訪問である。夫婦滝というのは日本では珍しい場所で、二つの別々の川を流れてきた水が、同じ場所で滝を作ってその水が合流して一本の川となって流れている場所なのである。この場所が夫婦滝と名付けられていて、その滝守のごとくに近くでお土産などの店を出されているSさんご夫妻が、我々の大切な旅の知人なのだ。Sさんご夫妻には、8年前にお会いしたきりだったので、今回はどうしてもお邪魔してその後のお互いの出来事などを話し合いたと思っている。朝一番でメールをしたら、両手を広げて待っているよ、との嬉しい返信が届いている。夫婦滝訪問の後は、大分県に入って直入町(現竹田市)にある道の駅:長湯温泉に行き、ちょっぴり静養をしようかと考えている。

 先ずは夫婦滝に向かう前に、阿蘇の道の駅はどうも落ち着かないので、一番近い所にある道の駅の波野という所へ行って、トイレなどを済まそうと考え出発する。10kmほどの距離だけど、結果的には外輪山の一部を上ることになり、峠を一つ越えたのだった。無事に用を済ませ、来た道を戻ってやまなみハイウエイと呼ばれる県道11号線に向かう。途中峠の麓辺りに湧水があるのを見つけ、汲むことにした。この辺りにはたくさんの湧水があり、真に嬉しい限りである。明日は竹田に行って湧水を汲もうと考えているので、今日使う分だけを補給することにした。

 やまなみハイウエイを走るのも久しぶりのことだ。現役時代に瀬の本高原のホテルで社外の研修を受講したことがあり、その時は1週間ほどの滞在だったが、懐かしい思い出がある。その後も何度かこの道を通っているけど、何度来てもその広大な景観には心を洗われるものがある。北海道の広がりとはまた違った、阿蘇らしいスケールの大きさを感ずることができるのである。夫婦滝は瀬の本高原から国道422へ左折して入り、露天風呂めぐりで有名となった黒川温泉を通過して2kmほど行った右側にある。黒川温泉は通過するだけでまだ一度も入ったことが無い。旅車での訪問である限りは、駐車場などにも恵まれていないここには、なかなか露天風呂めぐりを体験するチャンスはないように思う。観光バスのお客さんたちにお任せするしかない。

 間もなく夫婦滝に到着。ご主人が手を挙げて迎えてくださった。いやあ、懐かしくも嬉しい再会だった。8年ぶりなのだが、思ったよりもお若く活動的な様子で、手を握りあってそれが判る、奥さんも8年前とちっとも変っていなかったのだが、2か月前にワン公との散歩の際に足並みが揃わなくて転んでしまい、運悪く骨折をされたとのこと。もうほとんど治りかけているとのことだったが、まあ大ごとにならなくてよかった。8年ぶりにお邪魔して驚いたのは、店の大いなる変化である。ここでは8年前の時にも、夫婦滝に願をかける絵馬というのがあり、若いカップルなどに人気があったのだけど、今はその後の来訪者の数が増えて店の軒先一面にその絵馬が掛けられていた。絵馬を掲げて念願を叶った人たちが再びここを訪れ、お礼の念を込めて奉納した絵馬を以前のものに重ね、更にお子さんの誕生にもう一枚重ねるという風に、ここへ嬉しいリピーターがたくさん訪れるのだという話を伺い、見事に滝守の役を果たされているなと感動した。昨年の東北大震災と大津波では、改めて人と人との絆の大切さが確認されたのだったけど、Sさんご夫妻の様な絆の結び方もあるのだなと改めて感じ入ったのだった。8年前にはほんの少ししかなかった絵馬の数が、こんなにも軒を埋めるほどに増えており、素晴らしいことだと思った。

     

Sさんご夫妻が経営する夫婦滝のお土産屋さん。ひなびた感じの造りの家である。

  

左はお店の軒下にびっしりと連なり下がった絵馬の数々。右はその一つで、ハート形の何種類かのタイプの絵馬に名前や思いなどを記入するようになっている。

 暫く歓談の後、夫婦滝の清新なマイナスイオンを吸うために出向く。Sさんのお店からは階段を伝って50mほどの所に夫婦滝がある。左の方には田の原川を流れ下った15mほどの高さの男滝が鮮緑木立に囲まれた中に白い飛沫を挙げて流れ落ち、右側には小田川を流れ来た水が12mほどの高さから音を響かせて滝をつくっていた。女滝である。この二つの流れが同じ場所で滝をつくり、その後は一つの流れとなって川をつくってゆくというのは、考えれば不思議なことであり、まさに夫婦という人間関係も同じようなものと言って間違いないように思う。この場所はある種のパワーポイントなのかも知れない。普通に層倍するマイナスイオンの溢れるこの場所は、もっと多くの人が訪れるに相応しい場所なのではないかと思った。

   

夫婦滝の景観。左が男滝。右が女滝。それほど大きい滝ではないけど、阿蘇の大自然が作り出した不思議な場所であり、清新な空気が溢れた空間である。

 もはや滝守のSさんご夫妻は、旅に出かけるなど至難のこととなったようで、その点はちょっぴりお気の毒だなと思ったけど、それ以上に夫婦滝を通して多くの男女のご縁を取り持つという価値ある仕事があるのだから、これはもう諦めるしかないのではないかと思った。1時間ほどあれこれと歓談の後、ますますのご発展を祈りながら、名残を惜しみつつ夫婦滝のSさんご夫妻とお別れする。

 長湯温泉に行く前に、瀬の本高原の十字路にあるドライブインに寄り、昼食休憩。このところ高菜を入れて炒めた高菜めしというのが妙に美味くて、今日もそれを作って貰って食す。熊本地方の高菜の漬物はピリ辛が効いていて、これを使ってチャーハン風にご飯を炒めると、これが美味いのである。昨日に続いて2回目の昼食のメニューだったが、明日もそうして欲しいという感じだった。もう材料がなくなったと、相棒はその後ドライブインの販売所に出かけて行った。駐車場の車の後ろの方に薄紫の小さな花が群生しているのを見つけ、まさかフデリンドウなどではないよな、と思いつつ行ってみたら、やっぱりフデリンドウだったので驚いた、こんなに群生して芝の中にあるなんて、なにかの間違いなのではないか。高原地帯なので、これが普通なのかも知れないけど、こんなにたくさんのフデリンドウを見ることができて感無量だった。

 しばらく休んだ後、長湯温泉に向け出発する。8年前にも長湯温泉に寄り、ラムネ温泉というのに入ったことがある。湯温が低く、冷水浴の様な感じだったが、体中に気泡が一杯着いて、何だか不思議な気分になったのだった。ここの温泉は世界でも3本の指に数えられるほど炭酸が多く含まれているのだとか。まさにラムネという名が相応しいなと思ったのだった。あれから8年がたって、道の駅など無かったのに、新しく設けられたのは真にありがたく嬉しいことである。今日はその道の駅にご厄介になり、世界有数の炭酸泉の温泉に入って旅の疲れを一掃するつもりでいる。

 国道422から長湯温泉への案内板は、思っていた道路標示情報がないのに大きく出されているのを見て、うっかり左折してしまい、そのまま行っても何とかなるだろうと思って10kmほど行ったのだが、案内板通りに行くととんでもない細道となってしまったので危険を感じ、来た道を戻る羽目となってしまった。往復20km近いロスには、己の迂闊さよりもこんな表示を出す奴に対する怒りの方がより大きいのは、いつものことである。その後は正常に道を辿って道の駅:長湯温泉へ。正面入り口の向こう側が駐車場となっているようだったが、その正面にはSUN号では潜れない通せんぼの門があって、ちょっと戸惑った。左方に大きく迂回して無事駐車場に車を留める。相変わらず小雨が降り続いていた。

 この道の駅は少し変わっていて、どこが拠点なのかがわかりにくい。目前に温泉市場なる売店があったので、そこへ入ってみたけど只の売店で、案内所もなにもない。下の方に温泉館の様なものがあるので、そこへ行って訊いてみたら、この道の駅は分散して認定を受けたとかで、観光案内所やトイレなどは別の所にあったのだった。温泉街というのはどこも狭くて、このような工夫をしないと新しいし施設を作るのは難しのだろうと思った。暫く一休みの後、自分は温泉館ではなく地元の方たちが入る町営の浴場の方へ行くことにした。相棒は温泉館の御前の湯というのに出向く。町営浴場は幾つかある様だが、その内の天満湯というのに行くことにした。

 小雨の中を5分ほど歩くと、川の向こう側に浴場はあった。料金は100円也である。回転格子の様なのを回して100円玉を入れるとドアが開くようになっている仕掛けの、面白い入り方だった。中に入ると脱衣所があり、ドアの向こうは浴場となっていて、浴槽は大人6人が膝を折って入れるほどのものが一つだけ、そしてカランはお湯は出ず、水だけが出るものが2か所あるだけである。源泉かけ流しの湯が樋を通って流れ入り、溢れたお湯は浴槽の外に流れ去っているという、まさに温泉の原型がそこにあった。考えようによっては設備不良ということになるのかもしれないけど、自分にとっては、これこそが入りたい湯なのである。ラムネ湯の様な低温ではなかったけど、泡がつかなくてもお湯の中には炭酸が含まれているのを何となく感ずるような気がした。先客のご老人がお二人おられたけど、考えてみれば自分も老人なのである。このような風呂には、もはや老人しか入らない世となってしまったのかも知れない。やがてお二人とも出て行かれて一人となった。そのあと10分ほど入浴を繰り返し、十二分に満足しながら車に戻る。相棒は30分近く遅れて戻ってきた。こちらも大いに満足だったようである。明日の朝は6時から入れるというのを確認しており、ぜひもう一度温泉らしい温泉を味わってゆきたいと思いながら夜を迎える。

     

長湯温泉町営浴場、天満湯。素朴な浴場だけど源泉かけ流しの本物の温泉である。

【今日(5/3)の予定行程】 

道の駅:長湯温泉 →(K30・R422)→ 竹田市郊外湧水群 →(未定)

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‘12年 九州春旅レポート <第32日=5月1(火)>

2012-05-02 07:02:40 | くるま旅くらしの話

【行程】

道の駅:高千穂 →(R218・R265・R325他)→ 白川名水(明神池) →(R325・K111)→ 草千里ヶ浜 →(K111・R57)→ 阿蘇神社 →(R57)→ 道の駅:阿蘇(泊) <90km>

【レポート】

 昨日の荒天も夕方には雨が止み、風も夜遅くなって収まったようで、思ったよりも静かな夜を送ることができて良かった。朝になって、空に雲は多かったけど、雨が降り出す心配はない様だったので、午前中の高千穂峡の散策は大丈夫だろうと思った。やれやれである。昨日来た時は大変な混み様だったが、さすがに夜となると泊りの車は少なく、また高千穂峡の見物を車で近くまで行ってみようという人たちは早々に出発していった。9時ごろは数台の車があるだけで、隣に石川県から来られたというトラベルトレーラーの人がおり、その方としばらく話をした。まだ現役で9日間の休暇を会社に無理を言って取って来たとかで、帰って来てもお前さんの席はないよなどと脅されながら来たのだと冗談めいた話をされていた。旅がお好きなようで、現役をリタイアされたらぜひ北海道へ行かれたらいいですよとお勧めした。トラベルトレーラーは居住性が良いのだけど、牽引が面倒で又船賃など費用もかかるので、なかなか北海道までは行けないのだと話されていた。今日は高千穂峡を見てから、九重の方のキャンプ場に向かうと話されていた。旅の間にいろいろな方と話ができるのは嬉しいことである。

 さて、我々の方は、もう少しここに車を置かせて貰って、午前中に歩いて高千穂峡や高千穂神社を見物することにしている。今回はこの2か所だけでここからおさらばする考えでいる。8年前に来た時には高千穂には3泊している。最初の日は始まったばかりの夜神楽を見るためにどこだったかの集落の集会所近くに車を留めて、朝方まで夜神楽を見たのだった。11月の後半だったので、真夜中の神楽の鑑賞は大変に寒かったのを思い出す。とてもいい経験だった。翌日は温泉に泊まり、もう一日は道の駅という風に、かなり入れ込んでこの町のあれこれを訪ねており、今回は夜神楽の季節でもないので、新緑の高千穂峡を見るだけで十分だと思っている。

 9時過ぎ歩きに出発。高千穂神社は道の駅からは直ぐだけど、ここには帰りに参拝することにして、先ずは高千穂峡に向かう。およそ700mほどの距離なのだけど、急な曲がりくねった車道を行ったので、倍以上の距離があったように感じた。高千穂峡は独特の景観をしている。北海道の層雲峡に似た柱状節理の石壁の中を蒼く淀んだ渓流の水が動いたり、動かなかったりと一見して心奪われる景観である。狭い石壁の上から滝のように水が迸っている場所が幾つかあり、それがこの渓谷を一層神秘的なものとしているようだ、いろいろと名付けられた名所があり、説明板が置かれていたが、覚えるのが大変なので、カメラに収めただけでパスする。連休とあってか、観光バスの客も多く、マイカーを含めて峡谷の入り口に近い駐車場は大混雑の様だった。歩きで来ているので、我々には何の心配もない話である。1時間ほど写真を撮りながら新緑の渓谷美を堪能したのだった。

     

高千穂峡の神秘的な景観。何時見てもこの大自然が作り出した景観には古悪露を打たれるものがある。神話もこのような景色の中から生まれたのかもしれない。

 帰りには高千穂神社に参詣し旅の安全を祈った。大汗を掻いて車に戻り、100%の着替えを済ます。それほど暑くもないのだけど、坂道ばかりの歩きは汗を引き出して全身が汗まみれになった感じだった。すっきりした後で、今日の最初の目的地を阿蘇の白川水源での水汲みと決めてSUN号を発進させる。だんだんと山の緑がおとなしくなり出して、空気が寒くなっているのは、坂道を上り続けて植生のより厳しい山岳帯に入っているからなのであろう。高千穂ではもう桜を見ることはなかったのだけど、蘇陽峡辺りにはまだ八重桜が咲き残っていた。熊本県に入り、阿蘇の高森峠を下りて南阿蘇町の白川水源へ。8年前にこの辺で湧水を汲んだのだったが、それがどの場所か判らない。記憶が曖昧なのである。行けば何とか思い出すだろうとタカをくくって行ったのだったが、どうもそれは甘かったようである。白川水源と名のつく場所は、車が混んでいて、水を汲めるような状態ではなかった。どこへ行けばいいのか何の案内資料も持ち合わせておらず困ったが、こんな時にはとにかくうろうろするに限ると、その近郊をしばらく走っていたら、明神池という湧水があるのを発見。そこは公園になっており、駐車場も用意されていた。車を降りて行ってみると、きれいな水の湧く小さな池があり、そこで水を汲めるように漏斗や柄杓などが置かれていた。実にきれいな美味そうな水である。嬉しくなって、早速汲むことにした。10Lのポリタンに柄杓で水を入れるのだが、このような古風な汲み方は初めてのことだった。来た時は自分たちだけだったのに、汲み始めたら続々と人がやって来て、用具が不足し、2度目からはずいぶんと待たされて、汲み終えたときにはとうとう最後となってしまった。この地にも我優先で一族で水汲みを独占する人がいる。熊襲の子孫なんじゃろと思うことにして、その汲みっぷりを観察した。実に下手な汲み方をしていて、大量の水をこぼしていた。水が可哀想だなと思ったりした。

 無事水汲みが終わって、昼食は草千里ヶ浜ですることにして出発する。ここからは20分ほどの距離である。一気に急な坂道に取り掛かり、しばらく走ると阿蘇の雄大な景観が左右に広がってきた。左方は遥か彼方に町の家々や田畑が広がる景観であり、ずっと向こうには海も見えていた。どの辺になるのだろうか。右手には何という名前なのか知らないけど、樹木の無いまだ緑には至っていない枯れたススキなどを生やした岩山が切り立って聳えて見えた。時々スピードを落として相棒が写真を撮るのに協力した。間もなく草千里の駐車場に到着。寒い。ここはまだ春が到来しきっていない。今日は少し霧雨が降っており、風も強く阿蘇の御山は顔を出していない。噴煙なのか雲なのか判らないものが草千里ヶ浜の少し上方に立ち込め、そこから上は雲の世界なのだが、幸いなことに草千里ヶ浜のいつもの景観は見渡すことができたので良かった。乗馬を楽しむ家族や、広い草原の中を思い思いに散策する人たちが見えた。我々の方は、高千穂峡でもう限界を超えてしまっている老人なので、今日はそれらの景観をただ味わって見るだけである。その景色を肴に昼食を摂る。ここには何度も来ており、無理して歩き回らなくても空気を味わうだけでいいのである。1時間ほど休憩して、阿蘇神社に向かう。

    

草千里ヶ浜の景観。ここと近くにある米塚は阿蘇の代表的な景観の一つだと思う。ここに来るといつも三好達治の詩を思い出す。あの詩にうたわれている感動と同じものが今でもここに存在している。

 一度登った坂を直ぐに下りるのはもったいない気がしたけど、これはもうしょうがない。少し入りると牧場があって、黒い牛や茶色の牛たちが生えてきたばかりの草を食んでいた。広大なスケールの牧場を見ていると、北海道のナイタイ高原などを思い起こしたりした。阿蘇の景観も実に大きいいなと改めて思った。20分ほどで坂を下りてJR阿蘇駅前の交差点へ到着。そのすぐそばに道の駅:阿蘇ができていた。新しい道の駅の様である。今日はここに泊まらせてもらおうと思っているのだが、一先ずパスして、少し先にある阿蘇神社に参拝することにして向かう。先ほどから再び雨が降り出している。今のところ大した降りでもなさそうだけど、この程度のままであってほしい。間もなく阿蘇神社に到着。ここに参拝するのは初めてのことだ。普段ならわざわざ参拝になど来ないのだと思うが、先日人吉の蒼井阿蘇神社に参詣した時、それが国宝だったことに驚いたのだったが、蒼井阿蘇神社が阿蘇神社を分け祀ったものだったので、その本社がどんなものなのか見たかったのである。来てみるとさすがに本社だけあって、参拝の人たちも絶えない様で、駐車するにも少し手間取るほどの混み様だった。神殿も相当に立派だった。特に楼門は雄大で、貫録があった。三神が祀られており、それぞれに立派な拝殿と本殿が造られており、古くからのこの大阿蘇の大地の守り神として人々に崇め奉られていたのが解る。そんな雰囲気だった。我々も作法に則って拝礼を済ます。その後は写真を撮ったりして車に戻り、道の駅に向かう。

     

阿蘇神社の大楼門。江戸時代末期の建立だとか。阿蘇神社のシンボルとして君臨している感じがした。この奥にある神殿も立派なものだった。火の国の人々の熱い信仰心をそこに見た感じがいた。

 道の駅到着15時35分。まだはやすぐるほどの到着だったが、今日は歩き疲れているので、体を休めるのには好都合のタイミングだった。JR阿蘇駅に隣接して造られているけど、その繁盛ぶりは阿蘇駅よりもはるかに盛大のようで、かなり広いと思われる駐車場には車が溢れんばかりに留っていた。物産館の売店も大賑わいがった。もはや完全に車社会となってしまっているのを実感する。片隅に車を留めて、先ずは駅の様子を歩き回って確認する。JRの駅の方にも行ってみた。1時間に1本歩かないかの運行回数だった。駅はきれいに整備されていたが、人はまばらだった。車に戻って近くに温泉があるので入りに行く。相棒は疲れ過ぎてしまうと風呂に入るのが却って体調を悪くするのだとかで、行かないというので、単独行である。浴場に入る直前になってタオルを忘れてきたのに気付き、取りに行くのも面倒なので200円也を払って済ます。結局入浴料は600円となってしまった。自分も又疲れすぎて頭がボケだしているのかなと思った。200円は個人負担である。こんなこともある。

 その後はいつものように明るい内にあれこれ旅の記録などの整理をし、夜を迎える。相棒はずっと寝床の中で疲れを取り除くための寝息を立てていた。夕方から雨は本降りとなり、雨音は終夜車の天井を叩いていた。

【今日(5/2)の予定行程】 

道の駅:阿蘇 →(R57・K11・R442)→ 夫婦滝 →(R442・K30)→ 道の駅:長湯温泉(泊)  

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‘12年 九州春旅レポート <第31日=4月30日(月)>

2012-05-01 04:14:15 | くるま旅くらしの話

【行程】

道の駅:日向 →(R10・K51・R327)→ 道の駅:とうごう →(R327・R10)→ 延岡市内・LPガス充てん所 →(R10・R218)→ 道の駅:青雲橋 →(R218)→ 道の駅:高千穂(泊)      <111km>

【レポート】

 昨夜宵から降り出した雨は、かなりの大降りとなり、終夜天井を叩いて降り続け、朝になっても一向に止もうとする様子がなかった。天気予報では今日の宮崎県は終日の雨降りで、九州地方はこのあと3日ほど雨模様の天気が続くということである。今日からは熊本県の阿蘇やその後大分県の竹田などへ向かう予定なので、天気が悪いとせっかくの観光も不意となりそうなので、ちょっと心配である。しかし天の気分は我々にはどうしようもない。今日は高千穂峡などを散策の予定だけど、この分だと歩いたりするのは無理なのかも知れない。とにかくここに留まっているわけにもゆかないので、雨の中をTVのアンテナを収蔵したりして出発の準備をする。

 どうしても日向夏という黄色がかったミカンを食べておきたくて、道の駅の売店で買おうと思い行ってみたら、もの凄く高額なのに驚いて買うのを止めたのだった。普通のみかんのLサイズよりも少し大きいほどのサイズなのに1個100円もするのである。何日か前の道の駅では確か、同じようなものがその半値もしなかったと思う。食べない方がましだと思った。どうしてこんなに値段が違うのか、自由競争とはいえ、流通販売の世界には理不尽なものがある。日向と名のついた道の駅ならば、もっとリーズナブルな価格で日向夏を提供すべきではないかと思った。目的が叶わなかったので、こじつけの不満が噴出する。それじゃあという気持ちも働いて、比較的近いロケーションにある道の駅:とうごうへ行ってみることにした。そこへ行けばリーズナブルな値段で日向夏が手に入るような気もした。雨は益々強く降り出したようで、時折吹く風も強くなり出した。

 美々津港のある耳川を遡るようなコースで県道を東郷の道の駅に向かう。耳川というのは、九州の戦国時代の雄である大分の大友家と薩摩の島津家がその決戦をこの川を挟んで行ったというのが有名だ。耳川の決戦という。結果として薩摩の大勝に終わり、歴史はその後島津も豊臣秀吉の傘下に組み込まれ、更に徳川幕府下へと移り変わっていったのだけど、この間に栄華を誇った大友家は歴史の中から消え去っていった。歴史の過去を振り返ればそのようなことになるのだろうけど、耳川からしてみれば、そんな出来事などよりも上流に造られたダムの方が今日などはずっと気にかかっているのかもしれない。日本にはダムのない川が幾つあるのかと思うほど、旅をしているとダムの数が多いのに驚かされる。ダムというのは自然を守っているのか、破壊しているのかよく解らない。人間を守ろうとしているのは確かなことだとは思うのだけれど。

 雨の中を30分ほど走って東郷の道の駅に到着すする。ここは初めての来訪だった。道の駅への車は少なく、直ぐ傍にスーパーが隣接してあるので、そこへ買い物に来られる車が少し数を増しているようだった。地元の物産などを販売している店へ行ってみたけど、目当ての日向夏はおろかそこには果物類は一切並べておられず、野菜類も限られた種類しか置かれていなかった。がっかりである。その代りと言ったらなんだけど、調理済みの食べ物類は驚くほどたくさん並べられていて、弁当類やおかず類には事欠かない売り場となっていた。茹でたヨモギやタケノコなども売っており、相棒はタケノコが食べたいとさっそく買い入れていた。向かいのスーパーに行けば日向夏があるかも知れないと思い行ってみたら、4個200円ほどで売られていたので、買うことにした。車に戻り、早速皮をむいて口に入れてみたが、思ったよりも酸味が少なくて、種も少なくまあまあかと思った。大量に買えば少し持て余すかもしれない。とにかく一度食べておかないと、味という奴の話はできないものである。これで日向夏は卒業となる。

 雨は一向に弱まりを見せない。とにかく今日は高千穂までの移動日として考えるしかない。高千穂まで行く間に、延岡辺りで給油をしたいと考えている。毎度給油販売のことでブツブツ言ってばかりいるけど、宮崎県エリアに入っても価格の不表示は当然のように行われており、なぜか所々レギュラーガソリンだけは表示されているのが目立つようになった。ハイオクや軽油は依然埒外の様である。日向市のエリアでは、給油したい気分の店は全滅だった。延岡も同じようなものかと諦めかけていたら、新規開店かそれともリニューアルの店なのか、ちゃんと価格表示のある店を発見。しかも軽油の価格も120円を切っており、大満足だった。拾う神もあるものだなと思った。

給油の他にももう一つ済ませておきたいのがLPガスの充てんである。5kgのボンベを2本積んで使っているけど、そのうちの1本が空になっている。このガスは冷蔵庫専用で使っており、もし切れてしまうと、冷蔵庫が動かなくなってしまうので、早めに補填しておく必要がある。しかしLPガスの補てんは、なかなか充てん所が見つからず、又見つかっても先日の様にあれこれと検査や手続きがややこしい。SUN号は製造後10年以上たっており、装備にはいろいろと問題がある様だ。LPガスの方は先日の検査と改造で問題はなくなっているはずである。延岡にはどこかに充てん所があるだろうと先日ネットで調べてみたのだったが、どうもはっきりしなかった。そんなことを相棒にも話をしていたので、気を付けて見ていたらしい。途中であれが充てん所ではないかと言われて、引き返したりしてそこを訪ねたのだが、ここでは充てんはしていないなどと言われて、2度目のそれらしき場所を見つけて訊いてみるとやはりここでは充てんはやっていないという。ではどこかないかと聞くと、先ほど来た道を1kmほど戻るとやっている所があるとの話。どうせ今日はこんな天気だから先にこの問題を片づけておこうとそこへ出向く。雨は依然降り続けている。

そこへ行ってみると、確かに充てんはしているのだけど、その担当者が今出かけたばかりで、あと30分ほど待って貰わないと充てんはできなということだった。いつもだとそれじゃあとお別れするのだけど、今日はそんな気は起らず、とにかく充てんして貰うことにする。30分ほど待つのなら、先ほど買ったタケノコを煮るのには少し時間が足らないほどなのだ。この作業は相棒の仕事だけど、道の駅に着いてからやるよりも今の内に済ませておいたほうが良い。ということで、30分はあっという間に過ぎ、そろそろタケノコが出来上がる頃に担当者の人が戻って来たのだった。手続きなどに時間がかかったけど、5kgの充てんを終えて先ずは安堵する。これで帰宅するまで冷蔵庫の方は大丈夫であろう。

問題を解決した後は、一路高千穂へ向かう。五ヶ瀬川沿いの道はしばらく仲良く並んで続いていたが、やがて坂を上って幾つかのトンネルを抜け、とんでもない高さの橋を幾つか渡ることとなった。はるか下に細く流れる川があった。昨日の照葉大吊橋の景観を思い出したが、高さでいえばそれ以上あるのかもしれない。車で走っているので、さほどに恐怖感は覚えないで済むのが幸いといえば幸いである。暫く走って日之影町の道の駅:青雲橋に立ち寄り休憩。豆腐の良いのと卵などを買う。五木にのは及ばないけど、ここで売られていたのもかなりの固い豆腐の感じがした。良い豆腐というのは、自分の場合は固いというのが必要条件であり、十分条件としてはその固さが食べた時に滑らかであるということなのだ。見た目にも固さの方はある程度判るけど、滑らかさの方は食べて見ないとわからない。山国の豆腐は固さでも滑らかさでも裏切られることは殆どないので、安心している。久しぶりに新鮮な卵でご飯を味わってみたいとも思った次第。

13時少し前、道の駅:高千穂に到着。風雨強く厳しい気象条件なのにかなりの混雑ぶりて、駐車場は略満車に近かった。どうしようかと迷っていると、駐車場の案内の人が空いているスペースを指示してくれたので助かった。連休の前半であり、大勢の人がこの観光地を訪れるのであろう。あいにくの悪天候を嘆くのは自分たちだけではないのだなと思った。ようやく歩けるばかりの腰の曲がった老婆の手を取って風雨の中を売店やトイレなどに向かう人などを見ていると、せめて雨だけでも止んで欲しいものだと思った。

さて、我々の方は、もう今日はここで諦めて夜を待つだけである。日中から居座る感じで申し訳ないけど、遠来に免じて今夜一晩だけはここに置いて貰いたい。そういう気持ちで錨を降ろす。駅の売店に行き、ネギを買ってきて刻み、東郷の道の駅で買った天ぷらを載せたりして特製(?)のうどんを食す。今日はかなり気温が下がっているので、うどんの熱さがさほど気にもならない。うどん日和である。

その後は久しぶりに一眠りをと寝床に潜り込む。15時過ぎ目覚めて起き出し、ブログの記事の下書きなどに取り組む。明るい内にやっておかないと電気の使用に問題が起こるのである。夜中の仕事のための照明としては、イケヤで買ったソーラースタンドを利用しており、これだと天気が良ければ日中に充電した分で4時間ほどはパソコンの手元を照らすに十分な照明を得ることができるのだが、今日はその充電ができていないので、要注意なのだ。今日は大して書くこともなく、写真もないので、17時ころまでに終わって、後はしばらく書くのを伸ばしていた日記などを整理する。夕方になると混雑していた車も次第に少なくなり、数台の旅車を残すだけとなった。雨はどうやら小降りになりやがて断続的な降りとなったが、風の方はなかなか止んではくれなかった。今夜のテーブルには今日のタケノコを初めフキ、ピーマンなどの山の幸中心のおかずが並んだ。固豆腐もある。焼酎で一杯やって、最後に卵ご飯を食して、満足、まんぞく。明日天気になぁれ!である。

【今日(5/1)の予定行程】 

道の駅:高千穂 → 高千穂峡などの散策 →(R218)→ (未定)

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