山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 南岐阜・紀州の探訪の旅 レポート <第6回>

2015-11-19 06:07:12 | くるま旅くらしの話

【今日(11/19)の予定】 

 道の駅:古今伝授の里やまと →(R156)→ 道の駅:美濃にわか茶屋 → 美濃町重伝建指定地区探索 →(R156・県道)→ 和紙の里見学 →(県道・R256)→ 道の駅:ラステンほらど(泊)

 

【昨日(11/18)のレポート】   

<行程>

 美濃加茂SA →(東海環状道・東海北陸道)→ 郡上IC → 郡上八幡の重伝建地区探訪他 →(R156)→ 道の駅:古今伝授の里やまと(泊) 走行59km

<レポート>

天気:曇り後午後から雨

久しぶりの高速道内での泊りだったが、思ったよりも静かで、ここにはゴミ箱も水汲み場もトイレも完備していて、道の駅よりも却ってくるま旅の宿泊場所としては上等だなと思った。ハイウエイオアシスだと思いこんでいたら、どうやらそれは間違いで、普通のSAだったようだ。上り線と下り線共用の施設の造りとなっており、朝方のトイレなどは結構混んでいた。トラックの夜間の騒音が多少気になったが、眠り出す頃はまだ少なかったこともあって、さほど迷惑感なしに朝を迎えることが出来て良かった。夕方の雨は夜遅くなって止んだようで、眠りを妨げることはなく、静かな夜を経て晴れの予感のする空の朝を迎えた。

朝食の後、ゆっくりと定例の事後処理(ゴミ処理・給水・トイレ処理など)を済ませ、今日のメイン探訪地の郡上八幡へ向かって出発する。いきなり高速走行だったので、運転の勘を戻すのに時間がかかり、しばらく慎重な運転を心掛けた。40分ほど走って、東海北陸道郡上八幡ICから一般道に。ナビに従って走行したら、いきなりとんでもない細道に入り、両脇に家屋が櫛比している箇所を通らされて往生した。それでもどうにか無事に通過することが出来て、城の下の駐車場に車を止める。何年か前にここを訪れた時と同じ場所だった。下方の駐車場の方が散策が楽なのだが、そこは有料なので無料のこちらを選んだ次第。まだ損得の判断が働くほどには体力が残っている。

一息入れて散策に出発。しばらくは相棒と一緒だったが、八幡神社に行く道の坂が少し急で、長いのを知ると、相棒はそれを敬遠して別れて引き返して行った。その後は全くの別行動となる。先ずは八幡神社に参拝する。思ったよりもぞんざいに扱われている感じのする建物で、説明書きには重要な場所だったとあったが、少し違和感を覚えた。今の時代ではもう用済みということなのであろうか。その後は来た道を引き返して、郡上八幡の中心街を縦横に散策する。この町は何といっても郡上踊りで有名だが、それは相棒の好む世界で、自分としては踊りなどよりも町の歴史やつくりに興味関心がある。歩いていると、至る所に用水が流れており、山に囲まれた水の豊かな場所であることが判る。町並み自体も何ぼ本かの川を挟んで建物が建ち並んでおり、このような景観に馴れていない自分には、時々方向オンチに取りつかれて位置を錯覚する感じがした。

    

郡上八幡城下の中柳町の景観。家の出入り口前には清流の流れる水路があって、これがこの町の自慢の水のようだ。

        

用水路。このような水路が町並みの中を至る所縦横に走っている。山からの恵みの水を存分に活用しているのが分かる。

郡上八幡のこの辺りは何年か前に国の重伝建に指定されたとのことだが、少なくとも建造物として歴史の古さを感じさせる物は少ないように思えた。それは近世に入ってから大火があり、殆どの建物が焼失してしまったということからなのであろう。しかし、歴史の名残りを偲ばせる町並みそのものは、しっかり残っているのを感じた。歩くことによってそれを確実に感ずることが出来るのである。狭い路地を歩いていると、角地にお宮さんが現れたり、車が入るのも難しい場所があったりして、それらは昔を偲ばせる証となっていた。2時間近く歩いて、一休みしようかと思っていたら、雨が降り出した。相棒はどこに居るのか、傘は自分のザックの中にあるので、渡さなければと思い電話をしたら、どうやら近くの下駄屋さんで油を売って(?)いたらしい。行って見るとその下駄屋さんの前でお店の方と話をしていた。郡上踊りの話をしていたようで、この踊りには下駄が不可欠で、下駄で拍子の音を取りながら踊るのだとか。浴衣を新調する話など、入り混ざって、終わりがないように思えた。雨が強くなって来たので、見切りをつけて貰って車に戻ることにする。

    

町中を流れる吉田川の清流に、橋の上から飛び込む若者たちの姿が時々放映されるけど、どうやらここがその橋らしい。傍に飛び込みについての警告が書かれた板があった。

    

町のシンボルである郡上八幡城の雄姿。小さいながらもきりっとした佇まいは、この町に住む人たちの矜持となっているに違いないと思った。

今日の探訪はこれで終わりとする。これから先は近くの道の駅:古今伝授の里やまとという所に行き、静養の時間とすることにしている。20分ほどで到着する。かなり広い敷地に温泉を初めいろいろな施設が並んでいた。雨はますます強まる傾向にあり、とにかく一番車が来そうでない場所を選んでSUN号を止める。店などからは少し遠くなって不便なのだが、その分迷惑をかけることも少なくなり気が落ち着くのである。

それからは全くの静養日。旅に出ていることも忘れて、先ずは昼食を済ませ、ついでに一杯やってたちまち午睡。ここ数日これをやっていないので、昼寝の楽しみを取り戻して満足。起き出してブログの原稿を書き、その後は構内にある温泉へ。その後は勿論ビールなどで一杯やって、ほんの少しTVなどを見て、あとは白河夜船の世界となる。時にはこんな日が必要だ。

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