又一つ新しい年を迎えました。お読み下さっている皆様のご安全とご健康を心から祈念申し上げます。
未だきちんと整理が出来ていないのですが、私は、現在「老」といわれている世代を、前期と後期とに分けるだけの扱いには大きな疑念を持っており、自分なりにこの「老」の世代をよりきめ細かく分けて考えようとしています。現在の65歳からを高齢者(=「老」)と呼ぶとしますと、仮に100歳迄生きたとすれば、その期間は何と35年もあるのです。平均余命で考えても20年近くになるのは確実で、これをたった二つの時限で括るのは乱暴というものです。
そこで、自分なりに次のように世代を括ることにしました。65歳までを「準老」、65~75歳までを「順老」、75~85歳までを「真老」、85~95歳までを「深老」、そして95歳以上を「超老」と5段階に分け、それぞれの時間帯での生き方を模索することにしました。このことについては、いずれ整理した後で発表しようと考えています。
今日は、新しい年を迎えて自分が「真老」の入口に足を踏み入れる年となりますので、その覚悟についてだけ述べることにします。
「真老」というのは、簡単にいえば、いままで「老」というものに迷いながらやってきたものが、迷いから否応なしに脱却させられて、本物の老を自認するという世代を意味します。心も体も「老」をしっかりわきまえた生き方が求められるということです。例えば、身体は「老」となっているのを認めるけど、心の方はまだまだ若い連中には負けてはいないなどと言って、結果的に大怪我などをして「老」に打ちのめされる、などということがありますが、そのようなことがないように、もっと素直に「老」を受け入れた生き方が大事だということなのです。
私には多分にそのような素直でない空威張りの己惚れのようなものが取りついていて、時々心と体のバランスを欠いて失敗することが多かったのですが、これからは「老」を常に心の底に置いて、心と体のバランスを保つように心掛けてゆきたいと思っています。このことを別の言い方をすると、どんな時でも「決して無理をしない」ということになるのかもしれません。世の中には子どもの頃から決して無理をしないという知恵を授かっている人も多いのですが、私の場合は、無理をしてこそ自分の存在が証明されるのだというような考え方が居座っているのです。
その昔、母から教わった教訓としてのことばに、「他人(ひと)と同じことをしていては他人(ひと)の上に立つことはできない」というのがあり、身を立てる上での心構えとして、そのことを大事にして来ました。それゆえに今まで普通でないことをいろいろとやってきたように思います。それは決して誤りではなかったと、今でも母には感謝していますが、「真老」ともなれば身を立てるなどという暮らしの世界からは、遠の昔に引退させられているのであり、母の教訓ももう使い果たしたと考えてもいいと思います。勿論、人の上に立つなどという発想は自然消滅していますが、今でも多少の無理など当たり前という、やんちゃな己惚れは残っており、これを少しずつ抑え込んでゆき、常に心と身体のバランスを保つように努めたいと思います。
しかし、ここで問題となるのは活力です。「活き活きと生きる」ということをこれからのキーワードとして外すことはできません。何もかも穏やかにというのでは、もしかしたら大切な活力が失われてゆくのではないか、という不安があるのです。そのことを思う時、この「真老」の世界の課題は、「無理をせずに如何にして活力を保持して、活き活きと生きてゆくか」、ということになりそうです。
さて、「真老」の世界に足を踏み込んでの今年の暮らしですが、勿論くるま旅くらし第一の考えは不変です。何処へ何をしに行くかは未定ですが、無理をせずにくるま旅くらしの一日一日を大切に過ごしてゆこうと思います。
もう一つの楽しみは、同じ屋根の下に住む孫たちとの交流です。家内には「自分の子どもの時は何もしなかったくせに」と時々恨めしそうに非難されますが、そのようなことは上の空で、孫との時間を楽しみたいと思います。あと3カ月で満2歳を迎える上の孫は、まだことばが話せませんが、何の意思表示をしようとしているかは凡そ見当がつくようになりました。昨年9月に生まれた孫娘は、最近ようやく笑うことを覚え出したようで、これからが楽しみです。「真老」の境地としては、今更になってこんな小さな孫と付き合うなんて、ということなのかもしれませんが、今だからこそ孫との交流を大切にしたいと思っているのです。但し、「ジジ育ちは三文安」の孫とならぬように、どんなに懐(なつ)かれても、決して孫に媚びるようなことはせずに付き合ってゆきたいと思います。
元日にはいつものように、道陸神と村社に参詣して、今年一年の旅の安全と健康を祈願してきました。今年の元日は素晴らしい晴天で、寒さもほどほどで、久しぶりに健康な気象を感じました。今年は日本中が穏やかな気象に恵まれることを祈らずにはいられません。
つくばみらい市の小貝川の堤防を歩いているときにご来光を迎えました。下部のぼんやりしている横の構造物は、つくばエクスプレスの架橋です。平野の彼方からのご来光はどこへいっても見ることはできませんが、でも、ぐんぐんとセリ上がる太陽の姿は、やはり厳粛なものだと、感動しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます