山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第63回>

2018-07-27 05:33:27 | くるま旅くらしの話

【今日(7/27:金)の予定】 

道の駅:むかわ四季の館 →(D・235)→ 日高山脈博物館 →(D・R235)→ 新冠郷土資料館 →(D・R235)新ひだか町博物館 →(D)→ 新ひだか町アイヌ民族資料館 →(R235)→ 浦河町郷土博物館 → (その先未定)

 

【昨日(7/26:木)のレポート】 天気:曇りのち晴れ

<行程>

道の駅:花ロードえにわ →(R36・D)→ 勇武津資料館 →(D・235)→ 道の駅:むかわ四季の館 →(R235・D)→ むかわ町穂別博物館 →(D・R235)→ 道の駅:むかわ四季の館(泊) 

<レポート>

 昨夜はすっかりご馳走になってしまい、そのままストンと寝たかったのだが、その後少し書きものなどをしていたら、あっという間にその日が終わってしまい、就寝は今日となってしまった。しかし老人それほど眠る必要はなく、深い眠りを4時間ほどものにして目覚めたら、もうすっきりした気分となって、ブログを発信した後付近の散策に出発。恵庭の道の駅には何度もお世話になっているのに、殆ど付近を散策したことが無く、道の駅と構内の野菜や花卉の直売所をうろうろするだけだった。今日は漁川(いざりかわ)の堤防を1時間余り歩いたのだが、それは素晴らしい散策の道だった。堤防の道だけではなく、この辺りは運動施設や公園などが造られていて、緑も多くて素晴らしい環境にあることを知った。今日は6kmくらいの散策だったが、今度来た時はもっとたっぷりと歩きを楽しみたいと思った。

 さて、今日からは日高エリアの資料館等を訪ねることにしている。先回は雨のため、平取町以外は一気にパスしてしまっているので、それを挽回しなければならないと思っている。9時過ぎに出発して、先ずは昨日訪ねた勇武津資料館へ向かう。これは番外のことで、実は昨日邦子どのがドジをしてレインコートなどを忘れて来てしまっていたのだった。気がついて電話をしたら、二階堂さんの方でも気づかれて連絡をされたらしいとのこと。自分の名刺に記載している電話番号が自宅のものだったため、連絡が取れずご迷惑をおかけしてしまった。忘れ物の所在ははっきりしているので、お詫び方々取りに行くだけである。レインコートなどどうでもいい、というわけにはゆかないらしく、何やら何年か前にファーム富田で購入したもので、今はもう売っていないレアな物だとか。

 40分ほど走って到着する。直ぐに二階堂さんともう一人の館員の荒川さんがニコニコ顔で迎えて下さったとか。その後車でお出でになり、お二人としばらく歓談した。これからはこの近くを通る時は必ず寄らせて頂いて、ご挨拶をしなければならないと思っている。とても話好きの楽しい方たちである。お会いできて本当に良かった。

 さて、その後は取り敢えずむかわ町の道の駅へ行き、一息入れることにして出発。道の駅:むかわ四季の館は、先回泊めさせて頂いた場所なのだが、とんだ大雨でむかわ町としては記録的な雨量だったと聞いた。そのため、町中の様子も道の駅の構内のことも良く判らないままなので、少し覗いて見ることにした次第。

 この後の行程をどうするか考えた結果、今日は少し離れたむかわ町の穂別地区にある穂別博物館を訪ねた後、ここに戻ってそのまま静養することにしようと決める。というのも、少し疲れも溜まり出しているので、ここにある温泉に入ってエネルギーをチャージすることにした次第。本当は穂別博物館は、恐竜化石中心の展示だけだと思うので、行かなくてもいいかと思っていたのだが、折角の機会なので、むかわ竜とやらを見ておくのも悪くないと思った。町の開拓の歴史などについては、昨日の苫小牧博物館で凡そのことは見て来ているので、勇払原野全体の開拓として捉えればいいのかなと思っている。

 ということで、またまた大幅な変更となってしまったが、今回は誰にも迷惑はかからないだろうと思うことにした。直ぐに穂別エリアに向けて出発する。途中までの道は先回平取の二風谷ヘ行った時と同じである。途中から別れて向かったのだがそこからの距離は平取の二風谷へ行く3倍もあるので驚いた。あまり舗装が良いとは言えない道を30分ほど走って穂別博物館へ到着する。

 早速中に入って見学開始。夏休みとあってか、小さなお子さん連れの若い両親たちが何組か訪れていた。子どもたちには恐竜というのは興味関心大のものなのであろう。むかわ竜というのは、首長竜の仲間で、海竜であるという。つまり海に住んでいたというから、ネス湖のネッシーの仲間が海に住んでいたのもいたということなのかも。とにかく、今の日高山脈のことを考えると、かつてこの穂別の地が海だったというのは想像もできないことである。地球というのは、かなりのスピードで内部、外部共に変動続けているらしい。人間の一緒などでは決して経験できない時間単位で動き続けているようだ。かつて北海道が人間の住みやすい環境であったこと。それゆえに北海道には各地に数多くの縄文遺跡などが残っている。化石はそのような短い時間では測れない地球の歴史を証明する証のような存在なのであろう。幾つもの恐竜の骨やレプリカが展示されていたが、何が何やらさっぱり判らず、ただ只むかわ竜が自分たちにいま何を告げようとしているのかだけを考えながらの見学だった。予想通りむかわ町の開拓の歴史などの展示は論外で、それについては何も知ることができなかった。でもいい体験だった。

ホベツアラキリュウの全身復元骨格。(全長8m、高さ3.8m)この地が海であり、このような生き物がアンモナイトの小さなものを丸のみにして食べていたなんて、信じられない想像の世界である。

 見学を終えた後は、再度道の駅:むかわ四季の館に向かって走り、14時半頃到着する。朝からの午前中は、少し寒さを覚えるほどの曇りの天気だったが、次第に雲がほぐれて、いつの間にか晴れの天気となっていて、暑さが急速に戻って来ていた。1時間ほど休憩の後、むかわ温泉に入りに行く。少し濁りのある湯だが、足を延ばしてゆったりと湯につかっていると、疲れが足の先から抜け去ってゆくのが判る感じがした。サウナにも入って汗を流し、体重を図ると出発時と殆ど変らず、今のところ自分の身体のマネジメントは問題ない様だなと思った。

 風呂から戻ってしばらく休憩の後、今日の夕食は特別に外食とし、むかわ名産のシシヤモを食することにする。これは邦子とのの長年の願望である、本物のシシャモを食べたいというのを実現させるためのイベントのようなものである。結婚50周年記念のささやかな食事なのだ。生ビールで乾杯し、シシャモは炭焼きで食べ、味わうことにした。自分的にはスーパーで売っているのも、ここの本物だというのもそれほど味は変わらないように思うのだが、それはあまり強調しないことにしよう。うまいビールにタコザンギを追加して、ささやかな晩餐を終え車に戻る。その後は、TVも見ずに寝床の中に直行する。

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