〔これは6年前の記録です〕
第25日:12月11日(土)
行程:鳥取トヨタ社員駐車場~道の駅:村岡ファームガーデン 〔泊〕 <56km>
鳥取市郊外生活3日目である。今日は夕方から作業に取り掛かって頂ける予定となっている。この店の方たちは店長さんを初め、サービスフロントの方を含めて皆さん本当に親切で気持ちがいい。いろいろ気遣いを頂いて恐縮するばかり。それにしてもこの変な夫婦、特に爺さまの方は一体何者だろうと思ったに違いない。店長さんからどんな仕事をしていたのかと恐る恐る訊かれた。社員教育のコンサルタントをしていたと答えたが、よく分らないだろうと思う。それでいいのだと思っている。
さて、日中は時間があるので、今日は市内見物をすることにしてバスで出発。JR鳥取駅の方へ向う。昨日買った観光案内書の付録の地図を見ながら、鳥取駅手前の久松公園で下車。鳥取城の入口らしい。何しろ鳥取の市内を歩くのは初めてで、さっぱり分らない。だから少し高い所に登って俯瞰してみれば見当がつき易くなるだろうという目論見である。これは大正解たりだった。
鳥取城址の景観。正面後方が久松山。その昔、この城は山の上とした多に分かれ築かれていたらしい。
久松公園は鳥取城のお堀近くにあり、城郭の一部でもある。お城は久松山(本陣山?)という山を後にして造られていたようだ。鳥取城址に来るのは初めてで、誰が造ったのか、領主が誰だったのかも全く知らない。何しろ鳥取は出張の際に電車で通過しただけである。城址に登ろうと歩いて行くと手前に立派な洋館があった。庭も素晴らしい。何の建物だろうと廻って正面玄関の方へ行ってみると、「仁風閣」とあった。折角なので入場料を払って中に入ることにした。この建物は明治の終わり頃当時の皇太子(大正天皇)をお迎えするために、元領主の池田家当主が赤坂離宮などを設計した片山東熊博士に依頼して造らせたもので、その命名はかの日露戦争でバルチック艦隊を撃破した元帥東郷平八郎であるというような説明書きがあった。建築のことはさっぱりわからないが、当時天皇家の方をお迎えするのは大変なことだったのだと改めて感じた。それにしても池田家とはどういう家なのかと思ったのだが、鳥取は岡山の池田家と親しい親戚関係にあり、岡山よりも鳥取の方が石高が大きいというので驚いた。更に明治の池田家の当主(名前は忘れたが)は、最後の将軍徳川慶喜の何番目かの息子であり、水戸とも少なからぬ縁があることなどを知った。
仁風閣の景観。往時の皇室の賓客に対する畏敬のレベルを慮ることができる建物だった。
それにしてもこの財力はどこから来るのであろうか。池田家は、北海道の釧路辺りに広大な土地を持っていて農場なども経営していたらしい。そういえば北海道の旅で釧路の市内を通った時、「鳥取大通り」などと鳥取の名の地名があったのを思い出す。又、昨日鳥取港の方へ歩いて行ったとき、ここから北海道の開拓に向って船出したというような主旨の記念碑があったが、そのような配下や領民の力があってこそだったのかもしれない。明治や大正時代は、時間的には100年ちょっとの、ほんの少し前に過ぎないのだが、今の我々には想像も出来ないほど人間に序列があって、様々な名札や、評価のラベルが貼り付けられていた時代なのであろう。そのような時代であったからこそ、この様な天国のような建造物が残されたのかもしれない。歴史の遺品を見る時に、思いをその時代に馳せると、様々なものが頭の中を駆け巡るのだが、甘いことばかりではなく、馬の骨としての拓が若干の批判を捨てきれないのは、負け犬根性が染み付いているからなのであろうか。
仁風閣を出て、城址をゆっくり散策する。高台から見ると、我がSUN号の居留地は遥か彼方の郊外にあるのが分る。鳥取は今、海に向って市街が発展しているのかもしれない。そういえば地図を見たら、昨日の魚市場の先が鳥取空港となっていた。県の人口は60万人ほどで、少なさの全国一である。県都鳥取市は人口約20万人とか。
久松公園から見た鳥取市街地の景観。全県人口の約1/3がこの町に集中している。
そのあと、駅まで歩いた。小さなアーケードの商店街は土曜でも人は少なく、シャッターを閉じたままの店が目立った。ここでも駅前と郊外の逆転現象が起こっているのであろう。昨日のジャスコの賑わいとは対照的である。車をベースにした社会では、駐車場がないのは致命的だ。一抹の寂しさを感じながら、昨日買ったガイド書に載っている蕎麦屋を探したのだが見つからない。それでは久しぶりに寿司でも食べるかと、同じ本に載っている駅前近くの寿司屋に入る。値段のわりには今一だった。板前さんが何か屈託がるのか元気がない。有名人のサイン入り色紙などがやたらに貼ってあったが、あれは有名人の力を借りた自己満足であり、つまらない。名誉のために店の名前は書かないことにしよう。
帰りはバスでと、バスセンターへ行く。あまり人がいない。よく見ると僅かな旅行者らしい人を除くと、バスを待っている人の9割以上がお年寄りか障害者である。要するに車の運転が出来ない人たちだ。今日は土曜日で、通勤・通学がなく、又時間帯としてもあまり人が動く時ではないので、それらが目立つのかもしれないが、改めて今の世の中の断片を垣間見た気がした。これではバス会社の経営は慈善事業に近いものとならざるを得ないであろう。人の生活の仕方が、自分が考えている以上に大きく変化してしまっていることに愕然とした次第である。
16時過ぎ車に戻る。既に作業に取り掛かっているらしく、SUN号はドックの中だった。17時半過ぎ、ようやく完了。全力を挙げて取り組んで頂いたサービスフロントの方、店長さん等々にお礼を言って、出発したのは18時少し前だった。もう夜になっている。
思わぬ出来事で2泊3日の足止めを食ったが、本当に良い思い出となった。普通だと困ったことなのだが、我々は特段の予定のない旅なので、このようなときにはそれを逆利用して楽しんでしまえばいいのだ。しかし、事故は禁物である。この点普段の車の手入れや、異常時の判断や行動のあり方について自戒が必要だと反省した。
さて、これからどうするか。とにかく至近の道の駅に行って泊ることにする。車の方は変な音もなく、ブレーキも滑らかになって快調だ。1時間ほど走って道の駅:村岡ファームガーデンに到着。今日で5日間も風呂に入っていない。ヒゲも伸び放題だ。着替えはちゃんとしているので不潔にはなっていないと思うけど、明日は必ず温泉に入り、その後でTさんと会おうと決め、寝床にもぐりこむ。
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