山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の思い出から:びわ湖一周余話

2008-04-02 05:46:15 | くるま旅くらしの話

昨年秋の関西の旅の際には、びわ湖大橋の袂にある道の駅:びわ湖大橋米プラザに2泊お世話になった。1泊の後、知人とご一緒するまでに1日フリーな時間が出来たので、びわ湖周辺(=つまりは近江ということになる)の様子をざっと探ろうと、びわ湖一周をすることにした。近江には以前から興味があった。現役の時、近江商人について調べたことがあり、それは今でも自分の関心から外れてはいない。現在の名だたる企業も元をたどれば近江商人の末裔(まつえい)であることが多い。それほどこのエリアに住んだ先人は、日本の流通経済界に大きな影響を及ぼしてきている。

 

道の駅:びわ湖大橋米プラザの駅舎。裏側に回って撮ったもの。ここは表よりも裏から見た方が立派に見える。 

そもそも1日でびわ湖を一周するなどというのは、旅としてはナンセンスだと思う。以前佐渡に行った時会った人が、「今日一日で島を一周してしまった。もう明日から何も見るものが無いので、どうしようかなと思っている、……」と言っていたのを思い出す。その時、自分たちは1週間ほどの滞在だったが、今度来る時は1ヶ月ほど滞在して、能などを見て回りたいものだと思ったのだった。いろいろな旅の仕方があり、駆け足廻(めぐ)りも悪いとは思わないけど、何だか気の毒のような気がする。

今日はナンセンスと思いつつ、下見のつもりで回ることにしたのだった。後半から天気が荒れ模様となり、結局時間をかけたのは、彦根市内の散策だけだった。走り回っただけの内容のない1日となったが、その中で感じた、いわば余話として何点か自分の思いを書いてみたい。

朝9時半頃出発して、直ぐに橋を渡り、さざなみ街道というのを行く。最初の立ち寄り地は鮎家。ここには、近江の地産品は殆ど揃っているので、近くに来た時には寄るようにしている。この店で買えない物が一つある。それはびわ湖で取れる鮒(ふな)の熟()れ寿司。死ぬまでに一度は食べてみたいけど、大変高価なので、その夢の実現は難しそうだ。今回も恨めしく見ただけ。(これだけは試食が無いのが残念)

近江八幡をパスして、びわ湖の脇に広がる田園地帯をしばらく走り、彦根市街へ。以前の来訪時は、彦根城内を急ぎ見ただけだったので、今日は時間をかけて歩きたいと思っている。駐車場がどこも満杯で、やむなく離れた所にあるショッピングモールに車を置いて歩く。しかしお城の入口で料金を見ると、べらぼうに高い。高々古城一つ見るのに1日の食費以上の料金を払うのがバカらしくなり、入るのは止めた。さすが近江商人の地なのか、現代でもしっかり稼ぐようだけど、近江商人の「三方良し〔自分(売り手)良し、相手(買い手)良し、世間良し〕」の精神は少し歪(ゆが)んでいるのではないかと思ったりした。

    

   彦根城:確かに名城だ        彦根市街にある京橋通り(城近くにある)

お城の代わりに、新しく作られた古い町を歩くことが出来、満足。京橋通りという町並みは、江戸や明治・大正・昭和初期を偲ばせる商店街が再現されており、いい感じだった。やっぱり商売上手だなと思った。

2時間ほど散策している内に、空の雲行きが怪しくなって来た。慌てて車に戻り出発。次の目的地は、長浜城。太閤秀吉が、信長の下っ端の武将からようやく抜け出して一城を与えられ、最初に築いたのがこのお城である。まだ一度も行ったことが無い。今日は是非見たいと思って行ったのだが、天気は益々悪くなって、雨だけではなく風も強まり、さっさと何処かへ去()ね!とばかりの様子に、諦めて通過することにした。残念だった。

その昔、豊臣秀吉と言う人物に大変興味を持ったことがあり、この人をテーマに書いた小説や歴史書などを集め、読み漁ったことがある。あの封建の世に、一百姓の子から太閤まで上り詰めた人物は歴史上いない。日本の歴史上最大・最高の成上がり者といえよう。これは悪意をこめた揶揄(やゆ)では決して無い。奇跡のような成功者なのだ。だから、たくさんの作家の方がこの人物をテーマに書いている。その殆どを読んだが、成り上るまでのこの人の魅力はとてつもないものだった。「人誑(たら)し」と書く人もいた。「女誑(たら)し」と言う言葉は聞くが、人を誑(たら)すというほどの評価を受けたのは、この人物だけではないか。それほどにこの人の魅力は人を虜(とりこ)にしたのだと思う。しかし、残念なことに、晩年は真に愚かな人物に急落してしまった。これほど又愚か極まりない人物はいないのではないかと思われるほどである。長浜に住居(すまい)していた頃の秀吉は、耄碌(もうろく)などとは無縁の、はつらつとした武将であったのだと思う。その青年が、どのような思いで長浜城を築いたのかを、いつか必ず訪ねたいと思う。

長浜を初めとする湖北エリアは、今まで殆ど訪ねたことがない。浅井(あざい)、虎姫、余呉などという地名をみると、戦国時代に思いが馳()せって、胸が弾んで来る。しかし今回もこれらの地を素通りすることになってしまった。

今津を通る時には、竹生島を思い出した。以前西国三十三観音めぐりをした時は、ここから船に乗って宝厳寺に向かったのだった。機会があればもう一度訪ねてみたいなと思いながら、あっという間に通過する。

高島市の中心がどこなのか知らないけど、旧高島町は近江の湖西商人の地として知られている。ここもじっくり歩いてみたい所である。同じ近江商人でも、エリアによって少しずつ商売の発想が違っているのではないか。それとも商道という点において、本質は同じなのか。興味あるところである。しかし、今回もパス。

すっかり暗くなった中を再び道の駅に戻る。昨日と同じ場所に車を入れ、もう一夜を過ごすことになった。走行距離は約160kmだった。本物のびわ湖一周は、200kmを超えるのではないかと思った。大した下見も出来なかったけど。次の来訪時のヒントは幾つかものにできたと思っている。

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