山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

これぞ最高のPR

2015-04-04 05:17:02 | 宵宵妄話

 先日ネットを見ていたら、最近に無いとても素晴らしい話題に触れることが出来ました。そのことを少しく述べてみたいと思います。

先ずは、その話題となった岩手県は盛岡駅のJR駅の方が書かれた、今春高校生活を終えた若者たちへのメセージです。

 

 

この春に卒業を迎えたみなさまへ

          ご卒業おめでとうございます

雨の日も、雪の日も、鹿や熊が出た日も

東北本線、田沢湖線、山田線、花輪線、新幹線の列車をご利用頂きましてありがとうございました。

朝早起きして、列車に揺られ、勉強して、部活動をして、友達と楽しい時間を過ごして、夜の列車に揺られて帰る、……。疲れて寝過ごしそうになったこともあったでしょう。

そんなみなさまの毎日を、私たちが少しでもサポートさせていただけたなら、とても幸いです。

4月から始まる新生活、ふるさとを離れる人もいらっしゃるでしょうね。またひとつ大人になったみなさまが、今度は新幹線で岩手に帰ってきてくださることを、私たちは心よりお待ちしています。

これまで盛岡駅をご利用くださりありがとうございました。これからも引き続き盛岡駅をよろしくお願い致します。

 お祝いと感謝の気持ちを込めて   盛岡駅社員一同

                                                                          」

うん、素晴らしいアクションだ、と思いました。この文章が駅構内のホワイトボードに書かれていたのを読んで、感動された方が駅員の方に断ってネット上に投稿したのが、多くの賛同を得て話題が膨らんだとのことでした。

 この時期新しい年度を迎え、社会に巣立つ若者たちに、JR盛岡駅社員一同が感謝の思いを込めて、書かれたものということです。印刷物などではなく、消せば直ぐに消えてしまうホワイトボードに書かれたということも、意味があることのように思います。若い駅員の方の発想・提案からの実践だったとのことですが、これも素晴らしいなと思いました。

 ジジイの自分がひと様以上に感動を覚えるのは、最近のTVや新聞等のコマーシャル等を見ていて、苦々しく感ずるものがあまりにも多いからなのです。このホワイトボードの記事をコマーシャルなどと同類に扱うのは、真に失礼なこととは思いますが、その本質は変わらないと考えています。広告宣伝もコマーシャルも、その本質は事業者や広告主という主体者が世の中に呼びかけて主体者の思いを伝えようとするものです。一般的に言うPR(=Public Relation)というのは、主体者と公衆との関係のあり方を言うのであって、広告宣伝やコマーシャルは、企業者等が自己の製品や商品の価値を公衆に伝え、それを販売の業績につなげる行為を言うわけですが、その中身は真実であり受け取る公衆側の一人ひとりがそれを実感・享受できるものでなければならないと考えます。

 今の世の中に溢れている宣伝広告や各種コマーシャルのあり様をみていると、真実を疑うものがあまりにも多いように思えてなりません。一般大衆の利得心をくすぐり、例えば1%の効果を100%に拡大して購買心を動かすようなマヤカシ的なものが溢れているような気がします。また、ただ奇を衒(てら)うだけ(=気を引いて目立とうとする)の愚行としか思えないことをタレントやアニメの人物や動物などにやらせて、遮二無二知名度を上げようとするという様な手法ばかりがTV画面に溢れて、うんざりするばかりです。本来の番組の価値を損なうほどにコマーシャルが邪魔をしていることなど、お構いなく放映を機械的に続けている時間帯があまりにも多いのにも害を覚えずにはいられません。本来のドラマを見るためには、コマーシャルの悪行をひたすら我慢することが必要なのだ、と多くの視聴者は思っているに違いありません。喜んでいるのは、何も知らない小さな子どもたちと当事者たちだけかもしれません。ま、コマーシャルの放映料に支えられて放送局の経営が成り立っているのですから、致し方ない世情であることは承知しているのですが。

 JR盛岡駅のこの掲示板の記事こそが、無上の優れたPRのお手本ではないかと思いました。現代の若者にも素直に受け止められる、ありのままの内容だと思います。「いや、これはJR盛岡駅のおためごかしの宣伝じゃないか」などとひねた受け止め方をする者も少しはいるのかもしれませんが、悪意を覚える者はいないでしょう。ホワイトボードに手書きというのも、誠実感があって好感を覚えます。

 私がこれこそ本物のPRだと思うのは、このやり方が手馴れた作為的なものではなく、卒業して社会に巣立つ高校生たちに、自分自身の過去の思いを振り返りながら、本気でありがとうの思いを込めて新しい旅立ちを祝いたいという、駅に勤務する人の真情が伝わって来る、自然発生的な企画だからなのです。発想も手法も見事だなと思いました。

 この掲示板の話題は、ホワイトボードを撫でるほどに、たちまち消え去り忘れられてゆくことでありましょう。しかし、この文章に心のどこかを動かされた若者は、この駅と故郷を思う気持ちをしっかりと胸に刻んだに違いありません。そして、それはこれからの長い人生の時間を通して確実に実践されてゆくことと思います。それは盛岡駅に勤務するJR社員にとっては、直接には薄い関係なのかもしれませんが、このホワイトボードの記事は、地元を旅立つ若者たちに対して、事業の布石ともいえる、未来に続く大切な効果を及ぼしたのだと思います。本物のPRというのは、言い包(くる)める様なやり方ではなく、相手の心に素直に届いて溶け込んで行く、そのようなことばであり行為なのだと、この素朴なメセージを読んで改めてそう思いました。

盛岡の石割り桜の開花も間もなくのことでしょう。新しい旅立ちの若者たちに、大いなるエールを送りたいと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田中陽希という妖怪・快人 | トップ | 筑波山登山の記(第32回) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宵宵妄話」カテゴリの最新記事