山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

新しい出発(再発見と味わいの旅を目ざして)

2021-01-05 06:02:15 | くるま旅くらしの話

くるま旅を指向する者にとって2020年は最悪の凶年とも言うべき1年だった。それは今でも尚続いているのだが、このまま為されるままに過ごしていると、残りの時間の少なくなって来ている老人には、まさに取り返しのつかない1年となってしまう。新しい出発が必要なのだ。

自分は予てから人生80年一区切りという考えを持っていて、人生時計を設けて時を計って来たのだが、午前零時から始まった我が人生時計は、昨年の12月を以て、とうとう再び零時に戻ってしまった。80年で終わる筈の命が延びたのだ。しかしもう時計を動かすことはできない。さらに80年を想定しての人生時計などあり得ないのだ。そこでこれからは未来への時を計ることは止めて、ひたすら現在を楽しむことに力を入れることに決めた。

これからの人生は天が与えてくれる余禄なのだ。この余禄を使う時間は限られており、それがどれくらいで何時までなのかは天のみぞ知るだけである。余禄をどう使うかは、まさに自分だけのものである。

さて、どう使うのか。それはもう決まっている。我がライフワークとしているくるま旅を中心に残された時間を使ってゆきたい。それしかない。

このために何が大事なのかを考えてみた。自分は今80歳なのだ。これからのくるま旅にとって大事なのは、要約すれば二つになる。

その一は、健康の保持。80歳以降の老人に待ちうけている健康問題は二つある。それは「病」と「衰」である。これをクリアしなければくるま旅は成り立たない。そのために、ここ20年近く毎日の歩きを中心に体力の保持に心がけて来た。幸い大した病に取りつかれることも無く、健康を維持して来ているが、油断すればどんな病が取付くのか判らない。糖尿病は30年間の付き合いでほぼ共生できるようになった。最近前立腺の癌が取付いたようだが、軽く慎重に付き合ってゆこうと思っている。病との付き合いが破綻した時は、それは余録時間の終わりが来たと思うしかない。もう一つの「衰」の方は、これはもう不可抗力だ。保持してきた体力がいつまで持つかの問題だが、限界が来た時は、諦めるしかない。

さて、健康の保持を前提として、その二は、旅の内容だ。どのような旅を目指すかである。これも、もう決まっている。旅の目的は「この国の来し方を訪ねること」そしてそのテーマは「この国の再発見と旅の味わい」である。そして、後楽のためにこれからの旅も記録を残すことにする。これからは旅の大先達芭蕉翁に倣って、句作を織り込んだ紀行文で思いを表現して見ようと思っている。

今まで北海道を中心に、20年ほどかけて全国を巡って来たのだが、初めの頃は、がむしゃらに見聞することだけを念頭に置いて走り回っていたのだが、一巡りしてからは、次第に考え方が変わって来た。(このことは、2020.1.3掲載の本ブログにも書いてある)今は、その延長線にあるのだが、この頃は何故なのか、自分は縄文人の子孫に違いないと思い込んでいる。遺跡を訪ねたり、本を読んだり、TVの情報などから縄文人の生き方・あり方を知るにつれて、言うに言われぬ共感を覚えるようになり、それ以来縄文からのこの国の来し方(=歴史)に強く関心を持つようになった。齢80になって、ようやくまともな興味・関心に辿り着いたという感慨のようなものがあり、今は、与えられた余禄の残された時間の中で旅の中にそれを少しでもいいから確認してみたいと思っている。勿論これらのプロセスの中で多くの再発見や新たな出会いがあり、それらの力に元気を頂いて、余禄の中身は満たされたものになるのではないかと思っている。

 

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