〔これは6年前の記録です〕
第4日:11月20日(土)
行程:道の駅:美都:湯元館~ 道の駅:シルクウエイにちはら ~ 道の駅:津和野温泉なごみの里 ~ 山口市:瑠璃光寺 ~ 道の駅:おふく[泊] <155km>
夜が明けて明るくなるにつれ、美都の湯元館の周囲の状況がハッキリしてきた。懐かしい昔の山村の景観だ。ふと中越の山古志村を思い出した。といっても山古志村に行ったことは無い。但し、大地震に見舞われる前の時点で、偶然にも近く行きたいなと思っていた場所なのである。でもあんなにひどい被災地になってしまって、気の毒を通り越して慰めの言葉も無い。とても今の状態で野次馬的に訪ねる勇気はない。もしこの美都に、今、震度7を越えるような地震が発生したら、山古志村と同じようなことになるのかと考えただけでもぞっとする。この平和な情景が一瞬の内に地獄と化す、こんなに恐ろしいことは無い。山古志村の方たちの心情を想った。同時に平和で安全であることの有難さを再認識したのだった。
9時半出発。途中日原(にちはら)という道の駅にちょっと立寄ったあと、津和野に向かう。津和野も何度か訪ねたことがあるが、久しぶりだ。新しく道の駅も出来ているらしい。古都の雰囲気の漂うこの町は、今でも大勢の観光客で溢れているのだろうか。20年以上のブランクがあり、どうなっているかの楽しみもある。
津和野の道の駅は山口よりの郊外に出来ていた。温泉施設も付帯しており、車中泊向きだなと思った。しかし町の中心部からは離れて遠いので不便だ。とにかく駐車場にSUN号を停めて、様子を窺うと、ぶらりバスというのがあり、1日乗り降り自由で300円とのこと。それを利用することにした。車で来てバスに乗るというのはあまり合理的でないが、たまにはいいことなのかもしれない。バスを降りる所までは一緒だが、それから先は邦子どのとは別行動とすることにし、13時過ぎにはSUN号に戻ることにして出発。
津和野は四方を山に囲まれた、亀井家4万石の城下町である。歴史読本にそのように書いてあったが、それ以上のことは何も知らない。町を行く多くの人の殆どは、亀井家のことなど考えたことも無いのではないか。だから安心して観光が出来るのだと思う。でも拓の場合やっぱり少し罪悪感のようなものを感じてはいる。町の成り立ちにも思いをめぐらすべきであり、亀井家の町とのかかわりにも関心を持つべきなのだと思う。町というのはその規模の大小を問わず為政者の姿勢が反映されてきたのだと考えるからである。
バスを降りて1時間ばかり散策。表通りよりも裏通りの方に興味があるのは拓の悪い癖か。バス通りは歩く気がしない。津和野の場合はアーケードも何も無い剥き出しのバス通りなので、敬遠するのは当然である。バスの通っていない観光向きの道路にも表と裏がある。まずは表の方を外れまで歩き、次にその裏側をもう一方の端まで歩く。それが拓の何時もの歩き方である。津和野の町は思っていたよりも狭くて、JRの駅から道の駅に向かう古い町並みは3kmにも満たない距離だった。往復2回ほど歩くことになった。20年以上も前に比べると、何だか昔が少なくなっており、新しい昔が付加されたように感じた。城下町としては角館(秋田県)や秋月(福岡県)の方により以上の感興を覚える。この辺は人により様々な印象があることであろう。
造り酒屋には必ず立寄る。初陣という名の酒を造っている店で2本(=2升)仕入れた。重いけど我慢できるのが不思議だ。酒飲みの拓だけど、吟醸酒は敬遠する。米を半分近く削るのが気に入らないし、口当たりが旨いだけで酔い覚めが悪いものが多いからである。酒は酔い覚めの良し悪しが問題だとこの頃特に思うようになった。酒の飲み方にも入口と出口がある。入口は良くても出口の悪いのは本物ではないのではないか。それで、酒は上撰・本醸造のレベルが一番と思っている。ぬる燗でゆっくり飲める奴がいい。(実は、あまりゆっくり飲んだことが無いのだが…) 脱線多謝。
酒を買ってしまうともう用は無いというのが拓の性分なのだ。直ぐに帰りたがる。我ながら困ったものだ。何しろ1升ビンが2本も両手にあるので重い。4kgはある。これをぶら下げたまま歩くのは結構こたえる。ぶらりバスの停留所で時刻表を見たが20分以上も待ち時間がある。しょうがない、バスが来るタイミングが合うまで停留所を先取りして歩くことにしようと道の駅方向に向かって歩くことにした。次の停留所は丁度いいタイミングかな?と期待しつつ酒2本をぶら下げて歩いているうちに、何と道の駅が見える所まで来てしまった。こうなるとバスに乗るのがバカバカしくなって、もう通過するバスなどは見向きもせずSUN号まで歩いてしまった。片道切符でよかったものを、楽をしようと考えたのがそもそもの間違いだったと、空しい結果論を自分に浴びせ掛けた。バカモン!であった。それにしても4kgを両手に持って3kmを歩き続けるのはきつかった。写真を撮るのも忘れてしまった。
邦子どのはまだ帰っていない。先にお湯を沸かしてお茶を淹れ軽く昼食。やれやれ。やがて邦子どのがバスで戻って来た。ぶらりバス運行の不満と歩き疲れの愚痴を一くさり勝手に話しかけつつ一休み。その後津和野をおさらば。
R9を1時間ほど走って15時過ぎ山口市郊外の瑠璃光寺を訪ねる。ここは室町時代の周防の実力者大内氏の菩提寺で、五重塔は国宝である。今回で3度目の来訪か。何時見ても美しい建造物である。晩秋の遅い午後の陽を浴びて周囲に未だ残る紅葉の名残を絡ませながら、五重塔は気高くそびえていた。また、池に映る姿もカメラ愛好者にはたまらない被写体であろう、多くの人がカメラを向けていた。40分ほど散策、休憩して出発。
瑠璃光寺五重の塔。美しい、実に美しい五重の塔である。我が国に残っている五重塔の中でも、3本の指に数えられる一つだと思う。一週間ぐらい立ち止まって眺め続けていっても飽きないほどの風情がある美しさである。
そろそろ泊りのことを考えなければならない。まずは秋吉台の方へ行ってみて、温泉などがあればそこに泊ってもいいし、ダメなら美祢市の外れの方にあるおふくという名の道の駅に泊ることにして瑠璃光寺を出発。R435に入って美祢市に向かう。途中、みとうという名の道の駅もあったが、ここに泊る気はなくパス。秋吉台も一見したかったが、早や暗くなりかけており、車の燃料も残量が僅かとなったので先を急ぐことにした。美祢市の入口で給油。そこから20分ほど走って道の駅おふくに到着。ここには温泉もある。さっそく入浴の準備をして温泉に。温泉は悪くはなかったが、昨日の美都のほうが遥かに優れていると思った。車に戻り、一杯やって就寝。寝たあと、度々眠りを妨げられた。ここはR316沿いにあるため交通量が多く、トラックも多く停車している。連中はエンジンを切らずに終夜騒音を撒き散らす。又、キャンピングカーも4台ほど泊っていたが、滅多に無い遠出なのか、子供も大人も夜遅くまではしゃいで騒ぎまくって、もう、「タイガイニセイヨー!」と叫びたくなるほどであった。もうここには二度と泊りたくないなと思った。
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