山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第24回

2008-07-12 05:34:36 | くるま旅くらしの話

第24日 <5月22日()    

道の駅:西根 → (R4・県道) → 岩手県立博物館(盛岡市)→ (R4R106) → 道の駅:区界高原(川井村)→ (R106) → 道の駅:川井(川井村)→ (R106R45・県道) → 浄土ヶ浜(宮古市)→ 道の駅:宮古 → (R45) → 道の駅:山田(山田町)(泊)  <238km

西根の道の駅の夜は、結構交通量が多くて、賑やかだった。泊りの車も数台あったようだが、起きて見ると隣に札幌ナンバーのキャンピングカーが泊っていた。朝食の後、少し話をする。我々よりは一世代ほど若い方で、未だ現役だとか。1週間ほど休みが取れたので、やがて来るリタイア後の日本めぐりの練習に南下してきたのだとか。奥さんは内地の道の悪さを嘆いておられた。北海道の道から較べたら、内地の山道は崖っぷちを走っているようなところが多く、肝を冷やしたとのこと。さもあらん。

今日は又快晴で、岩手山が迫ってよく見える。ついつい何枚もシャッターを切ってしまった。今日はまず岩手県立博物館を訪ねることにしている。青森県だけでなく、岩手県のトータル資料館も見学しておきたいという考えである。博物館を見た後は、今回の旅での観光先として願っていた浄土ヶ浜を訪ね、その後は遠野方面へ戻り、最終的には再びR4を通って南下を続けたいと考えている。細かいことは何も決めていない。

9時少し前道の駅を出発。岩手県立博物館は、盛岡市の郊外にあるのだが、そこには40分ほどかかって到着。広大な規模の施設なのに驚かされた。

  

  岩手県立博物館全景。広大な敷地の中に立派な施設が造られている。本館の内容もすばらしい。

青森の郷土館は港に近い街中にあったが、こちらは自然を巧みに生かした森のような中に建てられていた。見事だったのは、岩手山を借景にしていることである。今日の快晴の空の下に、博物館の大きなガラス窓から見る岩手山の展望は、巨大な天然の絵画というか、芸術作品だった。

  

  岩手県立博物館から見る岩手山。その雄大さは富士山を思わせる。火山活動が悪化しないことを祈るのみ。

入口の直ぐ傍に東和町(今は花巻市)の毘沙門堂にある一木彫りの木像としては日本一という巨大な毘沙門天のレプリカが置かれていたのにも驚いた。毘沙門天というのは、仏教の世界で、仏を守る四方の守護神で、四天王と呼ばれている自国天(東方)、増上天(南方)、広目天(西方)、多聞天(北方)の一つの多聞天のことであり、多聞天は一切を聞き漏らさぬ知恵者だとのこと。多聞天は単独で信仰される場合は、毘沙門天と呼ばれ、勝負の神様となるとのこと。そのような説明書きがあり、勉強になった。

毘沙門天の信仰では上杉謙信が有名だ。自らを毘沙門天の生まれ変わりと称して戦国の世を走り回ったという話がある。景観といい、毘沙門天のレプリカといい、スケールの大きさに些か度肝を抜かれながら、館内をくまなく巡り歩いた。

縄文時代の昔から現代まで様々な分野の歴史資料が陳列・展示されていた。館内だけでなく、広大な敷地内には、岩石のそのままの見本エリアや移築された古民家などが建てられており、じっくり見て廻ったなら1日かかっても時間不足になると思われた。館内には自由に持ち帰れるプリント資料がたくさん配置されており、後でもう一度読み返すのに大いに役立った。4時間近く在館して、昼食も中にあるレストランでガラス窓の向こうに広がる岩手山の絶景を見ながら済ませて、車に戻った時は、13時を遙かに過ぎていた。

 R4に戻り、しばらく走ってR104に入り、一路宮古を目指す。途中区界高原の道の駅に立ち寄り小休止。邦子どのの話では、ここで懐かしい茨城弁の人たちを見かけたという。観光バスから降りてきたおばさん連の一団がそうだったらしい。浄土ヶ浜の観光の戻りの人たちかなと思った。とにかく中年女性の観光団は姦しい。旅の興奮の中でだっぺ言葉でまくし立てればお国は直ぐにばれてしまうのは必然だ。

長い下り坂をしばらく走ると、もう一つ道の駅があった。閉井の里かわい、と書かれた案内板が掲げられていた。先ほどの区界高原も川井村の道の駅だったから、この村には二つの道の駅があるわけだ。かなりの面積を持つ村だなと思った。この道の駅は木工などの特産品のアピールに力を入れているようだった。ちょっと覗いて直ぐに出発。

浄土ヶ浜に着いたときは、15時半を過ぎていた。今日は天気がいいのでまだまだ観光に支障は無い。だけど観光遊覧船の出航はあと一便だけになっていた。船に乗るつもりは無く、我々は歩いてゆく予定である。素晴らしい眺めだった。浄土ヶ浜を訪れるのは初めてである。へのへのの旅の終点は浄土ヶ浜が相応しいと思うようになっていた。旅の流れとしては、一戸から九戸までを廻り、遠野(十野)に出て、最後は浄土ヶ浜で心を清めて旅は終わるというイメージである。今回は順序はめちゃくちゃだが、本番の時はそのような流れを考えている。遊歩道を下に降りて、浜辺を散策する。松の木などを頭に載せた奇岩が連なって、小さな入り江を取り囲んでいる。マリンブルーの海と真っ青な空の色に、白い砂浜や奇岩たちが見事に調和して、浄土の景観を醸し出している。

  

  この世のものとは思えないほどの神秘的で美しい景観である。浄土ヶ浜とは良くぞ名付けたと思わずにはいられない。

古の人たちがここを浄土ヶ浜と呼んだ気持ちが解るような気がした。その意味で観光船に乗るのは邪道だなと思った。遊歩道の脇にウワミズ桜が白い穂のような花を咲かせていた。1時間ほどの散策を楽しんだ。

さて、今夜の宿はどうするか。宮古市内にも道の駅があるのだが、海の直ぐ傍にあるらしい。とにかく行ってみて、邦子どのがOKならばそこに泊ろうかと考え、出向く。宮古の道の駅は、魚市場に隣接して作られていた。時間が遅いので、勿論魚は残っていない。邦子どのはやっぱり泊るに関しては、拒絶反応を示していた。とにかく大波に襲われる怖さに晒される一夜を送ることになるらしいので、それに付き合うのは大変だ。それならばR45を少し南下した山田町の道の駅に行くことにして、出発。

時間ほどで到着。山田の道の駅は、坂の途中にあるものと思いながら行ったのだが、思い違いをしていた。平らな場所だったので安心した。以前にもここに泊めさせて頂いたことがある。もう長いこと太平洋側を通っていないので、記憶が曖昧になってしまっていたのだった。以前と同じ精米機小屋の傍に車を置いたのだが、この時間からは精米に来る人など無かろうと、入口付近に車を泊めたのだったが、何とその後二組もの方が大量の玄米を持ってきて精米されたので、びっくりした。東北の人は米が好きなのだ。改めてそう思った。ここはTVも良く写り、車の騒音も少なくて、いい場所である。旅も残り少なくなった。温泉はないので、今日も入浴はお預けである。

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