山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

宰相の器量

2010-05-25 04:39:08 | 宵宵妄話

昨日は終日の雨でした。今月は少し歩き過ぎの嫌いがあり、少し静養の日があってもいいやと考え、家の中に籠もってくるま旅くらし読本の追加製作をしようと、その作業に集中しました。今回の本は全くの手づくりですから、印刷はパソコンの原稿をプリントするという作業なのです。ですから集中するといっても、その内容は退屈といえば退屈なものなので、音楽を聴きながら、或いは時にはTVを見ながらの作業となります。何時もはTVも特定の番組しか見ないのですが、昨日はニュースやそれに関するワイドショーの番組などを多く見るという結果となりました。

これらのニュースの中で、最も耳障りで気色悪いのは、沖縄の基地移転に絡む総理の言動の不手際の話と、宮崎県での口蹄疫事件の対応に関する話でした。この二つはいずれも政治に絡む問題であり、特に沖縄の基地移転に関する問題は、一国の首相の言動としては在りうるベからざる内容を有したものでした。

私は政治に関しては、特定の支持政党を持たぬノンポリの人間ですが、関心がないというわけではなく、特に高齢者の仲間入り(自分では本質的に高齢者などの存在を認めない考えがありますが、絶対年齢からは世間の区分に従えば、そのような呼ばれ方の世代に入ってしまっていることは明白です)してからは、政治のありようをチエックし、見極めようとする気持ちが強くなっています。何しろ生活の原資は年金と呼ばれるものに頼るしかないのですから。

民主党に政権が渡った時には、それまでの自民党の政治のあり方にうんざりしていて、ようやく本物の政治への胎動が始まったかと期待したのでしたが、今日までの政権運営を見ていると、ホンの一部の改革・革新の成果を除けば、90%以上は以前よりも不安感が増し、特にそのリーダーたる首相の言動には一国を危うくする危険性を本能的に感じないわけにはゆきません。昨日のワイドショーにおいても、沖縄の基地移転に関する一連の言動問題を巡って、どのTV局も疑念を通り越して、厳しい批判・批難の声に溢れかえっていました。

沖縄県民の怒りは、基地のありようの現実よりも、首相の一連の言動に対する不信感が爆発したものとなっているというのを実感します。戦争の最大の犠牲者だった沖縄県民が、こらえにこらえていた悲しみや怒りを、斯くまでも言動を弄(もてあそ)んで、なおその酷さに気づかないという人物も珍しいなと思いました。この問題に限って言えば、自民党にだって、これほど具体的に沖縄県民をなぶった人物はいないと思います。

宰相の器量については、古代中国の時代からあれこれと取り沙汰されており、国全体を運営してゆくリーダーとしての人徳や力量が問われるわけですが、その心得の基本となって力があったのが、論語であり、孟子だったわけです。そこに書かれている言葉には、現代でも全く不変の重要性を持ったものが数多く存在しています。我が国の歴代の首相も、少なくとも論語くらいは読んでおられるのだと思いますが、現在の首相はもしかしたら只今お勉強中なのかもしれません。

それで、ご参考までにご注意を申し上げたくて、二つの戒めの言葉について、進講申し上げたいと思います。

1.「子曰、巧言令色、鮮矣仁」(子曰く、巧言令色、すくなし仁。)意味:上手を言い、ええ格好ばかりしている人には、仁(人をひきつける本物の人間性)は無いんだよ。

2.「子曰、君子不重則不威。学則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改」(子曰く、君子重からざれば威あらず。学べば固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とするなかれ。過ちてはすなわち改むるに憚るなかれ) 意味:人の上に立つ者は、重厚な態度がなければ相手がその気になってくれないよ。軽くては、お勉強などしても進歩しないよ。上に立つ者は、自分にも他人にも誠実であって、友とするなら自分よりも優れた者を選び、過ちを犯したと気づいたら即座に改める。これが大事だよ。

この二つの言葉は、いずれも論語の真っ先の項「学而(がくじ)」篇にある有名な言葉です。

お解かりでしょうか?勿論首相は優秀なお方ですから、この程度のことは重々ご承知のことでありましょう。そしてここに書かれた意味に沿って、信念を持って行動しているとおっしゃるに違いありません。しかし、もしそうなら、それは明確な解釈の誤りであり、孔子様の考えとは正反対の言動となります。そして現実に、沖縄のみならず、心ある国民の大半があなたの言動に大いなる疑念を膨らませていることが、その誤りを証明しています。

ちょっと言わせて貰えば、あなたの沖縄県民に対する、何とか基地を県外、国外に移したいという思いは立派です。これは巧言ではないと思います。又沖縄訪問の際の着衣や慇懃な態度も令色ではないかも知れません。そのことだけを採れば心優しい振る舞いだと思います。しかし、言っていることと現実がズレにズレて、結果的に期待を裏切ることになれば、これはもう巧言以外の何ものでもなく、又着衣だって馬鹿にしたわざとらしさに急変します。

更に「過ちてはすなわち改むるに憚るなかれ」については、あなたは、間違いや勉強不足に気づいたときには、実に素直にその誤りを認め、お考えを改められていますが、恐らくこれはこの言葉に沿った信念に基づかれた言動かと思われます。しかし、この言葉の前段にある「君子不重則不威」を忘れていますね。軽い人が間違いを簡単に改めても誰も信じません。なぜなら軽い人は己の間違いに気づいていないからです。

これを書いているうちに、ああ、もううんざりの気分となってきました。この国は、このような人物がリーダーを務めなければやっていけないのか。裸の王様を躍らせている政党とは何なのか。真にお粗末な国にしてしまったのは、やっぱり我々の世代の罪だったのか、と。これからも、しばらくの間は、彼の信念に基づいた誠実で軽薄な言動が続くのかと思うと、うんざりは固定化しそうです。

口蹄疫の問題では、どこかに隠れていた農水相が出て来て言うには、この問題で反省することは何もないというのですから、呆れてあいた口が塞がらない感がしました。これでも政治家なのか?と。この政権は裏でいろいろ選挙のことを画策している大人物の存在を含めて、本物の政治に取り組むのではなく、とにかく選挙に勝利して、ええ格好ばかり言い振り回して、国が危うくなることなどどうでもいいと考えているのか、何ともバラバラな考えの人たちの集まりなのだなと、改めてこみ上げてくる怒りを今はどうしようもありません。政治のことに触れるのは努めて避けようと思っているのですが、毎日TVに向かって悪態をついているうちに、チョッコシその悪態の現実を書いても良いような気分となってしまうのです。 

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