山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

60年ぶりの再会(小中学同窓会)

2015-11-12 08:54:56 | 宵宵妄話

 中学卒業後の同窓会が開かれ、昨日栃木県日光市の鬼怒川温泉から帰宅した。日光市北部の会津西街道エリアには幾つもの温泉郷があり、その中でも鬼怒川温泉は古くからよく知られた場所で、東京からの交通機関も整っており、今はスカイツリーともつながっている。いつもだと我が家からは車で行くのが普通なのだが、今回は久しぶりに電車に乗って見たくなり、途中からは各駅停車となる区間快速と呼ばれるのに乗り往復した。奥日光の紅葉は進んでおり、鬼怒川温泉の泊ったホテル近くにある楯岩と呼ばれるむき出しの岩石を囲む樹木たちの紅葉は、下を流れる鬼怒川の蒼い水の色を一層際立たせていた。

 15時半近くホテルに着くと、すでに受付は設けられており、幹事を務める何人かの懐かしい顔がそこにあった。幹事は4人で担当されており、女性が中心で受付をしていた。60年ぶりの再会なのだが、幹事の皆さんは5年前に開かれた時と同じ顔ぶれで、その時の写真を頂戴しているので、知らないというわけでなかった。でもその時出席できなかった自分は、幹事の人たちから見れば60年ぶりとなるので、それなりに驚かれたのではないかと思う。名前を名乗って、会費を支払う。もう何人くらい集まっているの?と訊くと、既にほとんどが先着しており、どうやら自分は終わりに近いらしい。今日の参加者は18名で、男が13人、女性は5人だとのこと。地元以外からは4名ほどだった。部屋割を訊き所定の部屋に向かう。自分は5人の部屋とのこと。

 ノックして中にはいると、中には先着の4人がいて、見知らぬ顔が一斉に自分に視線を向けた。緊張の一瞬である。「こんちは、山本です」と挨拶した。その後に一人ずつ声をかけて挨拶すると、相手も名乗ってくれて、そうすると昔の面影が一気にはっきりして来て、名前と共に60年前の記憶の一瞬が幾つも眼前によみがえり、たちまち昔の感覚に戻った。もうそこからは昔の呼び名に戻って、もはや60年以上も前の少年時代につながったのである。感動の一瞬だった。しばらく歓談した後、揃って温泉に入りに行く。

 少々風邪気味なので、長時間の入浴は避け、早めに部屋に戻った。夕食までにはかなりの時間があり、その後は隣の部屋に行って、別のメンバーとも再会。気が付けば女性を除く殆どのメンバーがその部屋に集まって、小さな酒盛りの歓談の輪となっていた。なかには器用に自家製の酒や肴を用意して来られた人もいて、いやあ、益々その昔の思い出が、手元に手繰り寄せられたのだった。

 同窓会の本番は何といっても夕べの宴会である。幹事の挨拶にも昔に因んだ話が含まれて、近況報告は少なかったけど、早や仲間の10人が亡くなられているとのこと。一学年全員で74名だったかと思う。とすれば、早や一割以上の方たちがあの世に先立っているのを知り、愕然とした。自分はその10名の内の半分も名を知らないのである。残念ながら幹事さんから名前の披歴は無かったけど、宴会の始まりの場で質問するのは不適切かと控えることにした。乾杯の音頭と共に宴の始まりとなり、しばらく談笑が続いた。何しろ60年ぶりに会う人が多いので、懐かしさや再会の嬉しさなどが膨らむ一方で、一人ひとりのことをもっと知りたいのだが、酒が入ってやがて席が崩れて皆が動き出すと、もうそこから先は記憶が乱れ飛んでしまって、誰と何を話したのかも曖昧となってしまった。やがてカラオケなども始まって、自分の番も回って来たのだが、一曲の一番だけ唄って止めることにした。風邪気味で声を出すのがきついし、聞き手は殆どいないので、唄などよりも席に戻って話をする方が大事だと思った。

 時間が来て宴は終わり、部屋に戻ったのだが、その後二次会などが開かれたのかを知らず、そのまま布団にもぐりこんで眠りこんでしまった。少し飲み過ぎたようで、風邪のことを考えると寝てしまった方が安全だと思ったのか、それともただ眠さの方が勝っていたからなのか、もしかしたら寝てしまって、大事な時間を失ってしまったのかもしれない。夜中に喉が渇いて目覚めて湯を何杯か飲み、更に眠り続けて、もう眠る必要なくなったのは、4時半ごろか。目覚めているのは自分だけではなさそうで、5時前には5名全員が起き上って、何人かは風呂に入りに出かけて行った。自分は朝湯も敬遠することにした。咳の方は収まりつつあり、大事をとることにした。

 その後は7時から朝食。バイキングは選ぶのが難しい。ご飯とみそ汁の他、おかずは3品ほど素朴なものを選んで、食べ過ぎに注意する。老人の朝食は質素であることが肝要と心得ることにしている。部屋に戻り、8時すぎの解散まで歓談は続いた。地元からの人たちは3台の車に分乗して、これから日光の方を回って帰るのだとか。電車で帰るのは3人だけ。自分は直ぐに駅に向かわず、付近の紅葉などを見ながら温泉街の中を少し歩き回って、そのあと9時台の電車で暫しの各駅停車を楽しみながらの帰途となった。

 以上が同窓会の流れのあらましである。気づいたことが幾つかある。その一は、皆思ったよりは若いということ。杖などを使っている人は一人もいなくて、皆しゃんとしていた。ま、この集まりが若返りの血を沸かせたのかもしれない。過去から元気を貰うのは老人の知恵の一つであり特権でもあると思うけど、このような集まりは個人の楽しみではなく全体パワーの楽しみなので、皆が元気になれるのかもしれない。只気になったのは、部屋の殆どというより全員が食後の薬を飲むのに大忙しだったこと。6種類もの薬を並べて飲んでいる人もいた。薬を飲んでいないのは自分一人だけだった。ちょっぴり複雑な気持ちとなった。嬉しいという感情ではない。

 地元の方たちが中心となっての同窓会に出席するのは60年ぶりだったのだが、地元では定期、不定期に飲み会などが開かれてそれなりの交流があるようで、集まったメンバーの殆どは情報の共有化が図られているらしく、それが殆どない自分には、聞くことの殆どが新しいことばかりで、驚かされた。幹事さんには手を煩わせることになるけど、せめて出席者の名簿だとか、或いは許される範囲での現在の住所録などを配布して欲しかった。10名の物故者についても名前くらいは知りたい。断片的な会話の中での情報だけでは、折角の集まりが勿体ないなと思った。追って、改めてお願いしようと思った。

 残りの生きられる時間は少ない。生き物にとって、与えられている時間は絶対的なものであり、人間が自力でまともな暮らしが出来るのは、どんなに健康に恵まれた人でも、せいぜい90歳くらいまでか。それを過ぎれば一人でこのような集まりに出ることは不可能となるに違いない。とすれば、今の5年に一度の開催では、せいぜい後二回ほどしか顔を見られないことになる。3年ごとに開くとしても五回が限度となってしまう。元気な内は2年に一回の開催でも良いのではないかなどと思っている。過去に浸るのはあまり好きではないけど、目の前で話をしている同窓会のメンバーは、過去の人ではなく今現在生きている人なのである。話題が過去の思いで出あっても、それが今を生きる力となるのであれば、このような集まりは大事だなと、しみじみと思った。

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