山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

一言主神社に綱火を見に行く

2016-09-29 05:04:02 | くるま旅くらしの話

自分は元々祭りや神事などには興味関心を殆ど持たなかった人間なのだが、くるま旅をするようになって全国を訪ねている内に、次第にその考え方を改めるようになった。そのきっかけとなったのは、家内に影響されて、2004年の11月下旬、九州の高千穂を訪ねた時に、この地方で、この時期から集落ごとに行われる夜神楽を観たことだった。

夜神楽は、その名の通りその日の夕刻から翌朝まで夜を徹して行われる、神への奉納の舞いである。高千穂神社でも毎夜観光客向けの夜神楽の舞が披露されてはいるけど、それは2時間ほどの限られた舞いであり、集落で行われる舞いの実際とは規模も迫力も格段に違っている。

この時は黒口という集落を訪ねて、実際に現地で行われる夜神楽を見せて頂いた。当日の16時頃から、集落の神様をお迎えするという神事から始まり、実際の神楽の舞いの開始は18時頃からだった。狭い集会所の中は神楽を舞う神域が設定されていて、舞い手はその中で舞うのだが、その息使いが聞こえ、汗を振りまきながらの熱演に、観客も煽られてか、集会所は終夜熱気に溢れていた。

古来より農に勤しむ人々が、今年の稔りに感謝し、来年の豊穣を願うという、神への素朴な気持を表わしたものが夜神楽であり、合わせて33もの演目を、翌日の夜明けまで舞い続けるのである。舞手は汗びっしょり、観客もそれに引き込まれて寒さを忘れるほどなのである。今まで祭りや神事にそっぽを向いていた自分だったが、この経験は自分を素直にさせずにはいられないほど感動的なものだった。それ以来旅で各地を巡りながら、機会があればこのような祭事を覗くようになったのである。

 

ところで、よく考えて見ると、肝心の地元の祭礼についてはさっぱりなのだ。せいぜい初詣に出かけるくらいで、どのような祭りがあるかさえも知らない状態なのである。これは、何だか地元に対して礼や仁義に欠ける感じがしているように思われ、今度チャンスがあったら是非とも見に行かなければならないと思っていたのである。

少し前の新聞の折り込みの中に、隣りの常総市にある一言主神社の秋季例大祭の案内が入っていて、奉祝祭の日に「からくり綱火」が行われるというのを知った。綱火については、家内から何度も見たいとの謎を掛けられていたのだが、どうやらそれは花火の一種らしい。自分的には夜の人混みはどうも苦手で、幾ら謎を掛けられても出向く気にはなれなかった。しかし、今回は態度が改まり、どうしても見ておこうと決めた次第である。

一言主神社は、我が家からは車で15分ほどの場所にあり、この辺りでは最も人気のある神社で、月一回の骨董市なども開かれており、又孫たちのお宮参りなどでもお世話になっている。一言主神社の本社は、奈良県御所市の葛城山の麓にあり、そこへも何度か参詣したことがある。古代に関東の艱難を救うために、葛城に居た神様がこの常総の地に飛来し、民を救ったとの由緒書きが境内に示されている。今では、この地では本社を凌ぐほど人気のある神社となっており、地元では「一言さん」の愛称で親しまれている。願い事を一言だけ叶えてくれるとか、或いは一言願えば全てを叶えてくれるとも。民衆一人一人の願望は無限のようだ。

さて、からくり綱火のある奉祝祭の当日は、午後から境内で演武や太鼓、雅楽などが続いて奉納されており、しめくくりがからくり綱火となっていた。駐車場がかなり混むのではないかと思い、少し早目に家を出ることにした。毎年の初詣の時には大へんな車の列で大渋滞となり、いつ境内に到着できるのか判らないほどなのである。今回は、まさかそれほどでもなかろうと13時過ぎに出かけることにした。夕刻までにはかなりの時間があるので、余裕を持って過ごすには旅車の方がよかろうとSUN号で行くことにした。

すんなり駐車場に車を入れた後は、旅の際と同じように、家内とは全くの別行動で、家内は風のように人混みの中に消えていった。自分はしばらくTVでも見ることにして、設定を済ませ、ドラマなどを見ていたのだが、近くで聞こえてくる太鼓の音が凄まじくてどうも落ち着かない。行って見たら、二の宮太鼓會というのが和太鼓の上演を行っていた。佐渡の鼔童とまでは行かないけど、なかなかみごとな桴(ばち)さばきだった。その後も雅楽の演奏などを聴いたりして、神社らしい祭りのムードの中で夜を迎えることとなった。

     

     

上は二の宮太鼓会による和太鼓の熱演の様子。下は水戸雅楽会による雅楽の演奏の様子。

20時過ぎ、いよいよ綱火の開始である。説明書きによると、常総市大塚戸地区の綱火は、江戸時代初期から始められたらしく、その後中断する時期もあったのだが、戦後の昭和43年に復活して今日に至っているとか。ここの綱火は、からくり綱火と呼ばれていて、綱火に仕掛けがあって、今回は万灯、大万灯、三番叟、それから安珍清姫などの演題ものが表現されるとのことである。とにかく、綱火そのものがどんなものかも解らないのだから、只黙って観察するしかない。

さほど広くない広場には何やら見たことも無い仕掛けが幾つか用意されていた。どの位置で見るのがベストなのかも判らず、取り敢えずは見物席の隅の方に位置取ることにした。観客は思ったほど多く無く、200人ほどだろうか。案内の説明が終わると、先ずは奉納万灯というのが始まった。突然爆竹の様な音が弾けて、あらかじめ準備されていた万灯と呼ばれる大きな提灯の様なもの(幾つかあって、奉納をした企業名や個人名が書かれていた)が、一斉に光を発して付近を明るくした。この点灯や操作は何やら細い綱を操って行っているらしい。一瞬の明るさが消えるとそれは終わりとなり、少し間をおいてやや高い櫓の上の方で花火の綱に操られた人形が現れ、何やら芝居演技の様な情景が浮かび上がったようだ。マイクで三番叟という案内があったが、自分の位置からは、張り出している樹木が邪魔をしてよく見えず、何だろうと思っている間に終わってしまった。

         

 初っ端の万灯の様子。いきなり爆竹のような音が響き渡ると、一斉に万灯に花火が弾けて、暗闇は一瞬に解消した。 

続いて大万灯というのが始まった。これは先に奉納された万灯の数倍はあろうと思われる大きな万灯が1個用意されており、それに火が灯ると、花火の弾ける光や音と共に万灯がぐるぐると回り出し、その上部を鳳凰を模ったものがひらひらと舞い上がり、又舞い降りて来てくるという趣向だった。それらの動きは綱を操る人たちの思うままのようだった。これは樹木に邪魔にされることなく良く見えて、なるほどなあと感心した。辺り一面は花火の出す煙が流れ来て、煙硝の臭いも強く、それらに弱い家内などは口元にハンケチを当てて相当に厳しい状況のようだった。

     

大万灯の光が弾ける様子。暗闇の中に浮かび上がった幾つもの万灯が回り出し、振り撒かれる火の粉は、神社の境内を神秘的な世界に誘った。

少し間をおいて、いよいよ今夜のメイン演目の安珍と清姫のからくり綱火が始まった。安珍・清姫は昨秋の紀伊国の旅で、道成寺を訪ねたり、清姫の生誕地とされている場所も訪ねているので、何となく親近感を覚え、さてどんな仕掛けが見られるのかと楽しみだった。

櫓の上の方から小さくパチパチと音を立てて花火に火が灯ると、ぶら下がった安珍の人形が糸を伝って動き出し、間もなくその後を追って清姫の人形が動き出した、しばらくその状態が続いたあと、益々花火の勢いが激しくなり出したと思ったら、突然清姫の人形が大蛇と化したのである。どんな仕掛けがあるか判らないのだが、それは一瞬のことだった。やがて逃げる安珍が釣鐘の中に消えると、追いかけて来た清姫の蛇身が黒い釣鐘に絡みつく。安珍を釣鐘もろ共に焼き尽くすという場面である。その後は、安珍を焼きつくした清姫の蛇身が、いっそう明るく激しくなった花火の中で空高く、低く揺れ惑うという情景が続いて、このストーリーの花火は終わりに近づいた。その後で、「サービスでもう一度釣鐘に絡ませます」との放送があり、再度おまけの絡ませシーンが披歴されて終わった。引き続いて、本物の仕掛け花火が数発夜空を彩って打ち上がり、轟音が谺す中にこれらの催しはめでたく終了したのだった。

(肝心の安珍と清姫の画像は、暗くて写真が上手く撮れなかったため、掲載を諦めました。)

初めて見る綱火というのは、おちこちに綱が仕掛けてあって、その綱を巧みに操ることによって、花火の描く様々な場面を取り運んでいる。このような花火を観るのは初めてのことだった。江戸の初期の昔から、この地に住む人々は少ずつその技術を積み上げながら楽しんできたのがよく解った。暗闇の世界を明るく照らす一瞬の感動の時間を、この地の人々は一言さんへの感謝を込めながら、その恵みとして大切に継承してきたのだなと思った。

21時過ぎ帰途に就く。曇りの一日だったけど、雨も降らずに無事終わったことに感謝しきりだった。いい体験だった。

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