山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

6年前の旅を振り返って

2010-05-13 04:05:53 | くるま旅くらしの話

このところ6年前の旅の記録を引っ張り出して、1ヶ月に亘ってブログに掲載しました。只今は、遠出の旅には出かけられない事情があり、しばらくは旅の話がネタ切れとなってしまいますので、そうなると、老人のブログは、世情に対する愚痴や批難のコメントばかりに陥る危険性があり、それを避けるためには昔話を引っ張り出すしかないと思っての仕業なのです。

6年前に1ヶ月ほどの日程で、山陰道経由で九州の東半分を訪ねたのですが、その時の記録はフロッピーに入れてあり、それがどこに仕舞ってあるのかが判らず、あれこれと探していて、ようやく見つけ出した次第です。旅の記録を書き出した最初の頃は、整理の仕方が良く分らず、要領を得ないままにただ書き散らしていたものですから、いざ探すとなると面倒なことになるのです。6年前はまだフロッピーディスクが使われていた時代で、写真といえば、今では殆ど消え去ったMDなどに記録してあり、記憶媒体の技術革新のスピードは老人にとっては真に迷惑なことなのでした。最近になってようやく、外付けHDDでの記録保存の一本化が終わりかけている状況なのです。

さて、その九州行の記録がようやく終わりました。このようなかなり鮮度の落ちた、というよりも古ぼけて叩けば埃が立つような記録には、興味よりも倦怠・嫌悪感を覚えられる読書子おられたのではないかと思います。私自身も、これからは古い記録をそのまま披瀝するのは問題だなと思いながらの、いわば手抜きの1ヶ月といった感じでした。

ところで、これを読みながら、そして往時の写真を覗きながら、改めて感ずることが幾つかあります。それらはいわゆる旅の後楽の一つなのだと思いますが、そのことについて二、三触れたいと思います。

「旅は出会いと発見。その感動が心を癒し、生きる力を強める」というのが、私のくるま旅に対する基本理解ですが、どのような旅においても、人が自ら望んでする旅には、これは当て嵌まる真理のような気がします。人が旅に期待するのは出会いと発見であり、それが無い旅には、人は決して感動も癒しも覚えないのだと思います。出会いと発見は、人間だけではなく、自分の五感を通して感ぜられる、自然・人工・動植物等、この世の全ての存在・物を対象としています。 このことは、実は特に旅などしなくても幾らでも実現できることなのですが、人の感性というのは、日常に埋没しやすく、普段の生活の中ではなかなか新鮮味を感ずることが難しいのです。しかし、旅に出ると、たとえ無目的であっても、出会いと発見は向こうの方から押しかけてやって来てくれるのです。私は、旅の魅力というのはそこにあるように思っています。

さて、6年前の記録をいわば精査しながら掲載し終えて一番思うのは、6年という時間の変移の速さです。これは人工衛星が地球の引力圏を抜け出すために必要なスピードよりも遙かに速いように感じます。6年前60歳代前半だった私は、現在完全に高齢者の領域にあり、間もなく後期高齢者のそれに近づこうとしています。その当時は、いずれはと思いつつも、実感するなど思いもよらなかったことでした。当時の小泉政権の打ち出す性急な改革に疑問を感じながらも、自民党が変わることは必要なことかもしれないと、ことの成り行きを見守ろうと考えていたなどというのは、全く束の間の話で、今現在はその自民党は小泉さんの思惑以上にガタガタとなってしまっているようです。そして期待を籠めて発足した民主党政権の変革は、どこか日本という国を危うくするのではないかという懸念を膨らませています。夢と現実のギャップは、過去を振り返るときに常に明らかとなるようです。残りの時間を考える時、このスピードの速さをどう乗り切るのかが課題だなと改めて思いました。

最も安易な夢は、「九州の旅にだって、いつでも出かけられる」という当時の確信的な思いでした。いつでも行けるというのは、実は何時までたっても行けない、というのと同義だなというのを実感しています。東九州の次は、来年は西九州だ、とその時は当然のように思っていたのでしたが、その結果は、6年経っても未だ九州には届いておらず、時間の移り変わりは、あっという間に人の安易な思いを幻想に帰せしめてしまうものなのだ、と思い知らされた感がしています。この壁を破るためには、一大決心が必要であり、それは「その気」を奮い立たせる予楽の積み上げしかないように思いました。九州再訪を妨げているのは、様々な雑事の生起する家庭のマネジメントの拙さなどではなく、旅の楽しみに関する具体的な情報の不足・欠如なのだと、この6年前の記録を読みながら改めて気づいたところです。九州の旅に出かけるためには、行かずには居られないと言う旅への想いや楽しみをもっともっと具体的に膨らます必要があるようです。

今考えているのは、もう少し歴史の掘り起こしをした上で、九州を訪ねたいということです。考えてみれば、九州は常に大陸との接点として機能して来た場所であり、都よりも1ステップ早い文化が埋没している筈の場所です。九州には、福岡に7年間も住み、自家(マンションですが)も残しており、いわば第3のふるさとのような思いもあるのですが、住んでいた二十数年前は仕事中心の暮らしで、歴史の跡を訪ねてみようなどということは、時折思いついて単なる観光的興味から近隣の史跡を垣間見た程度でした。しかしこの頃思うのは、野次馬の旅であってもその地を解ろうとするためには、やっぱり歴史の面影を辿ることが不可欠と考えるようになって来ています。長崎などもそのような視点から見て行けば、又新たな楽しみが増えるに違いないと思っています

次に気づいたというか、確信したのは、写真というものの持つ情報伝達力というか、記録力の素晴らしさです。写真を見ていると、6年前の旅の思い出が、ありありと目に浮かぶのです。その力は、文章などの比ではありません。正に「百聞は一見に如()かず」です。旅にはカメラの携行は不可欠であり、同時にどのようなタイミングで、どのような写真を残すべきかが大きな課題となるとも思いました。振り返ってみると、この場面で撮っておくべきだったということが幾つもあり、ただの記念写真だけでは、薄っぺらな記録となってしまうということが良く解りました。

私は4年前から「デジカメ日記」というのを作っています。これはTVを見ていて、確か宮崎駿氏のスタジオジブリのブロデューサーの鈴木さんという方だったと思いますが、仕事の中でデジカメを活用されているというお話を聞き、思わず手を打って賛同し、その翌日から自分もデジカメ日記という形で実践することにしたのでした。デジカメ日記というのは、毎日その日の印象に残った場面や出来事をデジカメに撮っておき、一日の終わりにパソコンの中にメインのタイトルを付けて保存しておくというやり方です。これは家にいる時も旅に出かけているときも同じやり方です。勿論気になることが無く、何にも気づかなければ、写真のない日となるのですが、、それは多くの場合、自分の感性が傷んでいるときであり、大抵は何か一つくらいは写真の対象となるものは在るものです。旅に出たときには、1日で100枚以上の写真を撮ることなどざらにありますが、パソコンを使っての保存に困ることはありません。

ここで問題なのは、どのような場面でどのような写真を残すかということです。文章記録と連動させようう場合には、普段の感覚では撮ってもしようがないような場面や景観が必要なことが多くあり、それを撮り忘れることが多いのですが、この修正はなかなか難しいものです。後になって気づいても手遅れであり、いかに一期一会の気づきが大切かを痛感します。

写真よりも動画の方がよりリアルに記録が残ると考えるのが普通だと思いますが、私の場合は断然写真主義です。随分と昔、子供たちがまだ小さかった頃に、動画も凝ったことがありますが、結果的には大した活用はできなかったのでした。というのも、撮影の処理対応に時間がかかり、ストーリーのない記録を扱う上では、却って不便なものとなるようです。動画には余計なものがたくさん写っており、自分の記憶のイメージを膨らますには、そのリアリティが却って邪魔になるように思うのです。

この点、写真は後になってもイメージを膨らませ、脳を活性化させてくれるように思います。今は、ある程度の文章テーマを頭に描きながら、気づいた時には、何枚撮っても枚数には拘(こだわ)らずにその場で写真を撮るように心がけています。私のデジカメ日記の中には、年間約7000枚くらいの写真が納まっていると思います。今の私にとって、デジカメは生活の必需品となっています。

6年前のこの旅では、まだ写真の撮り方にバラツキがあり、必要な写真がかなり不足していることを思い知らされました。これからは益々デジカメの活用を心がけてゆこうと改めて思いました。

最後に思ったのは、旅の素晴らしさです。人間の喜怒哀楽は一度限りです。同じように見えても、同じ経験を2度することは決してないのです。もし同じと感じたとしたら、恐らくそれはその時の自身の感性のレベルが、何らかの事情で狂ってしまっていたか、或いは劣化してしまっていたからではないかと思います。人が同じ景色や出来事に、同じ感動を味わいたいと願うのは、自分自身の感性をもう一度確認したいと、無意識に考えるからではないかと私は思っています。そしてそこで2度目に見る景色や体験する出来事は、以前とは何かが違っているはずなのです。再訪の旅は、いわば自分の感性のレベルの有様を試す旅でもあるように思います。後2年以内には、何としても九州への旅を実現させたいと考えています。

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