山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

神威岬

2009-09-20 04:45:00 | くるま旅くらしの話

神威(カムイ)岬というのが、北海道には幾つかあります。その中で最も有名なのは積丹半島のそれではないかと思います。カムイとはアイヌ語で「神」を意味することばです。神がどのようなものかについては、様々な理解の仕方があるのだと思いますが、アイヌの人たちにとって、それは大自然への畏敬を意味しているようです。どんな人でも、そこへ行き、それを見た時に畏敬の念を抱かざるを得ないというような場所なのだということでしょう。

積丹半島の神威岬は、まさに畏敬の念を抱かずにはいられないという大自然の景観が広がっている場所です。余市町から50分ほど国道229号線を海岸線に沿って走ると、積丹町に入ります。先ずは積丹岬があり、それから少し西へ行った所に神威岬があります。積丹半島全体が、日本海に突き出た大きな岩場のような感じで、海岸線には巨岩や奇岩が数多くあります。その中でも人びとの目には、神威岬が一番暗示的な畏敬の念を覚えさせる場所のように思います。

海に突き出した細長い岩場の先に、点々と大小の奇岩が海に向って並び続いており、それは恰も奇岩たちが人間の恐れの魂を海の中に引き摺り込むかのような思いに捉われる景観です。それらの奇岩の中で一際目立って大きいのが神威岩と呼ばれるもので、恐らくこの岩にこそ神が鎮座していると考えられていたのだと思います。

   

中央に聳え立つ岩が神威岩。如何にも神様が周辺を睨んで見渡している感がする。

この辺り一帯は、その昔から海の難所と呼ばれていたとか。近くを航行する時には、アイヌの人々は、神威岩に奉げ物をして通ったとのことです。又女性を舟に乗せると、海が荒れると信じられ、女人禁制の場所でもあったと言われています。私の理解では、この女人禁制は、女性に対する差別ではなく、危険な海に対する女性を守るというアイヌの男の人たちの気持ちの表れだったのではないかと思うのですが、果たしでどうだったのでしょうか。

この岬へは何回か来ていますが、いつもあまり天気が良くなく、あまりに道が険しいので、灯台がある場所まで行ったことがありませんでした。岬の入口には小さな木製の門のようなものがあり、そこから高さが100mを超えると思われる左右が急崖の細い道が、300mほど先にある灯台に向って続いています。この道はチャレンジの道と名付けられているようですが、確かに覚悟を以って歩かないと何かの弾みで転落でもしたら、一巻の終わりです。高所恐怖症の気のある私には、相当勇気の必要な散策路なのでした。今回は5年ぶりくらいの来訪だったし、思わぬ好い天気で散策路の傍の野草たちにも興味があり、勇を鼓して突端の灯台まで行ってみることにしました。

   

チャレンジの道入口。300mほど先の岬の突端の白い灯台まで、難所の道が続いている。

   

入口の門の向うに広がるチャレンジの道。両側の切り立った断崖の上に、何箇所も手摺つきの階段のある細い道が突端の白い灯台まで続いている。

良くもまあこのような所に手摺付きの階段を作ったものだと、工事関係者のご苦労を思いつつ、慎重に一段ずつ足を動かしながら、灯台の方に向いました。白く泡を吐いている下の海の方はなるべく見ないようにしながら、間近にあるツリガネニンジンやエゾキスゲなどの花を見るようにして、下り登って20分ほどかけて灯台まで辿り着きました。

   

急崖の上に作られた道の両側の野草の中で、一番目だったのがツリガネニンジンだった。か弱く見えるこの花も、ここでは何やら逞しく感ぜられた

絶景です。神威岩が一段と大きく見えます。それを見ていると確かにあそこには神が宿っているに違いないという風に思えてきます。それにしても大自然は、なぜ、どのようにしてこのような景観をつくったのか不思議です。科学すればその解はでるのでしょうが、私の場合は、アイヌの人たちと同じ気持ちでいいのだと思っています。人間は、あまりに科学を追及しすぎているような気がするからです。いつか大きな大自然のどんでん返しが来なければ良いがと思っています。

   

神威岬突端からの海の景観。中央に一際大きく聳えるのが神威岩。白い波濤はこの場所が海の難所であることを自ずから証明している感がする。

灯台の少し先の小さな岩場にしがみつくような姿勢で座り込んで、しばらくその畏敬多い景観に眺め入りました。本当に珍しくいい天気で、紺青の海が前面に果てしなく広がっています。海岸線には険しい岩が突き出ていて、そもそも積丹というのは、そのような海に突き出ている場所という意味らしいですから、恐らく細かく見て行けば、アイヌの人たちにとっては、そこいら中がカムイの場所だったのではないかと思えるのです。積丹町の隣には神恵内村がありますが、この呼び名もカムイ・ナイを漢字に置き換えたものではないかと思った次第です。

しばらく景観に打たれた後は、慎重に来た道を戻って、往復1時間あまりのスリルにとんだ散策を終えたのでした。

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