妙なことを取り上げましたが、今回は眠りです。眠りは健康管理上とても大切な要素となります。私は健康のバロメーターとして「快食・快眠・快便」を信奉する者ですが、還暦を過ぎてからの快食は「戒食」だと思っていることを別として、それ以外は文字通り快く眠り、快い通じを確保することだと疑いません。今回はその中で快眠について思うことを述べたいと思います。
場所や枕が替わるとよく眠れないという話を聞きますが、くるま旅くらしでは、枕は同じであってもいつもと寝る環境が違いますので、これ又なかなか寝つきにくいものです。神経の太い方や感のあまり鋭敏でない方には大した影響はないかもしれませんが、普通の人はなかなか寝つけなくて困るということが結構多いのではないかと思います。眠りというのはなかなか性質(たち)が悪くて、眠ろうと思えば思うほどそれに囚われてしまって、余計眠れなくなるという特長を持っています。今、眠っておかなければ、明日の運転に差支えるという心配から、一所懸命何とか眠ろうとするのですが、そうすると益々頭が冴えてしまって、眠りから遠ざかるという結果になってしまいます。多くの方がこのような経験をされているのではないでしょうか。
さて、その眠りですが、どうすれば快眠を獲得できるのでしょうか? 医学的には、眠れないということに関してもいろいろ説明が出来るのだと思いますが、この眠れないという困った現象を何とかするといったら、結局は薬剤などで強制的に眠りを招来させるというやり方に行ってしまっているように思います。私としては、睡眠薬などを用いるのは、危険で馬鹿げていると思っていますので、そのような不自然な力を借りなくても眠ることは充分可能だと思っています。
それでは、馬骨流のくるま旅くらしでの眠り獲得法を紹介することにします。私が実践しているのは3項目です。
①眠くない時は寝ない。眠くなったら直ぐ寝る
先ずは基本心得ですが、眠くない時は寝なければいいし、眠くなったら直ぐに寝ればいいということです。馬鹿にするな!と叱られてしまいそうなほど、当たり前で簡単なことなのですが、これをしっかり守るのは結構大変です。これが守れれば眠れないという考え方は無くなります。
一体不眠というのは何なのでしょうか? 私は、それはこの世への執着のような気がするのです。というのも、私は眠りというのは、あの世への旅立ちだと思っているからです。人間は毎日この世とあの世とを行ったり来たりしているというのが持論ですが、眠れないというのは、あの世へ行きたがらない人間の悪あがきのような気がするのです。いずれはあの世へ行きっぱなしになってこの世に戻れなくなるわけですが、生きている間は、この往復を軽快にやりたいものです。
その結果自分なりに結論付けたのが、「眠くない時は寝なければいい、眠くなったら直ぐに寝ればいい」という極々当たり前の、眠りに対する考え方でした。
このような考え方をするようになったのは、現役時代ではなく、リタイア後であり、特にくるま旅くらしでは、この考え方が大変役に立っているように思います。時間を自由に使えるという恵まれた条件の中では、眠りなど自由自在でいいのではないかと思ったのです。
多くの人びとは、1日の時間の使い方を限定し、昼間は起きていなければならない、夜になったら寝なければならないと考えています。つまり、起きている時間と寝ている時間を、昼と夜に結び付けて生活のリズムを作っているわけです。このことが否定されるようなものでないことは充分に承知していますが、私は、寝ている時間と起きている時間を昼や夜に結び付けなくてもいいのでは考えるようになりました。
その結果、夜でも昼でも眠くない時は起きていますし、眠くなれば昼間でも直ぐに寝ることにしています。だから眠れないなどという悩みは全くなくなってしまったのです。眠れないというのは眠りたいという前提の中で起きる現象ですが、その前提がなくなってしまったのですから、眠れないというのも無いわけです。 (以下明日に続きます)
基本的に毎晩宿が変わりますから、妙に目が冴えて眠れない日があるものでした。そんなときは、ボーッとテレビを観たり本を読んだりしていました。そして眠くなったら寝る、それが深夜1時だろうと2時だろうと気にしませんでしたね。
昼の時間に眠気が襲ってきたら、すぐに車を停めて仮眠です。20分くらい眠るだけでずいぶん違いましたね。
高速道路の運転がしょっちゅうでしたから、眠い目をこすって運転を続けることは、あまりに危険でした。運転が単調になるせいで、一般道より高速道が眠くなるんですよね。
15年間の出張生活で一度の事故も起こさなかったのは、この「眠り」についての考えが大きかったと思ってます。