ブログを3日ほど休んで、小さな旅をしてきました。主夫と主婦の役割交代の気分転換のための短いつなぎの時間でした。この頃はこの小さな旅の回数が次第に増えてきています。家内は介護のために、順番で半月ほど家を留守にしますが、この間私が主夫を引き受けて家事を担当しています。結構楽しみながらやっているのですが、それでも多少はストレスなるものも溜まるようです。それで、お互いの気分転換のために、交替の時期に家内を迎えに行きがてら3~4日の旅をしているということなのです。
3~4日の旅というのは、私たちのくるま旅のくらしの中では旅という範疇には入らないのですが、それでも本質的には旅に変わりはありません。家内の実家が千葉なので、4日ほどの期間となれば、旅先は主に房総から茨城県、栃木県辺りとなります。気分転換ということですから、主にメインは温泉に入ることが目的となっています。
今回は、房総は南ではなく東の九十九里の白子町の温泉を訪ね、道の駅:オライはすぬま(山武市)に泊まり、次の日は香取市を通り抜けて茨城県の鹿島灘に沿って国道51号線を北上し、大洗の磯から那珂川が海に注ぐ所にある那珂湊の魚市場を訪ね、その後は水戸の市街を通過して隣接する城里町にあるホロルの湯という温泉施設に入り、近くの道の駅:かつら(城里町)に泊まりました。翌日は故郷の県北(私は茨城県の日立市に生まれ、常陸大宮市で育ちました)の方を廻ってみようと、メインは常陸太田市にある竜神大吊橋の紅葉を訪ね、その後県北の大子町の道の駅に寄った後、栃木県のいつもの帰路コースの喜連川の温泉に入り、夜は芳賀の道の駅に泊まって、今日帰宅したということです。
初日は、お互いがまだ先ほどまでの夫々の仕事を引き摺っている感じがして、旅のモードに切り替えられない気分があります。何しろ車の中には、家内の荷物が溢れるほどに座席を占領しているのですから、いつもの旅の気分とはやっぱり違うのです。どういうコースを辿るかについても、はっきりしておらず、車を走らせながらの話し合いの中で、行き先が決まるということになります。いつもですと、鋸山の下を通って館山などの南房総エリアに向かうことが多いのですが、今回はまだ南房総の花畑なども中途半端ではないかと考え、珍しく混みあった千葉市街地を抜けて、東金から九十九里海岸方面へ向かったのでした。
九十九里浜の白子温泉というのはあまりというよりも、全く知らない温泉なのでした。それが、いつもの「温泉博士」に掲載されていたので、一度行ってみようと考えたわけです。何しろ無料の入浴というのは、年金暮らしには魅力的なのです。でも温泉博士の魅力はタダだからというだけではなく、自分が知らなかった名湯や秘湯を教えてくれることにあります。白子温泉というのもその一つのように思いました。ここは九十九里浜の海辺で遊んだ後、遊びの疲れを癒すための湯宿だったという気がします。海辺の温泉には塩分を多く含んだ泉質のものが多いように思いますが、この温泉もそのような感じがしました。
良い感じで温泉を楽しませて頂いて外に出るころから天気が怪しくなりだして、雨粒が少し落ち出してきました。まだ16時前でしたが、空を覆った雲は夜が近いことを暗示しているような感じがしました。間もなく道の駅:オライはすぬまに到着。今日はここに泊まることにしました。ここには何度かお世話になっています。海に近いのですが、あまりそれを感じさせない雰囲気のある道の駅です。何しろ夜に近い感じなので、早めに夕食の準備をし、小さな旅の最初の夜は思っていたよりもかなり早いペースで過ぎて行きました。久しぶりにTVで大相撲の実況を見ていたのですが、17時半を過ぎるともう睡魔に対抗することが出来ず、はやくも寝床に潜り込むことになりました。翌朝は7時半起床でしたので、夜中に起き出して日記などを書いた1時間を除くと、何と13時間も寝床の中に居たということになります。くるま旅ならではの珍現象なのでした。
翌日は朝になっても雨は降り止まず、これじゃあ那珂湊の魚市場に行っても良い獲物は期待できないかと半ば諦め気分での出発でした。途中道の駅:たこ(多古町)や道の駅:くりもと(香取市栗源町)に寄りながら国道51号線に出て、一路鹿島灘に沿って北上しました。鹿嶋アントラーズのホームグラウンドの鹿嶋サッカースタジアムの側を通りながら、いろいろと思いをめぐらしました。アントラースとは鹿の枝角の意味ですが、何故鹿なのかといえば、鹿島神宮のお使いが鹿なのです。そしてその鹿は奈良の春日大社との係わり合いがあって、鹿嶋神宮から使わされたと聞いています。つまり奈良の若草山山麓の鹿君たちは鹿嶋神宮から派遣された鹿たちの末裔なのだということです。神の力は偉大で、その後押しがあって鹿嶋アントラーズは強いのかななどと、そのようなことを考えながらの通過でした。
那珂湊の魚市場は魚好きにとっては無視できない場所です。毎年少なくとも1回以上は行っていたのですが、このところはしばらくご無沙汰でした。予報どおり午後からは良い天気になって、魚市場にはかなりの人だかりが出来ていました。魅力的な魚が魅力的な価格でたくさん並べられていました。今日が旅の最終日なら思い切って買い込むことも出来るのですが、何しろ後3日ほどありますので、保存が難しく、冷蔵庫のスペースの限界を考慮して迷った末に、今夜の肴にしようと久しぶりにマグロの大トロを1ブロック買うことにしました。これはその晩に思いっきり厚めに切って、うめえ~でした。
魚市場の後は、これ又久しぶりに水戸の中心街を突っ切って通り抜け、国道123号線に入って市街地から県道でホロルの湯のある城里町に向かいました。水戸には我が老友のYさんが在住ですが、先日お邪魔したばかりなので、今回は寄らずにそっと通過しました。水戸は青春時代を過ごした思い出多い街ですが、最近は時々来訪しても特定の場所ばかりでしたから、昔を思い出して懐かしい感じが一入(ひとしお)でした。
城里町に入ると山が多くなり出します。城里町は4年ほど前に3町村が合併して出来た町で、最初は突然聞いたことも無い町が出現して、これは何なのかと戸惑ったのを覚えています。何故城里なのか、未だに解りません。もはや平成の大合併には諦めていますので、この町についてのつまらぬ詮索は無用にします。かなり山に入った場所に、町の一大保養センターがあり、その中核がホロルの湯です。2度目の来訪でしたが、初めて来たような新鮮な気持ちで温泉に入らせて頂きました。サウナや薬湯などに入って、十二分にお湯の恩恵を味わわせて頂きました。
再び山道を那珂川の方に向かって進み、30分足らずで道の駅:かつら(元の桂村。現在は城里町)に到着しました。この道の駅は那珂川の河川敷の側にあって、隣接して無料のキャンプサイトもあります。今回もそのキャンプサイトの一部に車を置かせていただくことにしました。側に植えられている山もみじの紅葉が一段と鮮やかになっていて、私たちを迎えてくれました。その夜は久しぶりの刺身に満足しながらの夕食で、再び早寝となったのですが、やはり2晩連続で眠り呆けることは不可能で、夜中に起き出してTVを見たりの騒動となり、その後は浅い眠りのままに朝を迎えるということになりました。
3日目の朝は快晴で、那珂川の朝霧が淡く付近を霞ませていました。良い景色です。対岸の御前山の紅黄葉が一段と鮮やかに見えました。御前山村は今は合併して我が故郷の常陸大宮市と一緒になっています。常陸大宮市は、平成の合併で大宮町、御前山村、山方町、緒川村、美和村が合併して市制を引くことになりましたが、県下では2番目に面積の大きい市となり、一番小さい守谷市の10倍近くの広さがあります。このような市が生まれるなんて、子供時代からは想像も出来ないことでした。不思議な気分にもなりながら、迎えた朝の感慨でした。
今日の目的は山方町(常陸大宮市)で乾麺を買って、その脚で県北の観光名所として定着した水府村(今は常陸太田市)にある竜神大吊橋を見物することがメインです。茨城県の北部には乾麺の生産販売をする店が幾つかあり、その中で山方のうどんの長年のファンなのです。在庫がなくなると補給のために山方町へ出向くのがいつの間にか我が家の決まりのようになっています。また、山方町には舟納豆という値段は少し高いのですが、充分それに見合う品質の納豆屋さんがあって、これも又見逃すわけには行かないのです。
先ずはこの用件を満たした後、竜神峡に向かいました。竜神大吊橋を訪ねるのは2度目です。この感想については、追って後ほど書かせて頂きますので、省略しますが、大変満足できた時間でした。存分の景観眺望に満足した後は、山道を苦労しながら道の駅:さとみ(元里美村・現在常陸太田市)に行き、昼食に地元産の生うどんを買って釜揚げにして食べましたが、これは最高の味でした。二人でたった300円の材料費でした。
里美からは、細い山道を避けて国道349号で矢祭町まで行き、矢祭から国道118号で大子町まで戻って、道の駅で小休止した後、茨城県とは別れて栃木県の馬頭町(今は那珂川町)経由で喜連川の温泉に向かいました。再び山の中を通る道でしたが、離合の心配は無く、道の左右の紅黄葉は楢やクヌギなどの雑木が中心で、派手ではないのですが落ち着いた雰囲気があり、私にとっては昔のふるさとを実感させてくれる嬉しい贈り物なのでした。
喜連川(さくら市)では、いつもの露天風呂に入り、今回の旅の最後の温泉を楽しんだ後、これ又いつものように宿は道の駅:はが(芳賀町)と決めて30分ほど走って錨を降ろしたのでした。喜連川と芳賀の道の駅などについては、先回のブログで書いた通りです。そして翌日の帰宅となったのでしたが、この日は良い出会いがありました。東京からお越しのTさんご夫妻と知り合うことが出来たのです。今回の旅では最高の贈り物だったと思っています。このことについては、追って機会を見て書いてみたいと思っています。
くどくどと今回の旅のあれこれを述べてきましたが、ごくありふれた内容です。明日からはこれらの中から拾った出来事や思いなどを幾つか紹介したいと思っています。
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