山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

へのへのの旅(07東北春旅)第12回

2008-06-28 04:11:09 | くるま旅くらしの話

第12日 <5月10日()    

道の駅:折爪 →(県道・R4)→ 三戸城址公園(青森県・三戸町)→ 三戸大神宮 → 関根の松(三戸町) → (R4・県道) → 歴史みらいパーク(五戸町)→ (R4) → 道の駅:十和田(十和田市) → (R4R102)→ 道の駅:奥入瀬(十和田市)(泊)  <86km

旅の行程も半ば近くとなった。へのへのの旅の下見は、九戸を中心に動いてきたが、今日は三戸と五戸辺りを訪ねて、そのあとは十和田に行き、明日は奥入瀬の新緑に染まりたいと考えた。その後一先ずへのへのの旅のことは忘れ、青森県の中をうろついて、又戻ることにしようと大雑把な予定を立てた。

時半ごろ折爪の道の駅を出発。30分ほどで三戸城址公園へ到着。三戸は以前、邦子どのの友人の竹林さんの配慮で、役場の方に馬渕(まべち)川に架かる望郷大橋や名久井岳山麓の果樹園など、町の農産業の実態の一部を案内して頂いたことがあり、特別の親近感を覚える町である。今日は城址公園の散策と園内にある町立歴史民俗資料館を訪ねることにしている。三戸は、古い南部宗家の居城だった所で、盛岡に移る少し前まで(一時期九戸城(=福岡城)に在居してはいたが)は此処が本城だった。かなり大きな規模の城であったことが窺われる。隅々まで見て廻ったら半日では足りないほどの広さである。

今日はまずざっと城跡を歩いた後、糠部神社に参拝する。糠部神社は南部氏が奥州入りした時に得た最初の領地が糠部郡といわれており、その地の守り神として、それ以来の南部氏が崇敬する神社だったようだ。本殿の傍にご神木の杉の大木がある。推定樹齢800年とか。又、境内にはサイカチの大木や松生桜(松の木の枝脇から桜の木が生え育って花を咲かせている)等があり、興味深い。ウコン桜も何本か植えられて、丁度今が花の盛りであった。

歴史民俗資料館は、以前は素通りばかりしていたのだったが、今日は時間をかけてゆっくりと見学した。町立の資料館としてはかなり立派な施設である。南部宗家としての居城があったことから、それに関連する資料も多く展示されていた。南部氏については、その枝葉というか家計の絡みが複雑であり、どれがどうなのかよくわからない。しかしまとめれば、江戸時代からは盛岡の南部宗家と、支藩である八戸南部氏に集約されるようである。このようなまとめ方をすると、良くご存知の筋からは非難されるかも知れないが、外から見ただけではこの一族の家系はわかりにくく、直ぐに入り乱れてしまって忘れてしまうのだ。宗家が移った後は、ここには代官所を置いていたようである。

   

   三戸町歴史民族資料館

資料館の中には、庶民サイドの資料として、民具などが並べられていたが、東北特有のわら細工などが関心を惹いた。昔の人の知恵や技術は相当なものだなと思った。又、子供の頃に記憶のある相撲取りの横綱鏡里がここ出身であることも初めて知った。昔の横綱は、ほんとに強かった。今は強いのか他が弱すぎるのか良くわからない。

城址公園を後にして、お城の坂を下り、町中にある三戸大神宮という所に行ってみることにした。お寺や神社は歴史を知る上では必見の場所でもある。石の階段を登ってゆくと、それほど大きくはないが立派な本殿があった。参拝の後周辺を歩くと、杉原凱という人の顕彰碑があった。幕末会津藩校日進館の教授だった方で、その墓がここにあるとのこと。その教えを受けた人たちがこの神社の境内に、自分たちの学問の師としてその名を残そうとしているのがわかる。立派な方だったのだと思った。

三戸には関根の松という名木があるというので、それを見てからどこかで昼食することにして、出向く。直ぐに探し当てて見物。松とは思えぬほどの大きな枝振りの樹形だった。葉を見れば確かに松なのだが、幹の方はといえば、とても松とは思えない。名木と言われるものには、人を惹きつける何ともいえない力が宿っているようだ。時間と共に、その木の命の本性がそこに滲み出てくるのであろうか。

   

   関根の松:葉は松だが、幹は?

食事休憩の後は、五戸に向け出発。五戸の町はR4からは県道を少し右手に入った所が中心街らしい。道が細く駐車する場所がなかなか見つからず、ウロウロしながら走っていると、大きな建物が見えたので、そこなら駐車場もありそうだと行って見ることにした。そこは歴史みらいパークという所で、五戸町の中心的な文化施設だった。よかった。図書館とその昔の五戸代官所を再現したものが建っていた。

とりあえず駐車場に車を停め置き、図書館に入る前に、案内板に古民家の江渡家住宅というのがあるのを見つけ、そこまで歩いて行って見ることにした。江戸時代に遡ったつもりになって初めて来た町の通りを歩くのも楽しいものだ。江渡家は天明年間に飢饉の救済事業として建てられたと説明にあったが、その内容はよくわからない。85坪もある茅葺屋根の立派な建物だった。

車に戻り、図書館の中へ。要領がよく解らないので、入口付近にいた人に、何か五戸を知る資料などがないかを訊ねたところ、大変親切にして頂いて、それから1時間近くかけてご案内を頂き恐縮した。あとで伺ったところ、なんと図書館の館長さんと知り益々恐縮してしまった。

図書館の中には、中川秀政ホールというのがあり、わが国の航空機の開発に大きく貢献された中川博士の偉業を讃えるVTRなどの放映の他、シュミレーター、実物の軽飛行機なども展示されていた。中川博士は、この地の代官の直系の後裔でいらっしゃったとか。

その後、館長さん自らのご案内で、通常は中に入れないらしい代官所の建物の中を見学させて頂いた。五戸には城は無く代官が治めていたと言うが、その石高は14千石強というから、大名級のものだったといえよう。昔の行政の事務所の中をこれだけ詳しく見たのは初めてである。大変勉強になった。ありがとうございました。今度行く時には拙著を寄贈させて頂こうと思った。

   

   五戸館:代官所の門と屋敷

歴史みらいパークに別れを告げ、今夜の宿を予定している道の駅:奥入瀬に向う。途中道の駅:十和田に立ち寄り野菜などを買う。奥入瀬の道の駅に着いたのは16時半頃だった。空模様が怪しくなってきていて、風も強い。道の駅は車も人もまばらだった。しばらくたつと小雨が降り出した。明日は大丈夫だろうか。明日は奥入瀬渓谷を訪ねることにしている。奥入瀬渓流の散策は、いつも早朝にここを立つことにしているので、明日の晴天を願いつつ早めに寝ることにした。

 

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