山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年西日本への旅 でこぼこ日記:第14日

2010-12-11 04:54:53 | くるま旅くらしの話

 

14日<11月5日(金)>

 

行 程】 道の駅:しまなみの駅御島 → 大三島IC → (西瀬戸道) → 尾道IC → (R2・ブルーライン) → 道の駅:一本松展望公園(岡山県瀬戸内市) → (ブルーライン・R250) → 五味の市(岡山県備前市日生町) → (R250・R2・K261) → 閑谷学校(岡山県備前市) → (K261・R2) → 伊部駅前(備前焼窯元) → (R2) → 備前IC → (山陽道) → 三木SA(兵庫県三木市) (泊) 

 <263km>

 

かけ5日間に亘る大三島での島暮らしも、今日で終わりとなり島を去ることとなった。再び移動の時を過すこととなる。今日の予定は、日生(ひなせ)(岡山県備前市)の五味の市を訪ね、カキオコを食べ、その後はどうするか今のところは未定である。次のメイン訪問地は奈良エリアなので、その途中に昨年訪れたこの地を再訪したいと思っている。途中のどこかで良い場所が見つかったら、そこに泊ってもいいなと思っている。

 

昨日の邦子どのの話では、9時まではこの辺の高速道は通勤割引というのがあり、通行料が半額となるということなので、少し早めに出発することにする。みかんやレモン、それに新顔のライムなどは昨日の内に手に入れているので心配は無い。7時15分道の駅を出発する。今日もいい天気のようだ。このところいい天気が続いていて、ありがたい。これから後も帰るまで好天が続いてくれればいいなと思った。大三島ICから入って、今日は車での多々羅大橋の走り収めである。あっという間に生口島の瀬戸田に入ってしまった。西瀬戸自動車道をしまなみ海道と呼ぶのだが、大三島からは尾道までは15分くらいの走りだっただろうか。

 

さあ、それから先はR2をひたすらに岡山方面に向かって走る。途中本来ならば倉敷に寄るのだけど、昨年は駐車場が見つからなくて往生したので、今回は最初からパスすることに決めている。再チャレンジしても又探すのに無駄な時間を多く取られるに違いないからである。大した渋滞もなく倉敷、岡山を過ぎて、岡山市の郊外からブルーラインと呼ばれる準高速道のような道を走る。出発してから3時間ほどノンストップで走って、道の駅:一本松展望公園に到着する。この少し先にもう一つ黒井山グリーンパークという道の駅があるのだが、早く着ける方を選んだだけ。10時20分になっていた。約200kmを3時間で走ったことになる。少し疲れたので、30分ほど休憩。店の野菜や果物売り場を覗いてみたけど、大三島に比べて高すぎるので、とても買う気にはなれない。みかんなどは3割以上高い値がついていた。

 

再び走りに戻って、ブルーラインからR250に入り日生の五味の市という海産物市場を目指す。25分ほどで到着。元日生町は小豆島を結ぶフェリーの発着所がある所で、今は合併して備前市となっている。ここには五味の市という一般の人を相手とする魚や貝類などの海産物を販売したり料理して食べさせてくれる大きな市場がある。

 

昨年来た時には、ここで買ったシズ(=エボ鯛)の天ぷらのあまりの美味さに大感動したのだった。今年もあわよくばもう一度、との期待が大きかった。11時を過ぎた今頃が市場が一番賑わう頃らしく、観光バスなどを含めての来訪者が多く、市場は活況を呈していた。早速去年の揚げ物屋さんに行ってみたのだが、残念ながらシズの天ぷらは無いようだった。店の人の話では、今日は入っていないとのこと。時期によってなのか、或いは日によってなのか、入らないことがあるという。ま、諦めるしかない。その代わりといっては何だけど、去年はあまり見かけなかったワタリガニが、かなり多く並んでいた。今回は既に沼隈の道の駅でゲットして、腹に収まってしまっているけど、もう一度良いことがあっても何の不服も無い。というわけで、ワタリガニを買う。なんと、小ぶりだけど生きて手を振り上げている奴が5匹も皿の上に載っていて、たったの千円だという。これを買わないというのは、目の前の当り籤を知っていながら宝くじを買わないのと同じことである。冷凍されて切り分けられ、味噌汁に入れる奴とはレベルが違うのである。

 

我がSUN号には、いつでもこのような出来事に備えての大型の鍋が用意されているのは、既に沼隈のケースで披瀝した通りだけど、今回はその鍋がもう一度活躍することとなった。早速車に持ち帰り、鍋と蒸し器を取り出して蒸かすことにした。近くにグランド付の公園があり、その端の方にベンチがあって誰もいないので、そこへコンロを持って行ってカニを蒸かすことにした。約20分ほど付きっ切りで鍋を見守る。カニを蒸かすときは数滴の酢をたらすのが邦子どの流であり、それはもちろん今回も守られている。好い色に蒸しあがって車に戻る。直ぐには食べない。これは今夜の食卓の殿様肴なのである。しかし、今夜の宿をどこにするかは決まっていない。まだ決められないのだ。

 

 

左は日生五味の市の大きな看板。この左手に市場の建物がある。右は湯煙の中のカニたち。思わず蓋をあけてシャッターを切った。

 

カニ蒸かし騒動が鎮まった後は、お昼はカキオコと決めているのでその店へ。日生にはカキオコの店が幾つもあるので、どこへ行ったら良いのか見当がつかず、先ほど邦子どのが魚屋さんに聞いて紹介して貰った店に行くことにした。フェリー乗り場のすぐ近くの、JR赤穂線の向こう側の店だった。カキオコというのは、牡蠣が入ったお好み焼きという物である。去年初めてここに来た時、あちこちにカキオコと書かれた看板や旗がはためいているのを見て、何だろうと思ったのだが、牡蠣入りお好み焼きと知って、邦子どのは何とか食べてみたいと考えていたようだった。しかし、そのチャンスを逃してしまい、今年は何としてもと意気込んで来たのである。自分の方は、お好み焼きにそれほど関心があるわけではない。酒も一緒に飲めるのなら、より積極的になれると思うけど、そうでないのなら麺類を選ぶかも知れない。今回は邦子どのの欲求を満たさないととんだことになる恐れがあるので、素直に一緒に食べることにしている。

 

今、NHKの連続TVドラマで「てっぱん」というのが放映されているけど、丁度あのドラマに登場してくるような鉄板が店の中央に鎮座していた。早速カキオコをオーダーする。一体どのような手順で作るのかとしっかり見守った。普段作っていれば参考になるのだろうけど、我が家ではお好み焼きというのは作ったことがないので、結局判ったような分らないような曖昧な手順の理解となった。ただ印象に残ったのは大きな牡蠣の身とそれが溢れんばかりにたくさん入っていたことである。その辺のスーパーで売られているのであれば、1人前で優に2パック分ぐらいはあったのではないか。聞くと、日生の牡蠣は大型なのだという。初めての味だったが、グーだった。邦子どのはすっかり満足したようで、これを食べた後、急に元気が倍増したようである。こんなことなら去年も何としても食べて貰っていた方が良かったなと思った。

 

 

 左は町の至る所で見かけるカキオコのポスター。右は出来上がったカキオコ。この膨らみの中にたっぷり牡蠣が入っている。

 

カキオコですっかり満腹になった後は、もう一度五味の市に戻って、しばらく休息する。その後どうするかいろいろ検討した結果、まだ時間があるのでせっかくだから閑谷(しずたに)学校へもう一度行ってみようということした。そのあとで伊部に寄り備前焼の焼玉を買うことにした。そして今夜は備前ICから山陽道に入り、明日の関西入りを考えて神戸の手前の三木SAで泊ることにしようと決める。明日は一応神戸に出て、海辺を走って大阪を抜け、奈良エリアのどこかの道の駅に泊ろうと考えた。

 

五味の市からの閑谷学校への道は、去年通っているので、迷うことはない。30分足らずで到着。平日だというのに思いの外の混雑ぶりである。中高年の人が圧倒的に多いように思った。ここに来るのは去年に続いて2度目である。ここは池田の殿様が一般庶民を対象につくった学校で、津田永忠という人がその創設や維持に尽力されたとのこと。武士のための学校は多く聞くけど庶民のためのこのような立派な施設があるのを去年初めて知り、いたく感動したのだった。

 

今年は去年よりも1週間ほど遅い訪問だったので、正門の正面にある聖廟の前に植えられた左右2本の楷(かい)の木が見事な紅葉を見せていた。ここの楷の木は、中国は曲阜の孔子の墓にある楷の木の実を持ち帰って植えたものだそうで、1915年に植えられたとか。もう100年近い年月を経て、益々その樹勢は盛んなように見えた。先回の訪問では構内には入らず、外回りに専念したのだったが、今回は学校の中に入って講堂他をじっくり見学した。又資料室も訪れて様々な関連資料を拝観した。どっしりと構えた講堂の中は深閑としており、まさに閑谷という名の学び舎に相応しい雰囲気が溢れていた。ここに学んだ先人たちの、向学に対する若いひたむきな姿勢がそこに映されているように感じた。閑谷学校は多くの偉人を輩出しているけど、やっぱり人間にとって、人間社会にとって一番大切な社会政策は教育なのだと思う。自分も現役時代は、企業内ではあったけど、多少なりとも教育の仕事に係わっており、その思いは今でも変わることがない。どんな企業でも組織でも国でも、人づくりこそがそれらの成長や前進の基盤となるのである。

 

左は今や閑谷学校のシンボルともなっている楷の木の見事な紅葉。右は講堂内部の様子。心落ち着く本物の学びの空間があった。 

  

鮮やかな紅葉の楷の木に別れを告げ、備前焼の中心地の伊部に向かう。JR伊部駅横の美術館の駐車場に着いた時は16時近くなっており、そろそろ黄昏が迫ってきていた。今日は焼き物の見物や買い物ではなく、備前焼きの土を丸めて焼いただけの焼玉を買うのが目的である。ここには江戸時代後期の天保時代に築かれた天保窯が残っているのだが、その脇にある窯元へ出向く。先回もここで焼玉を買っている。焼玉は、ご飯を炊くときやお湯を沸かすときにその中に入れて用いるのである。どんな働きがあるのか判らないけど、とにかくお湯もご飯も味が一等ランクアップするのだ。今回は1個100円のものを10個買い入れた。これでしばらくは美味いご飯とお湯にありつける。昔から、変なことに関心を持っている夫婦なのである。

 

焼玉を手に入れた後は、来た道を戻って、備前ICから山陽道へ。1週間ぶりの高速道の走りとなる。山陽道は、中国道に比べて交通量が圧倒的に多い。それも関西の中心地に近づくにつれて車の数は多くなる。三木SAに着いたのは、18時少し前だったが、広い駐車場は、数多いトラックとそれを遙かに上回る一般車で埋まるほどだった。このような場所にはあまり泊りたくないのだが、一般道を走れば遅くなってしまい、道の駅などの適当な宿泊箇所が見当たらないのである。一晩だけの我慢なので、やむを得ないということである。

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