山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第15回>

2018-06-09 05:33:04 | くるま旅くらしの話

【今日(6/9)の予定】 

道の駅:三笠 →(R12他)→ 北海道開拓の村 →(R12・R274)→ 道の駅:マオイの丘公園(泊)

 

【昨日(6/8)のレポート】 天気:曇り後雨

<行程>

道の駅:つるぬま →(R275)→ 浦臼町郷土資料館 →(R275)→ 月形町樺戸博物館 →(R275・D・R12)→ 道の駅:三笠 →(R12他)→ 岩見沢市内コインランドリー →(R12)→ 道の駅:三笠(泊)

<レポート>

 予報では今日から天気が崩れて雨となるという。朝の内は雨は降らなかったけど、雲が厚く垂れて暗い空が広がっていた。ブログの投稿を終えて外へ出て見ると、昨日とは打って変わった寒さが身体を取り巻いた。こりゃこのままではまずいなと、いったん車に戻りTシャツを長袖のシャツに取り替えた。昨日までは真夏を思わせる暑さだったが、まだまだ本当の夏にはなっていな北海道を感じた。ここはつるぬまという湧水池を囲んだ広い公園となっており、キャンプ場なども設けられている。一回り歩くと2kmくらいにはなるのだろうか、内地では簡単につくれない広さの公園だった。歩いている内に雨粒が落ちて来た。

 車に戻ると間もなく邦子どのも起き出して来て、どうやら昨夕の不調は回復したらしかった。真に心身共に軟弱なのを気の毒に思った。この頃は腹が立つのを抑えて少しは心配するようになっている。昨日は風呂に入って出た後、そこに泊るのを止め、30kmほど走ったので、体調が狂ったらしかった。自分だって疲れているのだぞとは思わないことにしている。老人なので、無理は利かなくなって来ているのは分かるいのだが、その無理との境がまだ分からないのである。ま、時間の問題なのかもしれない。

 今日の予定は、先ず最初にこの浦臼町の郷土資料館を訪ね、その後隣接する月形町の樺戸博物館を訪ねることにしている。その後溜まって来ている洗濯物をどこか近くのコインランドリーを探して洗うことにしている。それが終われば近くの道の駅かキャンプ場へ行って泊ることにしている。ということで、少し降り出した雨の中を浦臼町役場近くにある郷土資料館を目指して出発。9時過ぎに到着して、開館が9時だと思っていたら、まだ玄関が閉まっていて掃除の最中だった。気がつかれたので声をかけたら、開館前でも掃除機の音が気にならないのならOKとのことなので、入館をお願いした。この町にも何度も来ているのだけど、その昔の町の生い立ちなどの歴史を訪ねるは初めてのことだった。

  歴史を辿りながらの展示物や解説を見ていると、この町の生い立ちが良く分かる優れた展示の仕方だった。それらによると、この地は明治24年ごろから開拓が始まったらしい。この辺りでは隣の月形村が明治14年に村の第1号として登場したということであるから、それから約10年ほど遅れて開発が始まったことになる。村には坂本龍馬の子孫の方も移り住んだということで、その坂本家の墓所があるとのこと。町としてはそれを大いに誇りとしたいらしく、初めてそれを知った自分などには、それほど騒ぐのには少し違和感を禁じ得なかった。やや気まぐれの気分で寄って見たのだが、展示は分かりやすく町の歴史も往時の人たちの暮らしぶりもよく理解できて、とても参考になった。

 その後隣の月形町へ。雨は時々強く降ったり弱くなったりしていたが、傘をさすのは面倒なので、そのまま入口に向かう。先ほどの浦臼町の郷土資料館や昨日の当別町の伊達の資料館などと比べて、段違いの立派な施設なのに驚いた。どうしてなのか疑問を抱きながら入ったのだが、それは直ぐに氷解した。ここは北海道を代表する集治監の一つだったのである。集治監というのは明治の初めころの囚人(政治犯を含む凶悪犯罪者を収容する場所)を収容する施設であり、簡単に言えば監獄ということになる。ここ樺戸集治監は、明治14年に北海道に造られた最初の監獄だったのである。北海道の監獄といえば、つとに網走が有名だが、あそこは分監というレベルの存在だったとのことである。

 北海道の監獄は、囚人の更生というよりも開拓の先陣としての役割を担わせた向きが大きくて、囚人の人たちは相当厳しい労働を課せられ命を落とす者も多かったとか。囚人たちは湿地に道路をつくり、そのための材木を伐り出し、土木の普請に汗を流すのを強要されて、逃亡を企てる者がかなり多くあったという。これらの人たちの知られざる血涙混ざる辛苦の労働が、北海道の初期の開拓に貢献したものは大きかったというのが良く解った。往時の囚人から比べたら、今の犯罪者はこの上も無く厚遇されているのではないか。オウム事件の首謀者やその取り巻き連中には、現代でも北海道開拓時代と同じくらいの汗を流させてもいいのではないか。原発の後処理など、今日でもやって貰える仕事は山ほどあるのに、いつまでもダラダラと独房にとぼけて座らせておいていいのかと、そんなことを思ったりした。今頃になって、樺戸博物館が北海道の監獄の始まりだったことを初めて知るというのは、自分の今までの旅の軽さを証明しているようなものであり、ちょっぴり恥ずかしさを覚えた次第。これで今日の訪問先は全て終わり、あとはコインランドリーを見つけて洗濯するだけとなった。

 その後は取り敢えず三笠市の道の駅に行き、昼食休憩とする。15分ほどで到着して、今日の昼食は弁当を買って済ますことにした。4年ぶりの三笠の道の駅は売り場などが整理されていて、きれいになっていた。野菜売り場でレタスなどを買い入れた。昼食を済ませた後は、コインランドリーを求めて岩見沢市に向かって出発する。

 北海道の各市町村のコインランドリーを探すと、まだ限られた場所にしか所在しないのが分かる。この辺りでは、岩見沢市まで行かないと見当たらないのである。ネットで調べて3kmほど離れた場所にあるのを知り、そこへ向かう。邦子どのにはどのような機械なのかが心配なようで、あまり古いものだと信用できないらしい。見出した店は幸い何の問題も無かったようなので安堵した。13時頃から開始して、約2時間半掛って今回の旅での第1回洗濯作業が終了する。自分はこの間、只管今日のブログの下書きを書く。

 洗濯が終わって、今日の宿はキャンプ場ではなく、三笠の道の駅にすることにして直ぐに出発する。雨はかなり前から本降りになっており、三笠の道の駅に着いた時は、風も吹き出して、気温はかなり下がって寒さを感ずるほどとなった。17時をようやく迎えて、まだ寝るには早すぎるのだが、今夜はTVなど見ないで早やめに休むことにした。明日は北海道開拓の村の見学を予定している。

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