山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

甲信越ちょっと旅:第4日(その2)

2009-06-24 04:00:48 | くるま旅くらしの話

<6月14日(日)その2>

霧ケ峰に向う途中の、和田峠を越えた辺りから雲行きが次第におかしくなり、降り出した雨が本降りになったかと思うと、ものすごい豪雨となった。八島湿原の側を通るころは、湿原を散策されていた人たちが、お気の毒にも、ずぶ濡れになって駐車場に戻っている姿が目立った。せっかくの湿原探訪もツツジもこの雨ではどうしようもない。道端に時々現れる、レンゲツツジの橙色の花を見つけては車を停め、写真を撮ったりした。とにかく酷い雨なので、車の中からカメラを構えるしかないのである。14時50分、霧ケ峰のドライブインに到着。雨も一息ついたようなので、我々も一息つくことにした。

霧ケ峰に最初に来たのは、就職して上京し、2年ほど経った24歳の頃だったと思う。当時はまだまだ車社会からは遠い時代で、マイカーなどは特別な階層の人たちだけの話で、現在のように誰でもが車を当たり前に所有するという時代ではなかった。東京新宿から鈍行に乗って下諏訪まで来て、そこからバスに乗って山を登り、歩いて山小屋まで来て2~3日ご厄介になったのである。下諏訪の駅前からのバスの乗車時間の長かったこと。山間の急な坂道を1時間以上かけての来訪だった。バスを降りたときは、どの方向へ行けば山小屋があるのか見当もつかず、晴れていたのを幸いに地図を頼りにようやく辿り着いたのだった。名物の霧が出ていたら、途方にくれたに違いない。

7月半ばのその頃は、霧ケ峰はニッコウキスゲの真っ盛りの時期で、霧の中から現れた一面の黄金色の世界は、初めての私にとっては夢を見るような清新な感動の世界だった。ヒュッテ御射山というのがその宿で、そこのご主人には霧ケ峰のあれこれをいろいろと教えて頂いたのだった。霧と風のもたらす変幻の世界に浸るのは、新人社会人を何とか抜け出そうとしていた自分にとって、浮世の憂さを忘れることが出来る最高の時間だった。終日車山の麓を歩き回り、高原の花畑の中で昼寝をし、霧に脅かされて目覚めたりしたのを、今でも良く覚えている。私にとっての霧ケ峰は、南アルプスなどの登山とは違った、青春時代の癒しの場所だった。

それから40年以上が過ぎて、今はこのように自分でさえも旅車に乗って簡単にここまで来られてしまう時代となった。駐車場には雨宿りをしていた、たくさんのバイクと車が並び、その喧騒は広大な草原すらも吸収するのが難しいのではないかと思うほどである。40年前では想像も出来ない世界である。10年ほど前、久しぶりに霧ケ峰に来て山小屋で一夜を明かし、八島湿原を一周したのだったが、その時の印象は、40年前とはかなり違って、霧ケ峰のスケールが少し小さくなり、湿原の植生も縮小してしまったような印象を受けたのだった。ニッコウキスゲもかなり数が減ってしまったし、その外の植物も何だか元気が無いような印象を受けたのだった。ヒュッテ御射山は健在だったが、代替わりがしており、どなたが経営されているのか、昔を思い出すのが難しかった。

さて、今日はといえば、何しろいつ又降ってくるか判らない空模様なので、高原を歩くのは無理なのである。今はレンゲツツジの開花期に入っているはずで、歩けばツツジの群落を楽しめるはずなのであるが、ドライブインの周辺の草原には、わずかなツツジしかなく、それらしい株があっても花をつけるどころか、葉もつけていない。黒っぽく点在しているだけなのは、もう枯れてしまっているのだろうか。少し寂しい風景だった。ニッコウキスゲの開花はもう1ヶ月ほど後になるのであろう。草原はどんよりとした黒い雲の下にだだっ広く広がっているだけだった。

   

レンゲツツジ近影。霧ケ峰には、このツツジの株の大群落がある。

しばらく休んだ後、白樺湖の方に向う。これからビーナスラインを走って終点まで行き、大門峠からR152に入って山を下り、立科町の権現の湯という温泉に入り、そのあと道の駅:マルメロの里ながとに泊まるつもりでいる。

車山の側を通過する辺りから周辺の高原にツツジの株の群落が多く目に付くようになった。まだまだレンゲツツジは健在だった。山全体が真っ赤に染まりかけている箇所も望見された。レンゲツツジというのは、山ツツジなどと違って、葉も花も大振りで厚ぼったい感じのするツツジである。山ツツジの中に交ざっていると、ちょっぴり違和感を覚えるときがあるのだが、こうやって山全体がレンゲツツジの大群落となると、様相は一変し、山ツツジよりもスケールが大きくなる花の世界を感じるのである。天気がよければ歩けるのに、残念である。時々車を停めカメラのシャッターを切ったのだが、何しろ広すぎてこの世界を写すのは至難の業である。

   

レンゲツツジの群落の様子。向うの山に大群落があり、これから開花の最盛期を迎えようとしている。この写真では残念ながらその様子が良く判らない。見たい方は是非現地へどうぞ。

俗化が進む白樺湖を下に見ながら、大門峠からR152に入り、一気に山を下る。立科町というのは随分細長い形をした町だ。蓼科山から浅間山が良く見える辺りまでという地形である。権現の湯というのは、最初蓼科山の麓近くにあるのかなと思っていたのだが、地図で良く調べると、20km以上も離れた所にあるのである。観光案内図というのは、時々実態とは違うとんでもない内容があり、鵜呑みにするととんだ振り回しを喰らうことになる。ナビなし主義は、急な思いつきの行動の場合は、どうも不都合で、やっぱりナビを取り付けた方がいいのかなあと思ったりした。しかし、まだその気は無い。それにしても最近は書店の店頭に良い地図の本が並んでいない。それがナビの所為だとすると、これは真に残念至極な話である。便利というものは、人間の思考を堕落させることに、もっとしっかり気づいてもいいのではないか。ちょっと脱線。

ようやく権現の湯を探し当てて、到着。16時を少し過ぎていた。1時間足らずで霧ケ峰の世界から来てしまったことを、少し不思議な気持ちで受け止めた。諏訪の方から登って行くよりも、こちら側の方から行った方が霧ケ峰は楽なのかもしれない。今度行くときは浅間側から行くことを考えようと思った。権現の湯は勿論温泉博士の手形に紹介されている湯である。駐車場は殆ど満車で、少し離れた所にある第3駐車場というのに車を停める。準備をして温泉施設の建物への坂を登っていると、演歌を歌うおばさんたちの歌声が聞こえてきた。田植えも終って、近所の皆さんが集まっての慰労会なのかも知れない。車が混んでいるのは入浴だけではなく、宴会なども行なわれているからなのであろう。混雑を心配して入った温泉の方は、思ったよりも空いていてのんびりとお湯を楽しむことができた。もう雨は大丈夫のようである。

   

権現の湯。立科町の福利厚生施設の一つでもあるようだ。軽トラの人なども多く、気軽に温泉を楽しんでおられた。

温泉を出て邦子どのが戻ってくるのを待っている間、近くにパークゴルフ場のようなものがあるのに気がつき、行って見ると、「マレットゴルフ場」と書かれた看板があった。

   

マレットゴルフ場の看板。この向うの赤松林の中にコースが作られている。

赤松の林の中にコースがあり、ゲートボール用のスティックに似たものを持ったご夫婦がプレーを楽しんでいた。はじめてみるゲームである。パークゴルフから比べると開放感に乏しいなと思った。いろいろなゲームがあるものである。今年は北海道でパークゴルフを存分に楽しむつもりでいる。10分ほど経って邦子どのが戻ってきて、今夜の宿道の駅:マルメロの里ながとに向う。

途中からうっかり道を間違え、何だか変だなと思っていたら、丸子町(今は上田市)の方へ行ってしまっていた。良くやるドジである。少し遠回りとなってしまったが、一つ新しい道を覚えたと思えば、大して悔いは無い。この頃はそのように考えることにしていて、道に迷うことをあまり不名誉とか心配することがなくなってきた。これはいつでもどこでもその気になれば泊まれるという、宿を背負っているくるま旅ならではの恩恵だと思っている。間もなく道の駅に到着。丁度18時だった。

夕食が終って、一段落し、そろそろ寝床に入ろうかなと思っていると、携帯が鳴り、出てみると、なんと北海道に滞在している福島県の旅の知人Iさんからだった。お話によると、現在虫類(幕別町)の道の駅に滞在中で、今日は先日福井県の高浜町の道の駅で会った、Fさんが隣の隣に泊まっているとか。Iさんとは先月の旅先で、高浜町の道の駅:シーサイド高浜で一夜を共にし、一杯やって旧交を温めたのだったが、その翌日別れ際に滋賀県在住のFさんご夫妻(最初は奥さん)がやって来られて、くるま旅についていろいろ訊かれるので、我がSUN号の中に入って頂き、旅のあれこれについてほんの少し話をさせて頂いたのだった。その時、くるま旅の良さというか、体験をされるのであれば北海道を訪ねるのが一番ではないかとお勧めしたのだったが、そのFさんがもう早速北海道を回っておられるというのである。いやあ、驚いた。Iさんの話では、Fさんはあの出会い以降、小生のブログをお読みになり今はファンなのだという。これまた嬉しく、びっくりしてしまった。

Iさんが、これからFさんの車に行って電話に出て頂くからと気を使って頂き、その後ちょっぴりFさんと会話を交わしたのだった。Fさんの奥さんの話では、北海道は寒くて、どうにも我慢が出来ず昨日毛布を購入したとか。旅を楽しむというよりも、見当違いの気候に少し戸惑っておられるような印象のお話だった。今月中には家に戻られるとか、どうか気をつけて残りの旅を楽しんで欲しいなと思った。

北海道には梅雨が無いと思っていたが、6月の気候は内地とさほど変らず、7月には蝦夷梅雨というものがあるらしく、7月も下旬近くにならないと暑い日は少ないのである。以前、7月半ばでも防寒服を着ないと夜の外での宴会ができないということがあったのを思い出す。北海道は、夏のシーズンであっても寒さ対策だけはしっかりしておくことが大切である。これはやっぱり体験してみないとなかなか理解できない。Fさんにはそこまで話が出来なくて申し訳ないような気がした。それにしても、もう北海道に向って飛び出したという、その決断と実行のスピードには、大いに賞賛のエールを送りたい。これからいろいろ体験を積まれて、大いにくるま旅を楽しまれ、人生を豊かなものとして頂きたいと思う。

びっくりに次ぐびっくりで、感動がゆっくり眠りを遅らせてくれた一夜でした。

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