山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

心は幾つある?

2018-03-07 04:50:19 | くるま旅くらしの話

 先日家内が見ていたTV画面を覗くと、どこかのお寺の尼さんらしき人が映っていて、2~3人で何やら楽しげに精進料理のようなものを作っている様子だった。しばらく見ていると、そこは奈良県桜井市にある音羽山観音寺というお寺で、登場しているのは女性のご住職と見習いの尼さんの方とお手伝いの方だとか。家内の話では、とても面白いらしく、是非ともここへ行ってみたいのだという。

 しばらく見ていたら、画面が変わって、見習いの尼さんがどこかの中学校へこれから講演に行くとのこと。どのような話をされるのかと興味を覚え、益々吊り込まれてしまった。見ていると、行った先は天川村の中学校なので驚いた。というのも、天川村は、奈良へ行く時には一度は行かなければならない場所と考えているのにまだ行っていないのである。ここは古代からの歴史の詰まっている場所で、日本の来し方を知る上では大事な場所と考えているのである。

 その中学校は、全校の生徒数が10名足らずというので、これにも驚かされた。どのような話をされたのかを知りたかったのだが、ほんの一部しか放映されなかったのが残念だった。その講演の中で「皆さん、心というのは一つですか?」と問いかけている場面があり、これがとても気になった。中学生たちがどんな答えをするのか、どのような話の展開になるのかと期待していたのに、又々すぐに別の画面に替わってしまいガッカリしてしまった。TVの放映目的はその講演ではなく、別のテーマにあったらしいので仕方がない。

 中学生の年代の子どもたちに「心は一つか?」と問うのは優れた視点だと思った。振り返って自分のことを思う時、中学生の頃は自分がいったいどんな人間なのかについて迷いに迷ったものである。思春期というのは心が揺れ動き始めるときであり、自分は二重人格者ではないか、或いはそれ以上の多重人格者なのではないのかなどと自己嫌悪に捉われたりして困惑したのを覚えている。今考えると、それを突き詰めるのを途中で思いとどまって、元のいい加減な世界に戻ったので難を逃れてここまで生きて来られた様な気がする。多感な時代には、信頼できる大人からのしっかりしたアドバイスやヒントが欲しいものである。この尼さんも又ご自分の多感な時代を思い起こされてこのようなテーマを取り上げて話されたのかもしれない。

 さて、この歳になって、自分は今、心というものをどう考えているのだろうか。あの多感な頃から60数年が過ぎて、改めて自分の中を覗いてみた。答えは次のようになる。「心は一つである。だけど限りないほどに変化するものだ」と。

 60数年の間に様々な体験をしている。この間に心の居場所は転々と変わったように思う。しかし、根っこのところは少しも変わっていない。だから、心というのはやっぱり一つなんだと思う。その一つの心が変幻自在に動き回るのだ。この変化は止めようがない。心は「場」に応じて変化する。「場」が変われば心の居場所も変わるのである。悲しい場面では心も悲しくなり、嬉しい場面では嬉しい心となる。だけど根っこは変わらない。同じなのである。

 それはちょうど、竹や篠などと同じように見える。竹の生命は根っこでつながっている。一つの根っこから膨大な数のタケノコが生まれて、そのまま成長すると大きな竹藪となる。根っこは同じでも成長した竹の一本一本は皆違っており、一つとして同じものはない。だから別々の生命のように見える。しかし、根っこが枯れると全ての竹は枯れてしまう。心というのも普段は様々に変化して、置かれている「場」に対応している。しかし根っこは一つなのだ。自分の心が他人と同じとなることはないし、他人の心を自分と入れ替えることも無い。今はそのように思っている。二重人格も多重人格も全て心の変化であると捉えれば、もはや悩むことも無い当たり前のことなのだ。

 それでふと思い出した詩がある。萩原朔太郎が若かりし頃に書いた詩であり、「純情小曲集」に収められている作品である。改めて昔を思い起こしながら味わってみた。

 こころ

 

こころをばなににたとへん

こころはあじさゐの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて

 

こころはまた夕闇の園生のふきあげ

音なき音のあゆむひびきに

こころはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかひなしや

ああこのこころをばなににたとへん

 

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言うことなければ

わがこころはいつもかくさびしきなり

 

 これを読んで、改めて萩原朔太郎という方は詩人なのだなあと思った。多くの詩書き人は変人が多いようだが、この作品を書いている頃の朔太郎はかなりのロマンティストであり、それなりに心というものの本質を見抜いていたようだ。若い頃に感じる理由のない哀しみのようなものを伴った心の変化を詩っているようだ。余計なことは考えずにしばらく味わうことにした。

それにしても、天川村へは行かなければならない。今年中に何とか実現したいと思っている。それから音羽山観音寺も訪ねてみたい。でもこれは、かなりの難行となりそうだ。北海道の旅から戻った後、秋が来るのが待ち遠しい。花粉の季節の中で、いま、このようなことを考えている。

 

 ※お詫び:天川中学校の生徒数を10名足らずと書きましたが、追って調べたところ全校では17名とのことでした。訂正してお詫び申しあげます。

 

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