山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

間宮林蔵を讃える

2007-12-21 02:17:25 | くるま旅くらしの話

間宮林蔵といえば、かの間宮海峡の発見者というか、確認者であり、世界に名を馳せた探検家でもある。その方が、我が守谷の隣町伊奈(今はつくばみらい市)の出身であることを知っている人は少ない。斯くいう自分も、3年前守谷に越して来て初めて知ったのだった。そのお人の記念館とお墓が、自転車で行ける距離にあり、越して間もない頃、一度訪ねたことがある。

今日は、旅車のLPガスのボンベの検査が終了したので、取手までそれを取りに行った帰り道に、思いついてその記念館に立ち寄ったのだった。ついでにチョッと紹介するのだが、私がLPガスを入れて貰っている取手(といっても元の藤代町)のLPガススタンドは、日本一善良なお店だと思っている。5kgで千円+消費税で入れてくれるし、残量があればその分を差し引いての料金にしてくれるのである。ボンベの検査料も3千円に満たない。我が家からは少し遠いけど、このようなお店があることをありがたくも嬉しく思っている。このお店を知って以来、東京や北海道のボッタくりぶりが際立っている感じがするのである。

間宮林蔵の生家は、近くを小貝川が流れる傍にあり、記念館もその近くに建てられ、構内には彼の生家が移築されている。この辺りは、関東平野の真っ只中で、広大な平地が筑波山の彼方まで広がっている。山などは全くない。今でもわが国の中では、恵まれた穀倉地帯であり、野菜などの産地であるといってよいと思う。

間宮林蔵という方は、この地で1,780年に農家の一人息子として生まれた。幼少から神童と呼ばれる人であったという。16歳の時に、村の河川工事での進言が取り上げられ、その時に幕府の役人に見出されて江戸に出ることとなったという。その後の詳しい履歴について、ここに述べるわけにはゆかないけど、縁あって蝦夷地の測量に係わるようになり、かの有名な伊能忠敬とは21歳の時に師弟の約を結んだという。伊能忠敬が為しえなかった蝦夷地の測量を引き継いで果たしたのが間宮林蔵であり、その最大の成果が、カラフトが島であることを確認したという、すなわち間宮海峡の発見だった。

江戸時代も200年の泰平が続き、日本近海に何かと外国の手が伸びだして、国防上の様々な不安や脅威を、知る人は知っていたに違いない。鎖国などと一方的な国政のあり方を決めたとて、力ある外国が攻めてくれば、負ければ属国や植民地となるのは明らかなことだからである。間宮林蔵は、そのような時代に生まれ、国のために身を挺して蝦夷地の測量、偵察を行ったのである。

私は、彼のその使命感というか責任感というか凄まじい探究心のエネルギーに圧倒されるのである。頭が良いだけでは、このような偉業は到底成し遂げられるものではない。知恵の塊を持った真の勇気ある人物だったに違いない。

というのも、往時の蝦夷といえば、これはもう北海道もカラフトも皆アイヌの国であり、今のような開発された状況では全くない、想像もできないほどの原生林に埋め尽くされた土地であったと思う。測量は海岸沿い中心だったのだとは思うが、平坦な砂浜ばかりが続いているのではない。切り立った崖や浜辺まで草木が押し寄せて生えているような場所が多かったのではないか。何しろ北国の植物は図体がでかいのだ。内地で見るイタドリはせいぜい大きくても2mくらいの高さだが、北海道のそれは倍以上もあるのが普通なのだ。それに原生林というのは、全くの自然状態なのだから、100m進むのに1日がかりというような場所も多かったに違いない。今のようなテントやシュラフがあったわけではない。頼みとする舟だって、数人乗るのがやっとの小舟なのである。現代人がそのような状況で、測量探査などという任務を命ぜられたら、測量の前に生き続けることさえ難しいのではないのかと思う。それなのに、間宮林蔵という人は、アイヌの人たちの協力を取り付けながら、幾多の困難と闘いながら、克明に測量の記録を書き続けたのである。

今年も北海道に行き、宗谷を訪れたが、最北端の岬に彼の北方樺太を望む銅像を見たときは、今までにない感動を覚えたのだった。あの身分制度の徹底していた時代に、守谷近くの百姓の倅だった男が、弱冠29歳の時に此処から小舟に乗って船出し、後世此処に銅像が建つほどの大偉業を成し遂げたということに、今更ながら敬服するのである。

探検や冒険というのは、旅の本質につながっていると思う。マッキンリーで消息を絶った植村直巳さんだって、大きな旅をされていたのだと思う。それが命にかかわる厳しいことであれ、無上の幸福感に満たされるものであれ、未知の何かとの出会いに期待して人は旅に出かけるのだ。

私の提唱するくるま旅くらしは、それほど激しいものでは全くないけど、やっぱり何がしかの冒険心や探検心をどこかに秘めているように思う。リタイア後の世代は大志ではなく、小志で良いのではないかというのが持論だが、志は不可欠だと思うし、その中には幾許(いくばく)かの冒険心や探究心が潜んでいるのだと思っている。

間宮林蔵という偉大な人の功績に触れて、改めて旅への思いを巡らしたのだった。

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2 コメント

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間宮林蔵とLPガスと (水戸ZIL)
2007-12-21 11:20:09
こんにちは。間宮林蔵のお話に魅了されつつも、LPガスのお値段が、つい気になってしまう貧乏人です。

当地は5kで2100円~2500円もします。
羨ましい、です。
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どうも (馬骨)
2007-12-22 03:08:02
ほんと、この差はどこから生まれてくるのでしょうねえ。不可解です。
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