山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

西海道&西国の旅の記録から(その8)

2024-07-14 17:51:08 | くるま旅くらしの話

<山陽道矢掛宿>

今迄の旅の中で宿場町というのを幾つも見て来ました。それらの多くには昔の姿が残っているので、国の重伝建(重要伝統的建造物保存地区)に指定されることが多いのですが、私たちが見て来たのは主に中山道や東山道など東日本地区が多くて、関西以西については殆ど知らないという状態でした。

今回の旅では、倉敷市に住む旅の知人を訪ねることにしており、時間を調整する都合でどこに泊るのがいいのかを調べていたら、山陽道矢掛宿という道の駅があることを知りました。ここならば知人宅に近いし、又近くの井原市には彫刻家平櫛(ひらぐし)田中(でんちゅう)の美術館もあるので、それを見学できると思い、そこに前泊することにしました。勿論初めて訪ねる場所です。

ちょっと横道に逸れますが、なぜ平櫛田中が出て来るのかといえば、私の元勤務先が東京の小平市にあって、そこには平櫛(ひらぐし)田中(でんちゅう)翁が晩年を過ごされた住居があり、現在は平櫛田中彫刻美術館となっていて、私はそこへ何度も通ったことがあるからです。又田中(でんちゅう)先生が揮毫された「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」という色紙のコピーを所有しており、それを座右の銘としているものですから、田中(でんちゅう)先生のことには関心があるのです。その生家が井原市にあり美術館もあると知ったものですから、好都合だなと思ったのでした。

行って見ると道の駅:山陽道矢掛宿は、とても新しくて立派な道の駅でした。調べて見ると開設が2021年3月ということですから、まだぴかぴかの新品の道の駅だったのです。というのも矢掛宿が重伝建に指定されたのが2020年ということですから、それに合わせて道の駅もつくられたのでありましょう。駐車スペースも、トラック用は離れた場所にあり、清々しい感じがしました。ここから知人宅までは20分もあれば届きますし、井原の田中美術館までも30分以内に行ける近さなのです。

快適な一夜を過ごした後、翌日井原市まで出掛けたのですが、何と平櫛田中美術館は何やらの予定があって、今日からしばらく閉館するとなっていました。久しぶりに田中先生の作品にお目にかかれると思っていたのに、よりによって今日から閉館とは、何と運の悪いことか!

当日の予定がすっかり狂ってしまいました。時間を調整するために最寄りの道の駅に行こうと調べたら、それがあったのは「かよう(=賀陽)」という道の駅でした。とにかくそこへ行って見ようとナビに従ったのですが、とんでもない山の中の道をかなり長時間走らされて、着いたのは吉備中央町という吉備高原の町でした。そこで昼の弁当を食べ、その後知人宅に向かったのですが、今度は帰り道は途中で通行止めなどになっていて、又またたっぷり苦労させられました。ナビに頼るとロクなことはないとしみじみ思いました。

でも当日、旅の知人Aさんのお宅では、今迄の長かったブランクを埋めるべく、心づくしのご馳走を頂きながら夜遅くまで歓談が盛り上がり、昼間の疲れのことなどすっかり忘れてしまいました。Aさんご夫妻は私の旅の知り合いの中では数少ない若手の方なのです。ご夫妻の旅は、国内に限らず海外も対象となっており、今夜の御馳走はベトナムの生春巻きでした。米粉で作った生地で具を巻いて食べるという食べ方は初めてでしたので、一層話は弾みました。

翌日もう一度矢掛の道の駅を訪ねました。ここは重伝建指定地区なので、街並みなどを散策することにしました。新しい重伝建指定ということは、その分だけ昔の古い建物が残っているのが少ないということにつながります。そこに住んでいる人から見れば、今現在の暮らしが掛っているのですから、昔をそのまま維持するのは超困難なことだと思います。ですからこのような場合は昔を残す家そのものよりも街並のつくられ方、地割など過去の町づくりの軌跡を追うなどということになり、予めの準備が必要なのですが、今回は全くのぶっつけ本番でしたので、町発行のリーフレットを参考にするくらいでした。歩いて見ると、今町残っている宿場町としての町並みはそれほど大きくはなくて、2往復ほど歩いて見て、やはり新しい建物が多いなと感じました。しかし昔を思わせる箇所も幾つかあって、ここが歴史のあった場所なのだというのを気づかせてくれました。

岡山や倉敷といえば、古代の歴史の中では地方の実力者としての吉備の国の名が浮かび、その代表者が吉備真備という人物となると思いますが、この矢掛の地も吉備一族と関わりのあった場所なのだとリーフレットに書かれていました。も一度じっくり訪ねて見たい場所だなと思いました。

それにしても「矢掛」と書いて、なぜ「やかげ」と読むのでしょうか?どうして「やかけ」とは呼ばないのでしょうか?解けない謎です。

 

*矢掛宿花一輪の古き家

 

*山陽の吉備の宿場の賑わいは今は何処(いずこ)か閑古鳥鳴く

 

*語らいに疲れたか友は春眠の誘いに惑う宵となりけり

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