山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘15年 佐渡一国を味わう旅 レポート <第3回>

2015-06-03 05:01:42 | くるま旅くらしの話

【今日(6/03)の予定】 

  道の駅:喜多の郷 →(R121他)→ 喜多方市内ラーメン店 →(R121)→ 会津若松市内駐車場→ 市内散策 → その先未定

 

【昨日(6/02)のレポート】     

<行程>

 道の駅:番屋 →(R352)→ 前沢集落見聞(福島県南会津町) →(R352・R121)→ 塔のへつり →(R121他)→ 大内宿散策 →(R121)→ 会津若松市内の下見 →(R121)→ 道の駅:喜多の郷(泊)

<レポート>

 道の駅:番屋の夜は真に静かで何の障害物もなかった。我々の方も旅の初めての泊りであり、200km以上も走っているので少し疲れたこともあって、早々に寝床に入ったため、その後のことは何も知らずに白川夜船の状態だった。朝になって外を見たら、泊りの車は一台も見当たらなかった。駅舎の他には何もないので、あまり泊りには向いていないと考える人が多いのかもしれない。隣の白樺混じりの林は新緑が美しく,マイナスイオンに溢れている感じがした。ただ毛虫君がたくさんいて、それが木の枝の上の方から糸を出して下がって来るので、相棒などは困惑していた。ここではこれが普通の景色なのであろう。ここは会津高原の一角で標高は900m近くあるらしく、昨日は来る途中にニセアカシアの花が満開なのを見て驚いた。朝、駅舎の売店を見たら、なんと行者ニンニクが並んでいたのでこれ又驚かされた。守谷辺りから比べると、明らかに1カ月は季節がゆっくりと進んでいる感じがした。駅舎の四囲はかなり高い山が取り囲んでおり、地デジは全く映らなかった。BSだけは何処へ行っても大丈夫なので、情報を得るに困ることはない。いつものように朝ドラを見た後、一休みして8時過ぎには出発する。

 今日の予定は、先ずはこの先にある重伝建指定の南会津町前沢集落という所を訪ねることにしている。この道の駅からは13kmほど奥の桧枝岐寄りにある集落である。この集落を訪ねるのは初めてであるけど、ガイド書などによれば明治40年に大火があり集落全体が焼失したとのこと。その後同じ建て方で再建されたのが、曲り家と蔵を持つ茅葺屋根の家で、それらの家々が保存状態の良いままで今日に引き継がれて来ているとのこと。重伝建には、平成23年に指定された。どんな景観なのか楽しみである。15分ほどでその集落の入口に到着する。珍しく入園料として300円也を徴収された。相棒は、少々気になったらしく、受付のご婦人に重伝建見学で見学料を払ったのは初めてのことだなど嫌味らしき言を吐いて困らせていた。300円は保存のための諸経費の一部に使われるのであろうから、見学させて頂いたお礼に支払ってもリーズナブルというものであろう。しかし、家計の担当者はそう簡単に大らかにはなれないようである。

 案内板によればその昔の豊臣時代に、小勝入道沢西という人物がここへ移って来たのがこの集落の始まりだとか。現在は曲がり家などが27軒残っているとか。駐車場の脇を流れる舘岩川に架かる橋が入口となっており、橋の下には清流が流れヤマメらしき魚たちがゆったりと泳いでいるのが見えた。入り口からはなだらかな坂となっており、茅葺屋根の家々が段々に上ってゆく形で並んでいた。その奥まった所は山となっており、丁度京都の美山町(今は南丹市?)の茅葺集落に似た姿をしていた。こちらの方が規模がずっと小さくて、ちんまりとまとまっている感じがした。少し歩くと資料館となっている曲がり屋があり、その近くで作業をされている方に挨拶したら、どうやらこの資料館の管理当番の方らしく、その後いろいろ解説などして頂いてお世話になる。この民家は元村長をされていた方のものを移築したとのこと。今は子孫の方も絶えてこの家だけが残っているとか。そのうちに相棒もやって来て、一緒に解説を伺うこととなった。(それらの内容について書くことは省略する)お話の後、美味しい漬物三種(ウドの酢味噌和え、ミズナのお浸し、大根の薄漬け)を頬張りながらお茶をご馳走になり恐縮した。相棒はお代りをしたりしてその美味を味わい、先ほどの300円への不満は一掃されたようだった。この集落にはご先祖の小勝を姓とする方が多く住まわれており、皆さんその子孫なのだという話などをお聞きしたりして、とても楽しい有意義な時間だった。

   

南会津町、前沢集落の曲がり屋。右が母屋で馬小屋や蚕の育成の部屋などが配置されている。左の白壁は土蔵。どの家も曲がり屋と土蔵で構成されているのが面白い。

 1時間余りお邪魔をして、次は会津田島の少し先にある下郷町の国の天然記念物の「塔のへつり」というのを見物することにして出発する。この名前は何度も耳にしているし、近くを通ったりしているのだが、まだ一度もそこを訪ねたことがなかったので、今回はどうしても見ておくことにしたのである。一つにはこの妙ちきりんな名前が何を意味しているのかさっぱりわからないので、現地に行けば納得できるものが必ずあるのではないかと思った次第。ナビに塔のへつりが見当たらなくて、少し回り道をして到着する。早速現地に行ってみた。案内解説版にちゃんとへつりの由来が書かれていた。それによると、へつりというのは、急崖や絶壁、急斜面、川岸などの険しい道をいう方言なのだとか。漢字もあって、「山」の下に「弗」と書く難しい字だった。(「岪」) そのあと川岸に架かる橋を渡って対岸まで行き、虚空蔵尊に参詣したのだが、阿賀野川の急流が浸食したらしいその景観は、まさにへつりにふさわしい景観だなと感心した。百万年ほど前の太古は、ここは海であったとも書かれたいたが、それもこの造形に関係があるのかもしれない。国の天然記念物に相応しい何かの謎があるのかもしれない。

   

塔のへつりの景観。つり橋の下には深い緑色をした阿賀野川の深淵が静まり返っている。岩の下方の溝が通路となっている。絶景である。

 へつりの意味に納得して、次は同じ下郷町にある重伝建の大内宿に向かう。正午少し過ぎに到着。ここは何度も訪ねている勝手知った(?)場所でもある。今回は久しぶりに訪ねたので、この頃名物になっているネギそばというのを食べようという魂胆。たくさんある蕎麦屋の中から適当に選んだ一軒に入る。早速ネギそばを注文。相棒は温かいのを、自分は冷たいのを頼んだ。間もなく大きなどんぶりに蕎麦の入ったのが運ばれて来て、大根おろしと僅かの山菜が入ったのを片手にネギを一本、もう一方に木製の小さなオタマ(?)を持って、ネギをかじりながら食べることとなった。蕎麦もタレもしっかりした味で、薬味代りにかじるネギも結構美味くて、よくもまあこんな食べ方を気づいたものだと感心させられた。ネギも完食しようとチャレンジしたが、最後の青い部分を少し残してギブアップした。

    

ネギそば。素朴な食べ方だが、そばの味わいはなかなかのものだった。しかし不慣れなので、なんだか落ち着かない食べ方になってしまった。

その後は宿場通りをゆっくりと往復してその昔を偲び、車に戻る。この地での行動は相棒とは別なので、自分は少し早く戻って、相棒が戻るまでの間ブログ記事の整理などをする。

   

大内宿の俯瞰。街道筋に見事に茅葺屋根の建物が並んでいる。この高台から見た景色が往時の宿場町の様子を彷彿とさせてくれる気がする。

 14時近く相棒が戻って来て、間もなく出発。次の目的は明日予定している会津若松市内探訪の下見である。明日のメインの目的は鶴ヶ城に上って会津の城下町を俯瞰すること。以前にも付近を訪ねたのだが、SUN号を駐車させる場所が見当たらず断念している。今回は何としてもそれを見つけたいというのが、下見の中身なのだ。40分ほどで会津若松市内に入ったのだが、城の周りを回って駐車場を探しても市営のものは全て機械駐車の施設であり、この車を置くことはできない。日本の行政の貧しさを感ずるときであった。また、くるま旅など全く認知されていないのを感ずるときでもある。文句を言っても仕方がないのだが、やはり腹立しい。やっぱり明日は鶴ヶ城は止めようかと思いながら別の道を走っていたら、税務署の向かい側に鶴ヶ城会館という施設があり、そこに自走式の広い駐車場を見つけた。早速入って状況を確認する。大丈夫、料金も問題ない。ようやく拾う神に出遭った気分がした。これで安心して明日やって来ることができる。目的を果たしたので、その後は今日の宿を予定している喜多方市の道の駅:喜多の郷に向かう。

 喜多の郷到着16時少し前。暑い。ここの道の駅には何度もお世話になっている。温泉も併設されており、そこは17時から割引き料金になるので、しばらくの間は写真のパソコンへの取り入れなどの作業をする。相棒は疲れたのか、少し頭痛がするなどといって寝床の中へ。1時間が過ぎても相棒は起きては来ず風呂には入らないという。疲れ過ぎると入浴はダメになるタイプらしい。以前もそのようなことが何度かあった。風呂に入れないほど疲れ過ぎたということなのでもあろう。かなりのペースで前沢集落、塔のへつり、大内宿と歩き回っており、万歩計は1万8千歩近くになっている。明日はスローペースにしないと拙いなと思った。

 自分一人が温泉へ。何故なのか、何と入浴料金が150円となっていた。シャンプーや石鹼付きでこの料金の温泉は入ったことがない。どうしてなの?と訊きたかったが、取り消されると困るのでそのままありがたく温泉を味わった。風呂から戻って19時近く、ようやく涼しさが感じられるようになった。相棒も少しは体調が戻ったらしかったが、入浴は避けるとのこと。致し方ない。暑くて火を使う気になれないので、ご飯などは止めてあり合わせのもので夕食を済ます。今日は走行距離は130kmほどだったが、歩く時間が多かった。明日からはせめて相棒が風呂に入る元気が残る範囲の歩きに止めることにしようと思った。

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