<第22回 登山日 2014年4月8日(火)>【カタクリの花のこと】
今月2回目の登山である。2日の登山の時にカタクリが咲き始めたのを知り、本当はもっと早く登ろうと考えていたのだが、所用があったり天気が崩れたりして、延びてしまい、あっという間に一週間近くが過ぎてしまった。筑波山の御幸ヶ原の少し上の方にカタクリの里というのがあり、カタクリが自生しているというのは知っていたのだけど、昨年登山を開始した時は既に開花期は終わっており、花を見ることが出来なかったので、今年は何としても見たいと意気込んでいるのである。今日は持病の定期受診日であり、本当は登山を控えるべきなのかもしれないのだが、予約が11時15分しかとれなかったため、それまでの時間がもったいないと思い、先に登山を済ませてから受診するのもいいのではないかと勝手に決め実行することにした。11時前にクリニックに着くためには、6時半までには登山を開始しなければならないと逆算して、今日は前回のコースを止めて、以前のコースに変更して登ることにしている。その方が登りはきついけど、距離が短いので、往復では30分以上時間にゆとりが持てるからなのである。
ということで、家を出たのは4時40分頃だった。家を出る時は未だ夜だったけど、それでも夜明けの兆しはあって、何となく東の方が明るみかけていた。途中から夜が明け始めて、いつもの梅林の駐車場に着いた5時半少し前は、もはやヘッドランプなどは無用の明るさとなっていた。ちょっとの間に夜明けが急に早まった感じがした。日の出は6時近くになっているのかもしれない。
先回は違うコースだったので、たった1回だけの実績なのだが、何だか懐かしい感じがするのは、どういうことなのだろう。何時もの登山口に来て時計を見たら5時42分だった。当初の目論見が6時だったので、それよりもかなり早い出発となった。計画を立てると、常に前倒しにしなければ気が済まないという習性は、サラリーマン時代の悪癖なのだと思うのだが、リタイア後10年以上も経っているのに、それが未だに抜けないというのは、もしかしたら、これは生まれつきの習いなのかも知れないなと己を呆れ返って思ったりした。
なれた道を淡々と登り続けて、中間点を過ぎ男女川源流地点を通過して、間もなく御幸ヶ原に到着。その少し手前の道脇にニリン草の群落があり、そこに交じって幾つかのカタクリが花を咲かせていた。脇の方にはキクザキイチゲの花も見られた。まだ日の出から時間が経っておらず、寒いので花を開いているのはほんの少しで、花びらを細くしてうなだれている姿がいじらしく思えた。御幸ヶ原に出て、休まずにそのまま男体山の頂上を目指す。その途中にもカタクリやキクザキイチゲの花を幾つか見ることが出来た。筑波山の現在では、標高800mくらいの地点が、これらの植物の開花の目覚め時となっているようである。山頂のご本殿に参詣し、裏手の岩場で汗をぬぐい、カメラを取り出す。ここから先しばらくは、景色や野草たちを撮りながら下山までの時を過ごすことにした。今日は望遠レンズを着装してリュックに入れて持参している。
一息いれて下山を開始する。御幸ヶ原に下りるまでの間にカタクリやキクザキイチゲの花を何枚かカメラに収めた。日が差して来て空気も暖まり始めたためなのか、花たちは敏感にそれに応えて表情を明るくしているのを感じた。カメラに収めるのにちょうどよい状態で生えているのが少なくて、2本以上の株の花をまとめて撮るのは難しく、どうしても一株だけの花を撮ることになってしまう。特にカタクリは滅多に並んで咲いていないので、撮るのが難しかった。
御幸ヶ原に出て、今日のメインの目的である、カタクリの里に向かう。御幸ヶ原から女体山に向かう坂の入口付近に、ロープで囲われた300坪ほどの林の下の草地がカタクリの自生地のようで、そこがカタクリの里と名付けられた名所らしい。丁度今はカタクリの花まつりということで、何本かの幟(のぼり)が風に翻(ひるがえ)っていた。で、肝心のカタクリはといえば、まだ寒さで眠っているものが多いようで、花を咲かせているのも開いているのは少なく、昼頃になれば賑やかになるかなという感じの状態だった。草地一面がカタクリの花で赤紫色に染め上げられるというレベルには行かないけど、それなりにカタクリの里と呼べる場所のようには思えた。しかし、草地の一部が異常に掘り起こされて、カタクリの花が踏みつけられている箇所が二つもあり、これは一体何なんだ!と思った。ロープで囲われている内側の場所なのだから、幾らなんでも関係者が今時このような作業をするはずはない。しかも花の密集度が高いような場所が掘り起こされていたので、これはイノシシの所業に違いないなと思った。そういえば筑波山のイノシシが増えているという話を聞いたことがあり、この里が彼らの絶好のターゲットとなってしまったのかもしれない。カタクリの根が彼らの好物なのかは知らないけど、人間だってその昔はこの根からでんぷんを抽出して食料にしていたのだから、イノシシたちにもそれを嗅ぎわける本性が備わっている筈である。こりゃあ困ったことになるのではないかと思った。花を楽しむよりもそのような獣害のことが心配になったりして、複雑な心境で何枚かのカタクリをカメラに収めたのだけど、自信はない。
筑波山御幸ヶ原近くにあるカタクリの里の花まつりの幟。この道の左右がカタクリの群生地となっている。
カタクリの里の花の様子。まだ日が昇ってからあまり時間が経っていなくて花たちは今日の活動を始めていない感じだった。それなりに点在しているのが判ると思う。
イノシシが荒らした跡。とんだ花園への乱暴狼藉である。ここの他もう一カ所荒らされている場所があり、これから先が心配である。
20分ほどをカタクリの里で過ごして、下山を開始する。しばらくはカメラをそのまま持ったまま道端の野草たちを撮ることにした。先ほどの里の花よりも、こちらの方が写しやすく、何枚かをものにした。それらの花の中で、一つだけ名前の知らないものがあり、登ってきて写真を撮っている方に訊ねたのだが、やはり知らないとのこと。草丈が10cmほどと低く、花の形も小さな白い集合化で、ちょっと見にはイブキジャコウソウに似た姿形をしている。しかし、花の色は違うし、この花の方が花数が多いように思えた。拡大鏡を持参していなかったので、花を覗くことが出来ず、確認できなかったのが残念。(帰宅後図鑑を調べたら、ハルトラノオと判った。)この外、ミスミソウなども小さな花を咲かせており、久しぶりの野草たちにも逢えて、満足しながらの下山だった。ゆっくりと降りて、9時半過ぎ駐車場に戻る。その後クリニックを受診して帰宅したのは13時少し前だった。受診前に登山をしたというのは初めての経験だったが、一つの自信になったことは間違いない。糖尿病の場合は、このようなことが可能なので、これからもチャレンジして行きたい。
下山の途中で見たカタクリの花。花びらがツンと反りかえって咲いている様は、穏やかさよりも気性の激しさのようなものを覚えさせる。
カタクリの花たちとほぼ同じ場所に咲いていたハルトラノオの花。草丈が10cmくらいの小さな植物で、うっかりすると見落としてしまいそうな存在である。良く見るとなかなか美しい花を咲かせている。
【カタクリの花のこと】
今回初めて筑波山のカタクリの里を訪れて、久しぶりに群れ咲く花たちを見たり、或いは登山道脇に何気なく咲く花を見て、カタクリのことについて少し書いて見たい。
私がカタクリという植物があるというのを初めて知ったのは、子供の頃に、片栗粉を使って調理をする母から教わったように思う。もうその時は片栗粉がジャガイモでんぷんだというのは知っていたのだけど、何故片栗なのかを疑問に思ったからだった。母の話では、昔はカタクリという植物の根からでんぷんを採って食べていたので、片栗粉というのは、そこから来ているのだという。今ではジャガイモから採れるでんぷんが主流になっているので、それを片栗粉と呼ぶようになったのだと。しかし、片栗粉は知っても、その後ずっとカタクリという植物を見たことはなかった。戦後引っ越しして来て育った、茨城県の北部の常陸大宮市の片田舎の家の近くの山野には、カタクリという植物は自生してはいなかったのである。
カタクリの花を初めて見たのはいつだったのだろう。図鑑を見てそれがどんなものかは知っていたけど、本物に逢わない限りは、なかなか覚えるものではない。どこかの園芸の店などで販売されているのを見たのが初めてだったのかもしれない。それが、いつどこだったのかはさっぱり覚えてはいないのである。そのようにして少年期から青年期に入り、壮年期を迎えても花などのことはさほど関心事ではなかった。それが次第に野草たちに注意を向けるようになったのは、糖尿病を宣告されて、歩くことを余儀なくされてからだった。ただ歩くだけではつまらないので、歩きの時間を使って道端の野草たちの名前を覚えることにしようと決めたのである。普段何気なく見ている道端の雑草と呼ばれる草たちにもちゃんと名前はあり、それなりの個性があるのである。図鑑を頼りに彼らの名前を片っ端から覚えることに努めた結果、やがてかなりのところまで彼らの名前を覚えることが出来たのだが、何しろ植物界には無数といっていいほど彼らが存在しているのである。とても覚えきれるものではないが、しかし、野草たちへの関心だけは並々ならぬものとなり、それは今でも消えることはない。そのようなことを経験していると、やがては野草たちの方から、その存在をアピールして来てくれるようになるのが不思議である。例えば、図鑑で見て、是非逢いたいなと一途に思い込んで探すと、ある時その野草の方から自分の前に現れてくれるのである。それは車で全国を旅して歩きまわるようになって、初めて知った不思議な体験なのだ。カタクリもその一つだったと思う。
カタクリの花は北国に多く、そこに住む人たちにとっては、山に入ればどこにでも自生している野草なのである。都会に住む人にはその気にならない限りは滅多に見られない花ではないかと思う。私がカタクリに出会って、強烈なインパクトを受けたのは、十数年前くるま旅を始め出した頃、東北の春を訪ねていた時に、秋田県の大曲市近郊の山の中だったと思う。「だったと思う」というのは、その後もカタクリが谷を赤紫色に染めて群生している場所を何カ所か見ているので、その当時はデジカメもなく、しっかり記録を録っていなかったため、記憶が混雑してしまって場所を確定できないからなのである。とにかくその頃はくるま旅を初めて間もない時であり、足にまかせてどこでも構わずに走り回っていたのだが、うっかり道を間違えて山奥に入り込んでしまった時に、思いもかけない場所でそのカタクリたちに出会ったのだった。車で走っていると、カタクリやキクザキイチゲなどが咲いていても、殆ど気づかずに見落とすことが多い。よほどたくさん咲いていないと目には入らないのである。しかし、赤紫色が谷を染めているような場所に出会うと、一体何だろうと車を止めずにはいられなくなるのである。
いやあ、あの時の感動は忘れることはできない。今までに見たどんなカタクリの名所などよりもはるかに抜きん出たカタクリの群れ咲く天国だった。ほんの少しの花を見ている限りは、その昔この花の根からでんぷんを取り出したなどと到底想像できないのだけど、谷を埋めて群生しているカタクリを見ると、片栗粉が嘘ではなかったことが確認できたのだった。その後、群生して他場所を訪ねていないので、今どうなっているのかは分らないのだが、そのまま残っているとは思えず、いつもカタクリの花を見る度にあの場所を思い出すのである。
東北の春を旅していると、道の駅の売店などで、様々な山菜類に混ざって、カタクリの花が食用にと束ねて売っているのに出会うことがある。都会の人たちには想像もつかないことだと思うけど、地元の方たちはカタクリの花を茹でて酢のものにしたり、吸い物に入れたりして食するのである。美味というわけにはゆかないけど、優雅な珍味といったところか。いつだったか、青森県の道の駅では、リュウキンカの花も食用として売られていたのには驚いた。リュウキンカというのは、水生の植物で、春に黄色い花を咲かせるのだが、これを食べるとは凄いなと思ったものである。カタクリなら花を食べるのに抵抗は少ないのだけど。
ところで、カタクリの花というのは不思議な形をしているなと改めて思う。優雅な色合いなのだけど、花びらの形からは、実はよく見るとある種の不気味さを感じさせられることがある。何故なら、花びらが反りかえって上を向いており、それは怪しげな女性が髪の毛を振り上げた形相を呈しているかのように見えるからである。花芯部のおしべやめしべを顔とみなすと、妖女の般若面のようにも思えて、気持ちがちょっと後ずさりしてしまいそうになる時があるのは、自分だけなのだろうか。
ここ数年、東北の春を訪ねる旅に出掛けていない。大震災の影響もあって、遠慮がちだったこともあるけど、今年こそは是非出掛けようと思っている。カタクリたちにも是非逢ってみたい。デジカメを活用するようになってからでは、2005年に秋田県の西木村(現仙北市)の赤倉クリ園という所のカタクリの群生が一番記憶に残っている。この連休明けでは、もう開花期は終わってしまっているかもしれない。でもちょっと覗いて見たいなと思っている。
2005年5月に西木村(秋田県仙北市)の赤倉クリ園を訪ねた時のカタクリの花たちの様子。この時は既に開花が終わりかけていたので、あまりいい写真ではない。広大なクリ園の下を埋めるようにびっしりとカタクリが群生していた。
筑波山のカタクリの里は、小さい分だけこの山にとっては貴重な存在なのだなと思った。イノシシ君たちの食料の標的となってしまったことに対しては、何か強固な対策を講ずる必要があると思う。どこがそれを担当されるのかは判らないけど、早急に対処して欲しいと願っている。あれこれ、カタクリの花について思いつくままを述べた。もう2~3回は筑波山のカタクリの花を楽しみたいと思っている。