湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

不景気の実感

2016-10-31 17:01:17 | Weblog
新規事業の関係で都内に行きました
午前中にこちらを出て、クルマで都内に向かいました
横浜から東京まで、首都高に渋滞はありませんでした
まことに快適なドライブではありましたが
今日は月末の月曜日です

皆さん、仕事はどうされたのでしょう?

平和島サービスエリアで休憩しました
特に疲れてはいなかったのですが
時間に余裕があったからです
首都高が空いていたのに
サービスエリアの駐車場はクルマがいっぱいでした
よく見ると、クルマの中に人がいるのです

皆さん、仕事が無いのでしょうか?

繰り返しになりますが
今日は月末の月曜日です
仕事は忙しいはずなのです
それなのに、首都高は渋滞もせず
サービスエリアは、時間つぶしをするドライバーでいっぱいなのです

日本経済は、不況に入ってしまったのでしょうか?

景気は、はっきり言って、良くありません
何故か、マスコミは騒ぎません
不景気の原因は、消費税増税以外には考えられません
にもかかわらず、そのことに触れるのはタブーのようです
マスコミが書きたてませんから
世間には、そういう意識はありません

マスコミもエコノミストも、何を考えているのでしょう
財務省の広報になることしか
彼らには、生きる道が無いのでしょうか?

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気力で、庭木の手入れ

2016-10-30 17:06:16 | Weblog
庭木の剪定をしました
久しぶりのことです
以前は、秋から冬にかけて
よく、庭木の剪定をしていました
いつの頃からか、あまりしなくなったのです
業者に頼むこともありましたが
なかなか、思うようにできないもので
自分でやりたくなってしまったのです

私は庭木の剪定は素人です
ただ、自分の思い通りの庭にしたいだけです
特に凝った庭ではありませんから
簡単な選定で済むはずなのですが
これが、なかなか、思うようにはならないのです
そこで、自分でやってしまうのですが
これはこれで、大変です
若い時のようには、体力がありません

それでも毎年
サルスベリだけは、自分で選定していました
小さな木です、脚立もちょっと使いますが
そんなに体力は使いません
でも、1本仕上げるのに
それなりの労力と時間はかかります

今日は、キャラ、ゆず、梅、ドラセナ、竹・・・など
目立つところにある庭木を手入れしました
梅は、とても全部はやりきれませんし
キャラもそうでした
ドラセナは、枯れ枝が気になっていたので
その他の枝と一緒に、ばっさり切り落としました
だいぶ見栄えが良くなりました

今日の出来は、中途半端な感は否めませんが
それでも、自分では、随分良くなったと思っています
庭木の手入れを思い立つなど
私の体力や気力が、少しは上向いてきた証拠かもしれません
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2016年籐桜祭

2016-10-29 17:33:31 | Weblog
今日は、地元、日本大学生物資源科学部の学園祭

「籐桜祭」

に行って来ました

昨年に続き、二度目です

学生さんの案内で1号館の研究発表を見学したり
新築の、素晴らしいデザインの2号館を見せてもらいました
現在の日大のキャンパスは素晴らしいです
本館からの眺めも素晴らしい!

皆さん!
六会は良いところですよ!

やや小雨模様の天候ながら
お客さんの出足もなかなか良いと思いました
意外にも中高年の人も多く
直販の食品を目当ての方もいらっしゃるようです

2時間ほど歩き続け
糖尿病の身としては、ややきつくはありましたが
若者達と接する喜びもありました
こちらの気持ちも若返ります

日大の皆さん
今後とも、末永いお付き合いをしていきたいと思います
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数学の言葉は正確なコミュニケーション手段・・・数学は”言語”

2016-10-28 18:28:56 | Weblog
もともと、科学技術の領域は
数学で表現された世界です
昔から、科学の言語は数学です
科学は、文明発生以来、ずっと人類共通なのです

人類共通の知の体系である科学は
数字、記号、幾何学的な図面、計算式・・・で表現されます
近代に入ると、科学技術に基づく近代工業が生まれ
世界共通規格の工業製品が生産されるようになりました
自動車はもとより、飛行機から携帯電話まで
人類共通の工業製品が誕生したのです

そうした工業製品の一つとして
パーソナルコンピュータが現れました
そして、それを起動するコンピューターソフトもまた
数学の言葉で書かれているわけです

建築であれ、工業製品であれ
設計や企画の段階で、形状の打ち合わせをしている時に

「そこの角を丸めて」

と言われても、正確な図面は描けません

ところが

「そこの角を5Rで」

と言われれば
半径5の円弧で角に丸みを付けることになり
正確に図面に落とすことが出来ます

数学の言葉は、間違いの無いコミュニケーション手段なのです
科学技術は、数学の言葉で表現され、設計され、伝達されます
数学が分からなければ、科学技術は理解できません
数学の力によって、科学技術は
人類共通の”知の体系”となっているのです
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数学から生まれた言語・・・数学は”言語”

2016-10-27 14:48:15 | Weblog
記号論理学は数学から生まれ、発展したものです
それがコンピューター言語となったわけです
つまり

「数学」が「言語」となったのです

繰り返します
現代人類の共通言語たるコンピューター言語は
数学から発展した言語です
すなわち、計算と同じ厳密さを持つ言語
それがコンピューター言語なのです

これはコンピューターソフトの世界です
ならば、コンピューターのハードは、どうでしょう?
もとより、数学の言葉で設計されています

現代の工業製品は全て
数学の言葉で設計され、表現されています
設計図書は、紙に印刷する必要も無く
コンピューターの記憶素子に記憶され、液晶画面に表示されます

これら全てが、一瞬にして電送され
世界各地で共有できます
横浜で設計された図面や仕様書が
東京の本部、タイの工場、ニューヨークの営業所へ
瞬時に送られ、関係者全員が、情報を共有できるのです
異なる母語を持つ人々が、翻訳の必要も無く、情報共有できるのです

数学の力、恐るべしです
コンピューターは、ハードもソフトも、数学の言葉で設計されています
数学の生み出した言語は、世界を一つにしてしまったのです






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記号論理学とコンピューター言語・・・数学は”言語”

2016-10-26 17:43:58 | Weblog
バートランド・ラッセルやウィトゲンシュタインは
論理の厳密化に半狂乱で取り組み
今日の記号論理学の基本を作ろうとしました
しかし、これは失敗したはずでした

ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」などは
読んでも、何が書いてあるのが、さっぱり分かりません
おそらく、書いた当人も分からないでしょう

なぜ、こんなことになってしまったのでしょう?

理由は簡単です
言語の意味は「数」に比べて多様で不確定だからです
たとえば

「灰色の空から雨が降る」

という表現は、簡単な数式に置き換えられそうです
実際は、灰色に無限の諧調があり
雨にも、様々な降り方があり
そこから受ける人の印象も多様だからです

記号論理学は、知の迷路に迷い込み
逆説や矛盾の山の中で、ついには、抜け出すことの出来なくなった
哀れな人々の悲しいエピソードとして
哲学史の片隅に記録される運命にあったはずでした

ところが、事態は思わぬ展開となったのです
コンピューターの発明です
コンピューターに記録される言語は
ワープロソフトを利用してキーボードで打ち込まれる信号です
どんなに複雑な信号であっても、一つ記号として記録されるのです

こうなると、記号論理学は可能性が出てきました
言語を数式と同じように取り扱う条件が整ったからです
コンピューター言語は、記号論理学の発展したものなのです
天才達の、不毛とも思われた努力は
コンピューター言語となって
力強く、生まれ変わったのでした

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集合論・・・数学は”言語”

2016-10-25 18:08:03 | Weblog
浪人中の私は、哲学書だけではなく
数学の本も読んでいました

遠山啓先生の

「無限と連続」(岩波新書)

には、感銘を受けました

数学者カントールは、集合論を使い
有理数、無理数、超越数などの、数の階層を明らかにしたのでした
彼は論理の力で”無限”を数えたのです
集合論は、そのための手段でした
私は、そこに感動したのです
”数学は論理”という
幼時からの私の信念が証明されたように思えたからでしょう

フィールズ賞を受賞した数学者の広中平祐氏は
テレビに出演して

「集合論は数学の中で一番つまらない分野だ」

と、話していました
確かに、教科書で習う集合論
それ自体は、つまらない形式論理かもしれません

しかし、数式的な厳密な思考の持つ恐るべき力
集合論の衝撃は、数学界を超えて、哲学の領域に及びました
集合論の影響を受けて
思考の厳密化、思考の記号化を考える哲学者達が現れたのです

遠山先生の本には
集合論と記号論理学の関係は書かれていなかったと思います
最近、私は、記号論理学のことを少し知り
集合論と記号論理学との関係の深さを知り
青春の日の感動を想い出しました
私と同じく「集合論」に感動した人々がいたのです
そして彼らは、新しい知の体系を作ろうとしたのでした


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哲学にはまる・・・数学は”言語”

2016-10-24 19:06:08 | Weblog
1年浪人して、受験に失敗した私は
もう受験勉強はやめようと思いました
同じことをいつまでも繰り返していたくはなかったからです

大学の勉強の真似をしようと
行列式とフランス語を自習することにしました
行列式は入門書を書店で求め
フランス語は、ランボーの詩集と仏和辞典を買いました

行列式は、見事な計算方法だと思いましたが
まったく機械的な操作を覚えることであり
計算や機械的作業の大嫌いな私は、すぐに投げ出してしまいました

ランボーの詩集は、辞書を片手に訳せそうでしたが
これもすぐに飽きてしまいました
今でも”ラ ベル セゾン”が
”美しき季節”という意味になることは憶えていますが・・・

一人で勉強するということは大変なことなのです

しかしながら
本当に好きなことは、できるものです
浪人してから、私は、キルケゴールとニーチェの本は
文庫本で手に入るものは、ほとんど読みました
ニーチェの「悲劇の誕生」だけは
ギリシャ悲劇を読んでから読もうと考えていたため
結局、読みそびれてしまいましたが・・・

デカルトとパスカルも読みました

デカルトの「方法序説」はページ数の少ない本ですが
そして、そんなに難解な表現もなかったと思えるのですが
デカルトの発想が私の体質に合わず、拒絶感が強くて難渋しました

パスカルの「パンセ」は
聖書やキリスト教の知識が無い私には、理解しずらい面もあったはずですが
読んでいて苦にならず
これを理解するために、聖書を勉強したいとさえ思いました
私は、パスカルの発想が好きだったのです

ハイデガーとヤスパースも読みました

ハイデガーの「存在と時間」は難解で有名な書だそうです
私は、さほど苦にならず、一気に読んでしまいました
今では、ほとんど、その内容を憶えていませんが・・・

ヤスパースは気に入り、何冊か読みました
「理性と実存」の中にある

”伝達可能性として真理”

という表現に、私は感銘を受け、啓示を受けたと言っていいでしょう
その後の、私の人生を決定するヒントとなりました

私は哲学を学ぶために哲学書を読んでいたわけではありません

「何が正しいのか?」

「いかに生きるべきか?」

青春の日々、考え続けた疑問への
答やヒントを求めて
私は、哲学書を読みあさっていたのでした








 
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最後の大学受験・・・数学は”言語”

2016-10-23 18:07:46 | Weblog
東大に落ちた私に残っていたのは
国立2期の地方大学の医学部受験だけでした
小中学校時代からの友人が一人
高校に入ってからできた友人が一人
そして私の3人で
同じ大学の医学部を受けることになっていました

待ち合わせの場所に現れた小中学校時代の同級生を見て
私は、驚きました
彼が手ぶらだったからです
聞けば、彼はすでに国立1期校に合格していたのでした
行かない旨を連絡してくれれば、それでよかったのですが
彼は、わざわざ約束の時間に来て、私達を激励してくれたのです

高校時代の友人も
国立1期と受験日が同じ、私大の難関校に合格していました
比較的裕福な家の子でしたが
入学金や授業料の格段に安い国立大学を希望していました

後で聞いた話ですが
彼は、予備校の特別クラスにいて
しかも、トップクラスの成績であったため
予備校からは、何処を受けても合格すると言われていたそうです
したがって、余裕があり、落ち着いていました

前途に絶望していたのは私だけでした
予想通り、友人はこの大学に合格し、進学を決めました
私は不合格となり
これが事実上、私の最後の大学受験となりました


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東大受験・・・数学は”言語”

2016-10-22 17:48:31 | Weblog
東大を受けることにしても
これは遊びのようなものであり
私の志望が医学部であることに変わりはありませんでした

何故、私が医師になることにこだわったかと言えば
当時の経済情勢の変化により
それまで露地野菜中心の我が家の収入が減り
家計が切迫してきたことがります
今から思えば、それほど心配することは無かったのですが
子供の私は、親を助け、家を守りたかったのです

医師になることには
人の役に立ちたいという若者らしい理想主義もありました
とにかく、頭で理想を作り上げてしまい
自分自身が、それに縛られてしまったのです
私の意識下では、望まぬ進路に、強烈な反発が生じていました

私は、相変わらず、勉強もせず、家でぶらぶらしていました
心配した友人が、予備校の講習のパンフレットを送ってくれました
それでも、結局。私は予備校にも行かず
模試を受けたことも、一度きりしかありませんでした

東大受験のことは、今でも憶えています
1次試験の日は、早朝、藤沢から東海道線で東京駅に向かい
丸の内口に出て、タクシーに乗り

「東大正門」

と、運転手さんに言いました

運転手さんからは

「東大を出れば将来は安心ですね」

というような意味のことを言われた記憶があります

東大正門から入って
安田講堂に向かって左側に法文1号館があり
そこが私の試験会場でした

全科目マークシート式の東大1次試験は
現在の共通1次試験の原型とも言うべきものでした
この1次試験には、なんとか合格しました
2次試験は駒場が試験会場でした

朝の殺人的混雑の小田急線で下北沢まで行き
そこから井の頭線に乗り換えて駒場東大前まで行ったわけですが
自宅浪人生活で、すっかり弱った私の心と体には厳しいものでした
途中下車したくなったほどでした
駒場東大前駅に着いた時は、ほっとしたのを憶えています

頭がボーッとした状態で受けた東大2次試験でした
他の科目の時はともかく、数学の時が最悪でした
頭に血が上ってしまい、4問中2問しか答案が書けませんでした
その当時は、50%の正解率なら合格できるのが東大理科2類です
正解なら、2問だけでも合格の可能性がありました
しかし、私は、2問とも致命的ミスを犯していました

2次試験は不合格でした
その最大の原因が数学にあったことは確かです







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