湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

自己犠牲

2006-08-31 11:39:34 | Weblog
渡嘉敷島集団自決と赤松元大尉のことは
8月27日の産経新聞の記事をまとめたものです
1回のブログにまとめるつもりが、3回になってしまいました
上手くまとめられなくて苦労しました

私は今、自己犠牲の精神について考えています
赤松大尉の一生が自己犠牲の精神に貫かれていたことは間違いありません
命を失う状況でも、名誉を失う状況でも
大尉は自己犠牲の精神に徹しました

死を前提とした戦場で、軍の作戦変更により彼は生き残りました
平和の時代に、死の命令者という不名誉を自らの意志で背負いました
どちらにも共通するのは、人々を守るためという目的だけです
私利私欲に無縁の生き方です

今日の私達は赤松大尉の生き方を理解できないのかもしれません
しかし日本人には、こうした自己犠牲の精神は
脈々と受け継がれてきたのではないでしょうか
私利私欲に徹するエゴイストが跋扈する時代は
日本史の中では、特異な時代だと思います

産経新聞の記事は元琉球政府職員
照屋昇雄さん(82)の証言をもとに構成された記事です
照屋さんは
「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った」
「赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」
と話しているそうです
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松嘉次大尉の名誉

2006-08-30 05:29:48 | Weblog
貧しい渡嘉敷島の人々を救うため
集団自決を命じる偽の書類に、赤松元大尉はサインしました
赤松氏の善意の決断は、その後死に至るまで、氏を苦しめました
昭和45年3月、集団自決慰霊祭に出席のため
渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため
慰霊祭に出席できませんでした

余命3ヶ月となったとき
「私は3ヶ月しか命がない。だから命令したという部分は訂正してくれないか」と
赤松氏は玉井村長に要請したそうです
しかし玉井村長はこれを無視しました
すでに金を受け取っている人々がいるため
事実を明らかにできなかったのです
公金詐取ですから、犯罪ですし、金を返さなければなりません

中学校の歴史教科書には、今でも
沖縄で軍に強制された集団自決があったと記載されています
ノーベル賞作家の大江健三郎は
「沖縄ノート」(岩波書店)で赤松隊長が集団自殺を命じたとしています

曽野綾子さんは、詳細な調査やインタビューを基に
「ある神話の背景」(文芸春秋)を著し
集団自殺の軍命令説に疑問を提示しました
平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に立てられた碑には
「軍命令」とは一切刻まれていません
渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だそうです
村歴史民俗資料館には、赤松大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った
恩賜の銀時計も飾られています

赤松大尉の弟さんらは岩波書店と大江健三郎に対し
損害賠償と書物の出版・販売の差し止め
謝罪広告の掲載を求める訴えを、大阪地裁に起こしています
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤松嘉次元大尉の決断

2006-08-29 13:44:14 | Weblog
昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として
赤松義次大尉は渡嘉敷島に赴任しました
任務は、120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った
米艦船への体当たり攻撃です
ところが、昭和20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に
出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまりました

「戦傷者戦没者遺族等援護法」は日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した
軍人、軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行されました
障害年金、遺族年金、弔慰金などを国が支給するための法律です
日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人は
戦闘参加者として援護対象となります
しかし命令外の行動で死傷した人々は対象外となります

戦後の貧困を極める渡嘉敷島を救うには
渡嘉敷島集団自決事件を軍命令とする必要がありました
関係者の間で、どのような謀議がなされたかは分かりません
命令書を偽造し援護金を引き出すことになり
赤松氏(元隊長)もそれに同意したのです

かつて特攻攻撃による死を覚悟した赤松隊長にとって
渡嘉敷島住民を救うためなら
自らを犠牲にすることに躊躇は無かったのでしょう
当時の厚生省の課長の言葉は
「赤松さんが村を救うため十字架を背負うと言ってくれた」
というものだったそうです
当局者全員が承知の上のことだったのです
関係者は皆、善意の人でした、私利私欲のためにそうした人はいませんでした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡嘉敷島集団自決

2006-08-28 19:37:04 | Weblog
昭和20年3月28日
渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が
島北部の山中の谷間で手榴弾のほか、鎌、鍬などを使い自決しました

なぜ、このようなことになったのでしょう
座間味島で先に集団自決があり、それを聞いた島民は混乱していました
沖縄には、一門で同じ墓に入ろう
どうせ死ぬなら家族みんな死のうという考えがあったそうです
いずれにしろ切羽詰った、戦場の集団心理です
今の私達には想像できません

渡嘉敷島の悲劇は、これで終わりません
もう一つの悲劇が戦後に始まるのです
敗戦後、米国支配下の沖縄の人々の生活は悲惨を極めました
米軍支配下の琉球政府に、それを救う手立てはありませんでした
本土で戦傷者戦没者遺族等援護法が施行されると
沖縄県民も対象となりました
しかしこれは、あくまで軍命令で行動した人々が対象となるもので
自発的な集団自決は援護法の対象にはならなかったのです
渡嘉敷島は貧困にあえいでいました
沖縄の担当部署の人々は泣きながらお願いしたのですが
当時の厚生省は突っぱねました
同様のケースは本土でも認めなかったからです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人に完全は無い

2006-08-27 17:55:08 | Weblog
病院が信用できない人は病院に行かなければいい
私は健康診断すら受けません
体調が悪い時でも、余程のことが無い限り
病院へは行きません
私は腎臓結石を5回やっておりますので、医者の世話にはなります
病院で破砕したこともありますが、ほとんどのケースは自宅で自然排泄しています
尿酸値が高いので通風もやりましたが
症状が和らいだ時点で通院を止めました

私は、医療の手を借りることなく、この世に生まれました
母は、祖母や曾祖母に見守られる中で、私を生みました
全ての人がそうできるわけではありません
私の妻は未熟児で生まれ、保育器の中で育ちました
私の子供達は、皆早産でしたから、なんらかの形で病院の世話になりました
三男坊は、病院で生まれたにもかかわらず
産婦人科の医師が間に合わず、助産婦さんに取り上げてもらいました
そのせいかどうか、三男坊が一番私に似ていると、家族の者は言います

私は若いころは医者になりたかった男ですから
近代医療を否定したりしません
ただし、医者も病院も全面的に信用することはしません

医者や病院は人の生命を扱う大事な仕事ですから
当然、法律上の扱いも厳しくせざるをえないでしょう
しかし人がすることに完全はありません
医者や病院を割りに合わない仕事にまで追い詰めてしまったら
医者も病院も無くなってしまい
多くの人は近代医療そのものから見放されてしまうのです
人口の多い、富裕者の多い、都会ならともかく
地方によっては、事態は深刻になるでしょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県警と紅衛兵

2006-08-26 11:52:45 | Weblog
法律というものは必要なもので
ある以上は守らねばならぬものです
そんな当たり前のことを、現場の役人が言うのはやむをえません
しかし大臣という地位の人が、そんなことを口にする時は、裏の事情があります
現実的な問題として、法律を守るのが困難な場合です

保健師助産師看護師法違反の疑いで強制捜査された
横浜市の産婦人科「堀病院」の堀院長は、それまでの主張を一転
今後は法を守ることを述べています
日本有数の実績を持つ78歳の産婦人科医が
たった一日で改心し謝罪しております

神奈川県警がどのように堀院長を追及したのか分かりませんが
私は中共の文化大革命における紅衛兵を思い出しました
老いた学者や旧幹部に三角の帽子を被せ、大衆の前に土下座させていました
産院の強制捜査を、わざわざマスコミに事前リークして行ういやらしさ
神奈川県警は紅衛兵そっくりです

今回の件で、私は堀院長の弁護は出来ません
助産師を集める困難が私には分からないからです
同じく「内診」の意味もよく分かりません
私が言いたいのは、出産の迫った妊婦や胎児に
法律的要件が不備だから待ってくれ、とは言えないということです

「内診」が、陣痛の始まった妊婦の側にあって、妊婦を支え
出産のタイミングをはかることであるなら
看護師がそれをするのは、現実的には、問題ないはずです
実際に赤ん坊を取り上げたのは全部医師とのことですから
その意味で私は堀院長の言動を支持していました

・・・・・・・・・・・
あれは、どの子の出産の時だったろう
出産の迫った妻は分娩室に一人ぼっちで放置されていました
時々助産婦さんが見に来てくれるのですが
すぐ、どこかへ行ってしまいます
看護婦さんは誰も来てくれません
なんでこんな酷いことをするのだろうと、その時は思いました
保健師助産師看護師法と厚生労働省の課長通知のためだったんですね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お産の資格

2006-08-25 19:04:23 | Weblog
人が子供を生むのに
何か資格が必要なのでしょうか
生命の誕生を国家権力によって管理するという考え方には
どうにも馴染めぬ恐ろしいものを感じます

法的資格のある人しか子供を生めないとなったら
とても残酷なことです
実際、昔はハンセン病の患者達は結婚を禁じられたり
妊娠中絶を強制されたりしたそうです

現代中国でも、断種や強制妊娠中絶が実施され
隠れた出産による子供が殺されたり、売られたりするそうです
チベットのような辺境でも、強制的な断種や避妊手術のため
現地人は減り、入植してきた中国人の比率が増えているそうです

お産には危険が伴うものなので、現代日本では、病院での出産が普通です
しかし昔は自宅でお産婆さんに取り上げられるのが普通でした
私もそうです、正しくは、お産婆さんの立会いも無しに生まれました
早朝であったため、お産婆さんの到着より先に私が生まれてしまったのです

横浜市瀬谷区二ツ橋町の産婦人科「堀病院」が
保健師助産師看護師法違反の疑いで家宅捜査されました
医師または助産師にしか認められない出産時の「内診」を
看護師や準看護師に行わせていた疑いによるものです

「堀病院」は年間出産数約3000人で、日本有数の産婦人科です
堀院長によれば、”違法”行為は開業当初(1960頃)からしていたとのこと
堀院長は「明日から法を守れば、出産を全部やめなければならない・・・
・・・法に限界がある」と語っています

人が子供を生むのに何か資格が必要なのでしょうか
子供を生む前に六法全書を読む人がいるでしょうか
しかし、子供を生むのを手助けするのには資格が必要らしいのです
医療として扱われるからでしょう

しかしですね、妊娠は病気ではありません、出産も病気ではありません
出産は自然現象ですから、予め時間や人数を決めることもできません
厚生労働省や神奈川県警はそのことが分かっていないようです
沢山の妊婦や新生児のいる産院を朝から家宅捜査するなんて!

とんでもない暴挙です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水泳もよろしく

2006-08-24 19:50:57 | Weblog
今年は高校野球が盛り上がり
プロ野球の人気凋落とは好対照でした
しかし気になるのが
相変わらずの野球中心のスポーツ報道です

たとえば水泳
カナダで開かれていたパンパシフィック水泳では
日本勢は大活躍でした
特に200m背泳ぎの中村礼子選手
大会新記録、日本新記録、今期世界最高記録で優勝、金メダルです
マスコミの皆さん
バランスの取れた報道をお願いします
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謙虚であること

2006-08-23 17:42:56 | Weblog
子供の頃は、将来は何でもできると
夢をいっぱいにふくらませて、楽天的な未来像を持つものです
子供には、一種の全能感があるのです
子供達のヒーローは、スーパーマンに代表されるように
超人的能力の持ち主です
親や他の大人達に守られた現実の中で
空想の全能感と現実の無力感が、混じり合ったまま
混然一体となっているのが、子供達の精神世界です

大人は違います
大人は自分の力の限界を知っています
自分の力の及ぶ範囲で、日々の行動を決定します
自分の立場を守りつつ、相手の立場も尊重します
自分が全能だとも考えませんし
相手が全能だとも考えません

自分の失敗や能力不足に落ち込んだり
相手のミスを攻撃したり
しょうもないと思いつつも
ついつい、やってしまいます
私のことです
要するに、私はまだまだ子供なんですね

謙虚であること
それは自分の限界を知ることから始まります
しかし、それだけではなく
人の限界を知ることもまた、必要でしょう
傲慢にもならず、卑屈にもならず
謙虚であるということは
そういうことではないでしょうか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人相

2006-08-22 07:13:43 | Weblog
気のせいかもしれません
日本人にも外国人にも感じるのですが
日本のことを悪く言う人って
人相悪くないですか?

日本のことを良く言う人には
立派な紳士が多いように感じます

人の言うことを、どこまで信じてよいのか
なかなか判断の着きかねることも多いものです
そんな時私は、なんとなく、その人の人相を見ます
顔立ちが整っているかどうかではなく
人相です
人相にはその人の人生が出ます

先日、NHKの南京事件特集番組を観て
ふとそんなことを思いました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする