湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

バリアフリー事始9

2006-05-31 15:33:01 | Weblog
長男は今年中学1年生になりました
ここまでの子育てに、苦労したかと問われれば
大変だったけれど、苦労ではなかったと
私は答えるでしょう
確かに、一生懸命がんばりましたが
それというのも、子供がかわいくて
子育てが楽しかったからなのです

子育ての記憶というものは、なぜか楽しいものばかりで
そんなはずは無いのですが、苦労した記憶というものが
ほとんど無いのです

これは私の一つの仮説なのですが
人の心の中には”子育てソフト”が事前にインストールされていて
わが子を見て、”かわいい!”とおもった瞬間
このソフトが起動するのです
後はソフトの命じるまま、苦労を苦労と思わず
ひたすら”子育て行動”をすることになるのです
その過程で、さらに子供への愛情が深まります

それは恋に似ているかもしれません
恋に夢中な人は
どんな努力も
苦労とは思わないではありませんか

最近、親子間の不幸な事件を報道によって知らされます
そんな時、ふと私は思うのです
この人達は”子育てソフト”の起動に失敗したのではないのかと

子育ての記憶というものは
結果に強く影響を受けるもののようです
満足すべき結果のでた時
その過程は全て楽しい記憶となるようです
どうも”子育てソフト”は強烈な結果追求ソフトのようです
なんだか営業マンのノルマ達成努力みたいです
達成できた時は、大変な苦労も、楽しい思い出となるではありませんか

振り返れば、至って順調に思える長男の子育てです
しかし、その初めを、今になって想い起こすと
とても順調な滑り出しとは言えない状況でした
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バリアフリー事始8

2006-05-30 11:42:12 | Weblog
出産後、体力の落ちた妻を見て
私も、私なりに努力しました
病院の送り迎えはもとより
食事の支度、買い物、そして赤ん坊の世話
オムツの交換、ミルク、それからゲップ
赤ん坊を育てたことのある人なら分かると思いますが
ゲップが上手く出ないと
後で苦しんだり、吐いてしまったりするのです
28週の極小未熟児として生まれた長男は
退院後も、体重は平均を大きく下回り
ミルクは少量ずつしか飲めず
ゲップも上手にできませんでした
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バリアフリー事始7

2006-05-29 11:14:57 | Weblog
健康なときは何とも思わずにいたことも
体が弱れば負担に感じるものです
とりわけ、毎日の生活の舞台である住宅は
問題が、より切実です

妻は、産後の弱った身体を引きずるようにして
赤ん坊の世話をしながら、家事に復帰しました
なんと言っても、0才から100才までの4人の男達の生活は
彼女一人にかかっているのです
しかも、これは”始まり”です
やがて来るであろう、介護と子育ての同時進行の”始まり”です
若い母親の心の底には
秘めた覚悟があったのです
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バリアフリー事始6

2006-05-28 14:29:51 | Weblog
21才の妻からみれば
98才の祖父はもとより、63才の父も”おじいちゃん”です
我が家に嫁ぐことを決意したその日から
妻は、二人の”おじいちゃん”の世話をするのは自分の役目であると
明確な自覚を持っていたらしいのです

私にとって意外だったのは、私の妻に限らず
若い女性で、嫁ぎ先も含めて、家族の介護を積極的に引き受ける人の多さです
人としてのやさしさと責任感を、多くの若い女性が持ち続けていてくれることを
私は心強く感じております
ただし結論からいえば
独身の若い女性が高齢の家族の介護を一人で引き受けることに
私は反対です
私のマンションでも、そのような入居者はおられます
しかし大抵は数年で退去されるケースが多く
あきらかに、精神的に追い詰められた印象を受けるものです

祖父は壮健な人で
私達が結婚した当時は、自転車に乗って老人会に出席していたほどです
しかし、その高齢から、来るべき日ー要介護の日々を
妻は新婚時から想定していました
そして、そのような未来に不安を持つことはありませんでした
若い健康な肉体は、未来への恐れを知りませんでした

長男の誕生は状況を一変させました
初めての子育ては、妻から、精神的にも肉体的にも
他のことをする余裕を奪いました
出産後はほぼ寝たきりとなり
その後も、身を起こすだけでも億劫な日々が続いたのです
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バリアフリー事始5

2006-05-27 12:36:45 | Weblog
妻が我が家の嫁となったとき
彼女はまだ21才でした
高校を卒業してから3年間、都内の銀行に勤めていました
3年間、毎日駅まで母親の送り迎えで銀行に通った彼女は
童顔とも相まって、どこか箱入り娘的雰囲気を持っていました
・・・・・
ディズニーランドの大好きな21才の女の子の嫁いだ先は
34才、63才、98才の3人の男達の住む
古い家でした
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バリアフリー事始4

2006-05-26 12:38:49 | Weblog
古い記憶を辿ることは
昔読んだ本のページを、もう一度開くことに似ています
埃を払い、黄ばんだ表紙を開け、最初の行に目を落とします
読み進むうちに、はじめて読んだ時と同じ感動が新鮮によみがえってきます
忘れていたわけではないのです
ただ、記憶の底に保存され、意識にのぼらなかっただけなのです
・・・・・・・・・・・・・
”オレは何で車椅子対応住宅なんて作ろうとしたんだろう?”
そんなふうに自問したとき、真っ先に想い浮かべたのが
車椅子生活を余儀なくされた伯母の姿であり
そして、その伯母を車に乗せて我が家を訪れる伯父の姿だったのです
車椅子生活というものは、当人はもとより
車椅子を押す側の人にとっても、大きな負担となるものです
伯父伯母夫婦が帰った後は、妻とは、必ずこの件で話し合ったものです
乗降の楽な特殊仕様の乗用車のことや、住宅の作りについても・・・
妻はとりわけ、この問題に強い関心を持っていました
それは、彼女にとっても、切実な問題であったからなのです
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バリアフリー事始3

2006-05-25 11:25:08 | Weblog
もう15年も前のことです
6月に結婚式を控え
私達は何かとせわしない日々を過ごしておりました
伯母の紹介で知り合った私達は、仲人を伯母夫婦に依頼し
あとは結婚式を待つばかりという頃
突然、伯母は、くも膜下出血で倒れてしまいました
手術の結果、幸い、一命をとりとめた伯母は
リハビリ期間中、毎日日記を書き、知能の衰えと戦いました
しかし肉体は、ついに自力歩行を回復せず
車椅子生活を余儀なくされたのです
私達夫婦に長男が誕生してからは
伯母は伯父の運転する車で我が家を訪れることもあります
はじめは家に上がってもらったのですが
その後、家にあがることはなくなりました
車の窓越しに子供達の顔を見ては、かすかにうなづき
そうして帰っていくのです・・・

今から思えば、ちょうどその頃
私は一つのマンションの構想を練っていたのでした
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バリアフリー事始2

2006-05-24 11:00:18 | Weblog
バリアフリーという言葉を私は知らず、世間にも流通していない頃
私はコルビュジェ湘南台の企画を考えはじめました
コンセプトは”車椅子対応住宅”です
設計段階で、すでにその旨は伝えていたのですが
工事に取り掛かってみると
エントランスにスロープを付けるために
駐車場を1台分犠牲にしなければならなくなったりしました
階段を上ってエントランスに至るというのが
今なおマンション作りの基本になっていますが
この高低差を、緩い傾斜のスロープで解消するとなると
思いのほか長い距離が必要となるものなのです
スロープだけではありません
”車椅子対応”となれば
廊下も広く、ドアも大きくしなければなりません
そこまでして作った”車椅子対応住宅”ですが
実際の入居者の中に
車椅子使用者は一人もいませんでした
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バリアフリー事始

2006-05-23 16:21:01 | Weblog
コルビュジェ湘南台が完成してから10年以上が経ちました
このマンションは私が手がけた最初のバリアフリー建物です
当時、バリアフリーという言葉はありませんでした
近隣はもとより、藤沢市内でも、
賃貸専用の共同住宅にそのような建物があるという話は
聞いたことがありませんでした
建築現場では、私と現場監督と職人達の試行錯誤が続きました
なんとか竣工し、募集をすると
建物引渡しとほぼ同時に満室となりました
私にとって意外だったのは
入居者は30代の夫婦を中心とする若いファミリー層で
介護がらみの入居者がいなかったことです
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