湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

末っ子と買い物談義

2018-04-30 17:20:40 | Weblog
最近は、子供と買い物に行く機会が増えました
今日は、中学二年の末っ子と買い物に行きました
彼の夏服を買うためです

このところ身長が伸びたので、着られる服が無いのです
特に、これからの季節に着る服がありません
そんなわけで、何着かまとめて買ってやりました

シャツを買えば、パンツも買い
ビーチサンダルも買うことになりました

末っ子は、地味なおとなしい性格ですが
派手な柄のTシャツが欲しいと言うのが意外でした

「Tシャツの柄は出会いだ」

「気に入ったのを見た時、すぐ買わなければいけない」

これが、私から末っ子へのアドバイスです

帰りに「わいわい市」に寄って
サンドイッチと湘南ゴールドのジュースを買って帰り
家で、二人だけの昼食をとりました
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昭和を想い、平成を思う

2018-04-29 14:03:55 | Weblog
今日は

「昭和の日」

なのですから
昭和という時代について
私なりに、ちょっとだけ、考えてみます

まず、私が昭和生まれです
そして、私の両親も、昭和生まれです
さらに、わたしの妻も、昭和生まれですし
妻の両親も、昭和生まれです

私の祖父母は明治生まれ
私の子供達は、皆、平成生まれです

昭和とは、まさに、私の生まれた時代であり
私の身近な人々は、昭和生まれが中心で成り立っています
これは、昭和32年生まれという
昭和のど真ん中で生まれた私の宿命です

私にとって、昭和とは”景気の良い時代”でした
一言で言い切れば、そうなるのです
毎年毎年、少しづつではあっても、必ず、便利になり
暮らし向きが向上する時代でした
経済成長が良いことであることを、実感として理解できる時代でした

昭和生まれの日本人の共通認識として
景気を良くすること、経済成長を持続すること
それらは、基本的に、良いことだと理解しています

ただし、高度成長期には公害問題が酷く
経済成長には深刻なひずみが伴うことも理解しています
しかし、公害対策が経済成長の足を引っ張ることはなくて
それが別の産業を生み出し、経済成長が持続することも知っています

平成に入ってからの日本は元気がありません
日本経済は、中国にさえ抜かれてしまったそうです
昭和の日本人としては、情けない気分がぬぐえません

石油が枯渇しようが、温室ガス規制がなされようが
中国が経済成長しようが、少子高齢化になろうが
それを条件とした、経済成長のチャンスはあるのです
人手不足など、省力化による生産性向上の、またとないチャンスなのです

元気を失い、勇気を失い
自分の頭で考える能力を失ったかに見える
平成以降の日本人を、私は好きになれません
経済の苦境を、増税で乗り切ることなど出来ません
そんな簡単なことさえ理解できないのが、平成の日本人なのです







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朝鮮半島の平和と日本

2018-04-28 16:46:16 | Weblog
北朝鮮の金正恩委員長と韓国の文在寅大統領が板門店で抱擁し
いよいよ、朝鮮半島が終戦に向かいそうです

思えば、長い年月でした

朝鮮戦争の停戦合意ができてから
すでに60年以上の時間が経過していますが
終戦には至らず、韓国と北朝鮮は、ずっと、戦争状態だったのです

その間、ベトナムは南北が統一され
ベルリンの壁は壊され、東西ドイツが統一されました
ソ連が崩壊し、共産主義の本山は消えました
米ソ対立が根本原因であった朝鮮半島の南北分断は
もう、その前提が失われてから30年以上が過ぎているのです
東西冷戦の最後の遺物が、朝鮮半島の南北分断でした

朝鮮半島の南北統一への道筋は、まだ、見えませんが
とにかく、やっと、戦争状態は終結しそうです

南北朝鮮の人々はもちろん、世界中の朝鮮系の人々にとって
大きな喜びであることは間違いありません

皮肉なことに
トランプ大統領の強硬策が、金正恩委員長を軟化させ
結果として、平和への道筋が開かれました

もし、朝鮮半島の終戦が宣言されたら
今年のノーベル平和賞は、トランプ大統領になるのでしょうか?
それとも、金正恩委員長と文在寅大統領の3名共同受賞となるのでしょうか?
今から興味の湧くことです・・・

日本にとっては
隣国の戦争状態が終わるのですから
好ましいことではあるはずです

しかしながら
核武装した統一朝鮮は
世界最悪の反日国家でもありますから
日本は、政治的には、さらに窮地に追い込まれることになります

憲法改正も核武装も出来ない日本は
政治的には、北朝鮮以下の、三流国家として生きることになるでしょう
自業自得とはいえ、情けないことです





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最高裁で争うべき大川小訴訟・・・大震災の教訓

2018-04-27 17:42:58 | Weblog
今朝、新聞の一面に、とても嫌な記事を見ました
それで、一日中、気分が憂鬱です
見出しを見ただけで、記事を読む気も起きませんでした

大川小訴訟
事前防災の不備認定
2審も市・県に賠償命令

という見出しです

津波で児童が流され、死んだのは
仙台市と宮城県の責任だというわけです

判決理由で小川裁判長は

「大川小が、津波浸水予想区域に含まれていないとしても
北上川の近くにあることから津波の危険性はあり
予見は十分に可能だった」

と言及したのです

嘘をつけ!

誰も予想できなかったのだ!

後知恵で、こういう嘘を言う奴が裁判官なんかやっているから
日本では、まともな裁判が出来ないのです

親が学校まで迎えに来た生徒達は助かっています
犠牲になった生徒達の親は、津波の心配なんかしていなかったのです
それを今になって、市や県に賠償を求める・・・
一体、何を考えているのでしょう?

裁判に勝って笑顔を見せる親たちを見ると
もう、何も考えたくなくなります
自分の子供が亡くなって、金が入り、さぞ嬉しいのでしょう!

世論に媚びたのか、裁判官は、ここまで不誠実になれるのです
市も県も、断固、最高裁まで闘うべきです
それによつて、日本の司法に良心があるのかどうかを、見極めましょう

この裁判の判決の意味は
大震災の後、親に迎えに来てもらえなかった子供達の死の責任を
現在の石巻市民と宮城県民が負うということです

先日、フィギュアスケートの羽生結玄選手が
仙台と宮城県に、それぞれ500万円ずつ寄付したそうですが
総額14億3600万円には、とても足りません

羽生選手が宮城県民であるとしたら
判決は、羽生選手にも責任があると言っているわけですが・・・
まさか彼は、そのために寄付をしたのではないでしょう



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仕事に成功する秘訣

2018-04-26 16:58:36 | Weblog
この一ヶ月、後ろ向きの仕事が続き
気分が乗らない日々が続いていました
これから、徐々に、方向転換をしていくつもりです

何事も、良いことばかりではありません
曲がり角や、危機に直面し
そこから、新しい展開が始まるのです

私の人生は、ずっと、そうでした

簡単に見えた仕事に、思いの外、手こずり
困難に思えた仕事が、意外に、簡単に片が付いた
そういうことが、実際に、あるのです

もし、事前に困難が分かっていたら
手を出さなかったであろう仕事もあります
私の場合、楽観的であることが、未来を切り開いてきました

苦しい時には、自分を追い詰めすぎないことです

仕事で成功する秘訣があるとしたら
とにかく、感情的にならないことです
感情的な反応を排除し
脳のスイッチを、感情から理性に切り替えることに成功したら
大抵のことは、上手くいきます

混乱の一ヶ月が過ぎ
今の私は、もう一度、自分の現状を見直しています
これが実は、仕事では、一番難しい作業かもしれません
何をすべきかを決めることは、必ずしも、簡単ではありません

特に、新しい仕事をする場合
やるべきことを見つけることは、難問を解くのと同じことなのです
もし簡単だったら
誰もが、簡単に、新規事業を成功させることができることになります

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シャクヤクの花が咲きました

2018-04-25 18:44:18 | Weblog
事務所の庭にシャクヤクの花が咲きました
私の伯父が作った品種です
昔は沢山あったのですが
今は、これだけになってしまいました
手入れをしなかったかあrです

以前、大船のフラワーセンターに

「大谷系」

と書かれた株がありました

伯父が戦争中株を預かり
品種改良を重ねていたのです
今では、伯父も亡くなっておりますが
定年後の従兄が守っています

伯父からは
庭に生えている椰子の木もいただきました
伯父は、常に先進的な農家でした
農作物を作る名人でした
気さくな人柄でしたが、ある種の天才だったと思います
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ブログを書く幸せ

2018-04-24 17:13:43 | Weblog
記憶の不確かさというものは
このブログを書いていても、時々、自覚させられます
だからこそ、また、ブログに記録する意味もあります

未来の私への防備録として
誰でも分かる表現で、このブログを書いています
未来の私は、現在の私からみれば、ある意味”他人”です
現在の私が理解できる省略表現では
未来の私は理解できない可能性があります
私は、自分で書いたメモの意味が理解できなかった経験があるので
他人でも理解できるように書く公開ブログが、肌に合っているのでしょう

他人に知られて困るような内容を
あえてブログに書こうとは思いません
私は、さほど、秘密らしい秘密を持つ男ではありませんし
自分がブログに書く内容について、ほとんど警戒心がありません
これをダシにして、誰かが私を攻撃しても
それはそれで、かまいません
私は、それを楽しむでしょう

つまらぬことを心配するよりも
すぐに忘れてしまうような、ささやかな想いを
日々、記録に留めておける幸せと
少なからぬ人々と、それを共有できる幸せの方が大きいのです

ブログは、素晴らし日記の形式です
家族とは別の親しい話し相手がいるようで
孤独を忘れ、幸福な日々が過ごせます
私は、けして、孤独な人間ではないのですけれど・・・




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仕事を面白いと感じるために

2018-04-23 18:36:39 | Weblog
私は、よく

「一日、会社に出てくれば、一日、仕事がある」

と、言います

今日も、そんな一日でした
予定があろうが無かろうが、人は訪ねてきますし
やるべきことは、あります
考えること、打ち合わせること・・等
仕事が続く限り、消えることはありません

時に、悩ましく
会社に出てくることさえ嫌になることもあります
深刻な問題に対処しなければならない時
もう、生きているのも嫌になるくらいです

それでも、会社に出てくれば
何らかの解決策や方向性が見えてきます
それが現実というもので
仕事には、どうにもならないことは無いのです

どうにかなるのが現実です
仕事は現実そのものです

どうにもならないと思い込むのは
現実を無視するからです
良いも悪いも、現実が出発点になります

「時間よ、止まれ!」

と叫んでも、時は止まりません
すべてが、動いていくのです
現実を無視すれば、自分だけが取り残されてしまいます

人生は”川の流れのごとく”かもしれませんが
仕事は、海流に漂うごとくです
上流も下流もなく、何処に流されるか分からない面白さがあります
それを恐怖と感じるようでは、仕事はできません

何が起きるか分からないのが現実です
そして、その”現実”を相手にするのが”仕事”です
分からないことを面白いと感じる心が、仕事を面白くするのです

仕事上の問題は、必ず、解決できると信じることです
自分の勝手な思い込みで解決策を考えるのではなく
自ずと浮かび上がる解決策もあるのです
時が全てを解決する場合もあり
これは、仕事に限らず、人生の悩み全般に言えることでもあります


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車屋でランチ

2018-04-22 18:12:54 | Weblog
天気のいい日曜日
妻と長女と連れだって
車屋でランチをしました

暖かい初夏
気分の良いひと時がもてました

予約もなく行ったので
鉄板焼きのカウンター席しでか空きがなく
国産ヒレ肉のランチにしました
私や妻や娘には、ちょうどよい分量でした

車屋は、自動車なら
我が家から10分程の距離です
気軽に行けるところですが
日常を忘れさせてくれる空間です
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最後の一葉

2018-04-21 11:16:51 | Weblog
今朝見ると
柏の最後の一葉は散っていました
もう、柏の木には、若葉しかありません

「最後の一葉」

という言葉から
私は、昔、英語の教科書に載っていた
同名のO・ヘンリーの短編小説を想い出しました

病気の若い女性が、窓から見える壁の蔦をさして
毎日落ちていく蔦の枯れ葉の、最後の一枚が落ちる時
自分の命も終わるのだと
同じアパートに住む老画家に言います

もう、蔦には、最後の一枚の葉しか付いていません
翌朝、すでに、すべての葉が落ちているだろうと
その若い女性は、窓の外を見ました
すると、まだ一葉の枯れ葉が残っていました
女性は元気を取り戻しました

その夜、老画家は亡くなりました

最後の一葉と見えたのは、老画家が描いた絵でした
老画家は、寒さの中、一晩中かけて
落ちた最後の枯れ葉そっくりの絵を描き続けたのです
その結果、自身の健康を損なってしまったのでした

教科書に出ていたO・ヘンリーの小説では

「賢者の贈り物」

というのも憶えています
貧しい若いカップルのお話です
美しい髪の女性と金時計を持った男性の話です

男性は、金時計を売って、女性のために髪飾りを買い
女性は、髪を売って、男性のために時計の鎖を買いました

貧しい時代
人は、何かを失わなければ、人に何かを与えられませんでした
そうした中で、互いに助け合い、生きた時代があったのです
それは、けして、小説の中だけではなかったはずです

今の時代の日本では
命のやり取りをするほど深刻な事態は、滅多にありません
しかし、互いに助け合うという精神は、失いたくないものです

コスパばかり考えて、買い叩き専門の消費者や
労働者を使い捨てるブラック企業のことなどを思うと
貧しくとも互いに助け合った人々の物語を
少しだけ、想い出してもいいのかなと考えた次第です



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