湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

本当の志望・・・数学は”言語”

2016-10-21 11:02:26 | Weblog
浪人してから
私は物理の参考書を買いました

「よくわかる物理Ⅰ、Ⅱ」

です・・・著者は竹内均先生です

私は小学生の時から算数と理科が得意でしたが
好きなのは、理科の方であり
特に物理が好きでした
小さな頃は、もし、将来、科学者になるなら
物理学者になりたいと思っていました

そんな私ですが
高校生になってからは
物理も得意科目ではなくなりました
物理の教師の一人に
黒板に公式を書くだけの退屈な授業をする人がいて
私は、すっかり物理が嫌いになってしまったからです

「よくわかる物理」は、書名のごとく、よくわかる参考書でした
私は、この本のⅠを半分ほど一気に読んで
「物理と化学」という受験雑誌の懸賞問題に挑戦しました
1ヶ所つまらない勘違いをして、満点を逃してしまいましたが
かなり上位の成績で、雑誌に名前が掲載されました
満点は数人しかいなかったので、悔しい思いをしました

悔しい思いはあったものの
このことで、私は物理への自信を取り戻しました
しかし、それからがいけません
私は、それっきり、あまり物理の勉強をしなくなってしまった・・・

まあ。そんなこともあり
「よく分かる物理」の著者の竹内均先生を
私は、尊敬するようになりました

竹内均先生のご専門は地球物理学です
私は”地球物理学”という言葉に心ひかれました
竹内先生はプレートテクトニクスがご専門で
これは地球全体の地殻変動をテーマとするものです
私は、地下ではなく、地上に興味がありました
大気や海洋水、太陽から降り注ぐ太陽光線や電磁波
それらが地球上の生物や環境に与える影響
それらを総合的に研究できたらいいと思うようになったのです

ただし、そんな勉強ができそうな大学は
私の知る範囲では、東大理科Ⅱ類しかありませんでした
私は予備校の模擬試験を受けてみました
東大理Ⅱの合格可能性は45%以下でしたが
これから勉強すれば、なんとかなりそうに思えました
そこで、医学部志望は変わらないものの
国立大学1期試験だけは、東大を受けることにしたのでした









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医師を志望したが・・・数学は”言語”

2016-10-20 18:17:31 | Weblog
地方の国立大学の医学部を二つ
そして、首都圏の幾つかの私大の医学部を受験し
すべてに不合格であった私は
ごく自然に、浪人をすることになりました

医学部を目指した理由は幾つかあります
最大の理由は、医師の収入が多いことでした
お金が欲しかったのではありません
両親が税金の重さに悲鳴を上げていたので
両親を助けるために、農家の跡継ぎとしては
家産を守れるだけの収入を得る必要があったからです

他にも、大きな理由がありました
私の好きな作家、北杜夫も安部公房も
文学部ではなく、医学部出身だったからです
私は、中学生の頃から、作家志望でもあったのです
高校に入ってからは、短編小説を書いたりしていました

今から思えば
私は、本音では、まったく医学部を希望していませんでした
私は、医療に関する、ほぼ全てが嫌いでした
病気は勿論、病院も、医者も、薬も注射も、消毒の匂いも・・・
まして死体など、見るのも触るのも、真っ平でした
とにかく、全てが、現在に至るまで、嫌いです

他人から強制されたわけでもなく
自分自身で選んだ道であるにもかかわらず
私は、自分の進路が、嫌で嫌で、たまらなかったのでしょう
こんなことで、勉強をやる気が出るわけがありません
浪人した私は、予備校には行かず
最初にしたのは、自動車学校に通うことでした
さすがにこれには、一緒に医学部を目指していた友人も呆れていました

私が本音で憧れていたのは、京都大学の理学部でした
そこで、京都大学の入試の数学の問題を見てみると
私には、まったく、歯が立ちませんでした
解答を見ると、計算の途中で、ある公式を思いつけば
まるでパズルを解くように、スラスラと問題が解けるのでした

私は、がっかりしました
これでは、中学の時の二次方程式の”たすき掛け”と同じです
知っている公式が、パッと思い浮かぶかどうかが勝負です
”数学は論理”と考える私には
慣れや勘が解法に結び付く数学は邪道なのでした
京都大学への夢は幻滅に終わりました

同じ頃、東京大学の入試問題を見て、私は感心しました
実に良く出来ていて、私は東大を受験してみたくなりました
数学の問題についての記憶はありませんが
どの科目も、とても良い問題が作られていて、解答は論述式でした
東大の入試問題には、独特のものを感じました
私は、浪人して、東大の入試問題を見てから、東大に憧れたのでした













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勉強の仕方が分からない・・・数学は”言語”

2016-10-19 11:13:47 | Weblog
高校生ともなれば
その先に大学受験が控えているわけですから
当然ながら、苦手の数学を克服しなければなりません
ところが、私には、数学を勉強した記憶がほとんどありません
家で教科書を開いた記憶がないのです

私には

「数学なんか、ちょっと勉強すればなんとかなる」

という思い込みと
実際には、どうにもならない焦りとがあり
結局、何もできず、焦るばかりで、時が過ぎていったのです
まったく何もしなかったわけではなく
ラジオ講座を聞いたこともありましたが
しかし、すぐにやめてしまいました

ラジオ講座の講師に勝浦捨造という人がいました
腹痛をこらえながら話すような、独特の口調の講師でした
この頃、偶然、父の中学時代の持ち物が出てきて
その中に「軍事数学」というパンフレットみたいな本があり
その著者が勝浦捨造でした
彼は、戦争中は軍事数学を教え、戦後は受験数学を教えていたわけです
私には、世渡りの上手い奴だという軽蔑心しか起きませんでした

実際のところ
私には、数学の勉強の仕方が分からなかったのです
算数も数学も、勉強をしたことがなかったので
いざ、勉強しようと思っても
何をどうしていいのか、さっぱり、分からなかったのです
私の場合、中学時代の基礎すら、あやしいところがあり
大学受験レベルの数学の能力に達するのは
容易なことはありませんでした








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つまらなかった高校の授業・・・数学は”言語”

2016-10-18 12:00:37 | Weblog
高校に入学して
最初の新入生テストを受けると
私の成績は、ほぼ、全体の真ん中でした

私にとって衝撃だったのは
1年1学期の、最初の中間テストでした
私の成績は最下位に近いところにありました
特に数学がひどく、ほぼ零点に近い点数でした

これが高校の怖いところでした
小学校時代はもとより、中学校時代は
どんなにさぼっても、こんなことはありませんでした
高校では、サボると、下がいないのでした

特に数学は、この高校の伝統として
1年生の最初の中間テストで難しい問題を出し
生徒に、高校の勉強の厳しさを教え、やる気を引き出す方針でした
私は、見事に、それにやられてしまったのです

その後は、数学の授業を、それなりに聞いていたとは思います
はっきり言って、面白くはありませんでした
さすがに零点に近い点数をとることはなくなりましたが
数学の成績は芳しくありませんでした

ぼんやりと、数学の授業を聞いていましたが
私には、授業から何かを学んだという実感がありませんでした
指数や対数、複素数などの概念を習っても
教師は、それらを使って、四則演算を黒板に書くだけです
これでは、本質的に、小学校の算数と変わりません
代数になって、文字が増えただけです

高校3年間を通じ、結局、数学への印象は変わらず
私が数学を好きになることはありませんでした
当然ながら、得意になることもありませんでした

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非論理的な数学教育・・・数学は”言語”

2016-10-17 18:56:54 | Weblog
中学校での数学に関する思い出では
1年生の時、授業中、突然
担任の女性教師が、私の耳元でささやいたことです

「あなたが1番よ」

私は、その時の成績が学年で1番だったのです
私は中学校に入った時点でも、数学は得意だったのです
ただし、小学校時代と同じく
家で教科書を開いた記憶すらありません
その後も同じで、私は中学の3年間
家で数学の勉強をした記憶がありません・・・

やがて、私の数学の成績は精彩を欠くようになりました
勉強をしないために、成績が下降したともいえますが
より強烈な理由がありました

数学の教師は若い独身女性でしたが
正直なところ、容貌が、私の好みではありませんでした
それだけなら、まだしも
黒板の使い方は汚いし、男言葉は使うし
さらに、冬になると、彼女はずっと鼻づまりの声になり
私には数学の授業が耐えがたいものになってしまったのです

それまでは、授業をぼんやり聞いているだけで
算数も数学も、何の困難も無く、理解できていたのです
ところが、この教師の授業は、苦痛な上に、理解しがたいものでした
この教師が中学3年間の私の数学担任であったことが
私の数学嫌いを決定的にしました

この教師だけの責任ではありませんが
中学校の数学教育には問題がありました
二次方程式の因数分解では”たすき掛け”という手法があります
この手法は、解が小さな整数の場合以外は、まず使えません
それを、何の説明も無く、だらだら教える教師に、私は反発を感じました
私にとって”数学は論理”だったからです
経験や勘で答を当てはめるなど、邪道以外のなにものでもありません!

そんなわけで、私は数学の授業をまともに受けなくなりました
数学を”論理”だと考えていたにもかかわらず
私は、いまだに、必要条件、十分条件、必要十分条件の違いが分かりません
彼女の説明では、その違いがさっぱり理解できなかったからです
今思うと、自分で教科書を読み返せば良かったのですが・・・

私は、中学3年間を通じて、すっかり数学嫌いになりました
小学校高学年から、ずっと
将来は科学者かエンジニアになると思っていましたが
中学校の卒業が近付く頃は、漠然とですが
画家か小説家になりたいと思うようになっていました





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数学の本質は論理・・・数学は”言語”

2016-10-16 10:48:47 | Weblog
小学校時代、算数が得意であった私ですが
だからとって、いつも100点をとっていたわけではありません
100点満点は、あまりとらなかったと記憶しています

私は計算が嫌いで
苦手とまでは言いませんが、よく計算ミスをしました
それが、算数嫌いの最大の要因であったかもしれません

「あなたは難しい問題ができるのに、簡単な問題を間違う」

そう、先生に言われたこともあります

私は、いわゆる応用問題とか文章題
難しいといわれる問題で、解けなかったことはありませんでした
理科でも、知識を問われる問題以外は
いわゆる頭を使う問題に関しては
私に解けない問題はありませんでした

「誰もできない問題でも、オレには解ける」

「頭を使う問題で、オレに解けない問題は無い」

私は、いつの間にか、そんな信念を持つようになっていました

小学校の算数と言えば
基本的には計算問題のことです
ところが、計算問題が嫌いで、応用問題が得意な私は
中学校に入る頃には
数学の本質は、計算ではなくて

”論理”

であると考えるようになっていました

そして

「論理で解ける問題ならば、オレには必ず解ける」

という、傲慢な信念を持つに至ったのでした
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算数が得意だった私・・・数学は”言語”

2016-10-15 16:02:38 | Weblog
私は小学校の時は算数が得意でした
いつ頃から得意になったのかは定かでありません
多分、3年生から4年生にかけてだったでしょう
5年生の頃は、もう、先生よりできました
6年生の時の担任は
このまま中学2年生に入れても大丈夫だと言いました

今でも憶えていますが
小学校3年生と4年生の時のことです
家で二つ上の姉と父が算数の問題を考えていました
教科書の後ろのページにある難しい応用問題でした
私は、それを横から覗いて、すぐに解いてしまいました
父も姉も、けして算数の苦手な人ではありませんでしたが
私の方が、素早く解いてしまったのです

小学校5年生の時は
先生が正五角形の内角の角度を調べろというので
皆が分度器を当てている時に
私は、その場で
三角形の内角の和が180度になることから計算して

{180-(360÷5)}÷2×2=108 (度)

という答を出し
先生に、やり方を含めて報告しました
先生は、渋い顔をして、喜びませんでした
むしろ、否定的なコメントをされました

同じく、小学校5年生の時だったと思います
1から10までの数字を全部足してみなさいと言われたので
私は、ちょっと考えてから

(1+10)×10÷2=55

という答えを出しました

この時は、先生には報告せず
仲の良い、算数の良くできる子にだけ話しました
彼とは、先生の教え方が間違っている時など
「あれは違うよね」などと、話していたのです

これほど算数の得意な私でしたが
算数は、さほど好きではなく、家で勉強した記憶もありません
宿題すら、しなかったかもしれません
私は、宿題をサボる常習者でしたから・・・
計算が好きではなく、時々、計算ミスをしました
どちらかと言えば、算数は嫌いだったのかもしれません
その原因に一つは
教室内で味わう孤独だったのかもしれません・・・





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ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞

2016-10-14 18:30:06 | Weblog
ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しました
これは驚きです!
なんとも気分のいい驚きです
まったく予想していませんでした

ディランの受賞により
ノーベル文学賞の権威が上がるかもしれません
国際的には、どうか知りませんが
日本の文壇では、ノーベル文学賞には、あまり権威がありません

日本人の二人の受賞者、川端康成と大江健三郎は
日本の作家としては、どうみても二流どころであり
もし、ノーベル賞を受賞していなければ
”忘れられた作家”となる運命の小説家達です

川端康成も大江健三郎も
その作品が、広く大衆に感動を与えたり、読み継がれているわけではなく
一部のインテリに一時的に評価された作家に過ぎません
実際、彼らの書いた小説は
誰が読んでも、あまり面白くないでしょう

村上春樹氏が受賞できないことを残念に思う人もいるようですが
村上氏は、ベストセラーを何冊も出している売れっ子です
しかも、司馬遼太郎などと違い、国際的にも知られています
いまさら、彼にはノーベル賞の権威は必要ないでしょう

ボブ・ディランについては
私は「風に吹かれて」しか知らないのですが
それでも、私にとっては、彼は神様です
偉大なシンガーであり、シンガー・ソングライターです
あの歌は、それほど素晴らしい!

どれほど多くの時間をかければ
人は、あまりに多くの人々が死んでしまったことに気付くのだろう
その答えは、友よ、風に吹き飛ばされている
その答えは、風の中を舞っているのだ

今、ふと口ずさんだ歌詞を、即席で訳してみました
自信はありませんが、だいたい、こんな意味のはずです
中学生でも分かる簡単な英語で

ハウ メニィ タイム マスタ マン ルック アップ
トゥー メニィ ピーポー ハブ ダイ

私でも聞き取れるはっきりした発音で、ディランは歌います
メロディーはゆったりとしていて
反戦歌ですが、怒りや告発を前面に出さずに
死の悲しみや自身の無力感を、静かに歌い上げているのです
戦争だけでなく、テロの悲しみにも、そっくり当てはまる歌詞です

今度、カラオケに行ったら
「風に吹かれて」を歌ってみようと思います
ディランのノーベル賞受賞のお祝いに・・・







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長女は数学が得意・・・数学は”言語”

2016-10-13 18:59:38 | Weblog
私が

「数学は言語だ」

と言ったのは
もう10年以上前
長男が中学校に入学した時でした

その時は、深い考えはなく
そのようなものとして、漠然と、自分が認識していたのであり
長男に、毎日の学習が大事であることを伝えるために言ったのです
毎日使っていないと能力が衰えるので
簡単な問題でもいいから、毎日やりなさいと言ったのです

長い通学時間と水泳の練習のため
勉強時間がとれない長男のことを思った
私なりのアドバイスでもありました

長女が中学校に入学した時も
同じことを、私は、長女に言いました
結果としては、長男も長女も、私の言いつけは守りませんでした
そのため、次男三男には、こうしたアドバイスはしませんでした
すると、次男三男は、まったく勉強しない子供になりました
無駄は無駄としても、言っておくべきでした・・・

長男も長女も、数学の勉強は、さほどしませんでしたが
成績は、わりと良かったです
特に長女は

”桐蔭学園中学の統一到達度テスト”

は、満点で、約650人中の1番でした

しかも、本人いわく

「時間が20分以上余ったので、寝ていた」

ということです

少し前、長女の通う大学で
就職のための模試みたいなのがあり
成績表があったので、見てみると
彼女の数学の成績は、満点で1番でした

この大学に入学させた目的の一つが
長女に数学の教師の資格を取らせることだったのですが
彼女は、そのために必要な単位を取りませんでした・・・





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数学は”言語”

2016-10-12 18:44:43 | Weblog
少し、いつもと違う話をします

数学について・・・です
と、聞いただけで
もう、これ以上読む気を失う人もいるでしょう
多くの皆さんは、数学が嫌いだと思います
私も、正直なところ、あまり好きではありませんでした

皆さん、なんで、あんなに数学が嫌いになるのでしょう?
その理由は明解です
数学が、特殊な”言語”だからです
この世に英語嫌いが多くいるように、数学嫌いが多いのは
数学が、一種の外国語のごときものだからです
普通の言語では理解できないので、苦痛なのです

用語の意味、計算規則、論理の展開
これら全てが、厳格な文法である”言語”
それが数学の本質です・・・もっとも洗練された世界共通語なのです
さらに、数学は科学の言語でもあります
だからこそ、科学は万国共通で、しかも厳格なのです

数学嫌いを減らすには
この学問が、一種の語学であるという前提で
教育プログラムを作り直すのが良いでしょう
語学であれば、理系文系の色分けであれば、文系に属します
文系の学問として教えれば、数学嫌いの文系学生を減らせるでしょうし
論理的思考力に問題の多い文系学者も減らせるでしょう
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