湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

米国の慰安婦決議

2007-07-31 19:00:23 | Weblog
選挙では自民党が大敗し
米国議会では、慰安婦決議が採択されました
日本はどうなってしまうのでしょう

新聞は、慰安婦決議が採択されたのが、むしろ嬉しそうです
これで日本の右翼に打撃が与えられるということでしょうか?

日本人は何を基準に生きているのでしょう
デタラメによって、自分を貶め、自分の先祖を貶め
外国を喜ばすことだけに情熱を感じるマゾヒズム
自虐の快楽は何故、こうまで人々をとらえるのでしょう
日本人は、いつの間に、そんな変態の集まりになってしまったのでしょう

米国の慰安婦決議は、日本の核武装を妨害するための布石です
北朝鮮の核武装以来、日本の核武装に反対する根拠を失った米国の
汚い政治謀略です
そんなことにも気付かない日本の政府とマスコミ、知識人は
私には、痴呆老人にしか見えません

日本の対抗策は、まず米軍への予算的協力を削減することです
次に兵器の国産化です
イージスシステムだろうが、ステルス戦闘機だろうが
日本が自力開発できないものはありません
そうやって少しづつ、米国の支配から脱却していくのがよいでしょう

当然、米国は日本に圧力をかけてきます
米中合同で圧力をかけてくるでしょう
そうなった時は、こちらから慰安婦決議をもちだして
米国の不実をなじればいいのです

さらに対抗策として、こちらかも、米国非難決議をしておく必要があります
原爆投下でもよいし、占領下のレイプと慰安所設営についてでもいいのです
これらは、歴史的事実ですから、米国のデマとはわけがちがいます
堂々とやればいいのです
とにかく、攻撃されたら、対抗策を打たなければいけません

日本の選挙の直後に採決をした、慰安婦決議の政治性を甘くみてはいけません
もしこれを選挙前にして、選挙の争点になったなら
米国は慰安婦カードを使えなくなるからです

日本は、また負けました
バカ役人、バカマスコミ、バカ政治家の無策の成果でした
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自民党の歴史的敗北に思う

2007-07-30 19:53:09 | Weblog
自民党が歴史的大敗を喫し
安倍首相の責任問題も避けられなくなりました
安倍首相を支持し続けた私には
なんとも残念な結果となってしまいました

不思議なことに、私には、あまり残念な気持ちが湧きません
安倍首相の敗北は、私自身望んでいたことです
ただし、私が望んだのは小差の敗北です

小泉前首相や小池百合子防衛相の影が薄かったことが、私には意外でした

私が安倍自民党の敗北を望んだのは
彼が増税をしたからです
私は、現状では、いかなる増税にも反対です
増税政権は、いかなる理由によっても、国民は支持すべきではありません

私が、安倍政権の小差の敗北を望んだのは
小沢一郎の増長を懸念するからです
小沢一郎は、まったく、とんでもない男です
彼が、日本の政界で影響力を増すことは
日本のためにならないどころか、日本を崩壊に導く危険すらあります

小沢は、政治を権力闘争ゲームとしか考えないニヒリストです
日本で、権力闘争に一番有利なのは
外国勢力と官僚勢力に気に入られることです
日本のマスコミは官庁と外国の広報ですから
売国奴が、一番、マスコミ受けするのです

田中角栄は官庁を手なづけましたが、アメリカに嫌われ、酷い目に会いました
角栄の子分であった小沢は
官僚とアメリカには、絶対さからわないことを学習しました
中国とは、仲良くすると
個人的に、美味しい話が舞い込んでくることを学びました

ロッキード事件以後
日本の政治家は売国奴の集団になりました
その代表が小沢一郎です
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学歴社会を否定ー私の太宰治論7

2007-07-29 19:49:51 | Weblog
立身出世することが、明治以降の日本人の行動原理になってしまいました
特に、知識人と呼ばれる人々の行動原理となったのです
この場合の知識人とは、高学歴者
簡単に言えば、大学卒業者のことです
近代日本は、大学卒業者だけを知識人とする社会になりました

大学を卒業し、出世をするということが
知識人の、当たり前の生きる道となりました
この状況は現在も、まったく変わっていません
学歴無用論など、まったく嘘でした
官庁はもとより、民間企業といえども、学歴こそが人を判断する基準です
既存の組織の中で、立身出世の階段を登ろうとするなら
まず、立派な学歴を付ける必要があります

江戸時代の知識人は、学歴などありませんでした
そもそも大学がありませんでした
幕府や各藩が作った学問所は、武士だけのものでした
その代わり、庶民には、無数の多様な私塾がありました
先生と呼ばれる基準は、あくまで世間の評判であり
学歴の裏付けなど、まったく必要ありませんでした
そうした私塾から、近代日本を作り上げる人材も生まれたのです

太宰治は東大に入学しましたが
授業には出席せず、結局、中退しました
彼が学歴社会をどう見ていたか、この事実があきらかにしています
太宰にとって、東京帝国大学といえども
評判の良い”塾”以上のものではありませんでした
ですから、東京帝国大学の名前だけが必要だったのです

近代的知識人の行動原理である、高学歴と立身出世
これを、結果として、拒否して生きたのが太宰治だったのです
太宰治が、いまだに、多くの知識人から嫌われる理由は
案外こんなところにあるのかもしれません
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寿司と文明ー私の太宰治論6

2007-07-28 20:55:55 | Weblog
明治維新を境に、日本は近代国家への道を進み始めます

日本人の意識は、江戸時代末期には
すでに現代人と変わらぬほど近代的でした
特に、当時の世界最大都市であった江戸の住民は
近代的市民の先駆けともいうべき生活と意識の持ち主でした

私の独断によれば
寿司が食べられるのが近代都市の条件です
ニューヨークには1960年代から、旨い寿司屋があったそうです
今では、ロンドンやパリはもちろんのこと
北京やモスクワにも寿司屋があります

しかし、なんと言っても、世界で一番最初に寿司屋ができたのは
日本の江戸です
つまり江戸は世界最初の近代都市だったのです

実際、江戸は当時世界最大の人口を持つ都市だったのです
皆さん、知っていましたか?

寿司屋が存在するためには
近代的都市基盤が整備されていなければなりません
外食産業として、生の魚の料理を提供するには
効率的な流通システムが必要です
料理人には、高度な衛生観念が必要です
全ての段階で、衛生観念をもって営業されなければなりません
そうでなければ、たちまち集団食中毒事件が起き、商売が成り立ちません
火を通すような、殺菌過程がないからです

寿司は江戸の庶民のファーストフードとして誕生しましたが
たちまち高級料理の地位を獲得しました
寿司が大衆的であると同時に、高級料理でもあるというところは
江戸時代も現代も、まったく同じです

十分近代的であった日本人が
明治維新により、国家権力によって「近代化」を強制されたことが
日本人にとっては不幸をもたらしました

太宰治の苦闘は、日本の近代がもたらした、日本人の苦しみを
わが身をもって表現するものでした


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先見性ー私の太宰治論5

2007-07-27 19:56:42 | Weblog
太宰治は、死の少し前
次のような言葉を残しています

おれはこの頃、アナキストなんだ
政府なんて、いらんと考えているんだ
全部、商人に任せればいいんですよ
商人は利にさといからね
鉄道だって、道路だって、今より上等なものを、ちゃんと作ってくれますよ
役所とか、役人とか、そんなものは百害あって、一利なしなんだ
今度の戦争で、実証済みじゃないか

まるで、国鉄民営化や道路公団民営化の先取りです
規制緩和、自由化の先取りです
役所の非効率、反国民性の指摘
まるで、社会保険庁の問題点を、ずばりと言い当てているかのようです
現代でも立派に通用する政治論です

太宰治とは、60年後の未来を予言していた思想家でした
そうした太宰治の本質を理解できた日本人は
過去には、ほとんどいなかったのではないでしょうか?

あまり自慢したくありませんが、私だけが理解していたのかもしれません

猪瀬直樹の太宰治論は素晴らしい内容です
上記の太宰のアナキズム論は、猪瀬氏の著書から拝借しました
猪瀬氏なら、当然注目する発言です

ただし私の記憶によれば、太宰は同一の内容を文章にしています
ですから、私は猪瀬氏の本を読む前から、太宰のアナキズムを知っていました

残念ながら、猪瀬氏の著書では、太宰の先見性は、まったく評価されていません

太宰のアナキズムは、思いつきや、はったりではありません
彼の信念でした

太宰の凄さは
日本が第二次大戦に巻き込まれ、やがて敗戦に至る経緯も
軍人や軍国主義のためではなく
官僚制の問題ととらえていることです

こうした認識は、今日なお、少数派のものでしょう
けれど、もっとも正しい歴史認識だと、私は考えます
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現代感覚の先取りー私の太宰治論4

2007-07-26 19:41:39 | Weblog
太宰治は代表作「人間失格」の中で
極めて印象的なセリフを主人公に言わせています
だいたい、つぎのような意味です

自分には食欲というものが無い
美味しいものを食べます、めずらしいものを食べます
しかし、お腹が空いたから、何か食べたいという感覚が無いのです

私は初めて「人間失格」を読んだ時
この部分に強い印象を受けました
それというのも、まさに私自身が、そのような感覚の持ち主であったからです

小学校の時は、給食の時間が辛かったです
食べたくないのに、無理に食べなければいけない苦痛は
これを経験した者にしか分かりません

結婚した後、妻が同じ様な経験の持ち主であったことを知りました

太宰治の少年時代であれば、空腹という感覚を知らない子供は
少数の金持ちの子弟に限られたことでしょう
しかし現在は、これは普通の家庭の普通の子供達にみられる現象なのです

先進国でも、大衆が衣食住を満たされたのは、ほんの最近のことです
すると、従来には考えられなかった生理的現象が
一般大衆の間にもみられるようになったのです

拒食症や過食症、いわゆる摂食障害というもの
あるいはグルメブーム・・・根は同じところにあり
現代人の食生活は、強く自意識に支配されており
お腹が空いたから、何か食べるといった
生理的欲求に従った自然な食行動を、とりにくくなっているのです

太宰治は、こうした現代的テーマを先取りした作家でした

あくまで真実を探求しようとした太宰は
自身の感覚や生活、自分と関係を持った人々の真実など
身の回りの世界に関心を集中し、それを作品化してきました

それは一見、自閉的で非社会的な態度のように見えます
世の太宰治観は、そのようなものではないでしょうか
しかしそれは一面的な見方だと私は思います

彼の真実を探求する眼は、社会全体を見据えていました
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現実を生きた女性像ー私の太宰治論3

2007-07-25 14:13:04 | Weblog
太宰治の作家としての価値は
近代日本の男性の作家の中ではめずらしく
女性を描くことの出来た小説家であることです

それまでの日本の近代文学に出てくる女性像は
性格がよく分からないものや、極端な性格を強調したものなど
あくまで男性の好奇心を刺激する女性像にかぎられていたと、私には思われます

魅力的な女性を恋した男性の、心の中の女性像であり
女性自身が何を感じ、何を考えているのか、いま一つはっきりしないものでした
あくまでも、男性の側からみた女性像でした

太宰治は実際の女性の日記等を材料に女性を描いたわけですから
リアリティーが違うのは当然です

それ自体は太宰治の創作ではないけれども
現実に存在する、生きた女性像を描こうという志をもったこと自体が
太宰治の作家としての新しさであり
日本文学史上の、太宰治の存在の大きさなのです

太宰が女性を描くことに巧みだったのは、背景には彼の恋愛体験もあるでしょう
しかし太宰が新しい日本の現実を描こうとした意志は
個人的体験を超えた志があったからです

太宰の小説はスキャンダラスな題材を扱っていて
観念的な禁欲主義とも、綺麗事の”恋愛”とも無縁です
かといって好色文学とは、まったく違います

現実的な女性像と恋愛を描きながら
好色文学とはっきり決別したところに
太宰文学の本当の創造性と現代性があると思います
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太田治子さんー私の太宰治論2

2007-07-24 08:58:51 | Weblog
太宰治の代表作「斜陽」や傑作の一つである「女生徒」は
太宰治のファンだった女性から借りた日記をもとにしたもので
主たる内容は、その日記からの引き写しによって成り立っています

井伏鱒二にくらべれば、太宰治は、他人の日記を使うにしても
文学的センスがひかり、立派に彼の作品に昇華しています
しかし、その根幹が他人の日記であり、その引き写しであることは
素人にもはっきり分かる代物です

猪瀬直樹によれば
太宰治は日記がほしくて太田静子と付き合い
ついには一子をもうけてしまった、ということになります

その一子とは太田治子さんで
以前、NHKの教養番組で「日曜美術館」というのがあり
そこのレギュラー出演者でした

太田治子さん静子さん母子の名誉のために言えば
太田静子は、あきらかに太宰治の愛するタイプの女性でした
知的で大らかで無垢な、太宰治が心から愛する女性だったはずです

太宰が太田静子との恋愛に躊躇したのは
戦後の厳しい生活状況の中で、妻とおさなご達をかかえ
これ以上の人間的トラブルを抱え込みたくなかったからでしょう
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私の太宰治論ー現代文学の先駆

2007-07-23 11:58:59 | Weblog
私は太宰治のファンなのですが
今さら、彼の小説を読み返したいとは思いません
小説の愛読者というのとは、ちょっと違うのです

私にとって太宰治は、たんなる小説の作者ではありません
人生観や社会観の形成に大きな影響を受けた知識人なのです
精神的な意味の”人生の師”なのです

太宰治やその小説の主人公の人生は、私の人生とは無縁です
しかし、太宰治の、ものの見方や考え方は
今なお、私の人生の指針となっています

それを一言で言えば
世俗の価値観に惑わされず、真実を探求するということです

太宰治の業績は、これまた一言で要約すれが
”現代日本文学の先駆け”です

日本の、明治維新以降の急激な近代化は
欧米の知識を身に付けた一部エリートによって指導されたものです

小説の世界も、エリート向けの純文学と
一般向けの大衆文学とに分かれていました
エリート意識の強い者は、大衆文学を通俗小説と呼び、見下していました

太宰治は欧米型教養を背景とする純文学を指向しつつも
すでに一部のエリートの独占物でなくなった近代的教養と生活スタイル
つまり、近代化した一般の日本人の
生活と意識を描き出す文学を模索したのでした

しかし、いかに太宰治の天才的想像力をもってしても
大衆の心を、簡単に描き出すことはできません
そこで彼が注目したのが日記でした
プロの作家ではない、普通の人の日記こそが
大衆の心を知るもっとも確実な材料だったからです

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猪瀬直樹氏の太宰治論

2007-07-22 14:44:59 | Weblog
猪瀬直樹による太宰治伝を読み終わりました

猪瀬直樹氏は今や東京都副知事です
石原慎太郎知事の要請に応えたものです
道路公団民営化では、政府委員として、小泉内閣のもとで働きました
文芸評論よりは社会評論で名高い文筆家です

その猪瀬氏の書いた太宰治論です
これが面白かった

太宰治は私の大好きな作家です
しかし世の太宰治論なんて、つまらなくて読む気もしません
太宰治が面白いのは、その作品なのであって
私には、本名津島修治の生涯については、二義的な興味しかありませんでした

猪瀬氏は、太宰が生涯繰り返した自殺未遂は
すべて実家からの資金援助を目的とした、狂言であったこと
作品のいくつかが、愛読者の日記を元に書かれたこと
日記がほしくて、女性と付き合ったこと・・・
などを暴露しています

本の題名は「ピカレスク」、悪漢という意味です
小説のためなら、女をだまし、誤って殺してしまった男
それが太宰治だというわけです
だから太宰はピカレスク・・・悪漢なのだ、ということです

猪瀬氏は、太宰治と兄貴分の井伏鱒二をこてんぱんにやっつけています
しかし私には、不思議と、太宰や井伏への敵意が湧きませんでした

作家に必要な能力は、想像力ばかりではありません
編集者の能力も高く評価すべきです
真に創造的な芸術家の仕事は、未だ芸術と認められないものを
芸術作品として世に提示することです

太宰も井伏も、私の見るところ、芸術家です
彼らの鋭いセンスが無ければ、それら作品は生まれず
多くの人々に感動を与えることはできなかったはずです
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