湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

日本の緊急課題は核武装

2012-10-31 18:24:33 | Weblog
現在の日本の、もっとも緊急の課題は核武装です
近いと言われる総選挙で、選ぶべきは核武装を主張する政治家です
今、核武装をしなければ、深刻な危機が日本を襲うでしょう

この問題は一気に解決してしまうのが一番です
ぐずぐずしていると、アメリカが妨害します
さっさと

「核武装宣言」

を、してしまえばいいのです

アメリカは当然妨害します
そうしたら、日米安保を破棄するしかありません
とにかく、核武装してしまえば、相手は言うことを聞くしかないからです
そして、これがうまくいけば
中国が日本に無意味な挑発行為をしなくなります

平和のために!・・・「核武装」が必要なのです

実際、核保有国は他国から攻撃されたことがありません
日本の技術をもってすれば、簡単な原爆なら、すぐ作れます
実験をする必要もありません
侵略されないかぎり、使うことが無いからです
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尖閣問題と反核運動の関連性

2012-10-30 18:12:14 | Weblog
中国が尖閣諸島を攻めても
アメリカは日本を守ってはくれません
そもそも、日米安保条約は不平等条約であり
アメリカが日本のために戦ってくれたことは一度もありません

竹島が韓国に奪われても
日本の漁民が、ソ連や北朝鮮や韓国に拿捕されても
日本の航空機が、それら諸国に撃墜されても
アメリカが日本のために動いたことは一度もありません

アメリカ軍が東日本大震災の時に動いたのは
あれが、外国との戦争ではなかったからです

日本は、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、湾岸戦争でも
アメリカのために協力しました

平和憲法なんか、嘘っぱちなのです

今の日本の危機は、アメリカが日本を見捨てていることです

仮に尖閣諸島で日中紛争が起きても、アメリカは動きません
通常兵器の闘いで日本の自衛隊が中国海軍に勝利しても
中国は日本に対し、核恫喝を仕掛けます
その時、アメリカがどう出るか、予想が付きません
確かなことは

”アメリカが日本のために中国との核戦争をすることは無い”

ということです

今の日本の喫緊の課題は核武装です
それを、もっとも嫌うのが中国であり、アメリカです
だからこそ、坂本龍一まで使って反核運動をするのです
当の坂本は、そのことにまったく気付いていないでしょうけれど・・・
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尖閣諸島問題の仕掛け人はアメリカ

2012-10-29 18:12:03 | Weblog
週刊現代が

「アメリカは日本でなく中国を選んだ」

という記事を出しました

私は、週刊現代の原発事故関連の記事は一切無視しました
原発事故関連の記事を読んでから、週刊現代を信用していません
したがって、この記事も、さらっと目を通しただけです
内容も、大したことはありません
私でも想像で書ける程度の内容です

それでも、私は、注目すべき記事だと思います
週刊現代の記事がどうこうというより
間違いなく、アメリカは、日本より中国を選ぶ可能性があるからです

アメリカの指導層が中国に買収されていることは間違いありません
アメリカはエゴイズムの国です
他国との関係では、自分達の利益になる行動しかしません
アメリカ人は、私利私欲のために生きることを正しいと考える民族です
日本より中国のために働くことが自分の利益になるなら、そうするのがアメリカ人です

そもそも尖閣諸島問題の背後にあるのはアメリカです
日中が対立して、一番喜ぶのはアメリカです

現在の中国の指導部は、親族名義で、アメリカに莫大な財産を持っている連中です
アメリカ政府は、そんなことは全て調査済みで、抑えています
いざとなれば、アメリカに亡命してしまおうと考えているのが
現在の中国政府指導部の面々なのですから、彼らはアメリカに逆らえません

アメリカの示唆と誘導によって、中国政府は尖閣問題を騒いでいるのです
おそらく、アメリカは

”尖閣問題では中立の立場をとる”

と、中国政府要人に話しているはずです
だからこそ、中国政府は、あれほど馬鹿なことができるのです
中国が、参加者に日当を払ってまで官製デモをやらせるのは、アメリカの示唆があるからです

アメリカの狙いは、日中を離間させ、漁夫の利を得ることです
日中が対立すればするほど、アメリカは笑いが止まりません
バカな中国人は、日中の対立が、何より自分達の不利益になっていることに気付きません
アメリカは、危険な戦争ゲームに日中を巻き込み、自分達の利益をはかろうとしています

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悩みを楽しむ

2012-10-28 15:03:24 | Weblog
迷い・・・というものがあります
今の私は、まさに、その迷いの中にあります
自分の人生の進むべき方向が見えなくなっているのです

焦らず、しばらく迷いを楽しむことにしましょう
いつか、必ず、方向性が見えてくるはずです
人生の回答は、意外なところから、その姿を現わします

喜びの中に、必ず、よい兆候があり
悩みと言いましても、それは必ずしも、苦しむことばかりを意味しません
楽しさや喜びの中に、次に進むべき道のヒントが隠されていることもあるのです
ただし、偶然ではなく、必ず、そこに至る過程があり
後から振り返れば、ある種の必然の道が用意されていたとも思えるのです

楽しむことは、しかし、けして簡単ではありません
少なくとも、私にとっては、簡単ではありませんでした
人生を楽しむことが、けして上手ではなかったのです

今でも、自分は、楽しむことが下手な人間だと思っています
上手に楽しめるようになることもまた修行なのかもしれません
クルマの運転が下手ではドライブは楽しめません
ドライブを楽しむには、やはりそれなりに、運転も上手になる必要があります

レーサーのような高度なテクニックを身に付けなくとも
普通のドライブを安全に楽しむことはできます
人生を楽しむためには、高度なテクニックはいりません
でも、最低限のテクニックは必要だということです

人生の悩みの中で
自分の生きる方向を悩む悩みというものは、もっとも贅沢な悩みです
もう、それは、何人ものガールフレンドの中から一人を選ぶような悩みなのです
贅沢なことです・・・しかし、だからこそ深刻でもあります
悩みに悩み抜くことにもなるのです
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地震対策は、どの程度の規模を想定すべきか・・・大震災の教訓90

2012-10-27 17:02:08 | Weblog
今年の4月1日の朝刊各紙に
東海地方を中心に、高さ30mを超える津波が襲うと出ていました
まだ、憶えている方もいらっしゃるかと思います
科学雑誌などは、その線に沿った特集などをしています

馬鹿な話です・・・とんでもない4月バカです
そんなこと、あるわけがないのです
東日本大震災の津波だって、15mを超えた所など、ほとんど無いのです

福島原発を襲った津波も、せいぜい波高5m位ではないでしょうか?
津波が高くなるのは、海底の地形や地上の地形
要するに、波の下の地形によるものです
先に行くほど狭まる地形では、波高が高くなるのです

実際に被災地を見てきた人の話でも
沿岸部よりも、海から数km奥に入った谷間の地域に
大きな被害が出ているところがあったとのことです

地形に関わりなく全体の波高を3倍も高くするには
おそらく10倍から100倍のエネルギーが必要となるはずです
そんなことが可能でしょうか?・・・不可能なのです!

地震を引き起こすのは、地殻の下にあるマグマと呼ばれる溶岩の対流です
年間数センチといわれる、その流れに
徐々に圧迫された地殻が、反発する時に起こるのが地震です
その時の地割れが断層です

もし、東海地方に東北地方より桁違いに巨大な地震が起こるとするなら
東海地方の地殻は、東北地方の地殻より、けた違いに頑丈でなければなりません
そうでなければ、桁違いのエネルギーを貯め込むことはできないからです

そんな事実はないでしょうし、そんなことを証明した学者もいないでしょう

地殻の強度が同じ程度なら、同じ程度のエネルギーしか蓄えられません
したがって、東日本大震災を大幅に上回る地震が起きる可能性は、ほとんどありません
逆に言えば、日本中の、どの地域も
今回の東日本大震災程度の津波の発生は、想定しなければいけないのです

全国の津波に関する防災対策は、今回の東日本大震災の規模を想定し
それに余裕がある程度が、ちょうどよいのです
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他者との関わりの中で、自己の可能性と自由も拡大する

2012-10-26 19:09:11 | Weblog
久しぶりに、お腹をこわしました
午前中は腹痛に悩まされました
私の食べ過ぎが原因だとは思われますが
あるいは、風邪の影響もあるかもしれません
すこし頭痛もあります

いま、体調がだいぶ良くなったので、ここで、パソコンを叩いています

先日、市川議員の会合に出て、いろいろ、学ぶことがありました
私は、残念ながら、最後までお付き合いすることができず
午前3時半を過ぎた頃、退散いたしました・・・有意義な集まりでした

人は、自分が見ている世界が、世界のすべてであると思い込みがちです
しかし、実際は、自分が見ている世界は、世界のほんの一部
自分だけの世界であるにすぎません

テレビやインターネット、新聞、雑誌・・・等により
世界の情報は、またたく間に、私達の目の前に現れます
現代人は、事実上、世界の出来事を同時共有しています
そう言う意味では、世界は一つになりつつあります

情報は国境の壁を超え、人類を結び付けています
経済を論じる時に、一国だけを問題にしても意味がありません
世界との関わりの中でしか、マクロ経済を論じることができなくなりました
情報と経済は”世界化”しています

そんな時代には
私達は、ついつい、自分と他人は、同じ情報を共有していると思いこんでしまいます
自分が住んでいる世界に彼らも住んでいるのだと、当然のごとく思いこむのです

しかし、それは間違いです
人は、それぞれ、自分が思っている世界に住んでいるのです

ふだん、付き合いの無い人と話すと
彼らが、自分とは別世界に住んでいることに驚かされることがあります
自分のまったく知らない世界を、彼らは知っています

自分の知らない世界を知ることは、人生の可能性が増えることを意味します
考え方の選択肢が増えるわけで、それはまた、生き方の選択肢も増やします
これは、すなわち”自由”の拡大です
思考と行動の両面において、可能性が拡大していきます

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羊たちの喧騒

2012-10-25 19:08:26 | Weblog
羊という動物は、不思議な動物です
私は小岩井牧場に行って、初めて身近に接しました
凶暴性が、まったくありません

ウチの子供達が、羊を取り囲み
無理やり草を食べさせようと、強引に、口に草を突っ込もうとしても
一切抵抗をしません
かといって、草を食べてくれるわけでもないのですが・・

人間に愛想を振りまくでもなく、抵抗するでもなく
暴れることや、凶暴な行いは、一切しません
安心して、子供達を遊ばせておけます

遊牧民たるヨーロッパ人にとって
羊は、従順や隷属の象徴です

「羊たちの沈黙」

という
異常犯罪者をテーマにした映画がありました
内容は忘れてしまいましたが
人の心を支配して、凶悪犯罪を行う知能犯が主人公であったと記憶します

日本を代表するような作家が

「人間の羊」

とか

「羊をめぐる冒険」

などというタイトルの小説を書くのは
日本人が置かれている”羊”のごとき状況と精神構造に興味があるからでしょう

しかし、その作家達自身が
”羊”の精神の持ち主なのですから、話になりません

マスコミ、政治家、文化人・・・なんと騒がしい人々でしょう
そいつらが、ことごとく、羊のごとき奴隷根性の持ち主です
平和主義の呪縛から、けして逃れることができません
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正義と勇気・・・卑怯者にならないために

2012-10-24 12:12:07 | Weblog
思いやり、やさしさ、気配り、平和主義・・・

現代日本人の思想と行動を支配する原理
それらは、突き詰めれば、奴隷根性のことです
自分の意志や価値観が無く、行動の結果を相手の善意に依存する考え方です

しかも、それらは、表面的な建前でしかありません
本音では、多くの日本人の行動原理は、エゴイズムです
自己の欲望と利益を追求することが、行動原理なのです

大人がそうですから、子供達の世界もそうなります
私達の子供時代と決定的に違うのが現代の子供達です

50代の私達の子供時代のヒーローは”正義の味方”でした
したがって、子供達の世界にも多少なりとも”正義感”の価値観がありました
今の子供達には、それがありません

実は、私の子供の頃だって
子供達の多くは、卑怯者であり日和見主義者でした
勇敢な子供など、ほんの少ししかいませんでした

自分の子供時代を思えば
卑怯者達の中で、孤独な闘いをした・・・そんな記憶が蘇ってきます

しかし、子供達が皆、卑怯者だったわけではなく
子供達の共通の価値観として、正義や勇気というものがあったと思います
それが実践できた者は少なかったとしても・・・
卑怯な奴や汚い(行為をする)奴を軽蔑する精神がありました

駅などで、無作法な若者を注意して
逆に、暴行を受け亡くなるという事件があります
その被害者の多くが、私と同世代であることが多いのです
見て見ぬふりを決め込むことができないからです

今の私は、身の安全を第一に考え、身に危険が及ぶような行為はしません
卑怯になったともいえますが、身を守らねばならぬ状況があるからです
それが大人というものです
卑怯な行為は・・・いくらでも合理化できます

危険を避けることは当然ではありますが
卑怯な行為と、常識的な保身とを混同してはいけません・・・

子供達には、日常生活の中で、エゴイズム以外の正義を教えなくてはなりません
そうでないと、卑怯な行為すら合理化するようになるのです
そんな、根性のねじ曲がった大人にしないために!






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占領下の奴隷根性と日本人

2012-10-23 11:24:56 | Weblog
自由を失うことの恐怖
尼崎での怪異な事件が、そのことを物語っています
同じ様な事件は九州でもありました

監禁と暴力により
自由な発想を失った状態での
おぞましい行為

人間がケダモノ化する

私は、こうした事件が起きるたびに
戦後日本人の精神の在り方への懸念を再認識します

平和主義、平等主義、思いやり、やさしさ・・・

それらは、お互いが、そうした思いを共有する場合には意味がありますが
片一方だけに強制される場合は、反対側は横暴が思いのままになります

マスコミ、大江健三郎、村上春樹・・・
中国がどんな横暴をしても、日本が悪いのだという精神構造
戦後日本人の精神構造そのものであり、尼崎の事件の精神構造でもあります

卑屈の合理化といいますか、徹底した奴隷根性といいますか・・・

70年近く外国人に占領統治されていると、ここまで人間は卑屈になるのです
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体育中心の子育て・・・自信を持って未熟児を育てた

2012-10-22 20:15:50 | Weblog
私には5人の子供がいます
教育問題は無関心ではいられません

教育には知育、体育、徳育という3要素があります

日本では、教育といえば知育だと、多くの親や教師が考えています

私の場合、子育ては、体育が中心でした
水泳を中心としたスポーツこそが、我が家の子育てです

我が家の子育てが体育中心になったのにはわけがあります
長男が未熟児で生まれたため
大変身体が弱く、体育を中心とせざるを得なかったのです

その後生まれた子供達も、皆、早産児であり
誕生時に3000グラムを超えていた子供は一人もいません
どの子も、何らかの発達の遅れを抱えていたのです

私は知能の遅れを心配しませんでした
言い方を変えれば、知能の遅れを心配しなかったからこそ
体育を中心とした子育てをしたのです

知能を心配しなかったのは
生まれて間もない長男の眼を見た時でした

喉から何本もの管を入れられ、声を出すこともできない長男は
それでも、不思議そうに、自分の喉に差し込まれた管の先を眺めていました
その眼に、私は”知性”を感じたのです
この子には知性がある・・・大丈夫だ・・・私は、そう判断したのでした

その後に生まれた子供達は
早産といえども、長男ほどの低体重児ではありませんでしたから
わたしは、一切、心配しませんでした
すでに、長男が問題なく育っていたからです
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