湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

酒と文明

2007-04-30 09:14:15 | Weblog
先日、知人と酒を飲み、久しぶりに酔っ払いました
私は酒が弱いので、外で飲む機会は少ないのですが
たまには、いいものです

酒と人類の関係は深いものです
そもそも、酒が人類を作ったという説さえあるのです

どういうことかというと
人類は、酒を飲むことをを憶えてから、文化が発生し
文明を作り上げたという説です

文化や文明を持たなければ、人類は地球上に現れた動物の一種にすぎません
アルコールのもたらす脳の撹乱が、ヒトの本能的行動を乱し
発想の自由をもたらしたのです

私はこの説に賛成なのです

酒を飲まない奴は野蛮人です、文明人ではありません・・・
・・・ちょっと極端ですが、そう信じるがゆえに
私は苦手な酒を飲み、文化を語り、文明を論じるのです

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ゾウの話6-亡びゆくもの

2007-04-29 12:14:28 | Weblog
地球規模の気候と環境の大変化が
何によってもたらされたのか
それは、いまここで私が結論を出せるような、簡単な問題ではありません

私達が地球上で生活し、文化を形成し
平和な日常を送れるのは
地球環境が安定しており
急激な変化によって生存を脅かされることがないからです

地球環境保護は、生活を守るためにも、文化を守るためにも
そして、平和を守るためにも必要です

マンモスに死をもたらしたシベリアの寒冷化が
突然、急激な変化として起きたことが
私の気がかりです
同じことが、同じ様なことが、再び起きるのではないかと

少しずつ環境が変化するなら、対処の仕方もあるでしょう
しかし急激な変化は、自然災害として対処するしかありません
自然災害といっても、地球規模で起きれば
外部に救援を求めることはできません

マンモスが亡びても
アフリカ象やインド象が生き延びたように
地球環境の大変化があっても
人類が亡びることはないでしょう

しかし、ある国、ある民族、ある地域、文化が亡びることは
十分考えられます

私は亡びる側には属したくありません
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ゾウの話5-地球規模の環境変化

2007-04-28 19:40:50 | Weblog
ゾウが生きていくためには
気温はともかく、植物性の食物が必要ですから
一面の雪原では、ゾウは生きることができません

マンモスの想像図などには
雪原を歩くマンモスの姿が描かれていますが
実際には、ありえない景色だと思います
あり得るとすれば、それは絶滅直前の
雪原を彷徨する、断末魔のマンモスの姿です

ある時突然、一面の草原であったシベリアの平原は
雪に閉ざされ、凍りついた平原となってしまったのです
しかもそれは、そんなに遠い昔ではなく
私達の祖先が日本列島に住み、日本文化の原型を形成していた時代なのです

この地球規模の気候の大変化は
人類にとって、つい昨日の出来事といってもいいのです

一万数千年前に、急激な地球環境の変化が起きました
全地球規模で、その痕跡が残っているようです

日本の関東地方では、急速に陸地が隆起(海岸線が後退)し
現在の地形の原型ができました
この藤沢市でも、標高が50mくらい変化したはずです
今の私の自宅も、当時は海底であったはずです

しつこいようですが、その時代は、私達の祖先が日本列島に住み
現在の日本民族と日本文化の原型を形成していた時代です

関東地方が隆起しても、日本列島全体が隆起したわけではありません
近年、沖縄では海底から巨大遺跡が発見されていますが
こちらは、一万数千年前の地球大変動で、沈んだのかもしれません

私は、この時の急激な地球規模の環境変化と
マンモスの絶滅は関係があるとみています
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ゾウの話4-マンモスの絶滅

2007-04-27 18:22:40 | Weblog
以前にこのブログで少し触れたのですが
マンモスの絶滅に私は興味を持っています

マンモスはなぜ、絶滅したのか
それは今尚、解き明かすことのできない謎です
最有力説は気候変動です
シベリアに関しては、これは間違いないと思われます

別の説は人類の狩猟による絶滅です
マンモスの仲間は北米にも生息していて
これを絶滅させたのは、北米原住民による狩猟だという説があります
体が大きい上、一度に一頭しか出産できないマンモスは
狩猟によって、簡単に個体数が減るということです

全地球規模で、人類はゾウを狩りして暮らしていました
私達日本人の祖先も例外ではありません
しかし、そのゾウ達は次々に絶滅していったのです
現在のゾウ達も、やがて絶滅してしまうのかもしれません

それにしても、私が不思議なのは
シベリアの永久凍土の中から発掘されるマンモスです
彼らの死は、いったい何によってもたらされたものなのでしょう
ゾウが生活できるような環境が、なぜ突然凍りついてしまったのでしょう
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ゾウの話3-民族のルーツ

2007-04-26 20:21:13 | Weblog
マンモスのような太古のゾウに、私が興味を持つのは
失われたものへの興味と哀惜の念があるからです
しかし、そればかりではなく
日本人のルーツへの興味もあるからなのです

日本人はとても長い歴史をもつ民族です
縄文時代は一万数千年もさかのぼれるのです
そして、その時代に、ゾウが日本列島に生息していて
私達の祖先はゾウを狩りをしていたのです

日本語の古語にゾウの和名があるということは
私達現代の日本人が縄文人の直接の子孫であることの証明なのです
民族とは言語を共有する集団のことです
縄文人は日本民族なのです

一万年以上も、同じ土地で、同じ民族が生活し、発展し続けてきたのは
人類史上の奇跡の一つではないかとさえ、私には思われます

古代ギリシャの神殿も、現在は廃墟です
その場所で、どの様な儀式が行われ、人々が何を信仰していたのか
文献で知るしかありません
おそらく、現在のギリシャ人の多くはキリスト教徒でしょう
古代ギリシャにキリスト教はありませんでした

現在のエジプト人はピラミッドが何なのか、何に使われたのか
どうやって作り上げたのか、知りません
知っていたとしても、それは主に外国人による近代の研究の成果です
あのヒエログリフ(象形文字)ですら、西洋人が解読したのです

現在のエジプト人がピラミッドを作った人々の子孫であるかどうか
それすら、はっきりしないのです
仮に遺伝的にはそうだとしても、文化的には断絶しています

日本全国至る所で、自然林の中に
いつ出来たのかも分からない古い神社があり
土地の人々の信仰を集め、毎年の祭りがおこなわれています
おそらく、その起源は、由緒書きよりも古く
遠く縄文時代までさかのぼるものでしょう
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ゾウの話2ー象の古語

2007-04-25 12:20:46 | Weblog
象潟という地名があります
秋田県と山形県の県境の町だったと思います
象潟と書いてキサカタと読みます
他にも象潟という地名はいくつかあるようです

地名の由来について断定的なことは言えませんが
なぜ象をキサと読むのでしょう
大昔の日本人がゾウのことをキサと呼んでいたからではないでしょうか?
これは豊田有恒氏の説です

私は豊田氏の著書で、この説を知った時
感動するとともに、すぐに次のことを思い浮かべました

牙のことを、何故?キバというのだろうか
キバで有名なのはゾウのキバです
ゾウの古語がキサなら、ゾウの歯はキサバ(象歯)です
キサバが短縮すればキバになります

同じく、何かの前兆のことをキザシ(兆し)と言います
ゾウは集団で移動するため、その足音は地響きのようだといいます
ゾウの足音はゾウが現れる前兆なのです
ゾウの足音、すなわちキサアシ(象足)が短縮してキザシ(兆し)となった
・・・と考えると、とても分かりやすいのではないでしょうか

おそらく、大昔の日本人は
ゾウの水場であった浅い湿地帯のことをキサカタ(象潟)と呼んでいたのでしょう
そして、日本に漢字が伝わった当時
人々はまだ、そのことを忘れていなかったのです
そうでなければキサカタに象潟の漢字を当てるようなことはしなかったでしょう
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ゾウの話

2007-04-24 18:58:30 | Weblog
ゾウの話をしたいと思います

”象”と漢字で書くのは
昔はシナにもゾウがいたのですが、漢字ができた時代には
すでにシナにはゾウがいなかったので、ゾウは想像上の動物となっていたため
”象”という漢字ができたのだそうです

あるいは、ゾウがすでに想像上の動物であるため
”像”という漢字ができたのかもしれません
像はイマジネーションのことです
象に人偏が付いて”人の想像するもの”を指す言葉となったわけです

ゾウはタイやインド、アフリカに現存しています
私達はゾウをそうした暖かい地方に特有の動物だと考えています
それはその通りなのでしょう
でも、大昔は日本にもシベリアにもゾウはいたのです

日本もシベリアも、当時は、今よりもずっと暖かかったのかもしれません
日本にいたゾウはナウマンゾウと呼ばれています
ナウマンという学者が発見したからです
シベリアにいたゾウは有名なマンモスです

大昔といっても、ゾウが日本列島にいた時代は
私達日本人の祖先も、この日本列島に、すでに住んでいました
おそらく、集団で狩りをして、ゾウを捕らえることもあったでしょう

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たまには、のんびり

2007-04-23 19:41:17 | Weblog
足の痛みは少し良くなりました
それでも、歩くのはキツイので、今日は一日中、事務所にいました
天気もはっきりしませんし
事務所にいても、お客様はそれなりにありますから
退屈はしません

・・・というよりも
私は読書が趣味という、真面目な青年のような男ですから
時間をつぶすために、何かしなければいられないというタイプではありません
読みたい本は沢山買ってありますから
本当はヒマな時間はいくらあってもかまいません

私のキャリアの内、サラリーマン時代は約10年です
そのほとんどが営業マンでしたから
毎月、ノルマや目標に追われ、緊張の中で過ごしてきました

今でも、漠然とですが、自分の目標を立て
長期的なもの、短期的なもの、将来の方向性などを考えるのは
私の習性になっています

仕事をあまりしない時は、少し罪悪感があります
しかし無意味に仕事を探して、とにかく忙しくするというのは嫌いです
サラリーマン時代も、忙しいフリをするのが上手い人はいました
私はヒマな時は、ヒマそうにしているのが好きなのです

ただし、今の私はヒマではありません
やるべきことは、相変わらず、山ほどあります
正直なところ、そのプレッシャーでつぶされそうです
しかし私は、そこで余裕を作るのです
アセると、ろくなことがないからです
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痛みとともに・・・

2007-04-22 13:08:59 | Weblog
どうやら痛風が出たらしく
足の親指の付け根が痛いです
先日、ちょっと転びまして、あるいはその影響かもしれません

雨に濡れた、新しい縁石に滑り
突然、身体のバランスを失いました
なんとか両手を付いて
顔面が道路のアスファルトに激突するのは避けられたのですが
眼鏡のフレームは路面にぶつかりましたから
本当に間一髪でした

なんとか、怪我は避けられたのですが
その後、腕や肩や背中など、全身の筋肉痛に悩まされました
筋肉痛は今も少し残るのですが、それとは別に
右手の中指と、右足の親指の付け根が今も痛むのです
関係があるのかないのか・・・?

こんなことがあると
今年はやっぱり運勢が悪いのかなと考えたりしますが
むしろ、あれだけ激しく倒れたのに
怪我をしなかったのですから、運が良かったのでしょう
足を滑らせたのは、私の不注意なのですから
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防音工事

2007-04-21 19:46:04 | Weblog
防音工事は、まだ終わりません
ゴールデンウィークは工事を休ませてもらいます
もう家族は限界です
家が綺麗になるのは嬉しいことです
しかし、とにかく身動きがとれません

防衛庁の皆さん、私は手続きだけで何ヶ月もかかりました
追加工事費はすべて私が負担することになります
それはそれでいいのですが、この防音工事は
騒音被害者の被害軽減措置だということを忘れないでほしいのです

私達は施しを受けているわけではないのです
補助金だって、私が納めた税金の一部なのです
もっと丁寧で柔軟な対応をお願いします

防衛庁の人は、そんなふうには考えないでしょう
無償で自宅の建具や内装が新しくなるのだから、文句はあるまい
・・・という考えではないでしょうか
不満なら結構、希望者はいくらでもいる・・・ということではないでしょうか?

どうも、そんな感じを受けます
ペアガラスの使用を認めないのも不可解です
家の気密がよくなれば、当然、結露が発生します
現に、防音工事の後で結露に悩まされる話をよく聞きます

結露は汚れやカビの原因になります
住まいのカビは、人の健康にもよくありません
ペアガラスこそは、もっとも簡単で有効な結露対策です
しかも、ペアガラスは防音効果も高いのです

国の政策を否定するわけではありません
もっと柔軟な政策は、当事者さえその気になればできるはずです
家は住む人にとって、かけがえのないものです
国の金で防音工事をしてやるのだから文句を言うなというのであれば
そこに民主主義はありません
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