湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

意識と行動を一体化させると幸運に恵まれる理由

2021-10-31 18:13:04 | Weblog
時間というものは、あるようで無い
今できることを今やらないと
そのままチャンスを失うことがあります
チャンスは前髪を掴めと言います

しかし、それが出来るためには
日頃から、意識と行動に連動性を持たせる習慣付けが必要です
意識と行動が連関していますと
人からも信用されます

「あいつは口だけだ」

と噂が立ってしまえば
やがて、誰からもまともに相手にされなくなります

”言ったらやる”を繰り返すことで
人は、貴方の人格を理解し、信用します
考えていることとやることが違う人は信用されません
話をしていても、本音は別の所にあるのだろうと思われ
真剣な話はしてもらえなくなります

意識と行動を関連させると
チャンスが掴めるだけで無く
対人関係も良くなり、良い情報が入るようにもなります
そういう人が幸運に恵まれるのは当然です
お金も情報も、誰かが持っているのです
道に落ちているわけではありません

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被害者を加害者にして罪を着せ、逃げる行政

2021-10-30 17:24:29 | Weblog
皆さん、冷静に考えてみて下さい
自分の買った土地が、盛り土されたもので
その結果、雨で土地の土砂が崩れ、大きな災害になったとして
その責任は誰にあるのでしょうか?

貴方が、斜面上に建つ建売住宅を買って
もし、雨で敷地が崩れてしまい
斜面の下に住んでいる人に犠牲者が出た場合
貴方は、それが自分の責任だと考えるでしょうか?

多くの人は、自分は被害者だと考えるのではないでしょうか?
今回の熱海の土石流事故についても
土地所有者が、その危険を承知で買ったとは
常識的に考えれば、ありえません

そうなると、この土地の所有者は被害者ということになります
その被害者が、犯罪者扱いを受け、家宅捜索までされているのです
そもそも、何かを隠している可能性のある犯罪でしょうか?
警察の捜査権の乱用というしかありません
とんでもないプライバシーの侵害です

背景にあるのは、静岡県の責任逃れです
自分達の責任を回避するために
被害者を加害者とし、無実の罪をなすりつけているのです
静岡県が警察のどの様な支持を出したのか、調べる必要がありそうです

これと同じケースが、以前にもありました

「耐震偽装マンション」

です

設計図を審査して建築確認を出し
建物を検査をして、合格の検査済証を発行したのは横浜市です
その建築確認と検査済証を信用して、売りに出したのがヒューザーです
ヒューザーは、横浜市に騙されたのであり、被害者です
その、被害者であるヒューザーに、無実の罪をなすりつけ
裁判所も味方に付け、横浜市は逃げおおせました

不動産屋さえ悪党扱いすれば、それで良しいとする
世の差別意識に便乗し、裁判所までが同調し
暗黒栽培をしているのが、現在の日本の行政と司法であり
盲目的に服従しているのは、日本のメディアです
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熱海土石流事故の真犯人は静岡県

2021-10-29 13:58:10 | Weblog
今年7月に発生した熱海土石流事故に関し
静岡県警は土地の現旧所有者への強制捜査に乗り出しました
関係者を家宅捜査したそうです

馬鹿ですね
家宅捜査して、何が出てくるというのでしょう?
そもそも、彼らに、本当の意味で責任があるのでしょうか?
当然ながら、直接的責任はありません
直接の事故原因は雨です
一種の天災です

盛り土が実質的な事故原因であることは確かでしょう
静岡県は、危険を承知しながら、放置していました
ただ、業者等に命令を出しているだけでした

そもそも、会社が倒産しているわけですから
会社の責任を問うても、当事者がいません
現所有者の責任がどこまで及ぶのかは、裁判次第でしょうが
買ったものの欠陥を自分の責任にされるのは心外でしょう
むしろ被害者だと言いたくなります

裁判で決まるのは、形式的な法的責任に過ぎません
本当の責任者は静岡県だけです
なぜなら、この事故を防ぐ実際の力を持っていたのは静岡県だけだからです
県警は静岡県庁を家宅捜索すべきでしょう

行政が危険を放置した罪を指摘すべきです
事故発生の危険を承知しながら
何年間も放置した静岡県の罪は万死に値します
その問題を回避して、いまさら土地所有者の家宅捜索など
嫌がらせか、捜査権の乱用に過ぎません
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ビルの改装工事が始まる

2021-10-28 18:22:35 | Weblog
夏に買った古ビルの改装工事が、やっと始まりました
紆余曲折、散々回り道をしたあげく、やっと動き出したのです
まだまだ、波乱はあるかもしれません
しかし、とにかく動き出しました

これで一安心と言いたいところですが
仮に工事は順調に進んでも、テナント募集はどうでしょう?
今は、まったく動きが無い状態です
今後、この面でも、楽勝とな行きそうにありません

まあ、でも、気楽に行きましょう
工事が遅れていますから、テナントどころではありません
それは、早く決めたいですけれど
どうにも、工事の完成のめどが付きませんと
お客様にも、責任ある対応はできません
まずは、ゆったりと構えることにします
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上野でゴッホ展を観る

2021-10-27 19:42:46 | Weblog
上野の東京都美術館でゴッホ展を観ました
ゴッホが来るとなれば、私はけして見逃しません
ゴッホこそ、我が心の画家です

小説家の太宰治と画家のゴッホは、私には特別な存在です
大袈裟に言えば、私の人生の何かを方向付けた存在です
それが何なのか、自分でも上手く説明できません
「感性の基本」・・・みたいなものですかね

上野の西洋美術館は改装中でした

「世界遺産の価値を高める工事」

だそうです・・・凄いですね

あの建物は、コルビュジエが基本設計し
その後を、コルビュジエのお弟子さんの日本人達が完成させたものです
コルビュジエならではシンプルで美しいデザインです
まさに、歴史に残すべき世界遺産です
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運命と私の実感

2021-10-26 18:22:02 | Weblog
私は64歳です
しかし、リタイアもせず
毎日、事務所に出て、仕事をしています
新しいことにも挑戦しています
しんどいこともあります
でも、これが私の人生です

私は、けして、思い通りに生きてきたとは思っていません
挫折もあれば、路線変更もあったのです
夢を追った人生でもありません
でも、つまらない人生だとは思っていません
けっこう楽しく、エキサイティングな人生だと思っています

もっと冒険的な人生だったら、私は疲れてしまったでしょう
もっと安定した人生だったら、私は飽きてしまったでしょう
ちょうど良い緊張感と、ちょうど良い安定感があり
飽きもせず、疲れもせず、ここまで生きてきて
これからも、このように、生きていくのでしょう

人生は神様から用意されていると、私は思っています
その人生に、私達は辿り着くのです
けしてストレートではないかもしれませんが
紆余曲折を経て、そこに辿り着くように
神様に導かれているのです
それが私の実感です
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貧乏人を苦しめる政策を貧乏人が支持している・・・?

2021-10-25 12:16:05 | Weblog
世の中が、どちらの方向に流れていくのか
私には分かりませんし、予想しても当たる自信はありません
商売をしていますから、未来の予想は当たり前にしていますが
それが当たるとは思っていません
ビジネス上の予想は、奇抜なことは考えず、現在の延長が基本です

特異な未来像を、自分なりに考えても
それで、金融機関を説得できるわけでもなく
当の私が、本気で信じられるわけでもないのです
私は、未来を予想することに情熱はありません
どうせ当たらないからです

今月のように、冷え込みがきつくなると
あれほど騒がれている地球温暖化は、どうなったんだ?
と、思ってしまいます
経済の未来には、当然、関心はあります
しかし、これも、政府の政策が大きく左右するし
政府の政策に合理性が無いことも多いです

いつ頃からでしょうか・・・
私は、何かを誰かに期待することが無くなり
とりわけ、政府に何かを期待することがありません
私の政治への希望は減税だけです
しかし、それが叶えられるとは考えていません
相変わらず、金持ちから税金を取れという議論ばかりです

金持ちをいじめても経済は回りません
経済が回らなければ、苦労するのは貧乏人です
重税で不景気が来ても、困らないのは公務員だけです
つまり、政治家の主張する政策は
政治家や公務員には都合が良い政策ですが
貧乏人には過酷な政策となるのです
しかし、その政策を支持してしまうのが貧乏人なのかもしれません

本当に良い政策は
金持ちが、投資にも消費にも、がんがん金を使い
景気を良くして、社会全体に金が回るようにすることです
投資減税や消費減税こそが貧乏人を救うのです
それによって税収も増えるので、増税は不要となるわけです



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病気の不幸は自分だけに留まらない

2021-10-24 16:50:53 | Weblog
病身をかかえながら、仕事はやめることはできません
そんな立場の私は、いつも健康を気にしながら過ごしています
仕事の心配と健康の心配が一体なのです
仕事を考える時も、自分に負担があることは避けるようになりました
仕事は、終わりが無く続くからです
一回のイベントで体調を崩すわけにはいきません

慎重に行動を選んでいるつもりでも、ストレスは溜まります
慎重になるからこそ、ストレスが溜まるとも言えます
私は、体調維持に最大限の注意をしながら生活するわけですが
家族がそれに合わせてくれるわけではありません
家族との関係も意識しながら、生活をしていますが
さすがに辛いのは、食生活の違いです

子供達は食べ盛りですから
高カロリー高タンパクの食事を好みます
私には、これが命取りです
家族とともにするのは夕食だけですが
その夕食が、大変、神経を使うものになるのです

食事に関しては、完全に家族と別にしたいと思うことがあります
でも、そうすると、家族とのコミュニケーションも一体感も無くなります
いずれ、そうなる日は来るわけですから、急ぐことは無いと思います
しかし、こちらは命に関わる問題ですから
のんびりしてもいられません

まあ、悩みと言えば、これが現在の私の最大の悩みかもしれません
子供達の成長は嬉しいですし、家族の関係は良好です
これからも幸せな家族を維持したいと思います
糖尿病になったことは痛恨ですが、これもまた運命です
せめて、糖尿病に罹らぬように
私のブログの読者の皆様に、注意を喚起している次第です
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ポルシェ運転体験センター

2021-10-23 17:23:57 | Weblog
今日は、妻と次男が千葉県にある

”ポルシェ・エクスペリエンス・センター”

に行っています
ここはポルシェが作った一種のサーキットで、様々な運転体験ができます
アウディから、催しの連絡があり、応募したのでした

次男は、膝の大手術をしたばかりなのに
しっかり、試乗をしてきたらしい
本来は、妻のドランビング体験のお供なのでしたが・・・

色々、写真を送ってくるところを見ると、結構楽しそうです
今後は、家族が皆、何らかのイベントに参加することになるかもしれません
私も、目が悪くならなければ、こういう機会は積極的に利用したかったですね

クルマの運転は、なんといっても安全運転が第一です
しかし、世のクルマ好き達は、本当は、目一杯アクセルを踏んで
トップスピードやハードコーナリングを試したいわけです
実際に試したければ、サーキットにでも行かない限り、できません

さらに、ここでは、滑りやすい路面でのクルマの挙動を体験できたり
いろいろ、面白い施設もあるようです
こうしたことは、経験しているのと、していないのとでは
いざというと時の、対応が大きく変わります
頭で分かっていても、咄嗟に出来るためには、体験が大事です

日本語訳すれば

”ポルシェ運転体験センター”

となるのでしょう

こうした施設をつくることに
私は、ポルシェの良心と意欲を感じます
クルマ好きの心をとらえて離さない企業精神を感じるのです
日本企業にも見習って欲しいところですね




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変化に合わせて変わる自分、変わらぬ自分

2021-10-22 15:57:49 | Weblog
気温が冷えれば、体調が影響を受けます
歳を重ねると、気候の変化が身体に応えます
その結果として、季節の変化には敏感になりますから
伝統的な日本文化に親しみを感じるようになります
親しみというより、切実な共感かもしれません

弱くなった自分の身体を残念に思うわけですが
これもまた、新しい経験への出発点であると考えれば
青春の始まりと同じように
ワクワク感をもってもいいのかもしれません

何か新しいことが始まるのは、ワクワクしますよね
自分が変わるということは
環境を変えずして、世界が変わることです
旅をしようが、映画を観ようが
自分が変わらなければ、どうということはありません

いつも同じようなものにしか関心が起きず
関心の持てないことはスルーするだけ
そんな生き方をしていたら
どんな新しい経験をしても、何もしていないのと同じです
自分が変わるほどの感動を味わいたいものです
というより、私達は、大きな感動をする度に
自分の中で、何かが変わっているのです

無感動になるということは
自分が何も変わらず、成長もしないということです
環境の変化の中で、人間は変わるし、成長もする
それが人間らしい生き方だと思います

人間は、生物の中でも、格段に環境適応能力が高いです
そのため、地球のあちこちに生存権を広げることが出来ました
自分の中にある、人間らしさを大事にしたいですね

とはいえ
状況が変わる度に
言うことやることが変わり
過去の言動に責任を問われない知識人が多いですね
これは日本だけの現象でしょうか?
私は、そういう生き方には、人間らしさを認めません
まるで、ただの拡声器です

真の人間らしさは
自分らしさを保ちつつ、変化に対応して生きることです
自分らしさの無い人間が、ただ、環境に適応しているだけなら
野生動物でも、同じようなことはしています








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