湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

非論理的な数学教育・・・数学は”言語”

2016-10-17 18:56:54 | Weblog
中学校での数学に関する思い出では
1年生の時、授業中、突然
担任の女性教師が、私の耳元でささやいたことです

「あなたが1番よ」

私は、その時の成績が学年で1番だったのです
私は中学校に入った時点でも、数学は得意だったのです
ただし、小学校時代と同じく
家で教科書を開いた記憶すらありません
その後も同じで、私は中学の3年間
家で数学の勉強をした記憶がありません・・・

やがて、私の数学の成績は精彩を欠くようになりました
勉強をしないために、成績が下降したともいえますが
より強烈な理由がありました

数学の教師は若い独身女性でしたが
正直なところ、容貌が、私の好みではありませんでした
それだけなら、まだしも
黒板の使い方は汚いし、男言葉は使うし
さらに、冬になると、彼女はずっと鼻づまりの声になり
私には数学の授業が耐えがたいものになってしまったのです

それまでは、授業をぼんやり聞いているだけで
算数も数学も、何の困難も無く、理解できていたのです
ところが、この教師の授業は、苦痛な上に、理解しがたいものでした
この教師が中学3年間の私の数学担任であったことが
私の数学嫌いを決定的にしました

この教師だけの責任ではありませんが
中学校の数学教育には問題がありました
二次方程式の因数分解では”たすき掛け”という手法があります
この手法は、解が小さな整数の場合以外は、まず使えません
それを、何の説明も無く、だらだら教える教師に、私は反発を感じました
私にとって”数学は論理”だったからです
経験や勘で答を当てはめるなど、邪道以外のなにものでもありません!

そんなわけで、私は数学の授業をまともに受けなくなりました
数学を”論理”だと考えていたにもかかわらず
私は、いまだに、必要条件、十分条件、必要十分条件の違いが分かりません
彼女の説明では、その違いがさっぱり理解できなかったからです
今思うと、自分で教科書を読み返せば良かったのですが・・・

私は、中学3年間を通じて、すっかり数学嫌いになりました
小学校高学年から、ずっと
将来は科学者かエンジニアになると思っていましたが
中学校の卒業が近付く頃は、漠然とですが
画家か小説家になりたいと思うようになっていました





コメント (3)
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