湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

梅雨に想う

2009-06-30 17:36:13 | Weblog
梅雨に入り、雨が続くと、なんだか安心します
地球温暖化や乾燥化、水不足・・・なんてことが騒がれますと
私は、うんざりするからです

ああ、またか・・・
そんなことを騒いでどうするのだ?
地球温暖化の責任は俺にはない!
そもそも、そんな地球規模、宇宙規模の出来事を
正確に因果関係を導けるほど科学は発達していない!
何が原因で何が結果なのか、科学者といえども
正確にはわからないはずなのです

私は雨の日が好きです
特に、夏の雨の日は、涼しくて、落ち着けるのです
もちろん、雨が何日も続くようですと
これは憂鬱になります
できれば、雨の日もあり、晴れの日もあり
適度な湿気と、適度な日照・・・があれば、夏は快適なのです
まあ、せっかくの休日に、雨が降ると残念ではありますが・・・

地球温暖化やCO2の騒ぎも
本当は、何者かが、何かのたくらみをもって、世界を騒がせているのでしょう
うんざりではありますが、法律などができますと
それに従わなければなりませんので、いろいろ面倒です

日本国政府は、外国の動きに妙に弱いところがあり
こうした問題が出てくると
日本だけが損をするような取り決めなどができて
結局、日本国民だけがバカをみることになりがちです
政治家には、しっかりしてほしいものです
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ビートルズとは比較できない・・・マドンナとマイケルジャクソン3

2009-06-29 19:37:11 | Weblog
ジョン・レノンが亡くなった時
私は大きな衝撃を受け、一週間ほど、ボーッとして過しました

私にとって、マイケル・ジャクソンは
ジョン・レノンと比較できるような存在ではありません
ビジネスとしての成功の度合いは、どちらが上か知りませんが
ジョン・レノンやビートルズは別格であり
マイケル・ジャクソンやマドンナといっても
それは成功したミュージシャンという以上のものではありません

ビートルズは自分達の音楽を自分達で作っていましたし
最後はレコード会社まで作ってしまいました
まだ中学生だった私は
そこに強烈な新しい生き方を見ました
従来の流行歌手の枠組みを飛び出した
本物の自由と創造性を持ったアーティストをみたのです

ビートルズと較べたら
その後のアーティストは、ただの流行歌手です
もちろん好きなアーティストや曲は沢山あります
しかし、ビートルズは別格であり、比較にはならないのです

音楽の好き嫌いは感覚的なものですから
どうやってプロモートされているかということは
音楽ファンにとっては、どうでもいいことかもしれません
しかし、現代のように、巨大な資本によってプロモートされ
ヒット曲が生産されるようになると
本当に自分が好きになれる曲が少なくなってきたように思います
ビートルズが作り出した自由は、そこにはありません

世界が一つの時間を生きていることを実感させる大ヒット曲
その存在は、大きな人類的価値があるのではないかと
少々大袈裟かもしれませんが、私には思えるのです
しかし、それが巨大資本の作り出すマスプロ製品であると考えると
なんだか興醒めなのです
一人のアーティストの自由な発想と表現が世界をとりこにするなら
それは素晴らしいことなのですが・・・


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世界の一体感と無力感・・・マドンナとマイケル・ジャクソン2

2009-06-28 13:26:42 | Weblog
夜の街、アルコール、音楽・・・
私にとって、それらは、日常生活の一部であり
朝食や歯磨きや洗顔のような日常であり
何かを考えるためというより
何も考えないための、日常の生活のリズムの一要素です

最近は、夜の街に出ることもすくなくなりましたし
新しいミュージシャンのCDを買うことも、滅多にありません
私にとって、音楽は、日常生活のバックグラウンドミュージックなのです

マドンナもマイケル・ジャクソンも
私にとっては、そうしたミュージシャンでした
私は、マドンナのCDは持っていますが
マイケル・ジャクソンのCDは持っていません
それでも、ある時代を思い浮かべる時
その音楽は、強烈な印象をもって、私の記憶に突き刺さっているのです

音楽、特にポピュラーミュージックについて考えると
時代というものを、私は強烈に意識させられます
その時代というものを考えなければ
どうにも理解できないものが、ポピュラーミュージックにはあるのです

ある時代の記憶が
その時代に流行った曲とともに
強烈に印象付けられ、心に刻印されるのです
”時代の気分”というようなものが、そこにはあり
それを人々が共有し、一つの時代を形成していくような印象が
私には、あります

音楽だけなのでしょうか?

現実に見聞きする人々の生活より
テレビの画像に映し出されたものの方が強い印象を残します
スピーカーから大音量で流れる音の方が
人々の生活音や日常会話のさざめきより、現実をを圧倒しています
何か大きな力が、世界をひとまとめに、どこかに運んでいくような
不思議な一体感と、無力感を、同時に感じさせられるのが
”現代”というものなのかもしれません
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マドンナとマイケル・ジャクソン

2009-06-27 15:15:41 | Weblog
マイケル・ジャクソンが亡くなりました
突然の訃報は衝撃です
自分より若い人の死は、いたたまれない悲しみを引き起こします

マイケルと私は、ほぼ同世代ですが
世代的共感みたいなものは、あまり感じたことがありません
はるか遠い世界のトップアーティストという印象しかありません
彼の音楽にしても、嫌いではありませんが
深い共感というよりも、いつもそこにあったという感じ
時代を壁にたとえるなら
いつもそこに彼のポスターが張ってあったような・・・

マイケルの死に対し
マドンナが深い悲しみに陥っているという報道もありました・・・
あくまで文書によるコメントですから
じっさいに当人がどう感じているのか、それは分かりません
マドンナがマイケルに深い共感を持っていたということは
ちょっと意外な気もしますが
また、私としては、納得できるような気もするのです

独身時代の私は、よくフィリピンに遊びに行きました
中学高校時代の友人が、マニラの日本大使館に勤めていたからです
友人は大手ゼネコンを辞め、しばらく浪人をした後
マニラの日本大使館に職を得たのです
友人にとって、外務省の職員になることは希望通りでしたが
フィリピンのような発展途上国に赴任することは望んでいませんでした
私は友人に強く就職を勧め、もし就職するなら
必ず私もマニラに会いに行くからと約束しました
私にとって、毎夏マニラに行くことは、友人との約束を果たすことでした

実際には、私の友人は忙しく
一緒に遊ぶことはほとんどありませんでした

私は、昼間からバドワイザーやサン・ミゲルビールを飲み
あてどなくマニラの繁華街を歩き回りました
そんな時、マドンナやマイケル・ジャクソンの音楽が
あちこちから聞こえてくるのでした

アメリカのヒット曲が、日本でもヒットし
フィリピンでもヒットしているのです
世界は同じ時間を生きている・・・と、実感した瞬間でした

日本もアメリカもフィリピンも関係無い
同じミュージシャンの同じ曲が、ヒットし、人々に愛されている
世界は一つの時間の中を動いている
この感覚が、今でも私の世界観の核の一つとなっています

マドンナとマイケル・ジャクソン
この二人の偉大なアーティストは
私の中では二人いっしょで、世界の同時性を象徴する存在なのです

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「マッチ売りの少女」考

2009-06-26 19:48:52 | Weblog
子供に本を買い与えたいのです
しかし、どうも良い本が見つけにくい気がします
近所の本屋は量販店なので、売れるものしか置いていないのかもしれません
子供向けのコーナーもあるのですが
どうもピンときません

私が本を買うのをためらい、迷う理由は
童話が書かれた時代と現代とのギャップであるかもしれません

たとえば

「マッチ売りの少女」

マッチが売れず
ついに自分の売り物のマッチに火を点けることで
かろうじて暖をとり
朝になると死んでいた少女の悲しい物語です

この物語を、どの様に解釈すべきでしょう?

この物語のモデルは、作者アンデルセンの母親だともいわれています

明らかに近代の物語です
資本主義勃興期の物語です
小さな少女とはいえ、人さらいにさらわれて売られてしまう話ではありません
誰かの世話になって、いじめられる話でもありません
苦しくとも、自力で生きようとするお話です

「マッチ売りの少女」が近代の物語だと私が言うのは
貧しい小さな少女でも
自分で働いて生きていかれる可能性のある時代の物語だという意味です
そう考えると、この物語は悲しい物語ですけれども、誇り高い物語でもあります
人に頼らず、自力で生きようとして、力尽きてしまったけれど・・・
そこには近代人の自立という重いテーマがあるのです

死んでしまったら、何にもならない・・・と考える人もいるでしょう
しかし、民族の独立や民主主義を実現するための革命だって
命を賭けた英雄的な行為ではありませんか
個人の独立だって、本当は命がけの行為なのです
ただ「かわいそうだ」と同情するだけでは
個人の尊厳を無視することになるのです

もし子供が「マッチ売りの少女」を読んだら
あえて、何も感想は聞かなくていいし
親がとやかく言う必要もないでしょう
そこには「個人の尊厳」や「人間の尊厳」という重いテーマがあるからです
それこそ、人が一生をかけて考えなければならないテーマなのですから
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現代人の悩みと太宰治

2009-06-25 18:45:33 | Weblog
私は最近、少し大きなテーマについて、考えています

「現代人の悩み」

についてです

現代人の悩みとは、私自身の悩みでもあります
いうまでもなく、私自身が現代人だからです

そして、つくづく思うのです
現代人の悩みとは

「何をやっていいのか分からないこと」

・・・だと。

私自身が、まさにそうなのです
ずっとずっと悩んできたことの本質はコレなのです
贅沢な悩みなのです
そんな贅沢な悩みは、皆が皆持つわけではないと、反論されそうです
しかし本当は、皆さん、コレで悩んでいるのではないでしょうか?

衣食住が満たされると
人は急に、何をしていいのか分からなくなるのです
何でも出来る”自由”を獲得すると
それが、人々を苦しめる悩みの種になるのです

”自由”は、けして喜びや幸福に直結しません
”自由”は、悩みの種でもあるのです

衣食住が満たされない時は
私達の行動は、もっと目的が明快であり、直接的です
とにかく、その日の食べ物、着る物、ねぐらを確保しなければなりません
ある意味で、何かを考える余地がないのです
当面の問題を解消するため、行動に出なければなりません

先頃、没後60周年をむかえた太宰治を、マスコミは大きく取り上げました
太宰治の魅力について、多くの論評がなされています

私に言わせれば、太宰治こそ、最初の”現代作家”なのです
”何をしてよいか分からぬ”青春の彷徨こそが太宰文学の本質です
子供の頃、お腹が空いたという感覚が無かったという
「人間失格」の主人公の告白こそ、太宰文学の核心です

衣食住を満たされた現代人
とりわけ食欲を満たされ、空腹を経験することの無い現代人
動物として自然な行動の動機が失われた現代人
欲望を満たすことにすら
意味を求めなければいられない現代人の悩み
その部分に最初に切り込んだのが小説家・太宰治だったのです

拒食症、過食症の例を出すまでもなく
本能的欲望と現実的行動の間に
とんでもない亀裂が入ってしまう危険があるのが
現代人の危うい心理なのです

それは”食”だけでなく”性”についても深刻です
太宰治の苦しみは現代人の苦しみの先取りだったのです

もちろん、どんな時代でも
人は、そうした苦しみを持つ可能性があります
しかし、そうした人は、社会の中のごく少数の上流階級に限られていたのです
現代では、自分では貧乏だと考えている人々の中にも
こうした悩みが侵入しているのです
ここに、太宰治の現代的価値があるのではないでしょうか
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気分転換のすすめ

2009-06-24 18:12:45 | Weblog
体がだるいのは、肉体疲労のせいでしょうか
それとも、精神疲労のせいでしょうか

私は、高校生くらいからずっと
いつもだるいのです
本当に、元気がありません
最近は、もうトシですから、気にしませんが
なぜ、いつもだるかったのか、本当の理由が知りたくなります

人が疲れるのは、理由があります
忙しく動き回れば、それは疲れるに決まっています
動かない場合でも、たとえば、会話が退屈でも疲れます
何より、精神的な悩みを抱えているときは疲れます
気が重くなり、そして体も重くなります

疲れないために、一番好いことは
楽しいことや、やりたいことを、力いっぱいやることです
もちろん、そうすれば疲れます
しかし、こうした疲れは、心地よい疲れと呼ばれるものであり
心が安らげば、また、ヤル気も出てきます

考えすぎないことが、心を休ませるコツです
思わずやってしまうこと・・・衝動的な行為の中に
私達の本音や、抑え付けられた願望があります

人の願望や、抑えられた欲望は
怖いもののように思えますが、そんなことはありません

現代人は恵まれすぎていて
満たされぬ欲望は複雑な構造を持っています
衣食住が満たされた文明人の欲望は
個性的であり、簡単に実現できないのです
本当は、自分自身が、何をしたいのかわからないのが現代人かもしれません

途方にくれていても、しようがないのです
たまには衝動的に生きてみましょう
海に向かって叫んだり、突然走り出したり
世間に迷惑を掛けない範囲で、充分、気分を発散することができます

衝動買いならぬ衝動食いなるものも、たまにはいいです
体を壊さない範囲で、寿司だろうが、ステーキだろうが、ケーキだろうが・・・
かまいません、心いくまで食べましょう
気分いいですよ!
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教師の性格と度量

2009-06-23 18:23:39 | Weblog
今日は天気も良く
本来であれば楽しい日になる予定でした
ところが、朝から不愉快なことがありました

私の息子は、このブログでもご報告しましたように
先日の土曜日に、神奈川県高等学校水泳大会に出場しました
息子は、学校の名誉と誇りをかけて全力で泳ぎ
リレーチームの全国大会出場に向け貢献しました

ところが、その間に、家には学校から電話があり
なぜ無断欠席をするのかという問い合わせでした
私は応援に行っていたので、家に帰ってから、そのことを知らさせました

息子は公休を取り、試合に参加したのです
当然ながら、水泳部から選手のクラスの担任には連絡が行くことになっています
息子は念のため、自分でも担任教師に公休のことを口頭で伝えています
家に電話をしてきたのは副担任でした
担任から話を聞いていなかったのです

内容はつまらぬ連絡ミスです
生徒の出欠に関する情報すら連絡と確認をしない教師の怠慢です
水泳部数十名のメンバーの中で、こんな扱いを受けたのは息子だけです

私は腹が立ち、息子に、関係する教師達に説明をさせるように言いました
私に直接連絡してもかまわないので
教師達には携帯電話の番号もおしえました

私に連絡をしてきた教師は
たかが連絡ミスくらいで、なんでこんな大袈裟ことをするのだと
やけに居丈高な調子です
一方的にしゃべりまくり、人の話を聞きません

私は、その教師とは以前にも話したことがあり
真面目な教師だと信頼していたのですが
残念ながら、器の小さい人でした
私が、せっかく携帯電話の番号までおしえたのですから
なぜ、まず第一に私の話を聞こうとしなかったのでしょう?

担任教師の責任逃れの言い訳を真に受け
私に向けて、一方的に喋り続けるのでした
なんとも、男としての器量の小ささを感じさせるものでした

要は、息子の担任のチャランポランな態度を指摘したかっただけなのです
以前から、そのことは問題だと、私は考えていたのです
はじめは息子から話を聞いていただけでしたので
何とも言い様がなかったのですが
今回の件で、息子の言うことが正しかったと知った次第です
この件で上から叱られれば、少しは反省するかと・・・
期待してみることにしましょう
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神奈川県高等学校水泳競技大会

2009-06-22 18:33:39 | Weblog
この土日は、神奈川県高等学校総合体育大会を見るため
相模原グリーンプールに通いました

学校のお揃いのTシャツやポロシャツを着て
息子の学校の応援席に座るのです
なんだか、はじめは恥ずかしかったのですが
慣れてしまえば、どうということはありません
応援に来ているのは、ほとんどがお母さん達ですから
挨拶以外は話すこともほとんどありません

息子は今年、高校1年になりました
高校の水泳部としては、まだ新人です
しかし、付属の中学から進学した内進生ですから
先輩は知り合いばかりなので、人間関係の心配はありません
外進生とも仲良しらしいので、こちらも心配なさそうです

息子は今大会、4つのレースに出場し
個人種目の100m背泳ぎと200m自由形は
関東大会出場資格を得られませんでした
関東大会参加標準記録は突破したのですが
神奈川県内で8位以内に入るという、もう一つの基準を満たせませんでした
競泳のレベルの高い神奈川県の選手は
関東大会に出場するのも簡単ではありません

ただし、仮に県大会で8以内に入れなくても
全国大会の参加標準記録を突破すれば、関東大会には出場できます
種目によっては、関東大会出場者の全員が
全国大会の参加標準記録を突破しているケースもありそうです
神奈川県の選手は、関東大会に出場するのと全国大会に出場するのが
ほぼ同じ難易度なのです
それ程、県のレベルが高く、競争が激しいのです

息子は400mメドレーリレーの予選にも出場しました
こちらは、チームを予選第3位で決勝に進出させました
その時点で、全国大会の参加標準記録も突破しましたので
関東大会出場権獲得にも貢献できました
同じく、800mフリーリレーの予選にも出場しました
こちらは予選2位で決勝進出を果たし
やはり、全国大会参加標準記録も突破しましたので
関東大会出場権を獲得しました

どちらのリレー種目も、息子は決勝戦を泳ぐことはできませんでしたが
チームの目的に確実に貢献することが出来ました
息子にチャンスを与えてくれたチームの監督やコーチに感謝しています
大きなプレッシャーの中で
自分のやるべきことを確実にこなした息子も立派でした
久しぶりに息子を誉めてやりました

リレーメンバーに選ばれることは大きな名誉です
しかしまた、大きなプレッシャーがあり
親の立場でも、ミスをしないか、チームの足を引っぱらないか
見ていて、気が気ではありません
そんな中、息子の態度は堂々としており
ミスをせず、ひどくタイムを落とすこともありませんでした
息子は、堂々と戦い、自分のやるべきことを確実にこなしました
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改正すべきは年金法の「時効」

2009-06-21 14:43:18 | Weblog
まじめに考えると
怒りにふるえて、冷静になれないことがあります

私は感情の激しやすい性格なのでしょうか・・・?

日本の年金制度は、強制加入のくせに
年金の受給は、本人からの申請主義になっています
しかも5年以上申請しないと
時効によって権利が消滅してしまうのです

時効で消滅した年金は
今年だけでも365億円もあるそうです

こうやって
国民の大切な財産が
役人達にくすね盗られていくのです

ふざけた話です

国会が今すぐやるべきことは
臓器移植法案の改正ではなく年金法の改正です

国会は、ただちに法律を改正して
年金の「申請主義」を廃止すべきです



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