湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

ビジネスが作る人間関係

2018-08-31 18:44:28 | Weblog
今日は、忙しくならないつもりでしたが
結果としては、何組もの来客があり
一日中、その人達の相手をすることになりました

特に、初対面の若い女性は
1ヶ月後に結婚を控えているとのことで
私は、聞かれもしないのに
子育ての話などを、延々としてしまいました

同行の男性は、旧知の仲ですが
彼も、子育て真っ最中なので
私の話を熱心に聞いてくれました
結果として、話が盛り上がり
予定時間を大幅にオーバーしてしまったのです

人は、一旦、社会人となれば
新しい人間関係は、ほとんどが仕事を通じたものになります
そうしてできた人間関係を
仕事だけの関係に限定するのは、もったいないことです

私の頭には、いつも

「一期一会」

の意識があります

今、自分の目の前にいる人とは
一生、もう二度と会うことは無いかもしれない
この一時が、人生で唯一の時間の共有かもしれない
そうであれば、この時を大切にし
できる限り、互いに充実した時にしようと思うのです

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縄文時代の名工と話がしたい・・・歴史の考察

2018-08-30 18:32:02 | Weblog
今年の夏の盆明け以降
私の頭は縄文土器に占領されています
頭から、縄文土器の映像が去らないのです

縄文展を観て
改めて、その凄さに圧倒されたのです
実物を見て、その造りの素晴らしさ、大きさに圧倒され
無傷の出土物に驚嘆したのです

「これは芸術品だ!」

文化財としての価値はもとより
時代を超えて通用する

”美術品として価値”

が、素晴らしいのです

しかも、その造りは

”当代の名工”

とでも言いたくなる陶工達によって、作られたとしか思えません
縄文時代の、それぞれの時代や地域に
現代では、その名を知りようもない名工達がいたのです

縄文土器の中には
子供が遊びで作ったような
素朴な面白い作品があります

一方で、それらとは、まったく異なる
明らかに一流の芸術家と考えられる作者の作品も多いのです
当時、すでに専門の陶工がいたと思われます
彼らが、いかなる想いを込めて、これら作品群を作ったのか?
その心を覘いてみたい気持ちを、私は、抑えることができません

それにしても
ただの素焼きの土器
色も絵付けも無いモノで
これほど見事な表現のなされた芸術品があるでしょうか?
古今東西、私は、類例を知りません・・・
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特別展「縄文」再訪・・・歴史の考察

2018-08-29 15:42:40 | Weblog
上野に行ってきました

特別展「縄文」

を再訪したのです

凄い混雑でした
ずっと歩道に並び
入場券を買うまでに数百メートルの行列です

今日は、いつもより涼しかったので、助かりました
そうでなければ、倒れてしまったかもしれません
ただし、館内の混雑は、前回と同じ程度でした
入場制限をしているからでしょう

再訪した理由は
三内丸山遺跡出土の

「縄文のポシェット」

を、前回、うっかり見そびれてしまったからです
それを見るためだけに、もう一度、私は行ったのです

このポシェットの価値は”有機物”であることです
日本の酸性土壌では、有機物はすぐに分解してしまいます
出土品として発掘されることは、滅多にありません
だから・・・貴重なのです!

”石器時代”

なんて、人は、簡単に言いますが
発掘されるのが”石器”だけだからといって
そんな勝手な言い草が許されるものでしょうか?
当時の人々は、石器以外にも、様々な道具を使って
日々の生活を営んでいたのです
”石器時代”という言い方は
現代の考古学者の自己都合による、勝手な言い方なのです

「縄文のポシェット」は
途中でちぎれているので。長さは分かりませんが
ちょうど、ペットボトルを入れるのに、いい大きさです
私が想像していたのより、小さなものでした
中に入っていた、小さなクルミも、置いてありました
当時の人々の生活が垣間見えるようです

有機物が発見されないことが
古代を研究するうえの最大の障害です
衣食住を、全て、有機物に頼ってきた日本人は
遠い過去の生活を”物”としては確認できません
彼らの生活を知るためには
私達は、豊かな想像力を持たなければばなりません







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走り続ける日々

2018-08-28 18:18:33 | Weblog
忙しい一日が終わり
今日の自分が、何をしたのか
軽い不安と、軽い満足感が入り交じる
不思議な感触の時間があります

何をしても、自信が持てず
かと言って、何もせずにはおられない性格
そんな性格を背負って生きてきたのが
私の人生の様な気がします

心から満足したことなぞ
私の人生で、あったのだろうか?
分からないことばかりなのに、新しいことに挑戦し
知らないことの海を泳ぎ切ってきました

私だけではなく
全ての創業者が、同じ思いを味わってきたことでしょう
一所に留まれば、沈んでしまう
止まることを許されない状況に置かれて
闇雲に走り続けるのです



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私は縄文時代に学術的興味は無い・・・歴史の考察

2018-08-27 18:25:12 | Weblog
毎日、ブログをアップしていますが
今日は珍しく、書くことが思い浮かびませんでした

いつも、あまり考えず
頭に浮かんだことをキーボードで打ち込みます
したがって、苦労するということはありません
毎日、自分のペースで、書きたいことを書いています
しかし、今日は、書くことが思い浮かばず

「今日は、やめようかな」

と、思ってしまったほどです

毎日続けているのだから
やはり、今日も書こうということになり
今、まさに、今の自分の心の状況を打ち込んでいます

実は、これには事情ありまして
縄文土器論がヒット数が多かったので
連続的に、まだまだ書きたかったのですが
昨日、もう一度、展覧会に行くつもりが
諸般の事情で行けなくて
私の頭に、ぽっかりと空白が出来てしまったからなのです

今日

「縄文人の死生観」(山田安弘著)

を、買ってきました
この本は、是非、読んでおきたかったからです

期待して、読み始めたのですが
初めの所は、学術的な説明が主で、面白くありません
私は、生々しい遺骨の話など出てくると、読むのが辛くなる質です
それで、今は、脳みそが麻痺状態なのです・・・

私が縄文人の死生観に興味を持ったのは
あくまで、土器の持つ美観に魅せっられたからです
墳墓や遺骨への興味は、ほとんどありません
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高齢者の自衛策

2018-08-26 15:15:54 | Weblog
歳をとりますと
人との争いごとは、なるべく避けたいと思うものです
残り少なくなる人生の時間を
不愉快なことに使いたくないからです

ところが、そうした願望とは反対に
歳をとると、腹の立つ事が増えてきます
私は、50代の半ばを過ぎてから
人に騙されたり、裏切られたりすることが増えました

私は、若い頃と比べると、かなり

”人の良いおじさん”

になっているのでしょう

怒ることも減りましたが
その分、舐められることは増えたようです

今の若い人が怖いのは
平気で人を騙すことが出来ることです
平気で嘘もつけます
4年制大学出の若い可愛いお嬢さんが
銀行や証券会社に就職して
高齢者に、怪しげな金融商品を売り歩いています

私が心掛けているのは、とにかく

”不要なことには手を出さない”

ということです

とはいえ、新しモノ好きですから
ついつい、先走りをして、躓いたりしています

不安を抱えて生きるのも辛いですが
新しい世の中の動きに、取り残されて生きるのも淋しいです
せめて、子供達や、自分より若い人達と
フランクに会話できる大人でありたいと思っています


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縄文時代の葬儀・・・歴史の考察

2018-08-25 17:54:21 | Weblog
私は、縄文時代の葬儀について、考え続けています

遺体を野生動物から守るために火を焚くとしたら
4ヶ所に灯明を灯し、その中央に遺体を安置すればよい
動物は、遺体に近付くためには、灯明と灯明の間を通り抜けねばならず
火を嫌う野生動物は、遺体には近付かないでしょうから

初期の縄文人の葬儀は、その様なものだったかもしれません
しかし、縄文時代も中期になりますと
葬儀の儀式も複雑になり、準備に時間がかかるようになり
すぐには遺体を埋葬できなくなりました
そのため、遺体は屋内で安置されることになったのです

遺体を屋内に安置しても
初めは、遺体を四つの灯明の中心に安置したはずです
縄文人にとっては
四つの灯明は、葬儀を象徴するものだったからです

しかし、これにはやっかいな問題がありました
縄文人の建物は草葺きであったため
火が建物に引火しやすいことです

そこで考え出されたのが
上緣部に四つの突起のある土器
すなわち、火焰型土器、深鉢形土器、焼町土器・・・だったのです
一つの土器で、四つの灯明の代わりとしたのです
四つの突起は、まさに、四つの炎の象徴だったのです

したがって、これら以外にも
上緣部に四つの突起がある鉢形の土器は
同様の目的のために作られた可能性があります

さらに時代が降ると
四つの突起のある土器は消えます
人々が、四つの突起の意味を忘れたからでしょう

なお、縄文人の葬儀について、付け加えるなら
彼らは、灯明だけではなく、香を焚いていたようです
香炉形状の土器も出土しているからです
現代の日本人が、蝋燭を灯し線香を立てる葬儀の形式は
実は、縄文時代に、原型が完成していたのかもしれません


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縄文人の死生観と葬儀・・・歴史の考察

2018-08-24 17:44:50 | Weblog
葬儀の時は、必ず灯明を絶やしません
その由来は、古代において
遺体を野生動物から守るためだったとされています
死臭をかぎつけて集まる野生動物を追い払うためなのです
お通夜の起こりも、それでしょう
夜通し、遺体を守ったのです

縄文人は死者を手厚く葬る文化を持っていました

火焰型土器は、縄文人の葬儀の時の灯明だったのです
そして、遺体の埋葬とともに副葬されたのです
あの炎を思わす形は、まさに炎を現しており
死者を黄泉の国に導く灯明でもあったのです
そのために、死者と共に埋葬されたのです

縄文人の死生観は、永遠の輪廻転生でした
森の全ての生命がそうであるように
人も、死んで土に還った後
再び新しい生命として生まれると考えたのです
人の死に際しては、ただ悲しむだけではなく
来生への希望を祈ることも重要でした

だからこそ
出産に失敗して死亡した妊婦や
この世に生まれることができなかった胎児は
来生の健やかな出産を祈る土偶とともに葬られたのです

火焰型土器や土偶を副葬された人々は
縄文社会の指導層の人々だったと思われます
全ての人に、このような副葬品があったわけではないでしょう
特に、火焰型土器とともに埋葬された人は
社会のリーダーであったと思われます

土器制作者にとっては
火焰型土器の制作を依頼されることは名誉でしたから
腕によりをかけて制作したのです
だからこそ、あの素晴らしい芸術品が生み出されたのです
深鉢形土器や焼町土器についても、事情は同じです
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岡本太郎の縄文土器論と私・・・歴史の考察

2018-08-23 19:12:34 | Weblog
縄文土器と言えば火焔形土器を想像します
その造形の魅力と用途の謎によって
多くの人を魅了し続けています
私もまた、この土器に魅せられた一人です

岡本太郎の縄文土器論は有名です
私は、高校の現代国語の教科書で読みました
今から思えば、この文章により
私は、岡本太郎の大ファンになったのでした

中学の時に

「縄文土式器は素朴で、弥生式土器は洗練されている」

と言った、美術教師に反発を感じていた私は
岡本太郎に強い共感を覚えたのです
その後、私は岡本太郎の著書などを読み
美意識や人生観の形成に大きな影響を受けました

ただし一点だけ
私は、岡本太郎の縄文土器論に共感できませんでした
岡本太郎は

「縄文人は移動型狩猟民、弥生人は定住型農耕民」

と規定していましたが
私は、これには共感できなかったのです
私の受けた印象では、縄文土器は定住民の作品でした

縄文土器の特徴は、その名の通り”縄目”です
縄といえば、私が思い浮かべるのは
祖父が、どっかと腰を降ろし、藁を手で撚って、縄をなう情景です
農民である祖父の、定住民そのものの仕草です
さらに、土をこねるという作業が
田畑を耕す農民的行為の延長に思えたからです

今では、縄文人が定住生活をしていたことは常識です
岡本太郎は、観念的な誤謬を犯していました
農家の子である私の勘の方が正しかったのです

ただし、縄文の美に関する記述では
岡本太郎の縄文土器論の右に出るものはありません
あれほど見事に縄文土器の美を表現した文章を、私は知りません

私は今、火焰型土器の謎を
美術的側面からではなく、思想的側面から解明しようとしています
岡本太郎が

「何だ、これは?」

と語った、この謎に満ちた土器を・・・
そして、ある程度の目処が立ちました
やはり火焰型土器は副葬品です

火焰型土器と同系列の深鉢形土器と焼町土器には
いずれにも、墓地とおぼしき場所からの出土例があります
本日、目録の解説で確認しました
いずれも、縄文中期の本州中央内陸部から出土しています
形式に共通性がありますから、用途も共通のはずです




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箱根帰りの車中で

2018-08-22 18:46:27 | Weblog
妻と長女を連れて、箱根に行きました
まだ、帰りの車中です

厚木インター手前で渋滞にはまっています
今日は全般に東名の上りは渋滞だそうですが
それにしても
厚木インター下り口は感心しません
なぜ、海老名インター下り口と一緒にしたのでしょう?

厚木で降りるクルマ、海老名で降りるクルマ
海老名から圏央道で藤沢方面に向かうクルマ
同じく、圏央道で八王子方面に向かうクルマ
これらを一本のルートに集める意味は何なのでしょう?
まるで意図的に渋滞を作り出すための設計です
誰が、こんな愚かな設計を裁可したのでしょう?

高速道路の設計は
何よりも、渋滞解消を優先すべきです
せっかく新しい高速道路が開通したのに
厚木で降りるクルマは
余計な渋滞に巻き込まれるようになり
迷惑この上ない話です



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