湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

ホワイトハッカー

2017-06-30 18:22:39 | Weblog
都内の、ある会合に出ました
そこで

「ホワイトハッカー」

という言葉を知りました
ハッカーのテクニックを持ち
その能力をハッカー対策に用いる人です

いずれ私も、国際ビジネスを展開するようになれば
そういう人達の力を借りて
我が社の情報セキュリティーを強化しなければならないのでしょう
今日は、とても勉強になりました

都内の会合が終わると
そのまま藤沢に向かい、ささやかな取材を受けました
取引先の会社が、社の広報に、私に関する記事を出すようです
どんな形であれ、取材を受けるのは名誉なことなので
喜んで、お受けしました

昨夜から風邪気味で、頭痛が消えません
耐えがたい程ではないので、平気でいましたが
さすがに、夕方になると、辛いです
今夜は、熱燗でも飲んで、すぐ寝たいです
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酒の旨い飲み方

2017-06-29 17:35:08 | Weblog
一仕事終えてのビールの味は格別です
これが夏ともなれば、言うことはありません
夏の夕暮れ、まだ陽が残っている時間帯に
蕎麦でも食べながら、喉に流す生ビールの味は
もう、この世で、これ以上旨い飲み物は無いのではないのか
・・・と思うほどの、味わいです

なぜ、夏のビールが旨いかというと
暑くて喉が渇くという、当たり前の理由の他に
まだ、陽があるうちに飲めるという喜びもあります
明るいうちに飲むビールは、なぜか最高に旨いのです
これがウイスキーやブランデーなら
宵も深まってか飲むのが、味わい深いものなのですが・・・

ワインは、美味しい料理を食べながら
できれば、気のおけない仲間と
しかも、その中には、女性がふくまれている
・・・そんな状況が、より楽しく飲める条件です
日本酒ならば、寿司や蕎麦・・・
いわゆる日本料理を食べながら、語り合い
男同士、人生の喜びを分かち合いながら飲みたいものです

一人飲む酒は
なぜか、苦く感じるものです
酒は、誰かと、できれば、楽しく飲みたいものです
そして、ちょっぴりツマミもほしいです
そして、酒の最高のつまみは、やはり
ともに飲む者達との、楽しい会話であることは間違いありません
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桶狭間古戦場が松林に整備された事情・・・歴史の考察

2017-06-28 18:29:25 | Weblog
桶狭間古戦場は
ボランティアの方達は、昔は松林だったと言います
私は、戦の当時は、雑木林であったと主張します
どちらが正しいかは
タイムマシンが無いので、実証できません

私の論理は単純です
当時、係争地であった桶狭間には
人工林である松林を整備する余裕は無かったはずなので
自然林に近い雑木林であった・・・というものです

現地のボランティアが言う根拠は
市街化される前の桶狭間が
松林だったという記録に基づくものでしょう

そこで
なぜ桶狭間が松林として整備されたのか
私の考察を述べます

現地の住民にしてみれば
古戦場には、幽霊が出ると言われ
雑木林として荒らしておくのは、不気味だったのです
そこで、今川義元の墓を建て、周囲を松林にして整備したのです
松林は、日が入り、さわやかです
広葉樹の森では、薄暗く、不気味だからです

江戸時代になり、天下泰平になってから
地元の人々が、自発的に、そうしたのです

徳川家康にとっては、桶狭間は、敗戦の思い出の地です
しかも、主君が討たれたのに
自分は、家来も捨てて、一目散に逃げたのです
桶狭間は、家康にとって、触れられたくない過去なのです
徳川幕府関係者は、桶狭間古戦場について
いかなる意味でも、記念に残す意思は無かったはずです

そんなわけで、地元の人が、自発的に
今川義元と戦死者の鎮魂のために、古戦場の整備をしたのです
斜面ですから、耕作地には適しません
松林なら冬枯れもなく、手入れをすれば、感じの良い公園になります
もしかしたら、罪悪感に悩む家康が
見えない形で、資金援助をしたかもしれません・・・





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歴史と想像力・・・歴史の考察

2017-06-27 12:27:52 | Weblog
織田信長が、身分に関係無く人材を登用したのは
親族だ重臣だといっても、裏切る時は裏切る
戦国時代の冷酷な現実を
幼少年期から、身をもって知らされてきたからです

織田信長は、現実主義者(リアリスト)でした
敵に勝つために
あるいは、目的を実現するために
最適方法を考え、手段を選び、適材適所に人を配したのです

信長が愛し、信用したのは
身分に関係無く、能力があり、忠誠心の強い者でした
木下藤吉郎(豊臣秀吉)は、その典型でした
徳川家康も同じです
一方は足軽であり、もう一方は大名ですが、関係ありません
能力と忠誠心だけが基準でした

織田信長の事績を追って行くと
とにかく、リアリストであり、合理主義者です
鉄砲を導入するにしても
ただ、他者に先んじてこれを導入するだけでなく
実戦での運用方法についても合理的でした
三千丁の鉄砲で三段撃ちをした長篠の戦いは、その典型です

長篠の戦いでの鉄砲三段撃ちに関しては
これを否定する学説もあるそうですが
江戸時代初期の書に、その記載があるわけですし
同時代のシナの書にも、三段撃ちは日本から伝わったとあるのですから
とにかく、確かな証拠がないからと、否定し続けると
歴史そのものが成り立たなくなってしまいます
歴史は刑事裁判ではありません
もともと、戦の細部など、確かな記録が残るわけはありません
想像力こそ、歴史を解明するのです

歴史を作るのは人です
そこで、私は、歴史を想像する場合
まず”人”を分析します
織田信長という”人”が、どのような発想をするのか
そこからスタートするのです

織田信長の発想の本質は人間不信です
しかし、そこで絶望に陥り、世捨て人になるのではなく
むしろ、身分にかかわらず、人材を登用するという
前向きな方向に行くのが、信長らしさと言えます

若き日”うつけ者”と呼ばれ
同世代の庶民と遊び歩いている時に
信長は、庶民の中にも、知恵や勇気、忠誠心を持つ者がいること
むしろ、彼らの方が信用できるかもしれないこと
それを知ったのでした
無防備で庶民の中にいても、彼は、不安を感じませんでした


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織田信長の性格・・・歴史の考察

2017-06-26 18:52:26 | Weblog
名古屋弾丸ツアー以来
織田信長について、考え続けています

信長は、よく裏切られる人です
よほど信用が無いのか、人気が無いのか
日本史上の人物としては、希有の人気者のくせに
彼の生きた時代にあっては
嫌われ者だっようにも思われます

ただし、根っからの嫌われ者であったなら
あれほどの大事業は、とても成せないわけですから
信長は、人によって
極端に、好き嫌いの分かれるタイプだったのでしょう

私は、信長が大好きですけれど
これは、あくまで、歴史上の人物として
あまりにも興味深い人だからです
同時代に、身近に接したら
はたして、好きになれたかどうか、自信がありません

信長は、不幸なことに、武士から嫌われる人でした
その理由は、なんとなく分かります
彼は、はじめ長槍、その後、鉄砲を大量に使った戦術を好みました
つまり、大量の足軽を使う戦術を重視したのです
これでは、古いタイプの武士は、存在感が薄くなります
そして、このことは、信長の態度にも表れたはずです
武士達は、当然、面白くない思いをしたのです

親族や家臣の裏切りは
信長にとって、当たり前な現実でした
信長は、本質的な人間不信を持っていました
孤独な男であり
単独行動や、わずかな供回りを連れた行動を好みました
本能寺で討たれた時ですら、そうでした

信長は、血縁よりも
能力があり、かつ忠誠心を持つ者を重用しました
豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀は
まさに、能力と忠誠心の両方を兼ね備えていました
秀吉と家康は、最後まで、信長を裏切りませんでしたが
明智光秀は、最後には、信長を裏切りました・・・




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桶狭間の斜面は雑木林であった・・・歴史の考察

2017-06-25 12:04:39 | Weblog
昨日の「名古屋弾丸ツアー」の印象は強烈でした
私としては、当初は、知人も交えて
楽しい小旅行を企画した程度の気持ちでしたが

古戦場といっても、市街化が進んだ現在では
それらしい場所に、記念碑がある程度であろうと
私は、想像していたのでした
そして、確かに、その通りではあったのですが・・・

ボランティアの方の説明により
実際に、地中から鎧甲が出土するとか
明治時代の初めまでは、地元の農家では
戦場で拾った鎧甲を保存していたとの事実を知り
戦場のリアリティーを感じたのでした

ボランティアの方の説明では
戦場となった当時、ここは松林であったということでした
私は、この点には疑問を感じました
私の考えでは、ここは雑木林だったはずです
関東以南では、針葉樹の自然林は存在しません
松林であるとするなら、人工林なのです
しかし、当時のこの地は
人工林を整備する余裕は無かったはずだからです

当時の桶狭間の一帯は
今川方の城があれば、織田方の砦ができるという状況で
まるで碁石を並べたように
双方の城と砦が、入り組んで配置されているのです
つまり、国境線の未確定な係争地、紛争地帯だったわけです
落ち着いて人工林を整備できる状況ではありません
それに、雨宿りをするなら、広葉樹の下を選ぶでしょう





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男四人、桶狭間古戦場へ弾丸ツアー

2017-06-24 19:59:51 | Weblog
今日も、名古屋に弾丸ツアーを敢行しました
私と秘書、そして仕事関係の知人二人の合計四名です

いつものように、熱田神宮参拝から始まり
桶狭間古戦場を訪ね
最後は、大高城の跡を見てきました

桶狭間古戦場は、小さな公園になっていて
何もなければ、見落としてしまったことでしょう
桶狭間古戦場の表示があり
数名のボランティアが待機していて、説明してくれます
駐車場もトイレもあります

今川義元の墓があり
そこは、まさに今川義元が討たれた場所だとのことです
近くで建築工事があると
地中から鎧甲などが発掘されるそうです
幽霊が出るので、お地蔵さんが建てられたそうです

桶狭間は、私が想像していた通りの
谷戸のような小さな谷でした
斜面は、当時は松林だったそうです
斜面の木の下で、雨宿りをしながら
今川義元は、昼食をとっていたのでした

そこへ突然、信長の軍勢が現れ
長槍の集団突撃にさらされ
ついに、首を獲られてしまったのです
まさに、その場所に、墓が建てられているとのことでしたが
その根拠は、いかがなものでしょうか?
そう的外れな場所ではないとは思いますが・・・

桶狭間古戦場をあとにして、大高城址を見に行きました
道としては、名古屋方面に戻る感じです
趣のある造り酒屋の横を通り過ぎ
落ち着いた住宅街の奥の
一般住宅の専用通路のような小径を通り抜けると
階段があり、そこを登ると城跡でした

天気が良ければ、熱田神宮や清須城まで見晴らしがききそうです
ここに陣取った松平元康(徳川家康)は、どんな気分だったでしょう?
ここで今川義元の死を知らされた松平元康は
海路、岡崎に逃げ帰ったとのことです
逃走方向の陸路は、信長の軍勢でふさがれているわけですから
それ以外の方法は無かったでしょう

途中、道路渋滞に巻き込まれ
時間が押してしまい、丸根砦を見そびれてしまいました
いずれまた、機会を作って、行くつもりです

偶然ですが、私達が桶狭間古戦場に滞在したのは
今川義元が討たれた日時に近いことを、あとで知りました
旧暦換算で二日違い、時刻は、ほぼ、ぴったりでした


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良い出会いを求めて

2017-06-23 18:48:14 | Weblog
今日は、東京都板橋区にある某企業を訪問しました
我が社が進めている新規事業関連の相談です

手探りで進む新しい仕事は
私には、緊張の連続です
とにかく、分からないことだらけで
何が分からないかも、分からないのです

こういう時
一番大事なのは、良い相談相手を見つけることです
そして、良いパートナーに出合うことです

これまで、ゆっくりした歩みでしたが
良い相談相手に出合い、良いパートナーに出合いました
運命に感謝したい程の幸運だと思っています
これからも、同じように進んでいけたら最高です

仕事が新しい段階に入る度に
新しいテーマや問題が発見され
それを解決するためには
新しい相談相手やパートナーが必要となります

思えば、いままで私がやってきた仕事についても
実に、色々な人や業者、業種に関わっています
それを、一から作り上げなければならないわけですから
調べたり、動き回ることが多くなるのは当然です
これは、大変なことと考えるより
今は、そういう作業をする段階にあると認識すべきです

見えない世界を、手探りで、進むことは
霧の中を進むようなものです
時に、びくびくしながら、あるいはまた、いらいらしながら
一歩一歩、進まなければなりません

足下を踏み外さないように、気をつけながらも
勇気を失わず、前を見て、進む
・・・それが、現在の、私の心境です

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気が付けば、とにかく、子供達のために・・・

2017-06-22 19:06:05 | Weblog
今、自宅改装中です
浴室を直し、また別の部屋を模様替えします
この部屋も、二度目の模様替えとなります
築44年の建物に住み続けるとは、そういうことなのです

玄関と門の間のタイルの隙間も直しています
これは、よく滑るので、直すのです

そうやって、家が少しづつ変わっていきます
長く住むためには、必要なことです
ただし、家直しは、お金がかかるのがネックです
私はリフォームローンを使いました

もう、この歳になって、借金はしたくないのですけれど
まだまだ、子供達が独立していないので
現金は、ある程度、確保しておきたいのです
何があっても、子供達の教育資金だけは用意しておきたいからです
ただし、奨学金みたいなものがあれば、利用してほしいです
子供は5人いますから、とにかく、使えるものは、何でも使いたいです

家を直すのも、子供達のためなら
そのために借金をするのも、子供達のためです
勿論、私自身のためでもありますが
やはり、我が家は、子供中心に回っているのです

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予定を守るのがプロ

2017-06-21 18:51:10 | Weblog
かなり強い雨が降っています
天気予報通りですから、驚くこともありませんが
それでも、予定がキャンセルになったり
私の仕事や日常生活に影響が出ています

私自身は、あまり天候を気にしない性格です
天気により、気分には強く影響を受ける性格ですが
天候を理由に仕事の予定を変えることは、まず、ありません
よほどのことがないかぎり、スケジュール通りです

仕事とは、そういうものだからです
むしろ、厳しい気象条件や天変地異に襲われた時こそ
仕事は忙しくなり、逃げてはならない局面となるのです
天候を理由に予定をキャンセルすることなど
私には、考えられません

ただし、物理的に不可能な状況になれば
勿論、キャンセルせざるを得ません
そういった状況以外は
仕事に入ったら、私は、天候を配慮しません

これは、私の仕事が、主に渉外だからです
相手があることですから
こちらの都合で予定をキャンセルすることは、したくないのです
私は、予定を簡単にキャンセルする人物を信用しません
ですから、自分も、そういうことはしないのです

一方、建築工事は、天候に大きく左右されます
これは致し方ないことなので、私は業者の立場を尊重し
工程管理は全面的に業者に任せます

しかし
私は、施工管理全体を業者任せにすることはしません
自分が発注した工事である以上、私は、頻繁に現場に顔を出し
問題があったり、細部の打ち合わせが必要な場合
しばしば、その場で、即断即決します
人的理由で、工事を長引かせる事を避けたいからです

仕事の厳しさの本質は
品質と納期を守ることにあります
これができるからプロなのです
プロは、安易に、予定を変更すべきではありません





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