湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

”正義”と”人間不信”に要注意

2017-08-31 18:03:45 | Weblog
人との関わりの中で
注意しなければいけないのは
”正義”と”人間不信”です
この二つは、人間関係を破壊します

自分の正義にこだわりだしたら
他人との関係は、どうしても、上手くいかなくなります
また、人間不信に陥ってしまうと
もう、他人との関係が作れなくなります

とは言え
正義を無視して生きることは出来ませんし
ともすれば、人間不信に陥ることも
避けられない現実ではあります

正義感や人間不信により、怒りがこみ上げてきた時
私は、全身の力を抜きます
正義と言っても、この世に絶対の正義はありません
せいぜい、自分だけの正義か、軽薄な世論の正義があるだけです
そう、自分に言い聞かせ、冷静になるのです

それから、まず
自分自身が、正義に囚われすぎていないか反省し
やはり、相手が正義に反すると思った時は
冷静に、相手を説得する方法を考えることから始めます

正義に反する相手に、正義を説いても
上手くいかないことが多いものです
そうなった時は、相手との関係を断つことを前提に
冷静に、そのタイミングをはかるようにします

ここで私が想定している問題は
正義に反すると言っても
法律に反することではありません
適法であっても、正義に反すると考えた場合
私は、それをしたくないのです

こうした微妙な問題が
ビジネスの世界にはあります
ビジネス以外の世界でも、人間界には、ついて回ることでしょう
自分の正義と相手の正義が、火花を散らさないように
心の中で、静かに、折り合いを付けるのです
法律を犯しているわけでは無いのですから・・・

これに関連して”人間不信”の問題があります
普通に接していれば、仕事で出会う人に悪人はいません
世間には、根っからの悪人は、滅多にいません

ただ、日本人の場合、集団への帰属心と保身の感情により
集団の外側の人間に対しては
信じがたいほどの不正を平然とする人がいます
役人にも、サラリーマンにも、必ずいます
この点は、日本人の習性の一部と考え、注意深く接します
そういう事態に陥らないようにするのです




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日本は世界で一番危険な国

2017-08-30 11:16:43 | Weblog
日常の秩序について言うなら
日本は、世界で一番安全な国かもしれません
しかしながら、核攻撃の可能性については
世界で一番危険な国かもしれません

この話は、以前から、私は、人に話していました

その理由は単純です
日本は、核攻撃に対し、反撃手段を持っていないからです
アメリカが日本を守ってくれるというのは幻想です
アメリカが、日本のために
自国を核攻撃のリスクに晒すことはあり得ません

教室にいた小学生
秋葉原の歩行者天国を歩いていた人
障害者施設の中にいた障害者

この人達に共通することは
日本人であること以外には見当たりません
しかし、別の共通点がありました
暴漢の無差別殺傷の犠牲者になったことです

地中海に面するリゾート地の道路を歩いていた人
イギリスで、人気歌手のコンサートを聴いていた人
彼らにも、同じ共通点があります
テロリストの犠牲になったことです

さらに、両グループに、共通する点が、もう一つあります

”防衛手段と反撃手段を持たなかったこと”

です

このことが、不当な暴力の犠牲になった人々に共通する条件でした

日本は、国として
核攻撃に対し、防御手段も反撃手段も持ちません
それだけでも、狙われる条件が整っています

そればかりでなく
現在世界の核保有国のうち
ロシア、中国、北朝鮮は、日本に核の照準を定めています
同盟国のアメリカですら
いつでも日本を核攻撃できる体制にあります
国土の狭い日本は、逃げ場所もありません
世界で一番危険な国なのです
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納税と中小企業の苦境

2017-08-29 18:34:59 | Weblog
市県民税と個人事業税
今月末に支払期限があります
本日、支払うものは支払い、口座に入れるべき額は入金しました
これで、なんとか、今月を越せます

こんな風にして、毎月が過ぎていきます
税金を、課税する方は簡単ですが
支払う方は四苦八苦しています
そのために、私は、キャッシュがあったとしても
事業資金については、なるべく借り入れを起こし
納税は、キャッシュで済ませるのです

本日、金融機関の人と話していたら
納税を借り入れで凌ぐ人がいるということでした
これは異常なことです
税金とは、利益の中から支払うべきものです
利益が出ているのに、手元に資金が無いのです
これは一体どういうことでしょうか?

支払金の経費算入を、なにかと制限する日本の税制は
実質税率がとても高いのです
経営者は、よほど注意していないと
黒字なのに、資金ショートをしてしまいます

税の仕組みと経営の実際は
経済学者や経営学者でも、知らない人が多く
国の政策は、変わりません
中小企業の苦境は、これからも続くでしょう

こういうことは
偉い人達は、理解しようとしません
中小企業なんか、虫けらとしか思っていないからです

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横浜ビジネスパーク

2017-08-28 19:15:26 | Weblog
新規事業に関連して
知人から紹介された業者を訪ねて
今日は

「横浜ビジネスパーク」

に行きました・・・初めてです
こんな素敵なビジネス街が、14年前に出来ていたのですね
まったく知りませんでした

おそらく、大きな工場跡地みたいなところを再開発したのでしょう
素晴らしい仕事ですね
私としては、突っ込みを入れたくなるヶ所もありますが・・・
ビジネス街の創出という発想が素晴らしいです

ビジネスにも、快適と効率を求めたいですね
そのためには、既存のビジネス街には
どうしても限界があります
こうした試みは、勇気を持って取り組んで欲しいです
私にも、関わるチャンスがあればいいのですが・・・
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「桶狭間の戦い」の新説・・・歴史の考察

2017-08-27 16:08:43 | Weblog
桶狭間の戦いの本質は
移動中の長く伸びた隊列を
側面から、ピンポイントで
今川義元本陣を突いたことにあります
織田信長は、圧倒的な兵力差を
局面に兵力を集中することで克服したのです

問題は、その方法です
従来、少数の兵力を迂回させ
側面から義元本陣を突いたと考えられてきました
そのルートや兵力数には議論が分かれても
考え方は同じなのです

私は最近、この従来説に疑問を持つようになりました

織田信長について、本格的に学ぶために

「信長公記」

を、私は読み始めました

より直接的な目的は「桶狭間の戦い」について知ることでした
ところが「信長公記」には
桶狭間の戦いの記述は、少ししかありません
この記述からは、全容がつかめないのです
桶狭間の戦いについて、従来言われてきたことは
「信長公記」以外に出典があるらしいのです
しかしそれらは、私の手元にはありません

私は、インターネット等で調べた桶狭間の戦いについて
自分なりに検討していたのです
そして、従来説とは異なる結論に至りました

桶狭間で信長が用いた戦法は
長槍を持った足軽による集団突撃です
信長自身が、馬を下り、槍を持って
足軽達と共に、戦ったのです

問題は、清洲城から桶狭間までの距離です
この距離を長槍を持った足軽が移動したら
彼らは疲労困憊して、戦いどころではないと思います
しかも、その様子は
大高城に入った松平元康(徳川家康)からは丸見えです
とても奇襲はかけられそうもありません

私は、ここに、新説を唱えます

”足軽部隊伏兵作戦”

です

沓掛城と大高城の間に伏兵を置き
移動中の今川義元を側面から奇襲するという作戦です

信長の軍勢は黒い煙を上げて、一斉に山を下ってきたと言われます
この黒い狼煙こそ、伏兵達への”一斉攻撃の合図”だったのです
白い狼煙では、誰かが焚き火をしても、間違えてしまいますから


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嫌なことは色々ありますが・・・

2017-08-26 17:59:19 | Weblog
生きていると、色々、嫌なことがあります
いちいち気にしていたら、やってられません
でも、本当のところ、参ることもあります
そんな時は、この世に、おさらばしたくなります

私は、この世に生まれてきて、良かったと思っています
でも、時々、厭世観にとらわれます
今まで、一度も自殺を試みなかったのは
私には、自殺願望が、まったく無かったためですが
その理由は、痛いことや苦しむことが大嫌いだからです

なんの痛みも苦しみも伴わず
消えるように、この世から、いなくなることができたら
それはそれで、いいと考えることは、ありました
”安らかな死”は、私のいくつかある願望の一つです

でも、今のところ、まだ、死にたくはありません
この世に未練があるからです
色々あっても、やはり
生きていて良かったと思うことが多いからです
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”戦争の語り部”が語る”作り話”

2017-08-25 18:16:20 | Weblog
私は、戦争のことが、さっぱり分からなくなりました
戦争って、何なのでしょう?
身近な人に聞いても、人によって、とらえ方が違います

「群盲象を撫でる」

という、ことわざがあります

象の牙を触った者、象の耳を触った者
象の鼻を触った者、像の脚を触った者
それぞれが、まったく別の印象を語ります
そのいずれもが真実であるにもかかわらず・・・

戦争について、あまりに多くが語られ
毎年8月になると、それが繰り返され
今年もまた、少なくとも新聞では、その習慣が守られています

ところで”戦争の語り部”は、どこまで信用できるのでしょう?
中国の撫順に抑留された人は
洗脳されて、ありもしなかったことを語るそうです
彼らの語る”日本軍の残虐行為”なるものは
すべて”作り話”だそうです

そんなわけで
私は、身近な人の話か
明らかに信用できると思われる人の話しか信用しません

今回、戦争の印象の男女差というものを発見しました
事実であっても、男女では、受け止め方がまるで違うのです
これは、私にとって、今年の収穫でした
以前から、少しは気になっていたのですが
今年、少し頭を整理してみたら、あまりの違いに愕然としました

情報を吟味する能力・・・これが本当の知性です
日本の教育は、丸暗記中心ですから
無批判な記憶力の持ち主が、優等生とされてしまいます
そんなわけで、日本型優等生は、洗脳されやすい傾向があるのです
洗脳されやすい優等生達が、日本の指導層に多いことは
私の心配の種です


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アメリカとの戦争だから悲惨だった・・・

2017-08-24 19:15:18 | Weblog
女性、特に少女から見た”戦争”
日本の戦後を支配した戦争観がこれです
私の母の戦争観です

経験をベースにしていますから
嘘ではないし、現実感もあります
説得力があるわけです

しかし
これが戦争の全体像を表すものでないことは
誰にも分かります
それだけを取り上げて

「これが戦争の実態だ」

と言っても、不完全で偏ったものになってしまいます

私の母の体験などは、戦争というより

「これがアメリカ人の本質だ」

と言う場合の材料にした方がいいかもしれません
日本の戦争が悲惨だったのは
相手がアメリカであったからでもあるのです
後のベトナム戦争を見れば、説明の必要はありません
彼らはアジア人を、同じ人間だとは思っていません

ゼロ戦のパイロットが、民間人を襲うなど
ハリウッド映画や中国、韓国など、外国映画の世界でしかあり得ません
その様なことは、絶対に無かったのです
私はゼロ戦のパイトットに関する本は、何冊か読みましたが
彼らは、機銃掃射すら、ほとんどしませんでした
民間人を機銃掃射することなど、一度として無いのです
坂井三郎は、米国の航空機の窓の中に、女性と子供の姿を認めると
撃墜せずに、見逃しています

悲惨な戦争なのに、父や、知人など
当時の少年達は、冷静に客観的にとらえていて

「機銃掃射は飛行機の針路から外れていれば安心だ」・・・とか

「1発だから、操縦席から狙い撃ちにしたのだろう」・・・とか

まるで自然現象を語るように、冷静に、淡々と語るのです
そして、強い感情を呼び起こす記憶は
機銃による死の恐怖よりも、食欲に関するものだっりするのです

同年代の子供でも、男女では、これだけ顕著な違いがあるのです
まして、これが大人となれば
子供とはまったく違う戦争観があるでしょう
さらに、戦場に行った人と、そうでない人とでは
違う戦争観を持つのは当たり前です
戦争は、多面的に見ないと、全体像はつかめません
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戦争観の男女差

2017-08-23 18:37:45 | Weblog
母は、とにかく、戦争を嫌っていました
戦争のことを、あまり語りませんでした
そして、母は

「マッカーサーの占領統治が良かった」

と、言っていました

それはそうでしょう
毎日のように戦闘機に追い回され
いつ殺されるかも分からない状況を生きた母は
米軍による占領を、心底、恐怖していたはずです
ところが・・・それは
予想外に、平和だったからです

多くの日本人も、母と同じような感情を持ったようです
そして、占領下に、米軍への憎悪を持つことが少なかったのです
むしろ、平和の回復による解放感と一体となり
幸福を感じさせる時代ですらあったのです

父は、空襲の恐怖を語ることはありませんでした
事実を、淡々と、語るだけです
私の知人の、ある男性は、やはり空襲の経験者でしたが
繰り返された空襲の恐怖よりも
食糧難による空腹の方が辛かったと言っていました

男性と女性では、かなりはっきりと、戦争観が違うようです
男性は、あまり空襲を恐れず、冷静に対処しています
知人のように、空腹の記憶の方が強かったり
父の場合は、自分の弁当が級友達より豪華だったので
それを隠したかったことを憶えていたりするのです

父からも、そして、他の戦争経験者からも
私は、男性からは一度も

”マッカーサーの占領統治が良かった”

という話は聞いたことがありません

戦後日本のマスコミの喧伝する戦争観は
私の受ける印象としては
多分に、女性的であると思われます
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”鬼畜”との戦争

2017-08-22 16:14:37 | Weblog
昨日書いた母のエピソードは
以前にも、このブログで取り上げました
なぜ、繰り返したかというと
これが私の戦争観の原点だからです
今後も、何度も、取り上げることになるでしょう

戦争とは何か
その答は、人によって違うでしょう
戦争については、あまりに多くのことが語られています
しかも、その内容はショッキングです
しかしそれらは、私にとっては
経験を離れた”知識”でしかありません
そこで、せめて、肉親の経験にだけには、こだわりたいのです

父の戦争体験はどうだったでしょう

私の知る限り、父は二度、空襲を受けています
一度は、徴兵された義兄を甲府まで送った後
帰りに八王子で遭遇した空襲
もう一度は、家の庭で、上空から狙撃されたのです

一発の銃弾が、家の庭で、父の近くに撃ち込まれました
上空を見ると、米軍機が飛んで行ったのでした
それは東京が空襲された日だったと、父は語りました
たった一発ですから、機銃掃射ではなく
コックピットから拳銃で狙い撃ちされたと考えられます
狙撃者は、ハンティングでもするかのように
農家の庭にいた少年を狙い撃ちしたのです

母が住んでいた寒川町は、相模工廠という軍需工場があり
そこを攻撃に来た米軍機が
帰りに、農村を機銃掃射していたのです
農村の子供や女性を、上空から追い回すように撃ち続けたのです
戦争中、日本人は、敵を”鬼畜米英”と呼びましたが
まさに、彼らは”鬼畜”だったのです


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