生活のリズムがつかめません
今日は、仕事は休みですが、私は事務所に出ます
郵便物が来ますし、メールも来ます、電話も少し来ます
それに、なりより、自宅にいるより、生活のリズムがつかめます
私は一生、仕事を続けるでしょう
心配なのは体力がどこまで保つかだけです
そのため、健康には細心の注意をしているつもりですが
実際には、なかなか上手くいきません
健康を目的として生きることが
私にとって、なんとも難儀なことです
そもそも、健康とは、何かをするために必要なことであり
健康そのものを目的とすることが、私にはピンときません
一応、仕事をするために健康を維持するという目的はあるうのですが
仕事を継続するために必要な体力は、どんなものでしょう?
それは、仕事の内容によります
私は、今より体力があれば、もっと色々な仕事をするでしょう
仕事をするための体力を作るのではなく
現実には、今の体力でできる仕事を選ぶしかありません
それが、少々、なさけないことになっているのが現状です
もっとアクティブに仕事をしたいのですが、体力が許しません
先日、乃木希典の書を落札しました
調べると、元は「凱歌」という題の七言絶句です
凱歌 意味
皇師百萬征強盧 百万の皇軍は強敵ロシアを制圧した
野戦攻城屍作山 野戦と攻城戦で山のような戦死者を出してしまった
愧我何顔看父老 私は彼らの両親祖父母に顔向けできない
凱歌今日幾人還 戦勝を祝う今日、幾人が帰還できたというのか
私の訳した大体の意味です
まあ、情緒が乏しいのはお許し下さい
昨日はヒット数が少なかったです
そんなに酷い内容だったかなぁ~
一昨日の内容が悪くて、読者が離れたのかな?
読まなきゃ内容は分からないわけだから
極端にヒット数が上下動するのが不思議です
ま、この問題は、深掘りするのはやめましょう
私の手に負えない領域ですから・・・
それに、私はヒット数でブログの内容を決めないですから、関係ありません
ヒット数が、増えようが減ろうが、自分が書きたいことを書くだけです
私の考えでは、言論の自由は民主主義の要です
ここで妥協してしまうと、ずるずると自由が後退し、民主主義が骨抜きになります
そうはさせじと頑張っていいるわけです
皆さん、応援、よろしくお願いします
私は、商売に関係無く、言論活動をしているのです
過激な主張をしなくとも、当たり前の主張であっても
なぜか、時々、不自然にヒット数が減ります
だいたい、こんなことを書くと減るなと分かるようにもなりました
いくら気にしないと言っても、気にはなります
もう、慣れっこにはなりましたが・・・
私が日本の教育で一番嫌いなのが、暗記中心で、自分で考える能力を育てないことです
丸暗記か、必ず同じ正解に行き着く問題しか考えさせません
多様な解答のある問題を避けるのです
試験をする都合上、同じ答えしかない問題をやらせるのでしょうが
そもそも、試験の都合で教育内容を決めるというのが問題です
人を選別するのが教育の目的になっているようでは、民主主義の精神に反します
誰もが参加できるのが民主主義だからです
たぶん、日本では、平等主義と民主主義が混同されているのです
同じ服を着て、同じ問題を解き、同じ答えを書く
これは、平等かもしれませんが、民主主義ではありません・・・どうみても全体主義です
全体主義を徹底すれば共産主義になります
そして、共産主義くらい不平等な体制はありません
これは”人間社会には平等は存在しない”ということを意味しています
自由に生きれば、一人一人に違いが生じます
違いがあれば平等とはいえず、無理に違いを無くそうとすれば
そうすることのできる権力を持つ者と、権力を持たない者との間に
とんでもない不平等が生じてしまうのです
行動の自由は冨の不平等を生みますが
富の平等を実現しようとすれば、とんでもない権力の不平等が生まれ
結果として、権力を持つ者が冨も独占し、完全な不平等社会が出現するのです
自分と他人は違う・・・この当たり前のことを理解したくない人がいます
実に多くの人が、自分と他人の違いを受け入れることができず
嫉妬による妬みや恨み、怒りなどを感じてしまいます
私だって、自分と他人を比べ、嫉妬心を持つことはあります
ただし、ちょっと羨ましいと思うくらいで
あまり、それ以上の感情は持たないで、意識から遠のきます
わざわざ、それを根に持って、あれこれしようとは思いません
ただし、自分もできることだったら、真似します
人真似は嫌いではありますが、自分もやりたいことは真似します
真似といっても、普通の行動なら、知的所有権を侵すようなことはないですから
人がやってるいることを、自分がやる勇気が無いだけなのに、それを批判したり
他人が成功すると嫉妬し、失敗すると心の中で快哉を叫ぶような奴もいます
失敗して、ざまあ見ろというわけです・・・臆病者で嫉妬心が強いタイプです
ネットには、この種のタイプが多くいて
嫉妬心を動機にしてるとしか思えない言論が飛び交っています
少なくとも、私には、そう感じられます
私が憂慮することに
日本の教育では、他人と同じを強調する要素が強すぎると思われることがあります
制服を着せたりするのは、その典型ですが、これは、まあいいでしょう
考え方や行動をなるべく同じにしたがる傾向があるように見受けられるのです
人に優しくしたり、思いやりをもって接したり
そのことによって、人を助け、幸福な気持ちをもたらすことの多くは
いつの時代も、金銭的対価の対象となりません
まあ、高級ホテルや高級デパートの接客は、対価の一部かもしれれませんが・・・
商品を丁寧に渡しても、不愛想に渡しても、値段は変わりません
まして、自動販売機や通信販売では、そうした機会すらありません
人を幸福な気分にする多くの行為が、その現れる場所を失いつつあるのです
だからといって
日本人が冷たくなったり、無愛想になったわけではありません
多くの日本人は、愛想が良く、親切です
もちろん、そうでない人もいますが、それは昔も同じです
私達日本人は、生まれつき、優しく、親切なのかもしれません
良い気質を持った民族であることは間違いないでしょう
それでも、昔の日本人のエピソードなど知ると
今より、さらに凄かったように思うこともあります・・・
人に優しくするのが当たり前、親切にするのが当たり前金銭など関係無い
そんな、日本人の行動原理があったように思います
普通の庶民が、誇り高い生き方を、気張らずに、自然にやっていたのです
人から問われても、当たり前のことをしたまでで
なぜ、そんなことを聞くのかと、問い返す人も多かったのではないでしょうか
人間関係が、金銭関係に収斂していくっことに淋しさを感じる人は多いでしょう
私もそうです・・・でも、それはやむを得ないことかもしれません
現代は高度に発展した自由経済社会であり、金銭があれば、多くの自由が手に入ります
金銭を与えることは、自由を与えることなのです
ですから、金銭を与えられることは、自由を与えられることになります
自分に自由を与えてくれる人に、愛情や好意を感じるのは当然のことになります
長い人類の歴史の中で、人間に与えられた自由は限られたものでした
行動の目的に自由はありませんでした・・・行動の目的のほとんどは、食料を得ることでした
原始時代の人間には、自分が、いかに、何を目的に生きるか
・・・そんなことを悩む余裕はありませんでした
食料を得られなければ、待っているのは死だけだったからです
現代人である私達は、文明社会の中に生活するかぎり
金銭さえ持っていれば、生きていくことができます
ただし、文明社会の有形無形のルールを守り、それに従わない限り
金銭を得ることも、それを上手に使うこともできません
法律を知り、常識を知り、各種マニュアルに精通することが
現代社会を生き抜くスキルとなりました
現代人が身に着けるべき必須事項になったのです
それさえあれば、現代社会では、生きられるし、自由を得られるからです
私の前半生は、苦労も多かったけれど、幸せでした
人から裏切られることが少なかったからです
後半生は、人から騙されたり、裏切られたり・・・
付き合う人も、金銭のからんだ関係が大半となりました
そう考えると、結婚して良かったと思います
結婚生活も子育ても苦労は多かったけれど、愛情をベースにした関係ですので
生き甲斐のある日々を過ごせたと思います
その家族関係も、やがては金銭以外の意味が薄くなるのかも知れませんが・・・
子供達は、すでに、金銭以外の私の援助は必要としなくなっています
社会人となれば、それもなくなります
そうして、私は、ふたたび孤独の人生に戻るのかもしれません
そう考えると、淋しいですけれど、これも人生の真実です
子供がいつまでも親に依存していたら
嬉しいことではないし、お互いに幸せなことではありません
理想は、子供が親の面倒をみるようになれることですが
そちらは、あまり期待しないようにしています
私の子育ては最終段階に入っています
5人の子供のうち、2人は社会人となり
1人は来春卒業予定、就職も決まっています
あと数年、全員が就職するでまでの人生を、事業を継続しつつ
健康を維持することが、私の父親としての、最後の仕事となります
一日、事務所に出れば、一日分の仕事があります
今日は、午後しか予定が無かったので
午前中、簡単な買い物をしようと思っていたのです
ところが、出がけにメガネのフレームが緩んでいるのに気付き
急遽、メガネ屋に行くことにしました
買い物のためとは違う道を通りました
我が家の墓の前を通るルートでした
すると、なんと、我が家の墓地の前に資源ごみが山積みになっているではありませんか
市に電話をして抗議しても、担当部署はらちがあきません
やむなく、午後になって、別件で我が家に来た市の職員に相談すると
市民センターに連絡するとよいとアドバイスを受け、すぐに対応してくれました
実は、車を停めて抗議の電話をしていたのですけれど
そのうち、メガネのフレームが外れてしまい
やむなく、妻に来てもらい、運転を代わってもらいました
結局、妻と二人でメガネ屋に行き、買い物も一緒にすることになりました
午後は、それなりに客が続き、一日が終わりました
毎日のルーティンワークをこなし、突発した事案に対処し
明日以降の仕事の予定が埋まっていきます
そして、その日の予定と、その日発生する事案が、一日を埋めます
こくして、私の日々は過ぎていきます