湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

祖父の思い出

2020-08-31 18:38:05 | Weblog
このブログで、いつか祖父について書こうと考えていました
ファミリーヒストリーを遺すのが、このブログの目的の一つだからです
我が家のためだけではなく、公的な意味もあると考えています
歴史は、あまりにも庶民を無視しているからです
私は、ほんのわずかでも、嘘の無い庶民の歴史を遺したいのです

とは言え、祖父について語ることは
私には、ためらいがありました
少年期から、私は、祖父をあまり尊敬していなかったからです

私が物心付いた時は、すでに祖父は現役を引退していて
畑仕事などは、ほとんどしていませんでした
年齢だけが理由ではなく、祖父の出番が無かったからだと思います
畑を耕せば誰にも負けなかった祖父も、耕運機やトラクターには、かないません
それに、米や芋は作れても、メロンやトマトは作れなかったでしょうから
実際には、祖父が間違ったことをして、足手まといになることがあり
母が愚痴を言っていたこともありました

家で簡単な作業をするか、老人会活動だけが、祖父のしていることでした
祖父を嫌いではありませんでしたが
無口な祖父とは、ゆっくり話をしたことがなく
私は、祖父のことをあまり知りませんでした
健康と長寿だけが取り柄の人のようにしか思えなかったのです

祖父の話を、もっと聞いておけば良かったと
祖父が亡くなってから思いました

祖父と遊んだ記憶としては
よしずを持って川に入り、それを扇型にして川底をさらう
豪快な魚取りを見せてくれたことがありました
昔は、それで、多くの収穫があったらしいのですが
その時は、何度やってもザリガニしかとれず、祖父は落胆していました
祖父は私に、昔の川遊びの楽しさを教えたかったようでした

私が託児所に入った時
なぜか、祖父が弁当箱を買ってくれました
青い楕円形のアルミの弁当箱には、人工衛星と犬の絵が描かれていました
そのことは今でも、とてもよく憶えています

祖父からは、素手で野ウサギや野鳥を捕まえる話
「もじり」という道具を使ってウナギを捕る話が聞きましたが
実際に、一緒にやったことはありません
ただ、随分高齢になってからも
鴨や白鷺を生きたまま捕まえてくることはありました
ある種のセンスの持ち主ではあったのでしょう


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祖父の戦前戦後

2020-08-30 16:50:33 | Weblog
映画「フォレストガンプ」が
私にとつて、忘れがたい映画なのは
私が、祖父について考えるきっかけになった映画だからです

私は、実は、祖父について、あまり知りませんでした
私が小学校に入った頃は、すでに70代の老人であったし
祖父は無口な人で、自分のことを、あまり話さなかったからです

私が祖父について、少し知るようになったのは
祖父が100歳を過ぎ、ミニコミ誌の取材や市長の訪問
大学医学部からのアンケート等が来るようになり
祖父へのインタビューに、私が立ち会う機会が増えたからです

たぶん、そんな頃に、映画「フォレストガンプ」を観たのです
映画館に行った記憶はありませんから、テレビで観たのだと思います
私は、その映画に不思議な印象を受けました
そして、なんとなく、その映画の意味するところが、祖父の人生を連想させたのです

フォレストガンプは知的障害者でしたが
体力が強く、軍隊には順応し、優秀な兵士でした
私の祖父も、小学校しか出ていませんが
体は丈夫で、軍隊にはよく順応し、優秀な兵士でした
そして、フォレストガンプが大統領に会ったように
祖父も、天皇陛下に会ったことがあるのです

祖父とフォレストガンプは似ていると思いました
容貌ではなく、性格というか、社会の中の位置づけというか
祖父には知的障害はありませんでしたが、似ていると思ったのです

フォレストガンプは、市役所の芝刈りのボランティアをしていました
祖父は、もう少し難しいボランティアをしていましたが
両者とも、金儲けや出世に無関心なところは共通していました
ただし、祖父は、老人会の会合の場では、市長であれ、県知事であれ
いかなる肩書きの者より上座に座ることを喜んでいました
威張ることの無い人でしたが”長幼の序”は当然のことと考えていたのでしょう

要するに、祖父は”昔の人”だったのです
本当は、優秀な兵士であったことも、自慢してもよかったはずです
ところが、戦後の風潮は、それを許しませんでした
祖父の沈黙は、本人の性格もさることながら
戦前と戦後の、日本社会の価値観の転換が大きな理由だったように思います

戦争中、祖父は教官として、連隊に呼ばれていたことがありました
話題がそのことに触れると、村の若者の名を何人かあげ

「皆、死んでしまった」

と語り、その瞬間、肩をがくっと落とし、寂しいそうな表情になりました
おそらく祖父は、村出身の若い兵士には、ことさら丁寧に
兵士としての技術を教えたことでしょう

「斥候の仕方も、俺が教えたんだが、レーダーというものができてな」

「皆、やられてしまった・・・」

そう、寂しそうに語った祖父は
自分が教えた時代遅れの技術のために
前途ある村の若者を死なせてしまったと考えているようでした


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祖父とフォレストガンプの共通点

2020-08-29 14:48:10 | Weblog
先日、友人のfacebookで、アメリカ合衆国アラバマ州について知り
そこが、フォレストガンプの舞台であることをおしえられました
フォレストガンプは、私が祖父を尊敬するようになったきっかけの映画です
祖父について、ここに、私の知り得たことを記録として残しておきます

私の祖父・秋本嶋三は、小学校しか出ていませんが、生まれつき体が丈夫でした
二十歳で徴兵されると、兵士として、素晴らしい適性を示しました
銃剣術は甲府連隊のチャンピオンでした
10人を相手にしても、祖父一人で倒すことが出来たと言います
持久力も強く、夜間甲府東京間往復行軍という、とんでもない訓練があり
最期まで歩ききったのは祖父一人しかいなかったのです

「最期まで歩けたのは、俺一人だった・・・」

祖父は静かに、低い声で、言葉少なに語り、それ以上は話しませんでした
この話を聞いて、私が思ったのは
これは訓練ではなく、実験だったのではないかということでした

何事も忠実に実行する祖父は
隊長に気に入られ、婿に来いといわれたほどでした
隊長のお気に入りであった祖父は
皇居で、天皇陛下にお会いしたこともあります
皇居の中に田があり、そこで陛下から
初夏に、田の泥をかき回す農作業について、ご下問があり
隊長が

「誰か知っている者はいるか?」

と訊ねたので、祖父は

「私は農家の子ですから、知っています」

と答え、実演をしたそうです

それをご覧になった陛下は

こんなに大変な作業をして作る米は
一粒といえども無駄にしてはいけない

・・・という意味の和歌を、その場で作られたそうです

この時いただいた、菊の御紋のある煙草と杯を
祖父は、生涯大事にしていました
皇居内で酒を飲む訳にはいかないので、杯の上に札を乗せて配られたそうです

祖父は、地元のためなら、頼まれれば何でもボランティアで引き受けました
日露戦争の戦没者慰霊碑(忠魂碑)の建立、農業用水用ダム(石川関)の建設の県への要請など
また、方面委員(民生委員の前身)・・・なども引き受けていたのです
私が知る晩年は、主に老人会の会長でした
初めは地元の「六会老盛会」会長、やがて藤沢市の会長、顧問
亡くなった時の肩書きは「藤沢市老人会名誉顧問」でした

祖父は女性に優しい人で、声を荒げたことすらなく
私と姉がトラブルを起こしても、私しか叱りませんでした

祖父とフォレストガンプの共通点は
国家には忠誠を尽くす、男は女性は守るべし、身近な人や地域社会に貢献する
という3点に集約できると思います
明治の日本の庶民と、ベトナム戦争までのアメリカの庶民は
案外、共通したモラルを持っていたように思えます
現代のインテリには、滑稽に見えるかもしれませんが・・・
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我が家の夏の事件簿

2020-08-28 18:57:11 | Weblog
自宅の中廊下の床板を張り替えました
工事は順調に進み、工期も伸びること無く完工しました
自宅の直しでは、珍しいことです
いつも、何か問題が発生し、工期が予想外に長引くのです
実は、今回は、私が直接、各業者に連絡し、打ち合わせをしたのです
したがって、現場監督も私がしました

ただし、予想外のところで、困ったことが出てきました
突然、今回の工事に関係の無い、和室の照明器具に不具合が出たのです
家は、一カ所直し始めると、不思議と、別の箇所も修理が必要になるのです
そうして、何年かに一度、リフォームの季節が始まります
今、また、その季節が来たのかもしれません

今回、私が工期に神経を使ったのは
9月の初めに、母の三十三回忌の法要があるからです
廊下は間に合いましたが、照明が間に合わないのでは話になりません
急遽、本日、電気設備屋さんを呼び
在庫があって、工事に間に合う器具を発注しました
なんとか間に合いそうです

家の中の工事中
犬は、ストレスが強かったらしく、脱走する癖が付いてしまいました
この夏、2回も警察に保護されてしまったのです
ここ何年も、そんなことはなく、安心していたのですが・・・
工事車両や、お客さんの出入りの、ちょっとした隙を突いて飛び出すのです
大きな犬ですから、人が見れば、通報されてしまいます
すぐに追いかけて捕獲したことも3回ありました
捕獲できなかったり、知らない間に脱走していたりすると、警察のお世話です

この暑い夏、色々な事件が我が家に起こります
昨夜は突然、次男の大学の女の子が、家に泊まりに来ました
彼女の住むアパートのオートロックの故障してしまい
締め出しを食ってしまったため、次男に助けを求めたのです
次男は、妻に相談して許可をとり、彼女を家に招いたのでした
何も知らずに、すでに寝ていた私は、ふと目を覚ますと
台所から聞こえてくる次男と女の子の会話に、驚かされたのでした
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渋谷で浅村理江さんの絵を買う

2020-08-27 18:00:46 | Weblog
午前中、渋谷に行って
東急デパートで、浅村理江さんの絵を買いました
一昨日、グループ展のニュースをスマホで知り
急遽、初日の今日、午前中に行ったわけです
そうしないと、彼女の作品は、すぐに売れてしまうからです
しかも、今回は、たった2点しか出品されていません
まさに、早い者勝ちです

彼女にはめずらしいフルーツを描いた小品を求めました
フルーツをモチーフにしたものは、持っていなかったので
購入を迷うことはありませんでした
最近は、時々、フルーツも描くらしいのです
作品の幅が広がることは、いいことだと思います

藤沢から新宿ラインで直接渋谷に行くつもりが
新宿ラインは本数が少なく
やむなく、上野ラインに乗り、品川乗り換えにしました

渋谷は若者の街と言われていますが
私には、あまり想い出はありません
独身の頃、109に行ったことがありますので
109は、40年前にはあったのですね
40年間、常に若者の心を掴み続けているとすれば、大したものです
東急BUNKAMURAには、何度か美術展を観に来ています

渋谷駅には岡本太郎の壁画が飾ってあるのですが
いまだに、観たことがありません
どこにあるのか、目立つところらしいのですが
私の通り道ではないので、分からないのです
誰か私を連れて行ってください

コロナ騒ぎのせいか、渋谷の賑わいはいまいちでした
足腰の弱くなってる私は、散歩も兼ねた外出なのですが
人通りが少ないと、足に疲労を感じます
歩くこと以外に、意識が向かう先が無いので
疲労を、もろに感じるらしいです
早く、コロナ騒ぎが終わるといいのですけれど・・・
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自営業者の運命と現実

2020-08-26 17:19:19 | Weblog
経営者としての自分について考えると、いつも

「ここまでの成功者」

と考えます

私の現状を外から見れば
小さな成功者に見えるでしょうし
自分自身も、そう思っています

しかし私は、自分を「成功者」だとは考えません
事業は、一寸先は闇だからです
どんな落とし穴が待っているかもしれません
例えば、現在の「コロナ騒ぎ」のように・・・

私には、幸い、現状では「コロナ騒ぎ」の影響は軽微です
経営を脅かされるような状況にはありません
しかし、この騒ぎで、飲食業や旅行業関係者の中には
今まで積み重ねてきた努力が、一度に崩壊してしまった人もいるでしょう
この事態は、経営責任を問えるような問題ではありません
不運とかしか言いようがありません

努力とは別の”運”としか言いようがない要素によって
経営者の運命は大きく作用されます
努力しても努力しても、それだけでは、どうにもならない現実があるのです

私は、こういう時
人の運命について考えます
そして、何をすべきかも考えるのです

現実に腹を立てても、どうにもなりません
過去を思っても、どうにもなりません
今できること、すべきことを考え、そこに全力を集中します
突破口は、そこにしか無いからです

その場合に、考える基準は、人間としての正しさです
法を守り、人道を踏み外さず、人に迷惑をかけないことを第一に考えるのです

商売の利益が、当分見込めない以上
私なら、まず、事業を継続すべきかどうかを考えます
もし継続できるなら、経営資源のうち、どの部分が維持可能かを考え
それを生かす、新たなビジネスモデルを探ります

今回の騒ぎでも
弁当の販売やケータリングサービスにより、生き残った飲食店があります
飲食関係者にも、明暗が、はっきり出ているのです
厳しいことですが、やむを得ません
これが独立自営業者の現実です



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戦争の記憶

2020-08-25 11:08:14 | Weblog
マスコミの頭の古さに付き合い過ぎかもしれませんが
8月といいますと、私もまた、戦争について考えてしまいます
毎年報道されますし、両親祖父母にとりましては、忘れられない記憶です
当選ながら、家族の間で、戦争については、普通に語られていました

我が家は、幸運なことに、戦死者がいませんでした
父には3人の姉がいて、男なら徴兵される年齢でした
母には4人の姉がいて、やはり、男なら徴兵される年齢でした
偶然ながら、私の両親の兄弟には、徴兵された人がいなかったわけです
そんなわけで、我が家の戦争の記憶には、悲しみが少ないのでしょう

とはいえ、母の姉の一人は
結婚直後に夫が徴兵され、戦死してしまいました
彼女は、子供の目にも、親戚の中で、一番不幸に見えました
父の姉達の連れ合いは、徴兵はされても、戦死した人はいませんでした
我が家では、戦争は、比較的軽い影響しかなかったのです
大変な思いをしたことは間違いありませんが・・・

戦争の直接の記憶は、すでに高齢者だけのものになっています
かすかに記憶がある人のほとんどは、80歳以上の高齢となっているからです
開戦時に成人していた人は、すでに100歳以上の高齢者ですから
確かな大人の記憶としての戦争は、すでに、存在しないとも言えるかもしれません

記憶は、時間とともに変形し、都合の良い形になって残ります
幼児期の記憶を語る形式をとりながら
実際は、当時の資料を調べて、戦前戦中の本を書く人も多いのです
日本人にとって、戦争は伝説になりつつあるのです
真実の戦争の記憶がどこまで残せるものか、危惧せざるを得ません


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ゴシップと愚民化政策

2020-08-24 17:15:11 | Weblog
パソコンでインターネットを観ていたり
スマホをいじっていたりすると
あまりテレビを観ない私には名前も知らなかったタレントの
不倫や出産のニュースに出会います

「一体、なぜ、これがニュースになるの?」

正直言って、最初は理解できませんでした
今も、本当のところ、よく分かりません

「多分、そういうことに関心の強い人が多いのだろう・・・」

と、考えるしかありません

私は、もう一つ理由があるような気がします

「愚民化政策」

です

国民が真実を知ると都合の悪い人達
そして、マスコミに影響力のある人達が
国民が賢くならないように、くだらない情報をばらまいているのです

誰だって、知人が不倫をしたり、妊娠したりすれば
とりあえず、強い関心を持ちます
タレントとか有名人とか言われる人達は
先方は当方を知りませんが、しょっちゅうテレビで観ていれば
当方から見れば、知人のような親しみがあります

そこに錯覚が生じるのです
この錯覚は人間の心理を利用した愚民化政策に使えます
さらに、売れればいいという商業主義にも合致します
ゴシップ主義はジャーナリズムの避けがたい傾向となるわけです

むなしい期待かもしれませんが
ネットやマスコミ関係に良心的な人々が現れてほしいですね
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私の孤独の理由・・・愛国心?富?

2020-08-23 17:53:09 | Weblog
日本が売られ
日本が貧しくなっていくのを横目で見ながら
じっと我慢して、30年近くが過ぎました
日本の状況に改善の兆しは見られません

私の怒りや絶望は、人には理解してもらえません
日本の国力は衰退し、国際的地位は下落し、安全保障は脅かされ
それでも、あまり危機感を持たずに
多くの日本人は、日々を過ごしています

何かがおかしい
このままではまずいと思っている人もいるでしょう
でも、実際に何をしたら良いのか、分からないままです
そして、無気力な政治に身を委ね
あまり先のことを考えずに生きているのです

私のように、明瞭に

相続税を廃止しろ、消費税を廃止しろ、最低賃金を上げろ
津波避難施設を作れ、低層住宅の鉄筋コンクリート化を急げ
憲法を改正しろ、核シェルターを作れ、核武装をしろ

・・・と、主張する人はいません、政治家もいません
私の主張を理解できる人もいません
私の孤独は深まるばかりです
愛国心が強いばかりに・・・

バブル経済崩壊にもめげず
結婚して、5人の子供を得て
しかも全ての子を義務教育段階から私学に通わせ
数台の外車を所有し、傍から見れば、恵まれ過ぎている私が
愛国心が強いばかりに、日本の現状に、怒りや絶望を抱き続けているのです

私が富を形成できた理由に、強い愛国心や郷土愛があります
人々が土地を売る時代に、私は買う側に回りました
大きな借金をしてまで・・・

さらに、その土地に立派な建物を建てました
やはり、大きな借金をして
地元に良い建物を遺し、地元に住む人々に良い住宅を提供するためです
けして売らず、全て所有し、賃貸にしています

私の知り合いで、商売に成功している人には
意外なくらい、愛国心や郷土愛、社会貢献の意識や正義感の持ち主が多いです
そして、貧しい人には、そういう人は滅多にいません
その代わり、他人を批判することの好きな人は多いですけれど・・・

人間の心の底に強い嫉妬心があります
特に、経済的に恵まれない人に、この感情は強く働くようです
嫉妬心を刺激する正義感なら、人は大きく反応します
つまり、金持ちを攻撃する主張には、人は共感しやすいのです
逆に、金持ちの言うことは、何を言っても、人は反感を抱きやすいのです
これが、私の孤独の、もう一つの理由かもしれません・・・


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日本人を豊かにしない”売国のトライアングル”

2020-08-22 10:33:40 | Weblog
この30年間で、日本はすっかり貧しくなりました
といっても、これは国際比較の話です
日本国内にいるかぎり、そんな気はしないでしょう
確かに、あまり景気のいい話は無かったけれど・・・

30年前、日本は世界トップクラスの所得を誇りました
今では、ヨーロッパの中の下くらいの水準になり、ギリシャを笑えません
関西ペイントもシンガポールの企業に売却されました
日産は、日産より小さなルノーに売られ
ルノーが送り込んだゴーンに、いいようにされ
その日産が三菱自動車を買いました

なんで、こんなことになってしまったのでしょうか?
日本人の経営能力が低いからでしょうか?

そうではありません
実は、全ては日本政府の政策によるのです
日本政府は、30年以上、日本の資本家と経営者をいじめる政策を続け
その結果、日本は衰退を続けたのです
一般国民は、それなりの福祉の恩恵に服したのですけれど・・・

日本では、昭和の時代に
第二次大戦後の高度経済成長を支えた創業者の時代が終わりました
日本の相続税は、それら創業者の子孫達から経営権を奪い
日本企業の株式は、外国人の手に渡るように仕向けられました
どんな税法上の抜け穴も、次から次へと塞ぎ
全ての資本は、日本人の手には残らないように仕向けられたのです

はじめは、アメリカやヨーロッパ人に買われた日本資本は
今や、中国人をはじめとするアジア人向けのバーゲン市場になっています
韓国人もインド人も、日本企業や日本の不動産を買っています

こうなってしまったわけは
まさに”売国奴”が政策を考え、実行しているからです
働けど働けど、豊かになれない日本社会の根底に
官僚と政治家と大企業サラリーマンらによる
”売国のトライアングル”があるのです

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