湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

不動産を虐めて、日本は経済的優位を失う

2021-01-31 15:41:47 | Weblog
地価の暴落から2年間、株価は上昇を続けました

実は、地価が暴落した時
アメリカではブラックマンデーと呼ばれる株価大暴落がありました
それでも、日本の株価は上昇を続けたのです

日本の好景気は、米国の影響すら受けない、底堅いものだったのです
少なくとも、多くの投資家は、そう考えていました
否、政府や日銀こそが、まさにそう考えていて
あろうことか、三重野日銀総裁は金融引き締めさえしたのです

日本の株価に陰りが見えてきたのは
日銀の金融引き締めの結果ばかりではありません
やはり、不良債権問題が、じわじわ金融機関を脅かし始めたからです
それでも、多くの人は、経済が大きく失速するなどとは考えていませんでした
仮に後退局面があったとしても、また成長は始まると考えていたのです

しかし、現実には
不動産融資が上手くいかなくなり
不動産の担保価値が下がることで不良債権問題が発生すると
もう、打つ手が無くなってしまったのです

慌てた政府は、国債を増刷し、公共事業を増やしました
従来とか変わらぬ不況対策をしたのです
しかし、結果は、思わしくなく
財政赤字だけが不気味に拡大していきました
その傾向は、現在なお続いています
財政赤字は拡大し続けています

日本は打つ手を間違えました
これがただの不景気ではなく
日本の金融システムの欠陥を露呈した不況であることに気付くべきでした
不動産を虐める政策が金融システムを破壊し
経済そのものを破壊してしまうことに、気付くべきだったのです

日本が発明した不動産担保融資を軸とする金融システムは
その後、世界中に普及しました
アメリカも中国も、この方法で景気拡大を実現しました
ひとり日本だけが、相変わらず、不動産いじめを継続しているため
世界の景気動向から、完全に置いてきぼりをくい
今では、東南アジアの不動産価格の方が日本より高くなっているケースもあります

政府は金融機関救済のため莫大な国費を投入し
そのくせ、外国人に日本の優良資産を叩き売ってしまいました
巨額な財政赤字は、今なお、膨らみ続けています
そして、多くの日本企業は、積極的事業展開ができなくなり
製造業でも、アメリカや中国の下請けに成り下がってしまいました


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「不良債権問題」の発生

2021-01-30 17:23:47 | Weblog
私は、戦後日本の経済政策のうち
最悪の失政の一つが「バブル潰し」であったと思います
そして「バブル潰し」の中心が土地政策でした

二つの失政が好景気の真っ只中で地価を暴落させました
一つは「国土法」による土地取引価格の規制
もう一つが「総量規制」と呼ばれる不動産融資規制でした

ひどい話でした
本来自由であるべき土地取引から価格の自由を奪ったのです
取引価格までも役所が決めることにしてしまったのです
自分の土地を売るのに、自分で値段を決めることが出来ないわけです
こんな、自由経済の原則に反する政策が平然とまかり通ってしまったのです

本来は、大規模な土地取引に限定的に適用される法律だっのですが
なんと100㎡(30坪)以上という条件で運用されたのです
一般住宅を含む、ほとんどの土地建物取引が対象になってしまったのです

普通の人が、家を売り買いする時に
いちいち、お役所にお伺いを立てなければ売ることも買うことも出来ない
売値価格を決めることも出来なくなってしまったわけです
この政策は、とんでもない悲劇を生み出しました

普通の人は、家を買う時は、ローンを借りたり
今住んでいる家を売ったりするわけですが
売値買値が自由にならないと、住み替えの予算を考えることが出来ません
まして、ローンが借りられるか分からないのでは
怖くて、先に進めません

売買の合意が成立しても
役所の許可が下りないうちは、契約できないため
その間に売主買い主どちらかの気が変わってしまうと、契約が成立しません
すでに家を売って引っ越す予定が、できなくなり、住む家が無くなってしまったり
売値が予定より安く抑えられたため
次の住まいを買うことが出来なくなったりしたのです

そんなわけで、不動産取引は大混乱に陥り、不動産価格は暴落しました
景気が絶好調の中での不動産価格の暴落を
政治家も役人もマスコミ関係者も不思議にも思わず、真剣に考えませんでした
当時の日本には

「地価が下がることは良いことだ」

という観念を持つ人が多かったからです

これはとんでもない間違いでした
地価が下がると、不動産担保価値が下がり、銀行融資が不良債権化するのです
当然ながら、不良債権処理が上手くいかなくなります
分かりやすく言えば、土地を売っても借金が返せなくなるのです
さらに、土地を所有する企業の株価も下がり
株を担保にした融資もまた、不良債権化したのです
これが、その後長く、日本経済を苦しめた「不良債権問題」です

それまでは「地価は下がらない」という「土地神話」が生きていました
土地を担保に融資しておれば、不良債権は処理できたのです
銀行は「借金が払えなければ土地を売って返せ」と言えば良かったのです
銀行の融資担当者は土地担保だけを気にしていればよく
事業の将来性や経営者の能力を見極める努力をしていませんでした

日本の金融機関は、日本経済の成長と、異本全体の地価上昇に支えられ
いつの間にか、金融機関本来の使命と能力を失っていたのでした
そのことが、バブル崩壊後に日本の金融機関が
とんでもないしっぺ返しを受けることになった遠因なのです




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「バブル経済」について、正しく論じられていない

2021-01-29 11:07:26 | Weblog
私がサラリーマンをしていた約10年間は
ちょうど「バブル経済」の前後にあたります
不景気の中で、なんとか頑張って仕事を憶えようとしていた私は
建築業から不動産業へと転身し
その直後に「バブル経済」を目の当たりにしたわけです

何が何だか分からないまま、不動産業界は景気が良く
周囲には、金回りの良い連中が現れてきました
当然ながら、サラリーマンの私でも、多少は景気の良い気分にはなりました
しかし、浮かれ騒ぐほど高収入にはなりませんでしたし
入社直後から好景気でしたので、それが普通だと思っていましたし
高卒の中途採用社員でしたので、給料そのものが良くありませんでした

今から振り返ると、景気の良かったのは、ほんの少しの期間でした
すぐに景気は萎んでしまい、わりと、苦しい時期が多かったように思います
この点は、日本の経済評論家の全てが間違っています
優秀なエコノミストである高橋洋一氏ですら、間違っています

日本における不動産バブルは1985年から1987年の2年間ほどであり
それ以後は、右肩下がりの厳しい現実を受け入れるしかありませんでした
ちなみに、株価のピークは1989年12月でした

経済評論家が土地問題を論じて間違うのは
彼らが、政府の土地評価データを基に論じるからです
政府のデータは3年以上遅れてしまうため、まったく役に立ちません
土地評価の見直しは3年の1度するのですが
急激な値上がりをそのまま反映させると大変なことになってしまうので
そういう場合、徐々に評価を上げることになり
その結果、4年ものズレが生じてしまったのです

不動産経済は、現場を知らない者には語る資格がありません
多くの経済評論家は、今なお、地価のピークは株価の2年後としてしまっています
これでは、まともな議論は出来ません
2年前と2年後では、話がまるで違ってしまいます
それが平然とまかり通っているのが「バブル経済」の論評です

もう「バブル経済」そのものを知らない世代がエコノミストになっています
知っている世代ですら、とんでもないミスをしています
若い人達は、それを下敷きに論じるわけですから
多分、日本では「バブル経済」について
今後も、正しく論じられるチャンスは少ないでしょう
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「バブル経済」への道

2021-01-28 19:47:40 | Weblog
日本はどこで誤ったのでしょうか?
もちろん、バブル経済潰しが間違っていたわけですが
なぜ、間違ったのでしょうか?
そのことについて、少し考えてみたいと思います

日本人は自分達が勤勉で誠実で器用なことを知っています
アジア人の中では突出していますし
さらに、欧米人と較べても引けは取りません
そんな日本人気質が、優秀な日本の工業製品を生み
世界市場を席巻し、日本を経済大国にしたと考えていました

その解釈は間違いではありません
諸外国の日本批判は負け犬の遠吠えのごときものでした
実際に、日本の製造業は強く、もし日本が自主的に抑制しなければ
世界の製造業を席巻していたかもしれません
自動車輸出などは、ある時期から、ずっと自主規制していたのです

それでも外貨を貯め続けたのが日本でした
増え続ける貿易黒字は、為替市場を空前の円高にし
日銀に集まるドルを、企業は円に換算して引き出すため
日本国内には、マネーが溢れ出しました
これが「バブル経済」と呼ばれた、異常な好景気を作り出したのです

円高になれば輸出産業は苦境に陥ります
輸出が不振となれば、外貨不足に陥り
石油も鉄鉱石も輸入に頼る日本全体が苦境に陥ります
かといって、日本から輸出するばかりで、輸入をしなければ
相手国との間に深刻な貿易摩擦が起きます
特に、アメリカとの間の貿易摩擦は、常に、深刻な問題でした
日本は内需を拡大し、輸入を増やさなければならないとされたのです

そこで日本が採るべき政策は「内需各拡大」ということになりました
これはアメリカからの強い外圧であったため
政府と日銀は、日本の国情を無視して、金利を引き下げ続けたのでした
その結果は、内需拡大というより、地価と株価の異常な上昇でした
ここに「バブル経済」が発生したのでした

内需を拡大しろと言われても、日本国民の多くは家も車も持っています
給料は、そんなにすぐには上昇しません
急に「内需拡大」なんて言われても、簡単にはできなかったのです
そんなわけで、企業資金や投資マネーは、土地と株に向かってしまったのです

銀行に預けても、金利は少ないし
土地や株に投資する方が、銀行に預けているより、有利と考えられました
土地や株が値上がれば、派手に金を使う人も出てきますから
それはそれで、確かに景気は良かったのですが
庶民には実感の乏しい、どこか歪な感じの好景気でした


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バブル経済をつぶした結果・・・

2021-01-27 18:29:56 | Weblog
日本経済が凋落し
かつて、高度経済成長があり
日本が世界トップクラスの経済大国として
注目された時代があったことを知らない世代も増えました

世界の中の日本という意識も弱まりました
若者達は、無力感と日本人特有の控え目な態度で
世界の問題とは距離を置いて生きているように見えます
世界のことなど、どうでもいい、どうせ自分には何をできないのだから・・・
といったところでしょう

実際のところ、今なお日本は大国ですけれど
以前と比べれば、見る影もなく対外的な評価は落ちました
世界への影響力も、経済力も、弱まりました

日本国内にいては分かりませんが
海外から見た日本、特にアジア地域における日本の存在感は小さくなりました
私としても、昔を思えば、残念な気分は消せません

日本が豊かであった時代とは
いわゆる「バブル経済」の時代です
東京の土地の値段でアメリカ全体を買い取れると言われました
地価も株価も頂点を極め、日本中が浮かれていました

当時の私は、景気のいいことは良いことですが
ちょっと、調子に乗り過ぎだと思っていましたし
それほどまでの経済力を日本が持っているとも思いませんでした
むしろ、今のうちに海外の不動産を買っておきたいと思っていたのですが
その手段が分からず、実現できませんでした

バブルは、明らかに日本経済の過大評価でした
日本の大衆は、本気で日本が強いなどとは考えていませんでした
むしろ、財務省の役人が誤解していました
この好景気を、とんでもない方法でつぶしてしまい
あろうことか、大国になるべき日本の運命を否定してしまったのです

当時、日本は世界一の債権大国でした
ただし、国民には、その実感はありませんでした
日本の持つ対外債権ほとんどが法人所有だったからです

日本人の労働の成果は国民には還元されず、企業に内部留保されていたのです
日本の共産主義税制が、富を国民から遠ざけ、企業に滞留させていたのです
そして、バブルを潰した結果、それらは霧散してしまいました
まさに、泡のごとく・・・


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本日、自宅屋根補修工事が終わりました

2021-01-26 18:32:44 | Weblog
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我が家に30年前のR Xー7が来た

2021-01-26 17:41:41 | Weblog
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子供の成長、続く子育て

2021-01-25 18:52:34 | Weblog
息子達にのオートバイの試乗に付き合いました
私は見ているだけです

次男と三男がカワサキの250CCのバイクの試乗をするというのです
ところが、次男は未成年なので
保護者が行きませんと、試乗が出来ないというのです

はじめは次男だけが試乗し、三男は見学のつもりでした
しかし、このオートバイを欲しいのは三男なのです
三男が試乗できないのでは可愛そうです
それで、私は行くことにしたのです

教習所とライダーススクール以外では
三男は、オートバイに乗ったことがありません
今回初めて、一般道を走るのでした
多分、緊張したことでしょう

実際に乗った印象は良くて
さすが人気のバイクは違うということです
彼らは400CCや750CCのホンダのオートバイしか知りません
軽快に吹き上がる最新鋭のカワサキの250CCは
かつて経験のない爽快感があったようです

戸塚で試乗を終えると
1号線を下り、茅ヶ崎に行きました
途中、そば屋で遅い昼食を済ませ、教習所に行きました
三男は大型特殊、次男は中型免許を取得するためです
コロナ騒ぎで大学が無い間
取れる資格は取っておけというのが私の考えです

こうして、今日も、私の一日が過ぎていきます
ある意味で気楽な、遊びのような日々です
それでも、私には子育ての延長です
優等生だった長男長女に比べて、勉強嫌いな次男三男をどうするか
これはこれで、親として、真剣な子育て問題なのです




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寒い冬の休日に考えたこと

2021-01-24 17:47:14 | Weblog
休みだし、寒いし、動くの嫌になり
ついつい、部屋の中で、ベッドに寝転がって過ごすことになります
それは最悪の休日の過ごし方なので、やむなく、スマホをいじったり
事務所に出てきて、パソコンを開いたりします

これが私だけなら、まだいいのですが
ウチの家族は、バイトに出た三男以外、全員がこれです
いつまでもベッドに寝たまま、起き出してきません
親父が何か言っても、女房以下全員が無視しますから、私は何も言いません

こうなると、父親なんて、つまらない存在です
しかし、妻に言わせれば、母親なんてものも、つまらない存在でしょう
子育てを一生懸命したのは、子供が可愛かったからです
しかし、大人になり、可愛げが無くなると、残念なことが多くなります
それでも頑張るのは、家族がいる方が幸せだと思うからでしょう
子供のことは、何歳になっても気になります

子供は、何歳になっても可愛いのかもしれません
それはそれで、私の人生であり、妻の人生ですから
傍から見て、つまらなく見えても、親であり続けるのです
そこには、当事者にしかわからない感情があります

本当は、子育てが一段落して
今の私は、次の人生に向き合わなければならなくなっているのです
残りの人生を、どう生きるか、何を目的に生きるか
まだ、父親としてやることが残っているうちに
次の段階を考えているわけです

寒い冬の日、半ばを過ぎた人生の行く末を考えているわけです
行く末を考えると言うより、人生とは何かを考えているのかもしれません
何のために生きているのか、何をすべきなのか・・・

人を愛することが、人生の意味だといういうことは
何となく、経験から、理解できます
全ての行為が、そこに行き着くと思えるからです
愛するが故に、努力もし
喜びや悲しみの感情も、愛するが故に湧き起こるのです

最愛の存在の子供達が、少しづつ私の手を離れ
自分達の世界に旅立っていきます
そのことを、あまり意識したくないのが、今の私かもしれません

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コロナ禍に負けない飲食業への提案

2021-01-23 18:35:17 | Weblog
ポルシェタイカンの試乗会があったので
久しぶりに、ポルシェのディーラーに行きました
事前予約はしませんでしたが、なんとか少しだけ試乗できました

タイカンを体感したわけです
なかなか素晴らしい走りでした
ここに未来があると予感させる走りがありました
バッテリーと充電の問題が改善すれば
ガソリン車を凌駕するのは時間の問題だと思います

ポルシェのディーラーに行くのですから
我が家のパナメーラで行けばいいのですけれど
次男の運転で、アウディRS3で行きました
私としては、アウディの慣らし運転も兼ねているのです

ディーラーで試乗を終えてからは、横浜に向かいました
高速道路が繋がったので
青葉インターから、横浜中心部へは直結です
それを実感したいためのドライブコースでもあります

中華街で、次男と簡単な食事をしました
土曜日だというのに、中華街の人出はまばらです
人でいっぱいの、私の頭の中にある中華街のイメージとは別世界です
冷たい雨のせいもあるでしょうが
やはり、一番の原因はコロナ禍でしょう

中国人はしぶといので、こんなことでは負けないでしょうが
コロナ禍の中で、飲食業の置かれた厳しい状況は同情に堪えません
こんな時こそ、積極的に外出し、少しでも関係者を励ましたいと思います

飲食店の皆様に、私なりの提案があります
厳しい状況とは思いますが
こんな時こそ、普段食べられない豪華な料理を
割安価格で、心を込めて、提供したらいかがでしょうか?

しかも
安売りや割引の宣伝は一際せず
お客さんが、はっきり分かる、割安高級料理を出すのです
けして豪華さを演出する必要はありません
口コミで広がるような
今こそ行こうと思いたくなるようなサービスを提供するのです

ただの安売りでは駄目です
美味しい料理を、心を込めて、良心価格でサービスするのです
お客さんは少ないのですから、店長自ら、特別メニューを持参して
お客さんにお勧め料理を話したらどうでしょうか?
それで本当に美味しければ
お客さんには、サプライズと満足感の両方が与えられるはずです
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