湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

写真の送付

2017-09-30 17:59:53 | Weblog
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写真を送る練習

2017-09-30 17:38:58 | Weblog
スマホから写真を送る練習をしています
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スマホの練習

2017-09-30 12:12:07 | Weblog
今、スマホの練習をしています
まだ慣れません
使わないと、いつまでも上達しませんから

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「バテレン追放令」は信仰の自由の宣言・・・歴史の考察

2017-09-29 19:14:02 | Weblog
天正15年6月19日(1587年7月24日)
豊臣秀吉は、筑前箱崎(現、福岡県福岡市東区)にて
キリスト教徒に対する11箇条の覚え書きを発令しています
これは

「天正十五年六月十八日付覚」

と呼ぶべきものなのですが、何故か別に
6月19日付の5箇条の文書もあり
それには、キリシタンを追放するとしているので

「バテレン追放令」

と、呼ばれています

しかし、11箇条の方には
バテレンを追放するなどと、一言も書いてありません

この覚の中で、秀吉は
宗教を選ぶのは各人の自由であり
大名が領民にキリスト教を強制してはいけない
一定規模以上の大名は、キリスト教徒であることを届け出よ
そして、公儀の指示に従え、としています
他には、人身売買の禁止なども書かれています

さらに
大名は国法に従い仕事をしているのであり
所領を治めることは一時的なことであると言明しています

信仰は各人の自由であり
大名の所領統治は国法に基づく行為であるするなど
まことに近代的な考え方を表明しており
ヨーロッパに何百年も先立つ

”信教の自由と法治主義と人権”

の宣言です

豊臣秀吉がこの覚を発令したのは
九州に来て、キリスト教徒が長崎を要塞化しているのを知り
キリシタン大名が、領民にキリスト教を強制しているのを知り
さらに、従わない日本人を
外国に、人身売買しているのを知ったからです

この覚の中で、私が特に注目するのは
大名が領民にキリスト教を強制することを禁じたことです
これこそは、まさに
当時のヨーロッパ人のキリスト教に対する
秀吉による、根本的批判だからです

現代の日本人とまったく変わらない
近代的な”宗教観”と”法治主義”と”人権意識”を
豊臣秀吉は、400年以上昔に、すでに持っていたのです!


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スマホから

2017-09-29 16:24:49 | Weblog
今日、スマホにしました
このブログはスマホからうっています
悪戦苦闘しています
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信仰の自由と「アウクスブルクの和議」・・・歴史の考察

2017-09-28 21:31:16 | Weblog
1555年、神聖ローマ皇帝フェルディナンドは
南ドイツ、アウクスブルクで帝国議会を招集し
プロテスタントの信仰を認める決定がなされました

「アウクスブルクの和議」

と呼ばれています

これによって
プロテスタント(ルター派)を選ぶか
カトリックに留まるのを選ぶのかは
諸侯と各都市の当局(市参議会)に委ねられ
住民は、ただその決定に従うのみとされました

プロテスタントの信仰が認められたと言っても
それはあくまで領主に対してであり
領民に信仰の自由が認められたわけではなかったのです

この結果、ヨーロッパのキリスト教は

”一領邦一宗派の原則”

が成立しました

この体制は

「領邦教会制」

といわれています

現代の私達が持つような
個人の信仰の自由という理念は
当時のヨーロッパには無かったのです

ヨーロッパ人による
世界の植民地化が始まったこの時代を
非ヨーロッパ世界の人々から見ると
ヨーロッパ人は、まずキリスト教を布教し
それによって、民衆を支配し、植民地を拡大しました

こうした歴史からみると
キリスト教は、植民地拡大の道具でしかなく
隣人愛など、微塵も感じさせません

しかし、これは、植民地だけに限ることではなかったのです
ヨーロッパにおけるキリスト教の在り方は
プロテスタントが認められた後でも
民衆支配の道具であることに変わりはなかったからです
ヨーロッパ人は、植民地支配にも
それをそのまま使っただけなのでした

ヨーロッパでも、ヨーロッパ以外の世界でも
ヨーロッパのキリスト教徒としては
領民は、領主の決めた宗教を信仰しなければならなかったのです

当然ながら
日本に来たイエズス会の宣教師達も
この考えを持っていました
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異教徒の悲劇・・・歴史の考察

2017-09-27 11:18:15 | Weblog
ヨーロッパの歴史とキリスト教を調べると
キリスト教は、民衆を支配する道具であったことが分かります
キリスト教に限らず、宗教には、そうした性格があるのでしょう

プロテスタントによる宗教改革は
カトリック教会による支配を打破する運動であったわけです
宗教を使った教会による民衆支配を打破する契機となるものでした
ところが実際は、カルヴァンによって
カトリック以上に強力な、民衆を支配する道具となったのでした

カルヴァンと意見の合わなかった
神学者ミゲル・セルベートは、異端者とされ
生きたまま公開火あぶりにされたのでした
現代のタリバンやイスラム国と変わらぬ恐怖政治だったのです

宗教改革が猛威を振るう頃
カトリックでは、イエズス会が結成されました
時代の趨勢により、イエズス会は
プロテスタントとの闘いの最前線に出ることになりました
プロテスタントに対抗して、世界中で布教活動をしたのです

そんな事情により
戦国時代の日本にやってきたのは
イエズス会の宣教師達だったのです

大航海時代と新大陸発見により
ヨーロッパ世界が地球全体に広がる時
ヨーロッパ内部で、宗教改革の嵐が吹き荒れていたことは
地球全体、人類全体の悲劇でした

ヨーロッパの人々が域外に進出する時
ただ貿易だけが目的であったなら
さほど大きな問題は起きなかったはずです

非ヨーロッパ世界の人々は
ヨーロッパ人から見れば”異教徒”でした
”異教徒”や”異端者”を殺してもいいと考えるヨーロッパ人
彼らからみて”異教徒”だったことが
その後の非ヨーロッパ世界の人々の大きな悲劇の原因となりました
その傷跡は、今尚、癒えることはありません









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ジュネーブのプロテスタンティズム・・・歴史の考察

2017-09-26 19:28:20 | Weblog
歴史について考えているうちに
特に、戦国時代について考えるためには
私は、どうしても、宗教について知る必要を痛感しました

そこで、良いテキストはないかと探しました
日本の仏教とヨーロッパのキリスト教の両方について
教義ではなく、あくまで宗教と社会の関係につい知るために

なかなか、良いテキストが見つからなかったのですが
やっと一冊、良い本を見付けました

「世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン」(川口マローン恵美)

です

この本の第一章で、著者の川口さんは
ジャン・カルヴァンがスイス社会に与えた影響を論じています
たいへん勉強になりました

カトリック教会の発行する免罪符は
それを買うことにより、犯した罪の罰を免れるもので
教会への寄進を集める方便でした
これを批判したマルティン・ルターが起こした宗教運動が
プロテスタント(抗議する人)と呼ばれるものです

プロテスタントであったジャン・カルヴァンは
フランスを追われ、ジュネーブにやってくると
ジュネーブを恐怖政治で統治しました

カルヴァンの思想は、ルターよりも過激で
天国へ行けるかどうかは、神が決めることであり
罪を犯す者は、はじめから罪人として生まれてきたとされます

したがって
罪人を発見して罰することは”神の正義”となるのです
結果として
ジュネーブは、とんでもない”監視社会”になってしまったのです

宗教警察の巡察は、何の前触れもなく
夜中であろうが、白昼であろうが、ドアはノックされ
富める者にも貧しい者にも、地位のある者にも無い者にも
年長者にも若年者にも、男にも女にも
何時間にもわたる尋問がなされたのです

カルヴァンは、1541年から20年以上
ジュネーブの町を支配しました
同時代の日本は、戦国時代のど真ん中でした
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忙しい週明け

2017-09-25 18:40:59 | Weblog
忙しい週明けです
これが当たり前ですから
何も特別なことはありません

私は、一日中仕事でした
それでも、やりそびれたことはあるでしょう
忙しさは、逆に、物忘れの危険もあります
でも、気にしすぎると、ノイローゼになります

”今日一日、できることをやり、明日は明日で、また精一杯働く”

それが最近の私の信条です

今日、やることがあり
明日、また、やることがある
その幸せを、忘れてはいけないと
いつも、心に銘じています

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商売は、人間的労働を評価する

2017-09-24 18:11:48 | Weblog
仕事が片付かず
イライラがとれません
まあ、仕事なんて、そんなもんですが・・・

仕事に終わりはありません
それが商いの本質でもあります
”商い”は”飽きない”に通ずるのです
終わりが無いことは、喜ばしいことでもあるのです

作業は、片付けてしまえば、それで終わりです
仕事は逆です
サボればサボるほど、少なくなります
逆に、やればやるほど増えていくのが、仕事の本質です

繰り返しますが
この場合の”仕事”とは
あくまで”商売”のことです
当然ながら、決まり切った作業のことではありません

農業や製造業が産業の中心であった頃は
”仕事”と”作業”の違いがはっきりしませんでした
一定の”作業”が”仕事”そのものだったからです

サービス業が産業の中心になると
”作業”が必ずしも”仕事”として評価されなくなりました
額に汗して、ひたすら働いても
それだけでは、評価されなくなったのです

顧客満足度が、商品やサービスの評価の基準であるだけでなく
労働者の評価の基準にもなっているのです
”作業”の主流は、パソコンを使った、効率的な事務や営業であり
その”作業”自体が、さらなる機械化に進んでいます

”作業”や”営業”よりも
”作業”や”営業”のシステムを考える方が重要になりました
さらに言えば、既存のシステムで出来ない部分
人間的能力が無ければ困る部分こそ、重要になっているのです

”ソフト”の時代になったのです
機械的な動作よりも、人間的な思考力が必要とされる時代です
高度な専門知識から、接客態度に至るまで
機械にできない、人間的態度が
労働生産性の評価の尺度となったのです

私は、良い時代になったと思っています

機械的な”作業”よりも
人間のために、頭も体も、気も心も、使う行為が
ビジネス面でも、評価される時代になったのですから

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