湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

よいお年を

2008-12-31 16:25:22 | Weblog
読者の皆さん
今年も「湘南徒然草」をご愛読ありがとうございました
来年も、さらにパワーアップして内容を充実したいと思っていますので
応援、よろしくお願いします

歳の瀬、大晦日ともなりますと、やはり今年1年を振り返りたくなります
「奇跡のリンゴ」は、ちょっとお休みして(まだ続きます)
今日は、他の話題にしてみましょう

今年の我が家は、娘の中学校入学
そして三男の小学校入学が、何といっても大きな出来事でした
二人とも、片道2時間近い通学時間をものともせず、よく通いました

特に三男は、幼稚園に行かなかったものですから
団体生活は、これが初めてです
毎日が驚きと緊張の連続であったはずです
その刺激が、本人にとっては、大きな喜びであったらしいのが幸いでした
毎日楽しく通学してくれたことが
親としては、大きな喜びでした

娘も、私にとっては、たった一人の女の子なのですが
学校には、うまく適応できているらしく、ひと安心です
水泳や書道でも、それなりの成果が出てきました
中間考査の代数で1番を取るなど
今まで気付かなかった、彼女の能力を知らされた1年でもありました

そして長男は、何といっても
全国中学水泳大会400mリレー銅メダル獲得が最高の思い出です
第1泳者の長男は50mまでを先頭で折り返し
その後、やや減速してしまいましたが、100mを自己ベストで泳ぎ切り
銅メダル獲得のために大きな貢献ができました
この場面は後で、NHK教育テレビで全国放送されました

家族全員で応援に行きましたが、夢のような気分でした

子供達の新入学にともない
妻の早朝の家事負担が過重になってきましたので
思い切って、12月10日から、キッチンのリフォームをしました
新婚時以来の懸案を、やっと処理したという気分です
先日、終わったばかりで、まだ不備な点もありますが、それは年越しです

全体として、比較的安泰な我が家ではありました
世の中は世界不況に突入したそうですから
来年のことを、あまり真剣に考えたくないような気分にもなります

しかし、夢と希望はいつでも捨ててはいけないと思います
夢を捨てないために必要なのは
テレビや新聞をあまり見ないで、自分の目で現実を見ることです
自分の頭で考える習慣をつけることが大切です

そうすれば
現実の向こう側に・・・夢が開けて来るのが
自然に見えてくるものだと思います

よいお年を!

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確信・・・奇跡のリンゴ23

2008-12-30 13:42:08 | Weblog
木村秋則氏がリンゴの無農薬栽培の可能性を信じたのは
けして妄想ではありませんでした
リンゴ以外の作物では、無農薬栽培は成功していたのです

米は、最初こそ収量が少なかったのですが
やがて従来農法に遜色無い収穫高になっていました
野菜なら、キュウリ、トマト・・・大根、メロンまで
無農薬で作れないものは無かったのです

果樹でも、西洋ナシやプラムは
農薬を散布していないにもかかわらず
リンゴの木ほどには、病気や害虫の被害が出ませんでした
毎年、美味しい実をつけるのでした

リンゴ畑の土壌を良くするために
大豆を播いてみました
その大豆は、鳩の餌になり、リンゴ畑に鳩が巣を作るようになりました

大豆を播き終えたリンゴ畑で
木村氏は無意識にロープを編んでいました
細いロープを編んで、ちょうど首をつるのにふさわしい太さにしたのです

木村氏は編んだロープを手に、岩木山を登って行きました
だいぶ登って、ほどよい枝のある木を見つけたので
枝にロープを投げると、うっかりロープを手放してしまいました

ロープを探そうとして、あたりを見回した時でした
突然、月光に浮かぶリンゴの木が目に入ったのです

「え!こんな所に、まだリンゴ畑があったのか?」

昔、岩木山は農林省の食糧開発事業で、中腹まで開発されましたが
その後放置され、農地はほぼ自然に還っていました

人の手が入らなくなって久しいその畑に踏み入ると
なんともかぐわしい土の匂いが鼻をくすぐります
足元はふかふかで、まるでクッションを踏みしめているようです

リンゴの木の前に立って見ると、虫がいません
当然、農薬散布など行われているはずもないのに
その木は、虫の被害は皆無で、力強く枝を張り、葉を繁らせていたのです

木村氏は、その時のことを

「確信しました。この環境を再現すれば、リンゴは実る。」

と、語っています
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「どうか枯れないでくれ」と木に話しかける・・・奇跡のリンゴ22

2008-12-29 12:04:26 | Weblog
木村秋則氏がリンゴの無農薬栽培を始めて5年目
泥水の他に食酢の散布が病害虫防除に期待が持てることが分かりました
しかし、リンゴ畑復活の光明は差しません

相変わらず、リンゴは花を咲かせず
それどころか、樹勢の衰えをみせるようになりました

ふと、幹に触れると、ぐらぐらするのです
直径30センチほどの、普通なら押したくらいではびくともしない木が
枯れる寸前になっていたのです

それからというもの
木村氏は、リンゴ一本一本に話しかけるようになりました

「花も実もつけなくてかまわないから、どうか枯れないでくれ」

「お願いだから、頑張ってくれ」

リンゴに話しかけながら、歩いて回るのです

そんな木村氏を見て、周囲の人々は

「とうとう木村が狂った」

と思ったようです

リンゴの木がぐらぐらになったことで
木村氏は、土と根に関心を抱くようになりました
リンゴの木の地上部だけに気を取られていた自分に気付いたのです
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家族・・・奇跡のリンゴ21

2008-12-28 10:25:45 | Weblog
妻の美千子さんは、夜中に布団を抜け出す木村氏を見るようになりました
夢遊病者のように、玄関を出て、庭先にある納屋に入っていきます

納屋の中は、がらんとしていて
もう何年も使っていないリンゴを入れる木製の箱が
几帳面に積み上げられています
夫はリンゴ箱の上に座って目を閉じ
夜が明けるまで、そのまま座っていることもしばしばでした

妻は夫の苦しみを・・・よく分かっていました
夫が焦っているのは、家族がいるからでした

木村氏は、信じられないほど無欲な人なので
自分のことなら、服が無くても、食べ物が無くても
不満はないし、心を乱されることもなく
嬉々として、夢を追って生きていける人なのでした

木村氏の家族に対する罪悪感が、逆に家族を苦しめていました
子供達は、貧乏をさほど苦にしていませんでした
しかし、木村氏の不機嫌が、家族の団欒を奪っていました

ある日、リンゴ畑で、木村氏は美千子さんに言いました

「もう諦めた方がいいかな」

美千子さんは、それが夫の本音でないことは、分かっていました
それでも、父の苦しみを子供達に教えてやりたくて
子供達に、その話しをしてみました

すると、いつもは大人しい長女が、色をなして怒ったのでした

「そんなの嫌だ。なんのために、私達はこんなに貧乏しているの?」

父の夢は、いつしか娘の夢になっていたのでした
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孤独・・・奇跡のリンゴ20

2008-12-27 16:14:57 | Weblog
いつしか木村氏には
親戚からの慶弔の誘いも絶えていました
たくさんいた友達も離れていきました

「あいつは頭がおかしくなった」

「バカが伝染るから、近付くな」

人々の、そんな陰口を木村氏は知っていました
道で誰にも出会わないように、夜が明ける前に畑に出かけ
日が暮れて、人影がなくなってから家路につくのでした
岩木山山麓の畑まで、歩けば往復4時間かかる暗い道を
木村氏は、毎日歩いて通ったのでした

貧困だけが、周囲が木村氏を遠ざけた理由ではありません

木村氏がりんご栽培を始めた頃
青森県は、リンゴの病害虫に関する条例を定めました
リンゴの病害虫に対し、肥料・農薬等で徹底した管理を行い
防除しなければならないという条例です

病害が認められた場合、適切な防除管理を行うよう通告され
通告を無視すると、強制伐採のうえ、30万円以上の罰金が科せられるのです
木村氏の知るかぎり、3軒のリンゴ農家が強制伐採を受けていました

主に、放置園を対象とした条例です
放置するどころか、人一倍手入れをしていたのですから
木村氏は、なんとか取り締まられずにすみました

病害虫が蔓延すれば、被害は一戸の農家にとどまらず
周辺に大きな損害をもたらすおそれがあります
リンゴ生産者の病害虫に対する警戒心は非情に強いものがあるのです
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カマドケシ・・・奇跡のりんご19

2008-12-26 18:34:51 | Weblog
木村秋則氏が、すべてのリンゴの畑を無農薬にしてから
3年が過ぎ、4年が過ぎても
リンゴの花はまったく咲く気配を見せませんでした

貯えは底をつき
義父の郵便局の退職金も使い果たしてしまいました
3人の娘、妻の両親、合わせて一家7人は貧乏のどん底に落ちてしまいました

自慢のイギリス製トラクターはもちろん
自家用車も、農業用の2トントラックも売ってしまいました

税金の滞納が続き
リンゴの木に赤紙が貼られたことも何度もありました
そのたびに必死で金をかき集めて
競売をなんとか取り下げてもらいました

銀行から金を借り
それでも足りなくて消費者金融に手を出し
実家の両親だけでなく、親戚からも借金をしたのです

どうしても必要な電気や水道代を払うために金策し
健康保険料が払えずに、健康保険証も取り上げられてしまいました

子供のPTA会費も払えません
娘達の服はもちろん、学用品すら買ってやれません
穴の開いた靴下にツギをあて
一つの消しゴムを3つに切って渡しました

当時小学校6年だった長女の授業参観日
放課後一人残され
担当教師に読み上げられた作文は忘れられないものでした

「私のお父さんの仕事はりんごづくりです
でも、私は、お父さんの作ったりんごを一つもたべたことがありません・・・」

その頃から周囲の人々は、木村氏のことをカマドケシと呼ぶようになりました
カマドの日を消してしまう・・・家運を衰退させ破産させてしまう者
というほどの意味でしょうか
津軽地方の言葉です
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地獄への一本道・・・奇跡のリンゴ18

2008-12-25 12:11:52 | Weblog
1ヶ所の畑で無農薬栽培を試みた時は
その畑から、たった1個のリンゴの収穫もなくても
他の3ヶ所の畑のリンゴの収穫がありましたから
木村家の収入はあり、生活はなんとかなりました

しかし、すべてのりんご畑を無農薬栽培にしてしまい
収穫がまったく無くなってしまうと
木村家の収入そのものが無くなってしまったのでした

木村氏は言います

「バカなことをしたものだ
地獄への一本道を駆け足してしまった
あの時は、斑点落葉病を抑える食品を見つけることしか頭になかった。」

木村氏は、少年時代から
一つのことに夢中になると、前後の見境がつかなくなります
アンプを作ったり、バイクの改造をした時など
完成するまでは一睡もせず、作業を続けるのでした

収入のことは、まったく考えていませんでした
試してみたいことだけが、次々と頭に浮かぶのでした
醤油、ワサビ、小麦粉、焼酎、牛乳・・・
卵の白身を試した時は、毎日黄身ばかり食べていました

眠って夢を見ても、そういうことばかり考えて
何か思いつけば、夜中でも起き出して、畑に行きたくなるのでした

唯一効果があったように見えたのは、畑の土でした
泥水にして沈殿させた上澄みを漉してポンプで散布するのですが
小さな砂がつまり、ポンプを何度壊したか分かりません
幸い、木村氏は機械の修理は得意でしたが・・・

その効果は、数枚の葉が枝に残る程度のものでした

リンゴの木は惨憺たるありさまでした
年を追うごとに、ひどくなっていきました
斑点落葉病は相変わらず猛威をふるっていました

そのうち、ものすごい数の害虫が発生するようになりました
虫の天国が始まったのです
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失敗にめげず・・・奇跡のリンゴ17

2008-12-24 17:14:25 | Weblog
枯れ木の山のようなリンゴ畑を見て
頭の中を何度も”失敗”という言葉がよぎります
文献を読みあさり、研究を重ねてきたのもかかわらず
自分ではリンゴのことは知り尽くしていると自負していたのに・・・

しかし、かえって闘志が湧き起こるのが木村秋則氏でした

植物は、葉の中にある葉緑体が太陽エネルギーから栄養素を作ります
葉を守ることができれば
葉についた病気を追い払うことさえできれば
リンゴの木を復活させることができるはずだ・・・
木村氏は、自分ならそれができるはずだと信じていたのです

斑点落葉病は葉につく菌が原因しています
その菌が嫌う物質を見つけて散布すれば防げるはずです
木村氏は、農薬の代わりに、ふだん食べている食品の中から
菌の嫌う物質を探そうと考えました

そうした目で探してみれば
効き目のありそうなものは、いくつもリストアップできます
食品の中には、ニンニクやワサビなど、自然の殺菌力を持つものがあります
殺菌力はなくとも、カビや菌の成長が阻害できればいいのです

何がリンゴにとって有効な物質か
それを突き止めるためには実際に試してみなければなりません
しかし、それは1ヶ所で試みれば、1年に1回しかできません
これでは、何時になったら無農薬栽培法が発見できるか見当がつきません

木村氏は、翌年は2ヶ所のリンゴ畑で無農薬を試みました
さらに翌年は、思い切って、4ヶ所の畑すべてで
無農薬栽培を試みることにしたのでした

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年2回の開花・・・奇跡のリンゴ16

2008-12-23 12:19:35 | Weblog
7月に入ると、すぐでした、黄色い葉が出始めたのです
一面の緑の中に、黄色い葉は目立ちました
そして、その葉が落ちていくのです

減農薬で試した時も、多少の病気は出ました
農薬をやらないのだから、多少の病気は出るものだと
木村氏は冷静に受け止めました

しかし、これが止まりません
畑中の葉がどんどん黄色くなっていきます
ハマキムシ、シャクトリムシなどの害虫も大発生しました
7月の末には、ほとんどの葉が落ちてしまいました
残っている葉も、ほとんど黄色く変色してしまっていました

斑点落葉病という病気でした
葉に茶褐色の斑点ができて
やがて葉全体が黄色く変色して落葉する病気です

8月のはじめには、1枚の葉も残っていませんでした
ほとんど枯れ木のような状態です
まわりのリンゴ園が青々と繁るなか
無農薬栽培の1区画だけが、寂しい晩秋のような光景になってしまいました

春先に花が咲きましたから
リンゴの実はなっていました
枯れ木の山にリンゴだけがなっているという有様なのです
小さな、味の無いリンゴの実でした

そして9月、なんと!リンゴの木は、この年2度目の開花をしたのです

リンゴは年に1度しか花をつけません
この時の花は来年の分の花だったのです
したがって、翌年は花をつけないことを意味します
1年に2度花をつけたリンゴは次の年は花も咲かず実もつけないのです
そんなことは、どの参考書にも載っていませんでした

農薬を使わないというだけで、これほどの被害が出たのです
農薬を1回散布した畑と、1回も散布しない畑とでは
天国と地獄ほどの差があったのです

リンゴ栽培では「葉を大事にしなさい」といわれます
慣行農法では、ひたすら農薬散布をすることにより葉を守っていたのです
だから誰も年2回の開花を経験した者はいないのです
木村氏は、農薬の素晴らしさと、自然の厳しさを思い知らされたのでした

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順調な開花・・・奇跡のリンゴ15

2008-12-22 14:54:33 | Weblog
青森では、リンゴの花は5月に咲きます
無農薬の畑のリンゴは、なんの問題も無く開花しました
農薬を散布していないので、畑の空気はとてもすがすがしいものでした

リンゴと桜は同じバラ科の植物です
したがってリンゴの花は桜に似ています
ただし、リンゴは開花前に葉が開きますから
緑の葉の間に、白い花が咲きます
リンゴの花見は、リンゴ農家にとって、何より心躍る眺めです

花と葉があって、初めてリンゴの実は大きく育ちます
雌しべが受粉し、花の根元がふくらみ始めると
小さな果実に、葉で作られた養分がどんどん送られます
豊かに繁った葉が、秋の実りを約束してくれるのです

東北地方の遅い春の日差しは、急速に強くなっていきます
その日差しに合わせるように
葉は大きく成長し、緑の濃さを増していきます

6月に入っても、心配した病害虫の被害はありませんでした
まるで夢でも見ているような気分でした
木村氏は、自分はとんでもない発見をしてしまったのかもしれない思いました
農薬など、リンゴ栽培には必要なかったのだ!

化学肥料をやめて、堆肥を使ったのが良かったのかもしれない
こんなにも簡単に無農薬栽培ができるなら
この農法はあっという間に、日本中に広がるにちがいない
リンゴ農家が農薬から解放されるのだ
自分がその功労者ということになるのだろうか・・・

健康そのものに見えるリンゴの木を眺めながら
木村氏は喜びにひたっていたのでした

しかし順調だったのは、最初の2ヶ月だけでした
7月に入ったとたんに、葉に異変が現れました
リンゴの葉が黄色く変色し始めたのです・・・
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