湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

相続税を批判した高橋是清

2013-05-31 15:31:53 | Weblog
「歴史街道」6月号が高橋是清の特集をしています

その中で、相続税に関し、注目すべき言動があります
59ページの内容をそのまま、ここに転写します

わが国の家族制度の基準を危うくするものは、かの相続税である
相続税によってたくさんの税金を土地に課せられるということになれば
いかにしても、土地を手放すようになる
土地に対する愛着の念が薄らいでくる
従って先祖を尊ぶという美風も殺がれてくる
自分さえよければ人はどうでもいい
という考えが起こってくる

(「立身の経路」P100)

私は一貫して相続税の廃止を主張しています

相続税の廃止、核武装、憲法9条改正・・・の三つが、私の三大主張なのです
これらが実現できれば、日本の安全と独立は確保できるというのが、私の主張です

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未来を予測することが商売の勘所ですが・・・

2013-05-30 12:16:12 | Weblog
商売は、儲ける気持ちでやらないと儲かりません
勉強のつもりですると、勉強にしかなりません

商売に難しさがあるとするなら
同じことの繰り返しが通用しないということです
同じことの繰り返しのように見える商売でも
内情を知れば、日々、努力の積み重ねです

はじめは上手くいっても
儲かる商売にはライバルが現れます
同じことをしていると、お客さんに飽きられます
かといって、従来のものを全否定しても、お客さんが来るとは思えません

私の場合、日常の繰り返しの中で
改良の余地のあるものは改良方法を考え
実行できるものから、実行していきます

当然、事業全体の採算は考えますが
売り上げに直結しない設備投資もします
あまり目立たないところでも、消費者のメリットを考えれば
必ず、評価されるはずだからです

目立たないところや、目に見えないところも手抜きをしないというのは
日本的な職人精神でもあります
私自身は職人ではありませんし、職人や技術者の専門分野は彼らに任せます
私は、経営者として、職人的なのです

商売は、同じことの繰り返しでは儲けが続きません
そこで、新しい試みが必要になるわけです
その指標にするのは、私の場合
日々の仕事を通じて気付く改良点であるということです

未来は、現在の中にある・・・より正確に言えば

”現在の問題を解決する努力の中に未来がある”

・・・というのが、私の信念です

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”美”を衝動買い

2013-05-29 19:26:20 | Weblog
私は、このところ、衝動買いをします
絵を衝動買いするのですけれど
花も衝動買いしました

昨夜、銀座の薔薇専門店で
鉢植えの薔薇を、衝動買いしました
明日、午前中に、家に届く予定です

美術展を観に行くこと
画商と付き合うこと
生け花展を観に行くこと
薔薇園を観に行くこと
・・・最近、そんなことをよくします

美しいものに、飢えているかのごとくです
感動したものや、気に入ったものが、欲しくなってしまうのです
衝動買いとはいえ、後悔しません
それどころか、買って、本当に良かったと思うのです
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不景気と好景気

2013-05-28 12:14:33 | Weblog
現在の私は商人ですから
本来であれば、政治的な問題には関わりたくありません
それでも、政治的関心は高いです

政治がいいかげんであると、経済は上手くいきません
経済が上手くいきませんと、商人だけではなく
すべての人が難儀します

ただし、不景気というものは
良いものではありませんが、悪い一方と決めつけるのも間違いです

私は不景気といわれる時に事業を拡大してきました
不景気時代は不動産は買いやすいからです

土地が値上がらない時は
土地を買っても転売益は期待できません
ですから、不動産業者が転売目的に土地を買うことがありません
そんなわけで、投資向きの良い土地を買うチャンスが
私のような個人事業者にも、回って来るのです

個人的には、適度(?)な不景気は、けして嫌いではありません

お客さんが減り、営業に苦労をしたり
そのため、資金繰りに頭を使ったりしなければなりません
お客さんを集めるために、いろいろ工夫も必要です

努力を厭う人にとっては、不景気は嫌なものでしょう
そういう人は、そもそも、商人に向きません
景気が良くたって、努力しない者は、やがて消費者から見捨てられます
どんな商売でも、楽にモノが売れるのは、一時に過ぎません
日々、努力の積み重ねです

簡単にモノが売れると感じる時は
実は、その商売のピークなのであって
何もしなければ、後は、下り坂が待っているだけです
焦る必要はありませんけれど
商売は、日々、努力の積み重ねです
ここまで来たから「もういいや」という領域はありません
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アルコールを抜くと充実した夢を見られる

2013-05-28 10:41:20 | Weblog
今朝は不思議な夢を見ました

川を、大きな魚が泳いでいたり
小さな鷹の死骸だか剥製だかがあったり
それ以外にも、不思議な生き物がたくさんありました

夢ですから
醒めてしまうと、大半は忘れてしまいます

昨夜はアルコールを飲まずに寝ました
アルコールを飲みませんと、少し、ものたらない気分があります
それに、激しい夢を見ることも多く、疲れます
それでも、アルコールを飲まない日の睡眠の方が
起きてからの気分が快適です・・・体調もいいです
それで、最近は、時々、アルコール無しの夜を過ごすのです

アルコールを飲まない夜の楽しみが、寝てから見る夢なのです

ながらく、私は、あまり夢を見ませんでした
子供の頃は、毎日、夢を見ていたのに
大人になると、夢を見なくなるものかと、寂しく思っていました
ところが、アルコールを飲まないと、よく夢を見るのです

夢には、独特の解放感があります
夢を見ることで、疲れることもありますが
解放感は喜びでもありますから、目覚めた後に充実感があるのです





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被後見人の選挙権について・・・など

2013-05-27 19:34:51 | Weblog
成年後見人制度のもとでは
被後見人とされていた人々の選挙権が不当に奪われていました
この度、公職選挙法の改正により、権利が認められました

とても善いことだと思います

・・・しかしながら

代理投票者の要件を「投票所の事務に従事する者」に限定したのは奇妙です
「投票所の事務に従事する者」が被後見人の意志を確認できるわけはありません
「投票所の事務に従事する者」とは、お役人のことですか?・・・極めて曖昧な既定です

被後見人の代理投票権は、当然ながら、後見人が持つべきでしょう

後見人が不正行為をする可能性が無いわけではありません
だからといって、不正行為をすることを前提とする立法とはいかなるものでしょう?
そんなに後見人が信用できないなら
成年後見人制度自体が信用できないということになります

最近の法律や、その解釈、立法は、奇妙なものが多いです
日本の法学が呆学になっているためかもしれません
法学者ならぬ呆学者が闊歩しています

終戦後、進駐軍に日本国憲法を押し付けられて以来
日本の法学者は真実を語ることができなくなりました
嘘と誤魔化しで、何十年もやっているうちに
法学は・・・呆学になってしまったのかもしれません

ところで、選挙制度の話に戻りますが
子供達の選挙権は、いつ、与えられるのでしょう?

未成年者から、選挙権を奪うのではなく、保護者に選挙権を与えるべきなのです

子供達の選挙権が奪われているため
子育て中の親達は、社会から迫害されてしまうのです
その証拠に、車椅子には与えられる優位が、ベビーカーには与えられないのです、
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プロジェクトは遅遅として

2013-05-26 13:24:57 | Weblog
人生には、どうも、動きの悪い時があります
今の私が、そうです
物事が、すんなり進んでいかないのです

焦る気持ち、苛立つ気持ちを抑えて
自分なりのペースを持ち続けようと思うのですが
口で言うほど簡単ではありません

もともと、私は仕事が早い方です
ただし片付けは苦手で、いつも机が山積みです
綺麗好きとは、一緒に仕事ができません

私は今、あるプロジェクト関わろうとしています
関わっていると言ってもいいかもしれません
ところが、関係者の動きが、私の考えと別の方向に向かっているので
何とも、気分のすぐれない日々に陥っています

彼らなりに一生懸命ですから
我慢強く、付き合っていかなければなりません

結果がどうあれ、始めたことは、最後までやり通したいです
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”報道の自由”と”報道機関の自由”の違い

2013-05-25 11:18:19 | Weblog
消費税が上がっても新聞は例外扱いになるそうです

笑ってしまいますね

なるほど、自分達だけ税金が免除されるなら、増税に賛成しますね!

こういう議論には
必ず、建前があります
報道の自由は民主主義を支える・・・とか何とか

報道の自由とか言論の自由とかいうものは
報道機関や言論機関の自由のことではありません
国民全員に言論の自由が無ければいけないのです

全体主義の国の報道機関ほど自由を謳歌しているところはありません
平気で嘘を垂れ流しますし、それでもつぶれません
政府が援助しているからです

税制上の優遇だって
立派な政府による援助です
報道機関が政府に援助されているということは
すなわち、言論の自由が損なわれているということです

こうなると、日本の報道機関も
全体主義の国の報道機関に似てくるわけです
政府に有利な報道しか期待できませんね
そうなったら、新聞の購読はやめようかと思います
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夏の夕暮れ、娘とともに

2013-05-24 19:05:07 | Weblog
もう、午後7時だというのに
まだ、外は薄明かりです

5月も月末が近づけば、もう夏そのものです
夕方の、なんとも言えぬけだるさと安らぎの中に
夏独特の趣があります

妻と娘を誘い
レンタルカートを楽しみ
そのまま、妻に送ってもらい
娘とともに、美容院へ行きました

娘と二人、電車に乗って帰り
妻に、駅まで迎えに来てもらいました
こんなことは、初めてかもしれません・・・
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水のごとき人生

2013-05-23 12:05:17 | Weblog
「川の流れのように」という題名の歌があります・・・人生を歌った歌です

私も、自分の56年余りの人生を振り返ると
川の流れのようだと思うことがあります
自分の意志で生きたというより
運命の流れに乗って、ここまで来たと感じるからです

ところが、このところ、別の感想を持つことが多くなりました
私の人生は、川の流れ様に、ゆったりとしたものでも、広々としたものでもありませんでした
狭い、それ以外に選びようのない道を、たった一人の細い道を、歩んできました

たった一人といっても、私が孤独だったという意味ではありません
私の人生は、私だけの、細く狭い、私だけが通る道だったということです
一人一人の人間の人生とは、そういうものではないでしょうか?

社会や国家、人類の歴史となれば、それは大河の流れのようなものでしょう
しかし、私達一人一人の人間の人生というものは
一滴の水、一つの水分子のごときものなのかもしれません
細い一本の道を、あちこち、曲がりくねりながら
海に注ぐまで、流れていくのです

さらに、付け加えると
流されるだけが、水の通るルートではないということです
蒸発し、空高く舞い上がる水もたくさんあるのです

仲間から弾き飛ばされたと思っても
実は、広い自由な空間に放り出されただけなのです

水分子は、固体状態では氷です
縦横がっちりと結びあって存在するのです
液体になれば水です、互いに接しながらも、自由に動き回ります
気体となれば水蒸気です、仲間とは離れ、自由に空間を飛び回るのです
空中で、再び仲間と出会い、結露することもあります

人の人生も、これと似ています

さらに付け加えると・・・
水は、水蒸気にならなくとも、狭い隙間があれば、上へ上へと昇っていきます
これを毛細管現象といいます
人もまた、上へ昇る時は、けして大勢ではありません
少ないメンバーや、時には、たった一人で、狭い道を昇り続けていくのです



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