湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

現生人類はナイル川を下り「出アフリカ」をした・・・歴史の考察

2020-06-30 11:43:04 | Weblog
人類の誕生については、私は詳しく知りません
大体のところでは
数百万年前にアフリカで猿人が誕生し、地球上に広がり
各地で原人や旧人になったということです

昔は、それが現生人類に進化したと考えられていたのですが
最新の遺伝子研究によると
現生人類の共通の先祖は20万年前にアフリカにいた人々です
現生人類は、そこから枝分かれした同一系統なのです
20万年は、地球の歴史から見れば一瞬です
生物の世代としても、せいぜい一万世代
まあ、親族みたいなものです

「人類は皆兄弟」

というのは、生物学的真実です

ところで、現生人類は、いつアフリカを出たのでしょう
20万年前はアフリカにいたのですから
10万年前くらいか、その前後と見当を付けるしかありません
現生人類の「出アフリカ」を約10万年前とすると
これまた、つい最近のことです

私は、アフリカを出た現生人類はアルビノであるとの仮説を唱えました
前回、彼らの脱出ルートを海であると予想したのですが
明らかに、これは間違いです
いくらなんでも、その時点で遠洋航海技術は無かったはずだからです

私はアフリカの地図を眺めていて、気付きました

「ナイル川」

です

中央アフリカからエジプトまでつながっています
ここを下れば、エジプトまで行けます
船が無くとも、筏でも下れます
いっぺんに行かずとも、少しずつ下流に向かうこともできます

人類は、ナイル川を下って現在のエジプトの地に至り
そこからスエズ地峡を通って中東に渡ったのです
そして、中東から、ユーラシア大陸全土に広がっていったのです


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静岡県を冷遇するJR東海は「負担者受益」の概念を持つべきです

2020-06-29 12:32:03 | Weblog
JR東海と静岡県が闘っています
そのためリニア新幹線の開業が遅れそうです
ごねる川勝知事を批判する記事もあります
しかし、私は、静岡県側の言い分も聞くべきだと考えます

静岡県にリニア新幹線の停車駅はありません
静岡は素通りされるだけです
リニア新幹線が通っても、静岡には何のメリットも無いのです
これでは、心情的に反対するのも頷けます

しかし、公益を考えたら、それは地域エゴだということになります
そんな地域エゴを認めていたら、国益が損なわれるから
地方自治体など不要なのだと、乱暴な議論もあります
しかし、地域に負担だけを強いる公益とは何でしょうか?

東海道新幹線の全区間の3分の1は静岡県内を走り
全17駅のうち3分の1の6駅が静岡県内にあります
それでいながら、静岡県内には「のぞみ」停車駅が一つも無いのです
静岡と浜松は政令指定都市です
首都圏以外で新幹線の通る政令指定都市で
高速車が停車しないのは、静岡と浜松だけなのです

JR東海の静岡県冷遇は異常としか言いようがありません
さらに、理解しがたいことがあります

2009年の開港した「富士山静岡空港」があります
実は、この真下を新幹線が通っているのです
誰でも考えるのが、ここに新幹線駅を作ることです
当然ながら、静岡県もそう考えたのですが、JR東海は拒否しました

JR東海の静岡冷遇は酷いものです
一体、何があったのでしょう?
これでは、静岡県だけではなく、日本全体の不利益と思われます
過去に何らかの感情的なもつれがあったのかもしれません
しかし、そんな私情で公益を損なってはいけません
JRは、元々、国営の鉄道会社だったのですから!

鉄道というものは、利用者には便利ですが
その他の人々と路線提供の地域に、大きな負担を強いるものです
公益や国益を主張する人もいますが
地域住民に負担だけを強いる公益や国益とは何でしょうか?

「受益者負担」という言葉あります
私は「負担者受益」という概念を提唱したいと考えています
近代日本は、国益ため、多くの犠牲を国民に強いてきました
確かに、必要なものは多かったでしょう
しかし、このやり方を野放しにすることは危険です

「首都圏と関西圏が高速で結ばれれば、それが日本の国益だ」
「沿線住民は、日本国の国益のため我慢しろ」

・・・というのでは、沿線住民は納得出来ません
日本に民主主義があることすら疑わしくなってしまいます
むしろ、JR東海こそ公共心を持つべきです
静岡県民は、当然ながら日本国民でもあるのですから


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アダムとイブは実在した・・・歴史の考察

2020-06-28 15:14:39 | Weblog
人類の祖先がアフリカで誕生したことは定説になっています
アフリカ以外に住む人類は、諸説はありますが
大体10~20万年くらい前に、アフリカを出たとされています
地球の歴史からみると、ほんの最近のことです

動物の1種としての人類が、アフリカで誕生したわけですが
なぜ、長い間、アフリカに留まったのでしょいうか?
これが私には第1の疑問です

ひとつ考えられる理由は
サハラ以南で最初の人類が誕生したとすると
文明を獲得する以前では、当然、大西洋もインド洋も渡れませんし
おそらく、サハラ砂漠を越えられなかったということです
サハラ砂漠以南のアフリカは、海とサハラ砂漠によって
地球上の他の地域と隔てられていたわけです
当然、生物相も異なっていたはずです

私がもうひとつ疑問に思うことは、近代の移民を除いて

"アフリカ以外に住む人類は黒人ではない"

・・・ということです

なぜ、アフリカにだけ黒人が残り
アフリカ以外に住む人類は黒人ではないのか?
これが私の第二の疑問です
普通にアフリカを出て、他の大陸に移ったとしたら
こういうことは起きないはずです

そこでヒントになると思われることは、現代でも残る

「アルビノ差別」

です

色素の抜けたアルビノが生まれると、アフリカでは、差別されるのです
殺されてしまったり、捨てられてしまうことがあったのです

アルビノは、肌は白いし、髪は金髪ですから、はっきり言って白人です
顔立ちはともかく、黒い母親とは、まったく似ていません
北欧系の白人は、アルビノが人種的の固定したものです

ここからは、私の仮説です

アフリカを出た人類とは、アフリカから逃れて
アフリカ以外で生き延びたアルビノの子孫だということです
ある時、同じ村に男女のアルビノがいました
この男女のアルビノは、年齢が近かったので、仲良く育ちました
アルビノは、食料を自力で確保できるようになると、村を追放される掟がありました

村人達は、仲の良い二人が一緒にいられるように
二人を同時に追放したのでした
二人は、力を合わせ、なんとか生き延びることができ
しかも、子供を残すこともできたのです

小さな村ができ、そこに他のアルビノ達も加わりました
彼らは、サハラ砂漠に近い熱帯の海岸地帯にたどり着き
洞窟を探して、熱暑を避け、海の魚を捕って生き延びました
やがて、航海術が上達すると、アフリア以外の地へ移り住むことができたのです

おそらく中東に、最初のアルビノ移民村ができたはずです
そこから北上した人々は、アルビノのまま、白人種として定着しました
東に向かった人々は、温暖な気候の下、徐々に色素を獲得しました
しかし、完全な黒人には戻れなかったのです

つまり
アダムとイブは実在したのです
アフリカには無い一夫一婦制の文化は、アフリカ以外では一般的です
これは、原始の自分達の先祖が、強い男女の愛で結ばれていたことの帰結です
アダムとイブは神話化された存在ですが
そのモデルは実在したということです




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ドライバーの皆様、警笛よりもブレーキを!

2020-06-27 17:02:59 | Weblog
天気が良いので
家でじっとしていても、憂鬱ですから
買い物がてら、近所をドライブしました

いつもの店で、パンやトマトを買うだけです
それだけではつまらないので
いつもと違う抜け道を探すことにしました
勘を頼りにハンドルを切るのですが
意外にも、行き止まりにぶつかったりして、苦労しました

細い道から、やや広い道へ出ようとした時です
見通しがききませんから
私は、少しずつクルマのノーズを出していきました
左折で、もう少しで曲がり切れる直前、いきなり後ろから警笛を鳴らされました
私は、慌ててブレーキを踏み、クルマを止めました
私の後ろに、小さな白いクルマが止まっていました

私は、そのまま、クルマを発進させました
そこは見通しの悪い道ですから
私の後ろに止まったクルマは、私の車を突然発見して、慌てたのでしょう
それは分かりますが、だったら警笛でなくブレーキでしょう
警笛を鳴らされたって、私は避けようがないのですから

こういう運転をする人が、時々います
私も、何年かに一度、こういう経験をします
見通しのきく交差点で右折するときも
前方から警笛を鳴らしながら、交差点に突っ込んで来るクルマがあります
なぜ警笛を鳴らすのでしょう?

本当に危険だったら、ブレーキを踏めばいいですし
よく見えているわけですから、アクセルから足を上げるだけで十分です
私だって、無理な割り込みをしているわけではありません
自分が法的に優位なら
自分の意思で事故を起こしてもかまわないと思っているのでしょうか?

おそらく、こうしたドライバーが考えていることは

ここは自分が優先である
自分の行く手を阻む者はけしからん
警笛を鳴らし、脅し、自分の進路を確保するのだ!

・・・ということでしょう

まあ、こういう馬鹿が現れるのは、道路交通法がいけないのです
”直進優位”などという変な原則があるからです
これは廃止しなければいけません
直進方向は、ドライバーが最も見やすい方向です
一番見やすい位置のドライバーが、一番の安全義務を負うべきなのです

”直進優位から直進注意へ”

前方方向の注意義務を最重視するように、道路交通法の改正すべきです
法律は、合理的に作り、安全を優先すべきです
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日本人とコリアンの関係と反日

2020-06-26 11:50:45 | Weblog
私は朝鮮人について、あまり知りません
個人的付き合いはありません
日本国籍を取得した朝鮮人なら、知っている人はいます
朝鮮系の血を引く知り合いもいます
結構、仲良しだった人もいます

日本生まれでない、韓国生まれ韓国育ちの
純粋なコリアンとも、少し、お付き合いをしたことがあります
それらの経験から、私が言えることは
日本人と朝鮮人とは、気質の違いはあるけれども
けして、互いに付き合えない相手ではないということです

昨今の韓国や北朝鮮を考えると
朝鮮人とはとても付き合えないと、私でも考えてしまいます
あの歪んだ考え方は、間違った政治体制と教育が作り出したものです
これを修正するのは、今は難しいかもしれません
しばらくは距離を置くのはやむを得ないことでしょう
むしろ、安易な歩み寄りは両民族の将来にマイナスとなるでしょう

かつて、日本人と朝鮮人は同じ日本人でした
植民地主義ということで、批判することは可能です
しかし、庶民レベルでは、同じ国民として普通に付き合えたのです
祖父母や両親の朝鮮人への対応が、それを物語っています
うちの家族だけではなく、地域全体が、朝鮮人差別と無縁でした

日本は、朝鮮に、近代文明をを与え
学校を作り、ハングルを普及させ、帝国大学も作りました
さらに、優秀な朝鮮人は、陸軍士官学校に進学することもできたのです
日本人でも滅多には入れない、エリート中のエリートへの道が開かれていたのです
私は、当時の日本に差別が全くなかったと言いません
しかし、欧米の植民地の原住民の扱いと比べたら比較の対象外です
天と地の差と言っていいでしょう

朝鮮人や中国人が日本人に敵意を抱くのは
けして、かつての植民地政策のためではありません
私が若い頃ソウルに行った時、日本語を話せる世代は日本人に好意的でした
植民地時代を知らない世代が、反日的なのです
彼らを教育で洗脳したのは、欧米諸国と共産主義者です
欧米の宣伝と、共産主義者の宣伝が、この点では一致していたからです
日本近代史は、欧米植民地主義と共産主義との闘いでした
そして、日本は彼らの野望をくじいてしまいました
そのため、欧米の植民地主義者と共産主義者の日本への敵意は強烈なのです







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次男が父に誕生日プレゼント

2020-06-25 19:58:08 | Weblog
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父の誕生日

2020-06-25 19:55:55 | Weblog
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70年前の今日、朝鮮戦争が始まりました

2020-06-25 18:07:28 | Weblog
今日は、父の満92歳の誕生日です
そして、70年前に朝鮮戦争が始まった日でもあります

「俺の誕生日に始めやがった」

父が、そう言ったのを憶えています

我が家では、父も、そして家族全員が、朝鮮人を差別しなかったので
高校生になるまで、私は、朝鮮人差別があることを知りませんでした

以前にも、このブログで書きましたが
父は、朝鮮人とは、日本人と変わりなく付き合っていました
私が今でも、忘れないのは
夕暮れの畑で、仕事の手を止めた父が、朝鮮人のオジサンと話していた姿です

富士山や丹沢がシルエットで見える夕暮れの空をバックに
二人の男が、立って話をしていたのです
私は、子供でしたから、大人達が何を話していたのか分かりません
子供が入り込めるような雰囲気ではありませんでした

私にとって衝撃的だったのは
朝鮮人のオジサンが、外国人であるにもかかわらず
近所の農家のオジサンや知り合いと変わらぬ雰囲気で
父と二人、話し続けていたことです

当時の日本人にとって、外国人とはアメリカ人でした
見た目も日本人とは違い、日本語で会話することなど無い相手でした
農村の少年にとって、外国人を直に見ることすら、まず、ありませんでした
その時の私は、朝鮮人が外国人であることは知っていたのです
そして、その人が外国人であることに気付いて、衝撃を受けたのです
日本人と変わらない・・・

朝鮮人のオジサンは、廃品回収業をしていて
私が小さい頃は、よく家に来ていました
特別に意識をすることも無かったのですが
あの時の私は、すでに朝鮮人が外国人であることを知っていて
しかし、私が考える外国人のイメージとは、まるで違っていたので
そのことに気付いて、私は衝撃を受けたわけです

当時の父と朝鮮人のオジサンは
仕事関係の付き合いは、ほとんど無かったはずです
二人は、夕日を見ながら話をしていました
西の空の遙か先の、朝鮮半島情勢を話していたのかもしれません・・・

朝鮮人を差別しなかった父は
朝鮮人を”世界最低民族”と言っていました
その理由を訊ねると

「同じ民族同士で争い、一つになることができないからだ」

・・・ということでした
おそらく、朝鮮人の知り合いから
祖国分断の悲しみを、いつも聞かされていたのでしょう

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”痛み無き文明化”と”民主主義の浸透”

2020-06-24 15:16:19 | Weblog
文明の利器というものは
例えば、鉄道は
それを利用する人にとっては便利なものですが
そうでない人には、大地を分断するとんでもないものです
街も、田畑も、東西に、あるいは南北に、分断されてしまいます

自動車も、利用者には、この上も無く便利で快適な存在ですが
歩行者にとっては、道路の中央部分を奪われ
しかも危険極まりない、とんでもない乗り物です
それでも、歩行者が文句を言わないのは
歩行者は、同時に、自動車利用者でもあるからです

電灯線、電話線・・・いずれも便利なものです
無くてはならぬものでもあります
それでも、その施設には多くの負担を要します
金銭的負担ばかりで無く、物理的負担も大きいです
鉄塔や電柱などの大きな設備を建設し、維持しなければなりません

文明には、大きな利益と大きな負担がついて回ります

スマホとて、文明の利器である以上
私達は、大きな負担をして、そのシステムを維持しているはずです
それでも、他の文明の利器に比べて
私の実感としては、利便性が高く、負担は小さいです
これは、スマホに限らず、最近の文明の利器の特徴かもしれません

注射針は痛くなくなり、薬は苦くなくなり、副作用も注意され
レントゲンに使われる放射線量も小さくなっています
車椅子も日進月歩で進歩していますし
建物や都市全体のバリアフリー化も進んでいます
私達は、現在

”痛みの少ない文明化”

・・・の時代に入ったと考えるべきかもしれません

これが、本当意味の進歩かもしれません
生活の隅々までが、誰にとっても快適になり
それによって不利や不便を感じる人が出ない文明化です
こうした進歩は、民主主義の浸透とも言えるでしょう

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無痛分娩、無痛革命

2020-06-23 14:46:04 | Weblog
無痛分娩という言葉があります
私は女性ではないし、医師でも助産婦でもありません
したがって、実際にそんなことが可能なのか
確信を持って答えることはできません

お産は、大変な痛みを伴うとは、よく聞きます
新しい生命を誕生させるための女性達の勇気と忍耐には
男として、ただただ、頭を下げるしかありません
多くの女性が、妊娠や出産を恐れる気持ちも理解できます
無痛分娩が可能なら、人類の福音です

新しい生命を生み出すのに、妊娠出産の苦しみと危険があるように
新しい社会を生み出すにのにも、苦しみや危険が伴うことがあります
戦国時代を経て江戸幕府の天下泰平が得られたように
戊辰戦争を経て、明治新政府が誕生したように
そして、悲惨な第二次世界大戦を経て、平和な日本国が誕生したように・・・

私は考えます

「社会の変化は、産みの苦しみを経なければできないものだろうか?」

私が生まれてから、すでに60年以上が過ぎています
その間、日本には戦争も革命もありません
にもかかわらず、社会は変化し、私達の生活も劇的に変化しています
これこそ”平和革命”と呼ぶべきことではないでしょうか?
無痛分娩という言葉もあれば”無痛革命”という言葉もあります
”平和革命”は無痛革命”でもあったわけです

社会のあるべき形を頭の中で描き
それを政治的権力で実行しようとする革命は
本当に人類の在り方に良い変化を起こすことができるのでしょうか?
他者から力で強制されて、人は本当に幸福になれるのでしょうか?

便利な道具は、私達の生活に良き変化をもたらします
無理な努力をしなくとも、普及していきます
これは一種の”無痛革命”です
痛みの伴わない社会の変化であり、革命です

平和な環境に生きてきた私達は、多くの”無痛革命”を実体験してきました
したがって、平和と繁栄さえ有れば
極端な政治的主張は不要だと考える人が多いと思います
私も、そう考える一人です

スマホの高度で便利な諸機能の一端に触れるだけで
私は、これは”無痛革命”だなと実感せざるを得ません
願わくば、このまま、平和と繁栄のうちに
人類の生活が豊かで便利になっていくことを願わずにはいられません



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