湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

日蔭の雪

2012-02-29 11:08:07 | Weblog
今日は雪です
少し積もりましたが、これ以上は積もりそうもありません
気温の上昇とともに、少しづつ融けていくのではないでしょうか
日蔭の雪はしばらく残るのでしょう

日光に行った時も
日蔭には雪が残っていました
今日あたりは、日光の雪はこちらよりも多いでしょう
良い時に、行って良かったです
今から行くのでは、難儀だったでしょう

マンションの管理をしていますと、日蔭の雪が解けないので困ります
こちらの体力にも限界がありますから、途方にくれます
融けるのを待つしかありませんが、なかなか融けないのです

日蔭の雪は、嫌なものです
なんとなく薄汚いし、邪魔です
それでいながら、なかなか消えません
簡単に片付けられそうに見えますが
必要なところは、当然、すぐに片付けるのですが
そうでないところは、いつまでも放置されます
自然に融けて消えるの待つだけです

雪は降り続けています
もっと積もるのでしょうか?
もうすでに、日陰に残る雪の心配をしている私は
情緒の乏しい人間です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実際は風評被害・・・大震災の教訓85

2012-02-28 11:19:51 | Weblog
今の日本は、大変な不況です

公務員や大企業サラリーマンにはピンとこないでしょう
しかし、多くの庶民が、この不況に苦しんでいます
私とて、例外ではありません

好不況は時の習いですから
私は不景気を嘆くことは嫌いです
とはいえ、この度の不景気に関しては、私としても言いたいことがあります
これは、まったく人災としか呼びようのない不景気だからです

不景気の直接的な原因は原子力発電所の事故です

昨年の大震災での直接の被害は津波によるものです
しかし、それだけでは、こんな不況は来なかったでしょう
原子力発電所の事故こそが、不況をこれほど深刻にしたのです

これがまた、奇妙なことに
本来、若干の電力不足という事態で収まるはずの事故が
収拾不能な事態にまで進んでいるのです

それはマスコミが煽る放射能へ異常な恐怖心によるものです

実際の放射能による被害は確認されていません
ただ恐怖心と、政府のその場しのぎの対応が事態を最悪の展開にしているのです

実際の放射能による被害は確認されていません
現状では、政府の政策を含めて”風評被害”のみによって
福島県を中心とする、多くの人々が辛酸をなめさせられています

そして、日本全体が、深刻な不況に陥ってしまいました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴジラの目線・・・軒下の美学3

2012-02-27 17:44:45 | Weblog
少々皮肉な表現ですが・・・

”現代建築はゴジラに壊されるのが似合っている”

それが私の現代建築に対する印象です

もし今ゴジラ映画を作るなら
狙われるのは東京スカイツリーかもしれません

現代の建物は、設計事務所の中で、紙やコンピューターの画面上で設計されます
当然ながら、紙や小さな画面上に描かれた建物は縮尺図面です
それを元に模型を作ることもあります
当然ながら、縮尺模型です

模型を眺める人間達は
これが模型でなければ巨人です・・・怪獣です
現代建築は化け物の視点で作られているのです

建築模型を自慢げに見せる設計者や施主がいますが
実際の建物が、模型のように見えるためには
ヘリコプターにでも乗るか、怪獣にでもなるしかないのです

怪獣の視点で造られた建物が、ゴジラ映画に似合うのは当然です

設計者達は、事務所の中で、いつの間にか怪獣に変貌してしまっているのです

そうやって作られた建物は
実際に、そこに立つ人間の視線で設計されていませんから
使い勝手の悪い建物が多いです
見た目も、必ずしも美しくありません
実際に地上に立つ人の目線で美しく見えるようには設計されていないからです
あくまで、ゴジラ目線によって威容を誇っているのです
こういうのは究極の”上から目線”かもしれません

軒下を美しくするのは
あくまで普通の人の現実的な目線を意識したものです
言ってみれば”下から目線”です

日光東照宮を造った人々は
現代のゼネコンや設計者達よりも
ずっと優しい人達だったような気がします
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丸桁を使う意味・・・軒下の美学2

2012-02-26 15:47:23 | Weblog
日本の大工さん達が昔から言い習わしてきた言葉

”雀と大工は軒で鳴く”

について、考えてみたいと思います

日本の木造建築の美しさの一つに
軒に整然と並ぶ垂木の美しさがあります
寺社建築のような特殊なものではなく、一般の民家の話です

民家を造る一般の大工さんにとっても
軒下を美しく仕上げることは重要なことだったのです
民家の場合、広い敷地のお屋敷でもないかぎり
建物の全体像を見ることはできません
しかし、軒下は誰もが見るのです

伝統的な日本建築では
縁側の軒を支える桁は「丸桁(まるげた)」という皮を剥いただけの丸太を使います
これは見た目も美しく、風情のあるものです

私は、丸桁は美観のために使われているものとばかり思っていました
ところが、自宅をリフォームした時に、ある重要な事実に気付いたのです
丸桁の上に乗った垂木は、美しく整然と並んでいるのでした

丸桁は、軒を美しく保つために使われいていたのです!

丸桁に使う材料は、なるべく真っ直ぐなものを選びます
しかしながら、木というものは自然界で育つものですから、完全に真っ直ぐなものは存在しません
必ず曲がっているのです

丸桁は、曲がって出た腹を上に向けて使います
真っ直ぐに水平に見えても、実はアーチ状になっているのです
こうすると、屋根の加重を受けても中央部分が垂れ下がることが少ないのです
角材を使うと、時を経るごとに、中央部分が屋根の重みで垂れ下がる可能性が高まります

パイプが曲げに強いように、年輪を残した丸太は構造的に曲げに強いのです
しかし、丸桁を使う意味はそれだけにとどまりません

木材は、乾燥にともない強度を増しますが、変形もします
力を受ければ、当然ながら、その方向に変形します
横に使うと、当然ながら、中央部分が重みで垂れ下がってくるのです

ただし、木材の変形は外から加わる力だけではありません
木材自体が、時間の経過とともに、勝手に変形していくのです
むしろ、こちらの変形の方が無視できない強力なものです

変形の傾向は
曲がったものは、その曲がりがさらに大きくなり
ねじれたものは、そのねじれがさらに進むのです
優れた大工は、木材の変形の傾向を読み込んで材料を使いますから
木材の経年変化が建物に影響しないのです

丸桁は、曲がって張り出した中央を上に向けて使いますから
軒の中央部分は、経年変化で、上に向かって盛り上がることになります
ところが、ここには屋根の重みがかかり続けていますから
両方の力が相殺されて、水平の軒が維持されることになるのです

伝統的な木造住宅には
木の性質を知りつくした大工の知恵が凝縮しています
ぜひ、後世に残したいものです




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日光東照宮に参拝・・・軒下の美学

2012-02-25 14:16:16 | Weblog
日光に行ってきました
東照宮を観てきたのです
小学校以来です

華厳の滝も観ました
ちゃんと水が流れていて迫力がありました
周囲の小さな滝は凍っているものもありました
滝壺の周囲には氷の塊があり、青く光っていました

日光は、思ったよりも暖かく、やはり温暖化の影響があるようです
これなら、クルマで行くことも可能でした
移動は、主にタクシーを利用しました
タクシードライバーは、どなたも観光客には慣れていて、親切でした

観光客は少なく、そのため、実に落ち着いた観光ができました
いろは坂が渋滞したり、東照宮を行列を作りながら参拝するのは勘弁です
私は混雑が苦手です

今回の旅は、気ままな一人旅でしたけれど
混雑を避けることができ、とても気分良く、2泊3日を楽しむことができました
ちょうど良い滞在期間で、気分転換もできました

東照宮の魅力を、私は

”軒下の美学”

と、名付けています

参拝者の目線で、もっとも見やすい位置”軒下”に装飾が集中しています
その装飾も、金ぴかであり、また、原色をふんだんに使う、分かりやすい表現です
現代の盛り場の商業広告と同じ発想です
見やすいところに、派手で目立つ明解な表現を使っているのです

それでいて、どの建物も、人を威圧するような大きさがありません
どの町にでもあるような大きさの建物です
有名な陽明門だって、けして大きな建物ではありません

装飾過多な感じの建物群とは別に
杉の巨木がいたるところに生えている山内は、通路等も簡素であり
人工的な庭園美など、ほとんどありません
シンプルで大らかな山内にあって
きらびやかな建物群が参拝者の目を楽しませてくれます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誠実でカッコ良く

2012-02-24 21:11:13 | Weblog
カッコよく生きたい
それがシンプルな私の行動哲学です
なかなか、上手くいきませんが・・・

自分の行動を反省する時
あの行動は、はたしてカッコよかったであろうか?・・・という点を重視するのです
あるいは、なんとカッコ悪いことをしてしまったのだろう、と反省するわけです

私の、もう一つの人生哲学は”誠実であること”です

自分も他人もごまかさずに生きることが、私の人生哲学です

”誠実でカッコイイ”

そんな人生を送りたいのです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私にとっての絵画

2012-02-23 20:59:36 | Weblog
美意識は、どのようにして身に付くのでしょうか
私自身、美術を好む傾向はあるものの
自分自身の美意識には、正直なところ自信がありません

私が絵を好きなのは
絵を見て感動した経験があるからです
一枚の絵から、不思議な感覚を覚えさせられたり
人生の意味について、考えさせられたりした経験があるからです

私は、絵を”美しい”と感じることはありません
絵は絵です・・・美しいというより、好きか嫌いかで、私はその価値を決めます
私にとって、絵画鑑賞とは、そういうものだからです
好きな絵は、見ていて飽きません

私が絵が好きなのは
一枚の絵が、動きもしないのに
こちらの感性を刺激し続け、良い気分にしてくれたり
人生について、また時には、人類の歴史についてさえ、私を考えさせ続けてくれるものだからです

これは、私なりの絵画観です
いつの間にか、そのように絵というものを見るようになっていたのです
私の人生哲学とも、微妙に関わっているようにも思います
私は絵を観ながら、実に多くのことを考えてきました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文化の喪失と日本人のケダモノ化

2012-02-22 20:48:06 | Weblog
イジメ問題や、親による子供への虐待のニュースを目にしますと
人間の中に潜む動物性を想起します

人間は動物です・・・ケダモノです・・・畜生です
生きる基準としての文化を失ってしまえば、どんなにも醜くなってしまうものなのです
文化を持って生きているから、人間は人間になれるのです

文化とは、民族が言語とともに子孫へ伝える行動様式であり、また、美意識です

人間が、どう行動すべきか
また、何を美しいと感じ、何を醜いと感じるのか
それは、文化が教えてくれるのです

文化は、学ぶものというより、伝えるものです
親から子へ、子から孫へ、連綿と伝えられ続けるものです
その中核は、家族が担うべきであり、学校で学ぶものではありません

学校は、むしろ、各家庭、各地域に伝えられた文化を尊重すべき立場にあります
学校で教える外国の文化などは、あくまで教養として身に付ければいいのです
本当に大事なのは、家庭と地域に伝えられた文化です
”伝統”と呼ばれてきたものです

日本のように美しい歴史と伝統を持つ国は、真の意味での文化国家です

このことに自信を持ち
この文化を継承することは義務であり、誇りであると考えるなら
ケダモノ化する日本人はいなくなるでしょう・・・畜生道に墜ちる人はいなくなるでしょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日銀総裁の腕の見せどころ

2012-02-21 20:23:04 | Weblog
税金というものが、何のために存在するのか
正確に答えられる人はいるでしょうか

現在の日本国の国家予算の使い道は多岐にわたるため
その全体像は、じつは財務省の役人ですら、十分には把握できていないでしょう
それでいながら、増税だけを声高に叫ぶのです

誰だって、そうです
自分の自由に使えるお金はいくらでもほしいものです
そして・・・いくらあっても足りないものです
さらに・・・人は、労せず手に入るカネは、無駄使いをしてしまうものです

私は増税に反対です
ついでに言えば、国債発行にも反対です
どちらも民間資金を政府に移すだけですから
民需を軸とした景気回復にはマイナスだからです

政府が何かやりたければ、政府発行通貨で済ませればいいのです
政府発行通貨はインフレをもたらすと恐れる人がいますが
そもそもデフレで悩む日本で、何をバカなことを言っているのでしょう

少しずつ政府発行通貨を増やし
インフレ傾向が無視できない状態になったら
こんどは少しづつ通貨供給量を減らせばいいのです
要は、さじ加減次第なのです

日銀の仕事はドライバーのようなものです
通貨供給を増やすか減らすか、その量とタイミングが問題なのです
状況判断と実行のタイミングにより、その成果は異なります
絶対の正解など存在しません・・・日銀総裁の腕の見せどころなのです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去と未来、そして変わらぬ私

2012-02-20 20:04:17 | Weblog
私はモノを捨てられない人間です
過去を大切にするからです
この性格は一生治らないかもしれません

また
私は、つねに未来の心配をしています
長期ローンを借りて仕事をしていますし
まだ小さい子供がいますから

未来と過去を、いつも考えているのが私です
自分のことだけでなく、社会的にも、国家的にも、人類的視点でも
私は過去と未来に強い関心を持っています

そんなわけで、私は歴史が好きです
過去のことも未来のことも、あれこれ考え想像することが好きです
私にとって、現実とは、あくまで過去と未来の間の通過点です

しかしまた、いまここにある現実というものが、限りなくいとおしくなることもあります
この瞬間が永遠に続けばいいのにと思うこともあります
幸福の絶頂感を感じる時、そう思うのです

ただし、私の感じる幸福の絶頂感は
一般的な意味での絶頂感という表現からは少し離れています
もっと、静かな幸福感が、私の幸せの絶頂感です

家族全員が食卓に揃い、美味しい妻の手料理を楽しみ、笑顔で夕食を終えることができた
そんな時の幸福感こそが、私の幸せの絶頂感なのです
そんな素朴な幸せだって、簡単に手に入るとはかぎりません

私の幸福感は平凡です
庭の梅の開花に喜びを感じ、日差しの暖かさ、明るさが・・・私に幸福感をもたらすのです
難しいことが何も無い、素朴で簡単なことに、変わらぬ幸福感を感じます

私と継続的に付き合ったことがある人は
私がいつも同じ話を繰り返すことを知っています
聞いている方は”ああ、またか”と退屈になるのでしょう
それでも私は話し続けます

私の発想や感覚は、同じところにとどまっていて
同じ食べ物を、いつも美味しくいただき
毎年繰り返される同じ自然現象に喜びを感じるのです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする