湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

哲学にはまる・・・数学は”言語”

2016-10-24 19:06:08 | Weblog
1年浪人して、受験に失敗した私は
もう受験勉強はやめようと思いました
同じことをいつまでも繰り返していたくはなかったからです

大学の勉強の真似をしようと
行列式とフランス語を自習することにしました
行列式は入門書を書店で求め
フランス語は、ランボーの詩集と仏和辞典を買いました

行列式は、見事な計算方法だと思いましたが
まったく機械的な操作を覚えることであり
計算や機械的作業の大嫌いな私は、すぐに投げ出してしまいました

ランボーの詩集は、辞書を片手に訳せそうでしたが
これもすぐに飽きてしまいました
今でも”ラ ベル セゾン”が
”美しき季節”という意味になることは憶えていますが・・・

一人で勉強するということは大変なことなのです

しかしながら
本当に好きなことは、できるものです
浪人してから、私は、キルケゴールとニーチェの本は
文庫本で手に入るものは、ほとんど読みました
ニーチェの「悲劇の誕生」だけは
ギリシャ悲劇を読んでから読もうと考えていたため
結局、読みそびれてしまいましたが・・・

デカルトとパスカルも読みました

デカルトの「方法序説」はページ数の少ない本ですが
そして、そんなに難解な表現もなかったと思えるのですが
デカルトの発想が私の体質に合わず、拒絶感が強くて難渋しました

パスカルの「パンセ」は
聖書やキリスト教の知識が無い私には、理解しずらい面もあったはずですが
読んでいて苦にならず
これを理解するために、聖書を勉強したいとさえ思いました
私は、パスカルの発想が好きだったのです

ハイデガーとヤスパースも読みました

ハイデガーの「存在と時間」は難解で有名な書だそうです
私は、さほど苦にならず、一気に読んでしまいました
今では、ほとんど、その内容を憶えていませんが・・・

ヤスパースは気に入り、何冊か読みました
「理性と実存」の中にある

”伝達可能性として真理”

という表現に、私は感銘を受け、啓示を受けたと言っていいでしょう
その後の、私の人生を決定するヒントとなりました

私は哲学を学ぶために哲学書を読んでいたわけではありません

「何が正しいのか?」

「いかに生きるべきか?」

青春の日々、考え続けた疑問への
答やヒントを求めて
私は、哲学書を読みあさっていたのでした








 
コメント (3)
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